スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

オールスター競輪&良化

2021-08-16 19:15:04 | 競輪
 いわき平競輪場で行われた昨晩の第64回オールスター競輪の決勝。並びは新田‐佐藤‐守沢‐成田の北日本と脇本‐古性の近畿で,平原と深谷と中川は単騎。
 新田がスタートを取って前受け。5番手に中川,6番手に脇本,8番手に平原,最後尾に深谷で周回。残り2周のホームから深谷が上昇。それに脇本が続きました。新田を叩いた深谷を脇本がさらに叩いて打鐘。平原が3番手に続きました。新田が追い上げ,内の深谷を極めて4番手を確保。深谷は内をずるずる後退。脇本ラインに続かなかった中川が8番手で深谷が最後尾となりこのふたりは残り1周のホームで圏外。新田はバックから発進しましたが,なかなか古性の横まで追いつくことができずに直線。古性が踏み込むと脇本を差し切って優勝。脇本が1車輪差の2着に粘って近畿ラインのワンツー。新田ラインの3番手から大外を伸びた守沢が4分の1車輪差で3着。古性マークのレースになった平原がタイヤ差で4着。さらに新田が微差で5着。
 優勝した大阪の古性優作選手は先月の福井記念以来の優勝。ビッグはこれが初勝利。この開催は郡司が欠場で松浦が準決勝敗退。オリンピック直後だった脇本と新田は勝ち上がったので,このふたりの争いになりそうでした。ラインは新田の方が長かったですが,新田は先行よりは捲りの方が得意なので,脇本の先行になりました。新田は位置としては絶好だったのですが,おそらく4番手を取るときにいくらか脚を使ったので,それほど前に迫ることができませんでした。よって番手の古性は大きく牽制する必要もなくなり,有利になったというところでしょう。脇本も強かったと思います。

 この日は妹を迎えに行った後,すぐには帰らずに,O眼科に向いました。眼鏡の処方をしてもらうためにここに行き,矯正しても視力が上がらないために診察を受け,妹が白内障を発症しているということが判明したのが前年の暮れでした。それから3ヶ月が経過していましたので,この日は目薬の処方箋を出してもらうだけというわけにはいかず,診察が必要でした。左眼には傷があったのですが,この傷は12月に比べると良化しているという診断を受けました。白内障についてもまったく進行していませんでしたので,さらに経過を観察するということになりました。なのでそのまま目薬の処方箋を出してもらい,薬局に寄ってそれを受け取ってから帰りました。何度かいっているように,O眼科というのは混雑しているのが常で,診察を受けるとかなりの時間を要することを覚悟しなければなりません。ただしこの日は例外的と思えるほど空いていました。それでも帰宅したのは午後6時15分でしたので,普段よりは2時間弱ほど遅くなりました。
                                   
 午後9時にピアノの先生からの電話がありました。14日にピアノのレッスンが予定されていましたので,その開始時刻についての連絡でした。
 3月13日,土曜日。11日にお寺の奥さんから電話があったとき,彼岸会とそれに伴う塔婆についての確認のほかに,今年のお寺の維持費についての話もありました。例年は前年度の終りに払っているということはすでにいった通りですが,今年はまだこの時点で支払いを終えていなかったのです。なのでその電話でその件について話したところ,奥さんの口座に振り込んで欲しいとのことでした。口座の番号は分かりませんでしたので,その電話の直後にショートメールで送ってもらいました。送ってもらった口座に維持費を振り込んだのがこの日です。振り込み終えましたので,僕の方から確認を依頼するショートメールを送っておきました。
 3月14日,日曜日。妹のピアノのレッスンがありました。この日は午後3時の開始でした。
 3月15日,月曜日。妹を通所施設に送りました。この日は出勤日に該当していましたから,通所施設に送ったわけです。
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吟味&三者面談

