スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ひとつの式&唾液

2010-02-09 18:57:20 | 哲学
 哲学者としてのスピノザを分裂病圏に組み入れ,かつそうした分裂病圏の,これは科学者であり,必ずしも哲学者に関する記述ではないものの,特徴として世界をひとつの式に還元しようとすると説明したことが,スピノザの哲学に妥当すると僕が思ったのは,確かにスピノザの哲学は,世界の全体というものを,あるひとつの公式で説明しようとしていると僕には思われるからです。そしてもちろんそのひとつの式とは,第一部公理三が代表する因果論ということになるでしょう。
 そもそも,数ある哲学のうちで,僕がスピノザの哲学に強烈に惹きつけられたのは,まさにこの哲学がこうした単純な公式,あえていえばシンプルな公式のみで世界を説明しようとしているからです。そういう意味でいえば,僕自身もまた,分裂病と躁鬱病というカテゴリーの中では,分裂病圏に組み入れられる人間なのかもしれません。
 僕はスピノザの著書としては最初に『エチカ』を読んだのですが,こんなシンプルに世界について考えることができるということ,もっといえばこんなにシンプルに世界について考えるということが許されるということが新鮮な驚きでした。
 それが難解であるか容易であるかと問われるなら,確かにスピノザの哲学は難解であるかもしれません。しかしその難解さは,おおよそ哲学というものが有している難解さとそうも変わらないように思います。一方,スピノザの哲学が複雑か単純かと問うならば,僕は間違いなく単純な哲学であると思います。おおよそ哲学としてこれほど単純なものはないのであって,そしてその単純さが,スピノザの哲学の最大の魅力であると僕は考えているのです。

 喉の異物を抽出するための検査は,念のためということもあるでしょうが,2度行われる予定になっていました。それは僕自身,事前にm先生から言われていました。しかし,僕があまりに痛がったからということもあったかもしれませんが,実際には1度抽出しただけでm先生からOKが出ました。「痛いですか」と問われ「痛いです」と答えても痛み自体はどうなるものでもなかったわけですが,再度の苦痛からは逃れることができたというわけです。
 抽出された異物ですが,これは液体でした。m先生は唾液でしょうと言っていました。もっとも,そんなことを言われなくても,唾液を作る袋か唾液の通り道である管の中に針を刺して抽出したものでしょうから,そんなところから出てくる液体は唾液以外にはあり得ないということは僕にも分かりました。唾液は人間であればだれからも出るものですから,結果的にいえばこれを異物というのはおかしいですが,何が出てくるかは実際にやってみるまで分からなかったわけで,やってみたら液体が出てきたということです。それにたとえ唾液であったとしても,成分を詳しく分析してみれば異常が発見されるという可能性は残っているわけです。そもそもがそのための検査であったという側面もあります。
 実際にこれはその成分を精密に検査するために抽出したものです。しかし,精密な検査というのはこの日のうちにはできません。ということで,この検査の結果を聞くために,もう1度は耳鼻咽喉科に通院しなければならないということになりました。日付はもちろんこの日のうちに決定され,それが7月10日。これもやはり金曜日ですから,このCT撮影が火曜になったというのは,やはり特別のことであったといえると思います。
 
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静岡記念&抽出

2010-02-07 18:58:18 | 競輪
 今年初のビッグとなる東西王座戦に向けてほどよい間隔ということもあり,かなり豪華なメンバーが集結した静岡記念の決勝(動画)。並びは菊地-山崎の北日本に稲村,新田-渡辺の静岡,加藤-山田で岐阜,石丸と園田は単騎。
 前受けした新田を単騎の園田が残り2周のホームで叩き誘導の後ろに。渡辺の後ろに菊地が続き,加藤は山崎の外に。このため菊地が動きづらくなり,打鐘過ぎに再び園田を叩いた地元勢が前に出て,残り1周まで誘導を使っての先行に。渡辺の後ろに加藤がスイッチ。バックから石丸が捲っていきましたが,前には届かず,渡辺の牽制もあって直線入口では失速。そこから踏んだ渡辺が抜け出して優勝。新田が僅差で2着に残り,渡辺の外から迫った加藤が3着。
 優勝した静岡の渡辺晴智選手は今年もSSには入っていますが,昨年はグレードレースの優勝がありませんでした。一昨年は高松宮記念杯などGⅠ2勝で,記念競輪はその前の名古屋記念以来となる4勝目。勝ち身に遅くなっているという印象はややありましたが,これは力が衰えたということではなく,追込み選手で展開面の影響が大きいからでしょう。逆にいえば今日のような絶好の展開となれば逃さないということでもあります。年末に大きな怪我があったのですが,そこからはすっかり復調したとみていいと思います。

