スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ヒューリック杯白玲戦&模型のプロット

2024-10-18 18:54:48 | 将棋
 12日に京都で指された第4期白玲戦七番勝負第四局。
 西山朋佳白玲の先手で角道オープン三間飛車。先手から角を交換して相向飛車の相振飛車になりました。先手の金無双に後手の銀冠から攻め合いになり,後手に分のある分かれに。先手が入玉も含みに粘る将棋。
                            
 ここは先手の入玉がなくなり,後手が優勢。☖6六歩と取り込みました。これは☗同銀なら銀が確実に入手できるので後で☖1八銀と打つことができるという意味だったのではないかと思います。
 銀は渡せないので先手は☗同金と取りました。後手はそこで☖2四桂と打ちましたが,角も銀も持っていないのでこの時点では先手玉が詰めろになっていません。☗7五金☖同銀で角を入手して☗6五角と王手。合駒が無効なので☖9三玉と逃げましたが☗9五歩と突かれました。
                            
 第2図となっては先手勝勢。後手は角を取らせたのが失敗で,第1図ですぐに☖2四桂と打っておくべきでした。
 西山白玲が勝って2勝2敗。第五局は19日に指される予定でしたが,里見女流五冠の体調不良により不戦敗。西山白玲の3勝2敗となっての第六局は26日に指される予定になっています。

 最後のエピソードあるいはプロットは,1654年4月のものです。スピノザはまだユダヤ人共同体の一員で,破門宣告を受けていない時代のことです。
 在宅していたファン・ローンJoanis van Loonに,下女が外国人の紳士が面会を求めていると告げました。下女はあの頭のおかしな人の仲間だろうと告げています。そのおかしな人がだれを意味しているか不明ですが,こうした来客がファン・ローンには頻繁にあったのでしょう。ローンは面会したのですが,その外国人紳士というのはファン・デン・エンデンFranciscus Affinius van den Endenです。
 エンデンは小さな船の模型を抱えていたのですが,これは発明品でした。戦争用の船籍で,軽装備で砲火角度を高める工夫がされていました。ただ,ローンはこのようなことには関心がなかったので,海軍省にもっていくのがよいだろうと助言しました。ところがエンデンはすでに3人の海軍参事官にそれを見せていたのですが,それを吟味しようとすらしなかったとされています。
 エンデンはこのアイデアを売りたかったのです。貧しい教師で,足が不自由な娘がひとりいるので,金が必要なのだと告げています。エンデンの娘はクララClara Maria van den Endenという名前で,後にケルクリングDick Kerkrinkと結婚しているのですが,確かに足が悪かったと伝えられています。そして,お門違いと思われるローンのところを訪問してこれを見せたのは,教え子のひとりからローンのことを聞いていて,助けてくれると思ったからだと言いました。この教え子というのはスピノザを意味するのですが,スピノザがエンデンに対してどのようにローンのことを伝え,その話のどの部分からエンデンがローンは自分を助けてくれるだろうと思ったのかはまったく書かれていないので不明です。
 この後で,エンデンがいっている教え子がスピノザを意味することがローンにも分かりました。ローンはローンでスピノザから,エンデンは平凡な律法学者やタルムードの教師60人に匹敵すると聞かされていたそうです。なおこの部分でエンデンはスピノザのことを,ポルトガル出のユダヤ人,あるいは単にポルトガル人と表現しています。スピノザの父はポルトガル出身ですが,スピノザに対する表現としてはやや謎です。

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