2021-08-15 19:22:16 | 将棋トピック
 三浦九段がきわめて非合理的なこと,すなわち対局においてコンピューターから指し手の援助を受けるということは,それ自体として蓋然性が低いということは分かりました。とはいえ蓋然性が低いということはそれがゼロであって,絶対にそれをしないということとは異なります。よって蓋然性が低いということを前提とする必要はありますが,吟味をする必要はなお残るのです。ですからここからはその吟味をしていくのですが,これについては次のことに注意しておいてください。この吟味は,処分が発表された後で僕が吟味したことを意味するのであって,現時点で改めて吟味をするというわけではありません。というか現時点では三浦九段がコンピュータの援助を受けていなかったということは明らかになっているのですから,吟味をし直す必要はありません。したがって,これから書いていくことは当時の僕の吟味についてですから,当然ながらその時点で僕が知り得ていた情報だけを用いて吟味することになります。他面からいえば,現時点で明らかになっている事柄のすべてがこの吟味のための材料として有効であるというわけではありません。この点にくれぐれも注意しておいてください。
 まず,三浦九段にとって不利になるような状況をいくつか吟味しておきます。第一の点として,三浦九段が対局中に,相手に不自然である,具体的にいえばコンピューターの援助を受けているのではないかと思われるくらいの頻度で離席していたことは事実です。また処分が発表される前の聞き取り調査に対して,この点について合理的といえる説明ができなかったということも事実です。これについて詳しくは,不自然な離席と合理的な説明とは何かということを僕はこのときの竜王戦のことを書いた直後に記していますので,それを参考にしてください。
 ところで,これは余談になるかもしれませんが,僕の推測では,抗議の根拠となっているのはこの記事です。というのも,この記事というのは確かに三浦九段にとって不利であると読めるような内容になっているからです。そしてそのように読むことができる記事というのはこれだけだと僕には思えるからです。
 この記事が三浦九段に対して不利になるように読めること自体は僕も認めます。なので次回は吟味を進める前に,この記事の意図を説明することにします。

 2月25日,木曜日。午前10時45分に施工業者から電話がありました。24日に振り込んだ代金の入金が確認されたという内容でした。これで今回の工事は全面的に終了ということになりました。
 2月26日,金曜日。妹を迎えに行きました。この日は待機日に該当していましたので,グループホームに迎えに行きました。
 3月1日,月曜日。妹を送りました。この日は出勤日ですから通所施設への送りになりました。
 3月4日,木曜日。三者面談の報告書が郵送されました。通所施設のものとグループホームのものの2通の書類です。通所施設の担当者,グループホームの担当者がそれぞれ妹と面談して決定された内容です。
 3月5日,金曜日。前日に郵送された書類は,僕のサインが必要なものです。この日のうちにサインを入れて郵送しました。これで2020年度の後期の三者面談は終了です。ですから三者面談となっていますが,実際には二者面談が行われ,その報告書に保護者が同意するという形式で,実際に三人での面談が行われるわけではありません。すべての利用者の三者面談がこのような方式で行われたということになります。これは2020年度の前期の三者面談も同様でしたし,まだ先のことになりますが,今年度の前期の三者面談もこれと同様の方式で実施されました。
 3月11日,木曜日。お寺の奥さんからの郵便物が届きました。これはこの後に行われることになっていた彼岸会の案内でした。
 午前10時40分に,グループホームの妹の担当者のSさんから電話がありました。これは緊急事態宣言の延長に伴っての,この週と翌週の迎えと送りについての連絡事項でした。
 午前11時30分にお寺の奥さんから電話がありました。これは彼岸会の確認です。彼岸会では塔婆を出してもらいますので,その依頼はこの電話でしました。
 さらに午後4時55分に,証券会社のファイナンシャルプランナーから電話がありました。以前に個人年金を依頼した方です。これはこの方が退職することになったという報告でした。
 3月12日,金曜日。妹を迎えに行きました。この日もグループホームへの迎えでした。
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竜王戦&2021年2月の通院

2021-08-14 19:02:55 | 将棋
 12日に指された第34期竜王戦挑戦者決定戦三番勝負第一局。対戦成績は藤井聡太二冠が4勝,永瀬拓矢王座が1勝。
 振駒で永瀬王座が先手となり,ノーマル三間飛車からの穴熊という意表の作戦。藤井二冠も居飛車穴熊に囲っての相穴熊戦。中盤戦が延々と続く将棋になりました。
                                        
 先手が自陣に金を打った局面。AbemaTVのAIはここで☖4九銀と打って後手が勝てると指摘していました。実戦は☖5二銀。これはすぐに勝ちにいくのではなく,負けにくい形にしておこうという意図の一手。後手はここから1分将棋に突入していますので,妥当な選択であったと思います。
 こう打たれると☗6四飛成☖同馬☗同歩の飛車角交換に進みます。手番を得た後手は☖2四桂と打ちました。
 ここで☗4五歩と取ったのが最終的な敗着となったように思います。たぶん☗2七銀と逃げておかなければならなかったのでしょう。☖6五金が決め手となりました。
                                        
