哲学者としてのスピノザを分裂病圏に組み入れ,かつそうした分裂病圏の,これは科学者であり,必ずしも哲学者に関する記述ではないものの,特徴として世界をひとつの式に還元しようとすると説明したことが,スピノザの哲学に妥当すると僕が思ったのは,確かにスピノザの哲学は,世界の全体というものを,あるひとつの公式で説明しようとしていると僕には思われるからです。そしてもちろんそのひとつの式とは,第一部公理三が代表する因果論ということになるでしょう。
そもそも,数ある哲学のうちで,僕がスピノザの哲学に強烈に惹きつけられたのは,まさにこの哲学がこうした単純な公式,あえていえばシンプルな公式のみで世界を説明しようとしているからです。そういう意味でいえば,僕自身もまた,分裂病と躁鬱病というカテゴリーの中では,分裂病圏に組み入れられる人間なのかもしれません。
僕はスピノザの著書としては最初に『エチカ』を読んだのですが,こんなシンプルに世界について考えることができるということ,もっといえばこんなにシンプルに世界について考えるということが許されるということが新鮮な驚きでした。
それが難解であるか容易であるかと問われるなら,確かにスピノザの哲学は難解であるかもしれません。しかしその難解さは,おおよそ哲学というものが有している難解さとそうも変わらないように思います。一方,スピノザの哲学が複雑か単純かと問うならば,僕は間違いなく単純な哲学であると思います。おおよそ哲学としてこれほど単純なものはないのであって,そしてその単純さが,スピノザの哲学の最大の魅力であると僕は考えているのです。
喉の異物を抽出するための検査は,念のためということもあるでしょうが,2度行われる予定になっていました。それは僕自身,事前にm先生から言われていました。しかし,僕があまりに痛がったからということもあったかもしれませんが,実際には1度抽出しただけでm先生からOKが出ました。「痛いですか」と問われ「痛いです」と答えても痛み自体はどうなるものでもなかったわけですが,再度の苦痛からは逃れることができたというわけです。
抽出された異物ですが,これは液体でした。m先生は唾液でしょうと言っていました。もっとも,そんなことを言われなくても,唾液を作る袋か唾液の通り道である管の中に針を刺して抽出したものでしょうから,そんなところから出てくる液体は唾液以外にはあり得ないということは僕にも分かりました。唾液は人間であればだれからも出るものですから,結果的にいえばこれを異物というのはおかしいですが,何が出てくるかは実際にやってみるまで分からなかったわけで,やってみたら液体が出てきたということです。それにたとえ唾液であったとしても,成分を詳しく分析してみれば異常が発見されるという可能性は残っているわけです。そもそもがそのための検査であったという側面もあります。
実際にこれはその成分を精密に検査するために抽出したものです。しかし,精密な検査というのはこの日のうちにはできません。ということで,この検査の結果を聞くために,もう1度は耳鼻咽喉科に通院しなければならないということになりました。日付はもちろんこの日のうちに決定され,それが7月10日。これもやはり金曜日ですから,このCT撮影が火曜になったというのは,やはり特別のことであったといえると思います。
そもそも,数ある哲学のうちで,僕がスピノザの哲学に強烈に惹きつけられたのは,まさにこの哲学がこうした単純な公式,あえていえばシンプルな公式のみで世界を説明しようとしているからです。そういう意味でいえば,僕自身もまた,分裂病と躁鬱病というカテゴリーの中では,分裂病圏に組み入れられる人間なのかもしれません。
僕はスピノザの著書としては最初に『エチカ』を読んだのですが,こんなシンプルに世界について考えることができるということ,もっといえばこんなにシンプルに世界について考えるということが許されるということが新鮮な驚きでした。
それが難解であるか容易であるかと問われるなら,確かにスピノザの哲学は難解であるかもしれません。しかしその難解さは,おおよそ哲学というものが有している難解さとそうも変わらないように思います。一方,スピノザの哲学が複雑か単純かと問うならば,僕は間違いなく単純な哲学であると思います。おおよそ哲学としてこれほど単純なものはないのであって,そしてその単純さが,スピノザの哲学の最大の魅力であると僕は考えているのです。
喉の異物を抽出するための検査は,念のためということもあるでしょうが,2度行われる予定になっていました。それは僕自身,事前にm先生から言われていました。しかし,僕があまりに痛がったからということもあったかもしれませんが,実際には1度抽出しただけでm先生からOKが出ました。「痛いですか」と問われ「痛いです」と答えても痛み自体はどうなるものでもなかったわけですが,再度の苦痛からは逃れることができたというわけです。
抽出された異物ですが,これは液体でした。m先生は唾液でしょうと言っていました。もっとも,そんなことを言われなくても,唾液を作る袋か唾液の通り道である管の中に針を刺して抽出したものでしょうから,そんなところから出てくる液体は唾液以外にはあり得ないということは僕にも分かりました。唾液は人間であればだれからも出るものですから,結果的にいえばこれを異物というのはおかしいですが,何が出てくるかは実際にやってみるまで分からなかったわけで,やってみたら液体が出てきたということです。それにたとえ唾液であったとしても,成分を詳しく分析してみれば異常が発見されるという可能性は残っているわけです。そもそもがそのための検査であったという側面もあります。
実際にこれはその成分を精密に検査するために抽出したものです。しかし,精密な検査というのはこの日のうちにはできません。ということで,この検査の結果を聞くために,もう1度は耳鼻咽喉科に通院しなければならないということになりました。日付はもちろんこの日のうちに決定され,それが7月10日。これもやはり金曜日ですから,このCT撮影が火曜になったというのは,やはり特別のことであったといえると思います。