 m先生の提案により急に決まった検査ですが,耳鼻咽喉科の診察室ではなく,中央検査室で行われるということになりました。検査自体は耳鼻咽喉科でも可能であったと僕には思えますので,なぜ場所が中央検査室となったのかは僕には不明です。中央検査室にはいくつもの部屋がありますが,この日の部屋は19日に喉のエコー検査をしたのと同じところでした。
 このときの検査はエコーとは関係ありませんから技師は不在で,m先生自身の手によって行われました。ほかに助手として看護師,もちろん耳鼻咽喉科の看護師がひとり立ち会いましたので,部屋の中には3人がいたということになります。入室する前に,もしもその異物が削除可能なものであれば,摘出する気持ちがあるかとm先生に尋ねられました。僕はこの質問については,入院して手術を受ける意志があるかというような意味に受け止めました。そこで僕はありますと答えたのですが,m先生はそれならもしもそのときには自分が責任をもって執り行うという意味のことを言いました。ごく自然な何の変哲もないやり取りだったかもしれませんが,僕にとっては非常に心強いものでした。
 検査の方法は,右の上顎の下あたりから注射針を入れ,中の物質を抽出するというもの。僕はベッドに寝かされた状態で検査を受けたのですが,これは非常に痛いものでした。もちろん麻酔をしてから施術されたわけですが,それでも強烈な痛みでした。入院中にグルカゴン負荷の検査が行われたときの注射もかなり痛かったのですが,このときの検査は,腕と首という部位の違いもありましたがその比ではありません。m先生も僕が痛みに耐えているのが分かったようで,痛いですかと聞いてきましたので,僕も正直に痛いですと答えました。もちろん,だから痛みがどうにかなるというものでもありませんでしたが。
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棋王戦&検査結果

2010-02-05 20:30:51 | 将棋
 昨年とは立場を入れ替えての再戦となった第35期棋王戦五番勝負の第一局。対戦成績は久保利明棋王が17勝,佐藤康光九段が19勝。
 振駒で久保棋王の先手。早石田を目指す先手に後手がいきなり角交換して筋違い角。その後,再度の角交換になり,後手がその角を敵陣に打ち込むと,先手は飛車角交換をして取った飛車を自陣に打ち込み(第1図)打ち込まれた角の捕獲を目指すという,序盤早々から華々しい展開。
               
 後手はここで△3九角打と繋ぎました。結果的にこの角と金が交換となり,先手が飛車金交換の駒得に。事前に先手が思い描いていた構想のひとつではないかと思うのですが,1八の飛車が働かないので思わしい戦果ではなかったようです。ずっと進んで第2図。
               
 ここで後手は△4四歩と伸ばして香車を狙いにいきました。先手は▲同香△4三歩に▲6七馬と引き,2筋からの突破は果たしたのですが,どうもこれは攻めさせられた形だったよう。実はコメントされているほど先手が悪いようには僕には思えなかったのですが,そこはさすがにプロの判断でした。この数手後に桂馬を跳ねたところでは僕にも勝負の帰趨がようやく見えました。この後,先手が入玉も含みに徹底抗戦したため,かなり手数は伸びましたが,これは第二局以降のことを見越しての粘りでしょう。最後は押し戻した後手が即詰みに討取って勝っています。
 佐藤九段が先勝。第二局は間が開いて27日です。