 この金を打たずに☖3六桂は☗同飛でなかなか寄りません。それで先手は☗4五歩と取ったのだと思います。ですが金を打たれてみると☗5九飛と逃げざるを得ず,☖3六桂☗同金と金が離れてしまい,先手玉が寄り形となりました。
 藤井二冠が先勝。第二局は30日に指される予定です。

 2月20日,土曜日。この日の午前9時に,家屋の基礎工事を施行した会社が,放置されたままになっていたゴミを回収しにきました。
 2月21日,日曜日。妹のピアノのレッスンがありました。午後2時からでした。
 レッスンが終った後,午後3時50分に,施工の業者からの電話がありました。今からサインをもらいに訪問するとのことでした。どうももう近くに来てからの電話であったようで,午後4時には訪問してきました。まず工事完了確認書という書類にサインをしました。次に保証書にサインを入れました。そして施工後の請求書を受け取りました。
 2月22日,月曜日。妹を送りました。この日は出勤の日でしたから,通所施設に送りました。
 午後は内分泌科の通院でした。
 病院に到着したのは午後2時10分です。中央検査室では僕が次の順番になっていましたので,そのまま採血をし,それを終えてから採尿をしました。この日は使用済みの注射針は持参していませんでした。
 診察は午後3時5分に始まりました。HbA1cは7.9%と1月より上昇していました。血糖値の平均値が高くなっていたのでHbA1cも上昇していたのですが,全体のバランスは1月よりも良化していました。さらに低血糖は0で,最低の血糖値は72㎎/㎗でした。冷え込みがきつくなってきたために全体の血糖値が上昇し,それに伴いHbA1cも上昇したと考えられますので,注射する量は変更しませんでした。もしもこの後,低血糖が頻発するようであれば,トレシーバの注射量を0.01㎎だけ減らすように指示されましたが,そういう現象は生じませんでしたので,注射量の変更がないまま翌月に至りました。
 この日はこれ以外には何も異常が出ていませんでした。これは前年の12月以来です。薬局にインスリンも注射針も揃っていました。帰宅したのは午後4時15分でした。
 2月24日,水曜日。日曜日に受け取った請求書の振り込みをこの日に行いました。425000円です。すでに説明したように,前金として40万円を支払っていますので,このときの家屋の基礎工事の総費用は,825000円だったことになります。
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JBC協会賞農林水産大臣賞典スポーツニッポン杯ブリーダーズゴールドカップ&完了

2021-08-13 19:10:14 | 地方競馬
 昨晩の第33回ブリーダーズゴールドカップ。サイファリスは疾病のため出走取消。レーヌブランシュは公正保持のため競走除外となり,8頭。
 ネーロルチェンテは左右の馬に挟まれて1馬身の不利。すぐにリネンファッションがハナに立ってペースを落としました。2番手にアッシェンプッテル。3番手にマルシュロレーヌとメモリーコウ。3馬身差でマリーンワン。8馬身差でネーロルチェンテ。7番手にストラールで最後尾にクオリティスタートという隊列。超スローペースでした。
 3コーナーを回ると2番手のアッシェンプッテルは騎手の手が動き始めました。内からマルシュロレーヌ。外からメモリーコウ。外を回ったメモリーコウはアッシェンプッテルに追いつくことができず,内を回ったマルシュロレーヌが直線の入口では2番手に。アッシェンプッテルが遅れたのでスムーズに外に出すことができたマルシュロレーヌが,逃げ粘ろうとするリネンファッションを楽々と差して優勝。リネンファッションが半馬身差で2着。アッシェンプッテルが3馬身差の3着。
 優勝したマルシュロレーヌエンプレス杯以来の勝利で重賞4勝目。ここは出走したJRAの4頭の力量が上。その中でも近況と実績からマルシュロレーヌは抜きん出た存在でしたので,順当な優勝。能力ほどの差をつけることはできませんでしたが,これは相手がスローペースで逃げた上に,こちらも全力で追われたというわけではなかったからでしょう。牝馬同士では上位で,牡馬を相手に大レースを勝つというレベルには届いてないと思いますが,重賞クラスであれば牡馬を相手に勝つというシーンがあっておかしくないと思います。父はオルフェーヴル。祖母がキョウエイマーチで9代母がシュリリー。Marche Lorraineはフランスの行進曲。
                                        
