スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

日刊ゲンダイ賞ブルーバードカップ&外部

2025-01-23 11:02:37 | 地方競馬
 昨晩の第51回ブルーバードカップ。福原騎手が個人的都合で騎乗できなくなり,ノーブルプラチナは室騎手に変更。
 バリウィールが内に寄るような発馬になり,クァンタムウェーブはやや不利を被りました。ミストレスが逃げて2番手にメルキオル。リヴェルベロと巻き返してきたクァンタムウェーブが並んで3番手。4馬身差でウィルオレオールとバリウィール。3馬身差でジュゲムーン。1馬身差でカセノタイガー。6馬身差でテディージュエリー。4馬身差の最後尾にノーブルプラチナと,早い段階で縦長の隊列となって発馬後の正面を通過。向正面に入りミストレスのリードが2馬身くらいに。メルキオルの後ろはクァンタムウェーブが単独の3番手になり,2馬身差でリヴェルベロとバリウィールに。最初の800mは48秒6のハイペース。
 3コーナーでメルキオルが外からミストレスに並びかけるとミストレスは後退。メルキオルが先頭に立ち2番手にクァンタムウェーブ。直線にかけて3番手との差が6馬身くらい離れ,2頭の優勝争い。メルキオルが直線に入ってすぐに差を開くとクァンタムウェーブがまた差を詰めましたが,フィニッシュにかけてまた差を広げていったメルキオルが優勝。クァンタムウェーブが2馬身差で2着。ミストレスの外から追い込んできたウィルオレオールが4馬身差で3着。ミストレスが1馬身半差の4着でミストレスの内から追い上げてきたジュゲムーンが4分の3馬身差で5着。
 優勝したメルキオルは重賞初挑戦での優勝。デビューから2戦は芝で大敗。3戦目のダート戦で2着に2秒3もの差をつけて勝ち上がると続く特別戦も5馬身差の圧勝。今年に入って芝のオープンは大敗でしたが,ダートでは底を見せていませんでした。ここは同じようにJRAのダートで2勝をあげているクァンタムウェーブとの優勝争いとみていましたがその通りのレースに。クァンタムウェーブは発馬直後にやや不利があったのも事実ですが,レース内容はメルキオルの方が上でしたので,現時点では2頭の間には着差以上の能力差があるように僕には感じられました。母が2014年にフローラステークスを勝ったサングレアルでその父がゼンノロブロイ。祖母がビワハイジで3代母がアグサン。Melchiorは新約聖書の東方の博士の名前。
                            
 騎乗した川田将雅騎手はブルーバードカップ初勝利。管理している松永幹夫調教師は第50回からの連覇でブルーバードカップ2勝目。

 スピノザはこのような考え方を採用しません。第一部定理一八で明言されているように,Deusは超越的原因causa transiensではないからです。なのでそういう考え方を採用しないというより,そういう考えを斥けるといった方が的確でしょう。これは,ここでは次のように理解するのがよいと思います。
 世界の外的原因として神があるとすれば,世界の外部に神があって,その外部の神が世界の存在existentiaおよび作用の原因となるという意味です。このとき,世界の外部に神があるのですから,神の側からみたら,世界は神の外部にあるということになるでしょう。これに対して第一部定理一八がいっているのは,神は超越的原因ではなく内在的原因causa immanensであるということなので,神の側からみたときは,世界は神の外部にあるのではなく神の内部にあるということです。しかしこれはただそのことだけを意味するのではなくて,神の外部には何もないということ,より正確にいえば,神には外部がないということも意味するのです。そしてそのことが,世界の側からみても同じなのです。すなわち世界は神の内部にあるということになるのですが,それはそのことだけを意味するわけではなくて,世界の外部に何かがあるというわけではないということ,これもより正確にいえば,世界には外部そのものがないということを意味するのです。スピノザは第四部序言の中で神と自然Naturaを同一視するようないい回しを用いていますが,ここでいわれている自然は世界と読み替えてもよいわけで,神の外部には何もないということと,世界の外部には何もないということは,スピノザの哲学では事実上は同じ意味を有することになるのです。実際に当該部分の探究で,吉田はスピノザの哲学では世界の外部には何もない,というかより正確に世界には外部はないといういい方をしています。
 これは,第一部定理五からの必然的なnecessarius帰結であるという説明を吉田はしています。もしも僕たちの世界の外部に別の世界があれば,その世界ももうひとつの世界にほかならず,同じ属性attributumを有する複数の実体substantiaが存在しない以上は,そういう世界は存在しないか,そうでなければ僕たちの世界と同一の世界であるかのどちらかになるからです。

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