 検査が終ると再びロッカールームで着替え,といっても服を脱いだわけではないので,眼鏡を掛け直したり腕時計をつけたりということですが,その後で検査の結果を聞くために,1階の耳鼻咽喉科へ向ったのですが,このときは,検査の結果を聞きに来てくださいとm先生に言われた時間が,検査の終了時間と少し開いていましたので,1階にあった売店でお茶などを買って飲んで待っていました。お茶はエネルギー量がありませんから,僕のようなⅠ型糖尿病の患者でも自由に飲むことができます。
 僕が耳鼻咽喉科の待合室,といってもこれは診察室の前にただソファーが並んでいるというだけで,部屋というよりは廊下といった方が正しいようなところですが,そこに着いたときには何人かの患者がいました。ただ,この後のことから考えてみますと,このときにm先生が担当していた患者は,おそらく僕だけだったのではないかと思います。これは火曜ですから初診の患者はいなかったわけで,したがってこのときに順番待ちをしていたのは,主治医がm先生以外で,かつ定期的に診察を受けていた患者だったということになります。
 肝心の検査結果ですが,やはり腫瘍ができているわけではないということでした。腫瘍ができていますと撮影されたその部分は造影剤の効果で変色するのですが,僕の場合はそれがみられなかったということです。このときは実際に写真を見せてもらったのですが,確かに写真は一色で,変色しているような部分はありませんでした。
 しかし,何かができているということだけは間違いありません。そこでm先生は,それが何であるかを調べるために,患部のあたりの物質を抽出してはどうかと提案してきました。もちろん僕としても断る理由はありませんから,すぐにその検査が行われるということになりました。
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金盃&CT検査

2010-02-03 19:22:07 | 地方競馬
 今年の南関東の期待馬の1頭,セレンの年明け初戦となった第54回金盃
 最内枠からロイヤルマコトクンの逃げ。1周目の正面ではロイヤルボス,クレイアートビュンで隊列が決まったのですが,シャレーストーンが抑えきれないという感じで外を上がっていき,向正面では2番手に。前半の1000mは63秒1のミドルペース。
 前2頭が後ろを少し離し,マズルブラスト,クレイアートビュン,セレンの3頭がその後ろという隊形で直線に。最初に抜け出したのがマズルブラストで,これを追うのがクレイアートビュン。さらに外からセレンという3頭の争い。早めに動いたマズルブラストが追撃を凌いで優勝。セレンが2着でクレイアートビュンが3着。
 優勝したマズルブラストは前走のオールスターカップに続き南関東重賞4勝目。早め早めに動いたことが功を奏しました。ここにきてまた馬の調子も上がってきているようです。
 騎乗した大井の戸埼圭太騎手はオールスターカップ以来の南関東重賞制覇で金盃は初制覇。管理している船橋の川島正行調教師は2002年のインテリパワー以来の金盃2勝目です。
 セレンの2着は残念。しかしここで負けたことより,このレースが例年より早い時期の施行となったため,川崎記念と金盃の両方を使うことは今年は無理だったのですが,個人的には川崎記念の方に使ってもらいたかったです。