 騎乗した川田将雅騎手と管理している矢作芳人調教師はブリーダーズゴールドカップ初勝利。

 2月14日,日曜日。この日は工事はありませんでした。事前に休みがあるかどうかは聞いていませんでしたが,日曜は休みだったようです。開始になった11日は祝日でしたし,前日の13日は土曜日でしたが工事はありました。休みになったのは日曜だけです。
 2月15日,月曜日。午前8時10分に施工業者からの電話がありました。この日は天候不良のため工事は休止するという内容でした。基礎部分の補修というのは当然ながら外での作業になりますから,天候の影響というのは受けます。つまりこの日のような,天候が不良という場合には平日でも休止になります。そのかわりに祝日や土曜日は施工するということになっているのでしょう。
 この電話の後で妹を送りました。この日は出勤日に該当していましたから,送り先は通所施設でした。
 2月18日,木曜日。この日の午前11時20分ごろに,補修のすべての作業が終了しました。作業にあたってごみが出ていまして,それはまだ積んであったのですが,それについては後に回収しにくるとのことでした。
 午後は妹を迎えに行きました。この日も出勤日に該当していましたから,迎えに行ったのは通所施設です。
 午後9時にピアノの先生から電話がありました。9日にあった電話で21日にピアノのレッスンを行うことになっていました。この電話はその開始時刻のことです。
 2月19日,金曜日。18日の木曜日に妹を迎えに行ったのは,この日に妹の歯科検診があったからでした。この時期,妹は食事のときに左上の歯の痛みを訴える頻度がそれまでよりも増していました。痛いとは言っても完食はしていましたので,痛みの強さとしてはそれほどでもないのだろうと思っていました。ただ頻度が増加していたのは確かなので,この点については主治医に伝えておきました。左上は被せ物がしてあって,もし治療するとなればそれを外さなければなりません。こうした本格的な治療はみなと赤十字病院ではできず,歯科保健医療センターに通う必要があります。実際に被せ物をしたのもそこです。もし治療が必要な状態になれば,紹介状を書くということについて,確約してくれました。
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幕臣と維新の志士&前金

2021-08-12 19:15:24 | 歌・小説
 幼少期の漱石は,武士の家臣というものがどのような態度をとるべきなのかということに,強い思いをもっていたと考えられます。そうでなければ先祖が武田家を裏切る形で徳川家の家臣になったことに,篠本が伝えているような恥辱を感じるとは思えないからです。つまりこの当時の漱石は,家臣は主君に忠誠を尽くすべきだと思っていたであろうことが容易に推定できます。
                                        
 夏目家は,武田家を裏切る形で徳川家の家臣となったわけですが,徳川家康が江戸幕府を開幕したことにより,幕臣となっていました。したがって漱石は,幕臣は徳川家にあるいは徳川幕府に忠誠を尽くすべきだという思いをもっていた可能性が少なからずあったように僕には思えます。しかし明治維新によって,徳川幕府は終焉を迎えました。そして時はまさにその明治維新の直後だったのです。このことから,漱石は明治維新の志士たちに対しては,もしかしたらあまりよい感情を抱いていなかったかもしれません。明治維新の志士というのは,本来なら忠誠を尽くすべき徳川家に対して反旗を翻し,幕府を打倒した人びとのように,幕臣という立場からはみることができるからです。そして逆に,徳川家に忠誠を尽くすために最後まで戦おうとした人びと,たとえば会津の白虎隊や,函館で新政府軍と戦った榎本武揚などに対しては,好感をもっていたという可能性があります。
 こうしたことは,漱石が武士の家臣がどのようにあるべきかということをどのようにみていたのかということだけから結論することができるわけではありません。それと同時に,夏目家が幕臣であったということ,つまり徳川家の家臣であったということについて,漱石自身がある種のアイデンティティーをもっていたのでなければ,徳川家を守ろうとした人に対しての好感と,それを倒した人に対する反撥というのはおそらく出てこないであろうからです。しかしその点については篠本は何も書いていませんから,これはあくまでも可能性という範疇の事柄です。ですが漱石の小説に,こうした思いが表出されていると読解することができるようなものが,あるにはあるのです。

