スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

竜王戦&風習

2024-10-25 18:58:21 | 将棋
 19日と20日に芦原温泉で指された第37期竜王戦七番勝負第二局。
 佐々木勇気八段の先手で矢倉。ただし1筋の位を取って右玉にするという将棋で,後手の藤井聡太竜王が対応に苦慮して時間を使うことになりました。
                            
 ここで☖8六角と取りましたが,これは問題の一手だったかもしれません。
 先手は☗6四歩☖7二銀とへこませてから☗8六角。☖同飛に☗7七桂とぶつけました。
 後手は☖9三角と王手をして☗6六角☖同角☗同銀と進めました。
                            
 第2図から☖8八歩成としましたが☗6八金と逃げられ,これは先手玉が遠い関係で6四の拠点が大きい先手が優勢です。
 第1図では後手の方から☖6四歩と打ってしまった方がよかったようです。また☖9三角の王手も余計だったようで,攻めるのであれば銀を引かせずにすぐに☖8八歩成とした方がよかったようです。
 佐々木八段が勝って1勝1敗。第三局は今日と明日です。

 さらに畠中は,この時期はスピノザに限らず,多くの人びとが思想的内容の手紙を書くことに用心していたのであって,そうした手紙を受け取ったら,直ちにそれを破る習慣だったという意味のことをいっています。そうしたことが確かにあったかもしれませんが,スピノザのこの時期の書簡が少ないことについてこれを該当させられるかということについてはやや疑問も感じます。これ以前にもこれ以後にも,思想的内容の手紙というのをスピノザは受け取ったり自身で書いたりしていて,それは残っているのです。この時期に書かれたものだけに用心する必要があって,過去のものには用心する必要がなかったという理由が僕にはよく分かりません。たとえばこの時期にスピノザが思想的内容の書簡を受け取って,用心のためにそれを残さずにすぐに捨てるのであれば,それ以前の同じような内容の書簡についても,それを保管しておくことには用心する必要があるからそれも捨てようとするのが自然ではないかと僕には思えるからです。
 いずれにしても,船旅が実施されたと思われる時期には『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』はすでに発刊されていたわけですから,その執筆に多忙であったからスピノザが船旅に出るのは不自然であるということはありません。一方でこの状況というのは,むしろスピノザに船旅に向かわせる意欲を高めるようなものだったように思われます。
 ヨハン・デ・ウィットJan de Wittが民衆によって虐殺されたのは1672年のことですから,このときはまだ政治の実権を握っていました。しかしオランダの政治状況は騒乱の時代を迎えていたのは間違いありません。実際にクールバッハAdriaan Koerbachはこれより前,1668年には獄死しています。『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』では,共和主義者であったデ・ウィットは,民主主義的内容の『神学・政治論』に対して不快の念を表明したとあり,スピノザを取り巻く状況も安全なものとはいえなかったのです。なのでこの時期のスピノザにとって,政治的な意味での有力者と親しく交際することは,自身の身の安全のためにはプラスに働いたと思われます。スピノザ自身がそのような認識をもっていたとしてもおかしくはないのではないでしょうか。

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