18日に名古屋で指された第72期王座戦五番勝負第二局。
藤井聡太王座の先手で角換わり相腰掛銀。定跡にある進展から桂馬と香車の交換になり,後手の永瀬拓矢九段が端を攻めにいったところで前例から外れました。
ここで先手は☗4六香と打ちました。このような反撃筋が先手からあるということは後手は知っていたようなのですが,この局面で打ってくるのは研究の範囲外であったようです。先手はここで銀を逃げるのは利かされとみて反撃に出たとのこと。
後手の研究から外れていたのは☖7六桂が王手になるからでここは☗7七玉と逃げる一手。これで先手の銀損なのですが,互角の範囲内のようです。先手も研究の範囲外であったと思われますが,さすがの大局観でした。
後手は☖8六歩☗同歩の突き捨てを入れてから☖4五歩☗同香☖5四銀として香車を取りにいきました。7筋が薄くなったので☗7四歩。
これで先手が優勢になっていました。なので後手は第1図から第2図に至る間で何か変化が必要だったことになります。
藤井王座が連勝。第三局は30日に指される予定です。
ミリアムMiryam de Spinozaが結婚したのは1650年6月で,これは婚姻届が残っているので確実です。その相手がサムエル・カルケリスSamuel Carcerisであったことになります。そしてふたりの間にダニエルDaniel Carcerisという名の子が産まれたことになります。ところが吉田がいっているところによれば,ダニエルが産まれてすぐにミリアムは死んでしまったのです。よってサムエルはダニエルという幼子と残されることになりました。なのでダニエルは再婚したのですが,その再婚相手がレベッカRebecca de Spinozaだったのです。ですから,ダニエルの母はミリアムであって,戸籍上はそうなっているのでしょうが,レベッカとダニエルの関係は,叔母と甥というより,母と息子という関係に近かったと思われます。たぶんダニエルは実の母であるミリアムの記憶はまったくなかったと考えられますので,ダニエルとレベッカの結婚が,ミリアムが死んでからそれほど時を置いてのものでなかったとすれば,ダニエルにとってレベッカは,叔母というより実の母に近かったものと思われます。
前にもいったようにレベッカはこの後,キュラソー島に移住します。そのとき,ミカエルとベンヤミンという息子と一緒だったと『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』にあります。つまり,再婚したサムエルとレベッカの間には子どもがありました。さらにハンナという娘もいたと確定的に記されています。たぶんハンナは結婚したので,キュラソー島には移住しなかったのでしょう。ところが共同相続人としてレベッカとともに名前が出ているのはダニエルだけで,ハンナ,ミカエル,ベンヤミンの名前はありません。ハンナがどうなったかは分かりませんが,ミカエルとベンヤミンはキュラソー島に移住したので,スピノザが死んだ時点で生きていたことは確実です。なのに共同相続人として名前がないのは,たぶん制度上のことだと思います。ダニエルはミリアムの子で,ミリアムはすでに死んでいたのでその子どもとして叔父の遺産の相続人にはなり得るのですが,レベッカは健在だったので,レベッカの子どもたちは共同相続人としての権利がなかったのでしょう。このように考えないと,共同相続人がふたりだけであったことの説明がつかないように思えます。
藤井聡太王座の先手で角換わり相腰掛銀。定跡にある進展から桂馬と香車の交換になり,後手の永瀬拓矢九段が端を攻めにいったところで前例から外れました。
ここで先手は☗4六香と打ちました。このような反撃筋が先手からあるということは後手は知っていたようなのですが,この局面で打ってくるのは研究の範囲外であったようです。先手はここで銀を逃げるのは利かされとみて反撃に出たとのこと。
後手の研究から外れていたのは☖7六桂が王手になるからでここは☗7七玉と逃げる一手。これで先手の銀損なのですが,互角の範囲内のようです。先手も研究の範囲外であったと思われますが,さすがの大局観でした。
後手は☖8六歩☗同歩の突き捨てを入れてから☖4五歩☗同香☖5四銀として香車を取りにいきました。7筋が薄くなったので☗7四歩。
これで先手が優勢になっていました。なので後手は第1図から第2図に至る間で何か変化が必要だったことになります。
藤井王座が連勝。第三局は30日に指される予定です。
ミリアムMiryam de Spinozaが結婚したのは1650年6月で,これは婚姻届が残っているので確実です。その相手がサムエル・カルケリスSamuel Carcerisであったことになります。そしてふたりの間にダニエルDaniel Carcerisという名の子が産まれたことになります。ところが吉田がいっているところによれば,ダニエルが産まれてすぐにミリアムは死んでしまったのです。よってサムエルはダニエルという幼子と残されることになりました。なのでダニエルは再婚したのですが,その再婚相手がレベッカRebecca de Spinozaだったのです。ですから,ダニエルの母はミリアムであって,戸籍上はそうなっているのでしょうが,レベッカとダニエルの関係は,叔母と甥というより,母と息子という関係に近かったと思われます。たぶんダニエルは実の母であるミリアムの記憶はまったくなかったと考えられますので,ダニエルとレベッカの結婚が,ミリアムが死んでからそれほど時を置いてのものでなかったとすれば,ダニエルにとってレベッカは,叔母というより実の母に近かったものと思われます。
前にもいったようにレベッカはこの後,キュラソー島に移住します。そのとき,ミカエルとベンヤミンという息子と一緒だったと『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』にあります。つまり,再婚したサムエルとレベッカの間には子どもがありました。さらにハンナという娘もいたと確定的に記されています。たぶんハンナは結婚したので,キュラソー島には移住しなかったのでしょう。ところが共同相続人としてレベッカとともに名前が出ているのはダニエルだけで,ハンナ,ミカエル,ベンヤミンの名前はありません。ハンナがどうなったかは分かりませんが,ミカエルとベンヤミンはキュラソー島に移住したので,スピノザが死んだ時点で生きていたことは確実です。なのに共同相続人として名前がないのは,たぶん制度上のことだと思います。ダニエルはミリアムの子で,ミリアムはすでに死んでいたのでその子どもとして叔父の遺産の相続人にはなり得るのですが,レベッカは健在だったので,レベッカの子どもたちは共同相続人としての権利がなかったのでしょう。このように考えないと,共同相続人がふたりだけであったことの説明がつかないように思えます。
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