 2月9日,火曜日。午後8時にピアノの先生から電話がありました。1月は緊急事態宣言に伴う移動の制限があったため,ピアノのレッスンをすることができませんでした。次のレッスンをいつ行うのかということは,レッスンの終了後に決定します。なので2月のレッスンをいつ行うのかということは未決定でした。この電話で2月のレッスンの日時を決定したのです。2月は移動の制限は解除されることになっていましたので,日時を決定するのに苦労はありませんでした。
 2月10日,水曜日。5日に受け取った請求書のうち,工事の前金についてはこの日に振り込みました。前金は40万円です。午後2時に業者から連絡があり,翌日から工事を開始するとの連絡を受けました。
 2月11日,木曜日。午前8時40分に作業員が訪問してきました。挨拶を交わしてから工事が始まりました。作業員はふたりでしたが,ふたりだったのは工期の前半だけで,後半はひとりだけになりました。これは工事内容の関係からだったと思われます。この日の工事は午後4時半に終了しました。作業が開始になるのは概ね同じでしたが,終了は日によって異なり,この日のように午後4時半ごろになることもありましたし,3時ごろには終了という日もありました。
 2月12日,金曜日。妹を迎えに行きました。この日はグループホームで待機となっていましたので,迎えに行ったのはグループホームです。僕の家は妹を除けば僕がひとりで暮らしています。したがって留守にするときに工事をしていれば,作業員に声を掛けます。この日はその事情を説明するのに手間取ってしまったこともあり,最寄りのバス停から乗るいつものバスに乗り遅れてしまいました。なのでその直後の磯子行きのバスに乗り,途中で上大岡行きに乗り換えることになりました。このパターンで上大岡に行ったのは,妹がグループホームに入所して少しした後,妹を送っていったとき以来のことになります。地域支援担当主任に依頼されていた受給者証はこのときに持参し,グループホームの職員に渡しました。帰りはO眼科に寄って処方箋をもらい,薬局で目薬を受け取ってから帰りました。
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叡王戦&請求書

2021-08-11 19:07:19 | 将棋
 9日に名古屋で指された第6期叡王戦五番勝負第三局。
 藤井聡太二冠の先手で角換り相腰掛銀。難しい中盤戦が続きましたが,後手の豊島将之叡王が攻め合いに出たのが性急だったようです。ただ僕はその後の先手の指し回しが見事に思えました。
                                        
 第1図は正しく指せば先手が勝てるという局面にはなっています。
 後手の手番で,攻めるのなら☖6六桂が普通ですが,それでは簡単に負けるとみたか☖6六香と打ちました。おそらく先手もあまり考えていなかった手だと思われますが,この後の対処の仕方が巧みでした。
 まず☗3三歩☖同銀☗4五桂☖2二王と攻めます。そうしておいて☗6三歩成☖同銀と成り捨て,☗6五銀と取って受けに回るのが妙手順。
                                        
 香取りになっているので☖8七桂☗同金☖6七香成と迫ります。桂馬を入手することができたのでまた☗3三桂成☖同金☗4五桂と攻めに転じました。
 ここは☖3二金と引いた方がよかったようですが,☖3四金と上がりました。そこで☗6八歩と打つのが受けの決め手。第1図から第2図に至る間に歩を成り捨てておくのが妙手順だったのは,この歩を打てるようにするためでした。
                                        
 第3図で後手の攻めを完全に受け止めています。後手の攻めの手が空いたところで反撃に転じた先手の勝ちとなりました。
 藤井二冠が勝って2勝1敗。第四局は22日に指される予定です。

