チャームアスリープの輸入基礎繁殖牝馬は祖母のトップニュースⅡで,1984年にアメリカで産まれました。輸入されたのはおそらく1997年。1995年までトップニュースという名の馬が日本で走っていましたので,その馬と区別するために和名にはⅡがつけられました。これをどう読むのか規定があるかは分かりませんが,僕はトップニュース・ザ・セカンドと読みます。一般に○○Ⅱという名の馬を,○○ザセカンドと読むということです。ファミリーナンバーは2-s。
子孫で日本の重賞を勝ったのはチャームアスリープのみ。地区重賞は僕には網羅できませんが,南関東重賞の勝ち馬もおそらくはチャームアスリープの仔で先日の京浜盃を勝ったブラヴールだけだと思います。
トップニュースⅡのひとつ下の全妹がデュプリシトです。こちらは遅くとも1988年には輸入されていました。その最初の仔がJRA賞で1991年の最優秀2歳牝馬,1992年の最優秀3歳牝馬と最優秀スプリンターに選出されたニシノフラワーです。全姉のトップニュースⅡが後に輸入されたのは,この馬が出ていたからでしょう。
ニシノフラワーの仔はオープンを勝ったり重賞を2着になったりはしたのですが,ついに重賞には手が届きませんでした。子孫も長らく重賞を勝てずにいたのですが,ついに曾孫の世代から,一昨年の札幌2歳ステークスと東京スポーツ杯2歳ステークスを勝っている現役のニシノデイジーが出ました。また,2016年と2017年に京阪杯を連覇したネロは,母がニシノフラワーの14歳下の半妹にあたります。
トップニュースⅡの5つ,デュプリシトの4つ下の半妹も輸入されました。2006年にチャームアスリープを2着に降してロジータ記念に勝ったマキノチーフがその馬の産駒にあたります。つまりこのロジータ記念は近親馬によるワンツーでした。
母系の大きな分枝となっているのは,トップニュースⅡとデュプリシトの3代母にあたるSomethingroyalという馬。最近の日本の活躍馬ではロードカナロアがこの一族に該当します。
アルチュセールLouis Pierre Althusserはマルクス主義者であったがゆえに,スターリン主義は受け入れることができない思想でした。あるいは思想というより政治的手法といった方が正確かもしれません。ですからこのことでアルチュセールはドゥサンティJean-Toussaint Desantiを批判しています。つまりアルチュセールからみると,ドゥサンティがフランス共産党の運営において,スターリン主義を保持し続けようとしたことが,政治的な判断ミスであると思えたのです。これはきわめて政治的な対立であったといっていいでしょう。しかしそれが党派的な対立であったとは僕はいいません。もしかしたら党派的な対立であったのかもしれないですが,それ以上のことが僕には分からないので,ここではそうではなかったとはいいませんが,そうであったとも判断しないというように考えてください。いい換えれば僕は,スターリン主義とマルクス主義の間における思想的なあるいは手法的な対立のことを,政治的な対立とはいいますが,単にそのことだけで党派的な対立とはいわないのです。
アルチュセールとドゥサンティの間に入った亀裂は,この政治的な対立だけではありませんでした。すでに説明したように,ドゥサンティは自身が高等師範学校の生徒であった時期に,メルロ=ポンティMaurice Melaeu-pontyから直接的な指導を受けていたのですが,アルチュセールからみると,ドゥサンティの思想にはそのときの残骸というべきものが残っていました。それは現象学における意味の源泉としての自我という概念でした。ここで僕がいうのは,ドゥサンティがそのような思想を有していたということではありません。僕はドゥサンティの思想そのものに詳しいわけではありませんから,そのような評価ができるわけではないのです。僕がいっているのはアルチュセールからみたとき,ドゥサンティの思想はそのようなものであったということです。ですからアルチュセールはこのことについてもドゥサンティを批判しました。アルチュセール自身の哲学あるいは思想というのは,ドゥサンティに対するこの二点の批判に基礎を置いているという見方をしても,それほど間違いではないといえるようです。ただしこれも僕は断定的にはいえません。
子孫で日本の重賞を勝ったのはチャームアスリープのみ。地区重賞は僕には網羅できませんが,南関東重賞の勝ち馬もおそらくはチャームアスリープの仔で先日の京浜盃を勝ったブラヴールだけだと思います。
トップニュースⅡのひとつ下の全妹がデュプリシトです。こちらは遅くとも1988年には輸入されていました。その最初の仔がJRA賞で1991年の最優秀2歳牝馬,1992年の最優秀3歳牝馬と最優秀スプリンターに選出されたニシノフラワーです。全姉のトップニュースⅡが後に輸入されたのは,この馬が出ていたからでしょう。
ニシノフラワーの仔はオープンを勝ったり重賞を2着になったりはしたのですが,ついに重賞には手が届きませんでした。子孫も長らく重賞を勝てずにいたのですが,ついに曾孫の世代から,一昨年の札幌2歳ステークスと東京スポーツ杯2歳ステークスを勝っている現役のニシノデイジーが出ました。また,2016年と2017年に京阪杯を連覇したネロは,母がニシノフラワーの14歳下の半妹にあたります。
トップニュースⅡの5つ,デュプリシトの4つ下の半妹も輸入されました。2006年にチャームアスリープを2着に降してロジータ記念に勝ったマキノチーフがその馬の産駒にあたります。つまりこのロジータ記念は近親馬によるワンツーでした。
母系の大きな分枝となっているのは,トップニュースⅡとデュプリシトの3代母にあたるSomethingroyalという馬。最近の日本の活躍馬ではロードカナロアがこの一族に該当します。
アルチュセールLouis Pierre Althusserはマルクス主義者であったがゆえに,スターリン主義は受け入れることができない思想でした。あるいは思想というより政治的手法といった方が正確かもしれません。ですからこのことでアルチュセールはドゥサンティJean-Toussaint Desantiを批判しています。つまりアルチュセールからみると,ドゥサンティがフランス共産党の運営において,スターリン主義を保持し続けようとしたことが,政治的な判断ミスであると思えたのです。これはきわめて政治的な対立であったといっていいでしょう。しかしそれが党派的な対立であったとは僕はいいません。もしかしたら党派的な対立であったのかもしれないですが,それ以上のことが僕には分からないので,ここではそうではなかったとはいいませんが,そうであったとも判断しないというように考えてください。いい換えれば僕は,スターリン主義とマルクス主義の間における思想的なあるいは手法的な対立のことを,政治的な対立とはいいますが,単にそのことだけで党派的な対立とはいわないのです。
アルチュセールとドゥサンティの間に入った亀裂は,この政治的な対立だけではありませんでした。すでに説明したように,ドゥサンティは自身が高等師範学校の生徒であった時期に,メルロ=ポンティMaurice Melaeu-pontyから直接的な指導を受けていたのですが,アルチュセールからみると,ドゥサンティの思想にはそのときの残骸というべきものが残っていました。それは現象学における意味の源泉としての自我という概念でした。ここで僕がいうのは,ドゥサンティがそのような思想を有していたということではありません。僕はドゥサンティの思想そのものに詳しいわけではありませんから,そのような評価ができるわけではないのです。僕がいっているのはアルチュセールからみたとき,ドゥサンティの思想はそのようなものであったということです。ですからアルチュセールはこのことについてもドゥサンティを批判しました。アルチュセール自身の哲学あるいは思想というのは,ドゥサンティに対するこの二点の批判に基礎を置いているという見方をしても,それほど間違いではないといえるようです。ただしこれも僕は断定的にはいえません。
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