 実際にCT撮影が行われたのは,ロッカーがあったところからさらに右に入ったところでした。同じ部屋ですがふたつの場所はカーテンで間仕切りされていましたから,入室したところがロッカールームで,その右側が検査室といういい方もできるかと思います。
 僕の担当になった技師は中年の女の人でした。専用のベッドに横たわると,右手に注射をされました。これは造影剤の投与のためのものです。造影剤を用いますと,ごくまれに起こるとされる承諾書を取らなければならないような重大な副作用のほかに,ごく軽微な副作用も生じます。これはたぶん必ず生じるものだといっていいのでしょう。技師は身体全体が熱を持ったように感じられるというようにそれを表現しました。実際に僕もこれを投与されるとすぐにそういう症状が表れました。とくに熱く感じられたのはお尻の周辺で,どちらかといえば上半身よりも下半身に強く感じられたのですが,これについては個人差もあるかもしれません。CTの撮影というか造影剤の投与自体が初めてでしたから,ある意味では当然であるといえるのかもしれませんが,こうした感覚はそれまでに経験したことがないようなもの。もちろん心地よいというにはほど遠いですけれども,さりとて不快というほどではありませんでした。ただこれも個人差があるようで,僕はありませんでしたが,吐き気を催してしまうようなこともあるようです。
 この感覚は独特のものですが,検査自体はベッドに横になっているだけですから,僕のようにこの程度の副作用しか生じなかったとすれば患者は楽なものです。もちろん撮影は1枚限りというものではなく,少しずつ部位をずらしながらかなりの枚数を撮影しましたが,時間的なことをいえばそう長い時間ではありません。少なくとも待っていた時間の方がずっと長かったです。
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向日町記念&準備

2010-02-02 18:43:28 | 競輪
 地元戦となった村上兄弟を中心に展開された向日町記念が決勝(動画)を迎えました。並びは新田-高木の東日本,平原-神山の関東,浅井-山口の中部,村上義弘-村上博幸-酒井の京都。
 平原,新田,村上博幸が出ていきましたが,Sを取ったのは新田でそのまま前受け。3番手が平原,5番手に村上義弘,8番手に浅井という周回に。残り2周のホームから浅井が上昇すると村上義弘が続きました。浅井は平原に蓋をしてからバックで新田を叩き,打鐘から抑え先行。内の新田との争いを制した村上義弘が3番手。バックから村上義弘が発進。浅井を捲ったところで後方から捲り上げた平原と並びましたが,自らの牽制で失速させ,直線では堂々と抜け出しての優勝。村上博幸が2着に続いて兄弟のワンツー。ホームでは9番手になったものの,3コーナーからインを追い上げた高木が3着。
 優勝した京都の村上義弘選手は昨年の川崎記念以来となる記念競輪19勝目。当地は2005年以来の優勝。ここはすんなりと3番手を取れたことが勝因でしょう。平原を自ら止めたのも見事でした。また,周回も有利に作用した感じで,平原か浅井が前受けしていれば,レースの展開もだいぶ変わっていたのではないかと思います。

 実際にどのくらいであったかは定かではありませんが,長く感じられた待ち時間も,いよいよ検査の助手によって僕の名前が呼ばれることによって終りました。そして僕は促されるままに検査が行われる部屋に入室しました。
 入口を入るとすぐ右側に,何台かのロッカーがありました。CTの検査中に不要なものはここに入れておくのです。僕の場合,撮影する部位が喉,要するに首の部分でしたから,服を脱ぐ必要はありません。そのときどんな服装でいたかはさすがに覚えていませんが,6月30日という日付を考えれば,そんなに厚着はしていなかった筈で,あるいはTシャツ1枚であったかもしれませんし,着ていたとしてもその上に1枚だけ羽織っていただけでしょう。首周りを隠さないような服装でということは,エコー検査の終了後,CTの検査が決定した際に看護師から説明を受けていましたから,そういう服装であったことは間違いないです。
 ただ,衣服以外のものに関しては外しておくように言われましたので,財布や腕時計,それから僕は極度の近眼ですから眼鏡が必需品であったわけですが,眼鏡も外してこのロッカーの中に入れておきました。
 部屋にいた患者は僕だけではありません。CTの検査室が何部屋あったかは知りませんが,この部屋の中だけで少なくとも2台の撮影機材がありました。したがってロッカーというのは何台かあって,当然ですが開いているところを使ったことになります。
 これで僕の準備は整ったわけですが,すぐに検査にはなりませんで,この部屋の中でまた少し待たなければなりませんでした。これはおそらく病院側の検査の準備が整ったらすぐに検査が可能にするための措置でしょう。ロッカーの横にパイプ椅子がありましたのでそこに座って待っていましたが,ほどなく僕の名前が呼ばれ,いよいよ検査が始まりました。
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