スピノザは『国家論Tractatus Politicus』の中で,国家Imperiumの市民Civesに対する絶対的権限の不可能性を,自分が自分の机に対して有している絶対的権限とはいかなるものであるか,あるいはいかなるものであり得るのかという観点を例として示していました。これは端的にいうと,現実的に存在するどんなものにも,それに固有の現実的本性actualis essentiaが存在していて,その現実的本性に反するようなことは,たとえどんな存在existentiaであっても権限として有することは不可能なのであるという主旨の説明でした。
スピノザは国家の成立を説明するときに,人が自然権jus naturaleを部分的に譲渡するという意味における社会契約という概念notioを利用することがあります。ところが自然権というのは各々のものがなし得る力potentiaであって,つまりそれは現実的本性に対比させていえば現実的実在性なのです。というのも実在性realitasとは力という観点からみた本性essentiaにほかならないからです。ですから,現実的本性に反することを権限として有することはできないというのと,現実的実在性に反することを権限として有することはできないということは同じです。実際にスピノザが『国家論』で示している実例は,それに応じているといえるでしょう。
ただし,この場合に自然権を部分的に譲渡するということが,現実的には自然権の拡張が果たされるということでないと,社会契約は概念的に無意味だというのがスピノザの政治論の特徴です。なのでこれに反するような社会契約は絶対的ではあり得ません。むしろその場合には社会契約を破棄することの方が奨励されることになるでしょう。よってスピノザの政治論における社会契約というのは,絶対的なものではありません。たとえばある国家における社会契約が,市民の自然権を狭めるのなら,市民がその社会契約を破棄することは許容されることになります。
社会契約の実在性は理性の有entia rationisなので,これは理論上のものではあります。ただ,市民が社会契約を遵守することが絶対的に求められることはないという点は,スピノザの政治論の特徴的な帰結のひとつだといえるでしょう。
『スピノザの生涯Spinoza:Leben und Lehre』が第一部となっている『スピノザ・生涯と教説』については,著者と編者を詳しく説明しておくのがよいと思います。僕たちがスピノザについて探求するという場合に,どちらも大きな役割を果たしているからです。
著者であるヤーコブ・フロイデンタールJacob Freudenthalは,1839年産まれのドイツ人です。哲学史家であるツェラーEduard Gottlob Zellerの門下で,ブレスラウ大学の哲学の教授であったそうです。哲学の教授ということですが,たぶん研究生活の大部分はスピノザが中心であったものと思われます。
『スピノザの生涯』は,『スピノザ・生涯と教説』の第一部として1904年に公刊されたのですが,フロイデンタールはその3年後,1907年には死んでいます。第二部については未発表の原稿は膨大に残されていたものの,フロイデンタールが意図するものとしては発刊できなかったと解しておくのがよいと思います。ゲプハルトCarl Gebhardtが編集して第二部と合わせて出版されたのが1927年。フロイデンタールの死後20年も経過しているのは,原稿の全体であったのか部分的にであったのかは不明ですが,少なくともゲプハルトには解読することができない速記による記述があったからのようです。
フロイデンタールは哲学の研究という面でも後世に果たした役割は少なくなかったかもしれません。ですが決定的な役割を果たしたといえるのは,スピノザの生涯に関わる研究に,有用な資料を多く残してくれたという点でしょう。もちろんそうした仕事は,フロイデンタールが果たさなかったとしても,きっと後にだれかがなしたでしょう。しかしフロイデンタールがなしたから,それ以後の人たちは研究にその成果を大いに生かすことが可能になったのであり,スピノザ研究においてフロイデンタールが果たした功績というのは,途轍もなく大きなものであったと考えておくべきだろうと思います。
とりわけフロイデンタールは,単に資料を収集して自身の手になる伝記を記述しただけでなく,集めた資料の方も出版しました。その点にこそ彼の業績が集約されているといえます。そちらの細かな資料こそ,スピノザの生涯を知るうえでの不可欠な要素なのです。
スピノザは国家の成立を説明するときに,人が自然権jus naturaleを部分的に譲渡するという意味における社会契約という概念notioを利用することがあります。ところが自然権というのは各々のものがなし得る力potentiaであって,つまりそれは現実的本性に対比させていえば現実的実在性なのです。というのも実在性realitasとは力という観点からみた本性essentiaにほかならないからです。ですから,現実的本性に反することを権限として有することはできないというのと,現実的実在性に反することを権限として有することはできないということは同じです。実際にスピノザが『国家論』で示している実例は,それに応じているといえるでしょう。
ただし,この場合に自然権を部分的に譲渡するということが,現実的には自然権の拡張が果たされるということでないと,社会契約は概念的に無意味だというのがスピノザの政治論の特徴です。なのでこれに反するような社会契約は絶対的ではあり得ません。むしろその場合には社会契約を破棄することの方が奨励されることになるでしょう。よってスピノザの政治論における社会契約というのは,絶対的なものではありません。たとえばある国家における社会契約が,市民の自然権を狭めるのなら,市民がその社会契約を破棄することは許容されることになります。
社会契約の実在性は理性の有entia rationisなので,これは理論上のものではあります。ただ,市民が社会契約を遵守することが絶対的に求められることはないという点は,スピノザの政治論の特徴的な帰結のひとつだといえるでしょう。
『スピノザの生涯Spinoza:Leben und Lehre』が第一部となっている『スピノザ・生涯と教説』については,著者と編者を詳しく説明しておくのがよいと思います。僕たちがスピノザについて探求するという場合に,どちらも大きな役割を果たしているからです。
著者であるヤーコブ・フロイデンタールJacob Freudenthalは,1839年産まれのドイツ人です。哲学史家であるツェラーEduard Gottlob Zellerの門下で,ブレスラウ大学の哲学の教授であったそうです。哲学の教授ということですが,たぶん研究生活の大部分はスピノザが中心であったものと思われます。
『スピノザの生涯』は,『スピノザ・生涯と教説』の第一部として1904年に公刊されたのですが,フロイデンタールはその3年後,1907年には死んでいます。第二部については未発表の原稿は膨大に残されていたものの,フロイデンタールが意図するものとしては発刊できなかったと解しておくのがよいと思います。ゲプハルトCarl Gebhardtが編集して第二部と合わせて出版されたのが1927年。フロイデンタールの死後20年も経過しているのは,原稿の全体であったのか部分的にであったのかは不明ですが,少なくともゲプハルトには解読することができない速記による記述があったからのようです。
フロイデンタールは哲学の研究という面でも後世に果たした役割は少なくなかったかもしれません。ですが決定的な役割を果たしたといえるのは,スピノザの生涯に関わる研究に,有用な資料を多く残してくれたという点でしょう。もちろんそうした仕事は,フロイデンタールが果たさなかったとしても,きっと後にだれかがなしたでしょう。しかしフロイデンタールがなしたから,それ以後の人たちは研究にその成果を大いに生かすことが可能になったのであり,スピノザ研究においてフロイデンタールが果たした功績というのは,途轍もなく大きなものであったと考えておくべきだろうと思います。
とりわけフロイデンタールは,単に資料を収集して自身の手になる伝記を記述しただけでなく,集めた資料の方も出版しました。その点にこそ彼の業績が集約されているといえます。そちらの細かな資料こそ,スピノザの生涯を知るうえでの不可欠な要素なのです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます