17日のブリーダーズゴールドカップはマイティティーが勝ちました。この馬の祖母は1997年に産まれたチアズグレイスです。
2歳の6月に1000mの新馬でデビュー。これを勝ちました。8月に1200mの条件戦に出走して4着。9月に1800mのオープンを勝ちました。そのまま休養して暮れの阪神3歳牝馬ステークスに出走して4着。
年が明けて1月と2月に牝馬オープンを連続2着。チューリップ賞は1番人気に支持されましたが10着と競走歴で唯一の大敗。これは不良馬場の影響を受けたものと思われます。賞金は確保できていたので桜花賞へ。前走の大敗で人気を落としていましたが先行して抜け出し,優勝しました。そのままオークスに直行。ここも先行して一旦は先頭に立ったのですが,マークしていた同じ厩舎の馬にクビだけ差されて2着でした。
秋はローズステークスで復帰して5着。秋華賞は4着。その後の活躍も期待されましたが,残念ながらこれで引退となっています。三冠レースでの安定した成績により,この年のJRA賞の最優秀4歳牝馬に選出されました。
この世代で最も能力の高い牝馬であったかはやや微妙なところも残ります。ただスピード面で優れているところがあり,先行する競馬ができたことが,安定した成績を収める要因となったのではないでしょうか。
自身の子孫からは2代を経たマイティティーが最初の重賞勝ち馬です。2002年に共同通信杯と毎日杯を勝ったチアズシュタルクはこの馬の全弟です。
個別化ということで僕が何をいいたいか不分明かもしれないので,まず個物res singularisの本性essentiaが個別化され得るならどう個別化されるかということをいっておきましょう。
個物の本性はすべての個物に妥当しなければなりません。人間も個物であり馬も個物です。このとき人間の本性natura humanaと馬の本性は,同じように個物であるからといって同じ本性であるわけではありません。これは自明でしょう。人間も馬も個物なので,個物の本性として含まれていることはすべて人間の本性にも馬の本性にも含まれていなければなりません。つまり人間の本性と馬の本性のうちには,一致する事柄が含まれていなければならないのですが,完全に一致するわけではないのです。このとき,個物の本性は人間の本性と馬の本性に個別化できると僕はいうというように理解してください。
これと同じことは,個物の現実的本性actualis essentiaの場合にも妥当しなければなりません。人間の現実的本性も馬の現実的本性も,同じように個物の現実的本性ではあり,したがって個物の現実的本性に含まれている事柄はどちらの現実的本性にも含まれているという点で,一致する部分があります。しかし人間の本性と馬の本性が相違するのと同じだけの相違は人間の現実的本性と馬の現実的本性との間にもあるといわなければなりません。つまりここでは個物の現実的本性が,人間の現実的本性と馬の現実的本性とに細分化されていることになります。
次に,人間の本性はどの人間にあっても同一でなければならず,同様に馬の本性はどの馬にとっても同一でなければなりません。これもそれ自体で明らかです。よって何人の人間が現実的に存在しようとも,すべての人間が同じように人間の本性を有しているのでなければなりません。同様に何頭の馬が現実的に存在したとしても,すべての馬が同じように馬の本性を有しているということになります。
だから,個物の本性と個物の現実的本性は同じように個別化できるのかといえば,僕はそうではないと思うのです。個物の本性はこれ以上は個別化できないけれども,個物の現実的本性はさらに個別化が可能だと僕にはみえます。なのでこれを考える必要があるのです。
2歳の6月に1000mの新馬でデビュー。これを勝ちました。8月に1200mの条件戦に出走して4着。9月に1800mのオープンを勝ちました。そのまま休養して暮れの阪神3歳牝馬ステークスに出走して4着。
年が明けて1月と2月に牝馬オープンを連続2着。チューリップ賞は1番人気に支持されましたが10着と競走歴で唯一の大敗。これは不良馬場の影響を受けたものと思われます。賞金は確保できていたので桜花賞へ。前走の大敗で人気を落としていましたが先行して抜け出し,優勝しました。そのままオークスに直行。ここも先行して一旦は先頭に立ったのですが,マークしていた同じ厩舎の馬にクビだけ差されて2着でした。
秋はローズステークスで復帰して5着。秋華賞は4着。その後の活躍も期待されましたが,残念ながらこれで引退となっています。三冠レースでの安定した成績により,この年のJRA賞の最優秀4歳牝馬に選出されました。
この世代で最も能力の高い牝馬であったかはやや微妙なところも残ります。ただスピード面で優れているところがあり,先行する競馬ができたことが,安定した成績を収める要因となったのではないでしょうか。
自身の子孫からは2代を経たマイティティーが最初の重賞勝ち馬です。2002年に共同通信杯と毎日杯を勝ったチアズシュタルクはこの馬の全弟です。
個別化ということで僕が何をいいたいか不分明かもしれないので,まず個物res singularisの本性essentiaが個別化され得るならどう個別化されるかということをいっておきましょう。
個物の本性はすべての個物に妥当しなければなりません。人間も個物であり馬も個物です。このとき人間の本性natura humanaと馬の本性は,同じように個物であるからといって同じ本性であるわけではありません。これは自明でしょう。人間も馬も個物なので,個物の本性として含まれていることはすべて人間の本性にも馬の本性にも含まれていなければなりません。つまり人間の本性と馬の本性のうちには,一致する事柄が含まれていなければならないのですが,完全に一致するわけではないのです。このとき,個物の本性は人間の本性と馬の本性に個別化できると僕はいうというように理解してください。
これと同じことは,個物の現実的本性actualis essentiaの場合にも妥当しなければなりません。人間の現実的本性も馬の現実的本性も,同じように個物の現実的本性ではあり,したがって個物の現実的本性に含まれている事柄はどちらの現実的本性にも含まれているという点で,一致する部分があります。しかし人間の本性と馬の本性が相違するのと同じだけの相違は人間の現実的本性と馬の現実的本性との間にもあるといわなければなりません。つまりここでは個物の現実的本性が,人間の現実的本性と馬の現実的本性とに細分化されていることになります。
次に,人間の本性はどの人間にあっても同一でなければならず,同様に馬の本性はどの馬にとっても同一でなければなりません。これもそれ自体で明らかです。よって何人の人間が現実的に存在しようとも,すべての人間が同じように人間の本性を有しているのでなければなりません。同様に何頭の馬が現実的に存在したとしても,すべての馬が同じように馬の本性を有しているということになります。
だから,個物の本性と個物の現実的本性は同じように個別化できるのかといえば,僕はそうではないと思うのです。個物の本性はこれ以上は個別化できないけれども,個物の現実的本性はさらに個別化が可能だと僕にはみえます。なのでこれを考える必要があるのです。
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