スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

フェブラリーステークス&有限知性

2010-02-21 19:02:24 | 中央競馬
 中央競馬では今年初の大レースとなる第27回フェブラリーステークス
 芝からの転戦馬もいて先行争いはひとつのテーマでしたが,かなり押していったローレルゲレイロがすぐに先手を奪っての逃げ。レッドスパーダが2番手につけて3番手にエスポワールシチー。サクセスブロッケンがこれをマークするように進みました。前半の800mは47秒0のミドルペース。
 ローレルゲレイロの逃げは直線入口まで。エスポワールシチーが楽々と先頭に立つと,追いすがるサクセスブロッケンを置き去りにしていき,余裕さえ感じさせる内容で楽勝。早めに負かしにいったサクセスブロッケンの方がむしろ苦しくなり,中団のインからやや詰まるところはあったものの,捌いて追ってきたテスタマッタが2着で,サクセスブロッケンが3着。
 優勝したエスポワールシチーは昨年5月からかしわ記念,南部杯,ジャパンカップダートに続き大レース4連勝。名実ともに現在の日本のダート競馬の最強馬で,今日もその実力を十分に発揮しました。逃げることに固執しなければならない馬というわけではありませんから,極めて順当な勝利といえるでしょう。父はゴールドアリュール,母系はチップトップジーゲリンの分肢。エスポワールはフランス語で希望。
 騎乗した佐藤哲三騎手,管理している安達昭夫調教師共にジャパンカップダート以来の大レース優勝で,このレース初制覇です。
 テスタマッタはこのくらいの距離の方がよいのでしょう。サクセスブロッケンは強い馬を負かしにいった分,テスタマッタにも差をつけられてしまった印象。結果からみてもここではこの3頭の力が明らかに上位でした。

 知性は個々の観念であるということの第一義的な意味はこれで理解できました。しかし現在の考察は,人間の知性と意志が同一のものであるということを経験論的に説明することをその主眼としています。第二部定理一一系により,人間の精神は神の無限知性の一部,すなわちこれをそれ単独の知性とみなす場合には有限な知性ということになります。そこでこの場合に,知性が個々の観念であるといわれることの意味も把握しておかなければなりません。
 無限知性と有限知性の決定的な違いは,もちろんそれが無限か有限かという部分にあります。しかしもうひとつ重要な相違は,無限知性の場合には,この知性を構成する無限に多くの観念は,すべて十全な観念なのですが,有限知性の場合には,この知性を構成する観念のうちには,十全な観念だけではなく,混乱した観念も含まれているということです。
 哲学的な立場では,混乱した観念についてはこれを知性から排除するという考え方もあります。しかし,スピノザが混乱した観念も有限な知性に含むと考えているということは,この第二部定理四九系の後の長い備考でスピノザが主張していることから明らかだといえます。
 なぜスピノザがそのように考えるのかということは,第一部定理一五により,あらゆるものは神なしには考えられない,したがってある混乱した観念も神なしには考えることができないのですが,ひとたび神と関連して考えられるならば,第二部定理三二によりそれは真の観念,すなわち十全な観念ということになるからだと考えられます。また,これは問題のある定理ですが,第二部定理三六により,混乱した観念といえども,それは十全な観念と同一の必然性をもって生じるからだと説明することもできそうです。
 いずれにしても,ここでは,このスピノザの考え方に倣い,ある人間の知性には,混乱した観念も含まれるというように考えます。あるいは混乱した観念も,ある人間の知性の一部を構成する観念に含まれるというように考えます。なお,このことについては後で別の観点から詳しく説明することになります。ただ現時点でも,このように考えるということにだけは注意しておいてください。
コメント
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