 1月27日,水曜日。自宅の基礎部分の補修工事を依頼した会社から電話がありました。翌日の午前10時に見積もりを持参するとのことでした。
 1月28日,木曜日。午前10時15分に見積もりが届きました。実際に工事が開始されるのは2月10日より後になるとのことでした。
 2月2日,月曜日。このときに神奈川県に発出されていた緊急事態宣言は,2月7日までの予定でした。しかしそれが3月7日まで延長されるということがこの日に正式に決定されました。
 2月4日,水曜日。午前11時20分に,地域担当支援主任のSさんから電話がありました。妹の受給者証は,毎年1月末日が期限で,2月1日からは新しいものを使用することになります。僕は受給者証に関してはグループホームに預けていたのですが,今回は緊急事態宣言に伴う移動制限があり,新しい受給者証が郵送された後で妹の送迎をしていませんでしたので,この時点ではまだ僕の手許にあったのです。ですのでこの受給者証を,次に妹を迎えに行くときに持参することを伝えました。
 午後6時55分に,補修工事を施行することになった会社からの電話がありました。翌日の午前中に請求書を持参するとのことでした。
 2月5日,金曜日。午前10時50分に,施工会社が請求書を持参してきました。工事の施行前に前金が必要とのことで,その分は翌週の金曜日までに支払ってほしいとのことでした。
 2月6日,土曜日。通所施設から郵便物が届きました。緊急事態宣言が延長されたことに伴う,3月7日までの出勤の予定でした。厳密にいうと,3月7日というのは日曜日ですから,3月5日の金曜日までの予定といった方がいいかもしれません。基本的に月曜日と木曜日は出勤で,火曜日と金曜日は在宅になっていました。水曜日は2月10日と17日は出勤で,24日と3月3日は在宅になっていました。
 2月7日,日曜日。午前10時にグループホームの妹の担当者であるSさんから電話がありました。緊急事態宣言は延長されたけれども,移動の制限は解除するとのことでした。よって2月は事前の予定通りに妹を送り迎えすることにしました。
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アーバンナイトカーニバル&2021年1月の通院

2021-08-10 19:01:17 | 競輪
 8日に川崎競輪場で争われたアーバンナイトカーニバルの決勝。並びは雨谷‐吉沢の栃木茨城,内山-梁田-白戸の南関東,門田-高原の四国で桜井と伊原は単騎。
 門田がスタートを取ってそのまま前受け。3番手に内山,6番手に桜井,7番手に雨谷,最後尾に伊原という隊列で周回。残り3周のバックの出口から雨谷が上昇開始。伊原も続きました。ホームで雨谷が門田を叩くと,伊原が上昇し,雨谷を叩いて先頭に。外から内山が叩きにいって打鐘を迎えると,内から雨谷も進出。打鐘後のコーナーでふたつのラインに挟まれる形になった井原は後退。前に出たのは内山で,雨谷はその番手で外の簗田と競り合い,この後ろに白戸で雨谷マークの吉沢はその後ろに。番手戦にはっきりとした決着がつかぬまま,バックから吉沢が自力で発進。あっさりと捲り切りました。吉沢に続いたのが門田で,直線はこのふたりが後ろを離してのマッチレース。ぎりぎりで残した吉沢が優勝。門田が8分の1車輪差で2着。最終コーナーで門田マークの高原をどかした桜井が4車身差の3着。
 優勝した茨城の吉沢純平選手は昨年末から今年年始にかけての静岡のFⅠ以来の優勝。2017年6月の取手記念以来となるGⅢ3勝目。この開催はオールスター競輪に不出場の選手での開催で,全体のレベルは当初からさほど高くはありませんでした。吉沢は今年に入って大きなけがが2度もあったためにオールスターへの出場が叶わなかった選手なので,脚力は上ですから,優勝候補と考えていました。雨谷の番手戦を選択したことはやや不安で,このメンバーなら自力で走った方が優勝の可能性は高いのではないかと思っていたのですが,結果的に連結が外れたので自力を出す競走となり,脚力通りの結果となったといったところ。門田は自力選手で,無風でマークされた自力選手の差しを凌いだのですから,迫られたとはいえその点は評価に値すると思います。

 1月23日,土曜日。通所施設から郵便物が届きました。2020年度の後期の三者面談に関しても,書面で行うことになったという報知でした。
 1月25日,月曜日。内分泌科の通院でした。
 病院に到着したのは午後2時5分でした。この日は中央検査室が混雑していて,僕の前に6人の患者が採血を待っていました。なので僕は先に採尿をして,さらに採血の順番が来るのを待ちました。この日は使用済みの注射針は持参していませんでしたので,その処理は必要ありませんでした。
 診察が開始になったのは午後3時15分でした。HbA1cは7.7%と,前年の12月よりも上昇していました。これは全体的に血糖値が上昇していたからです。季節的に寒い時期に突入していましたから,血糖値が上昇したのはその影響でしょう。平均気温は2月の方がさらに低くなることが予想されますので,この時点での状態を維持すれば,来月はさらにHbA1cが上昇することが予測されました。なので持続効果型のインスリンであるトレシーバの注射量を,0.01㎎だけ増加させるという措置が採られました。前日までは0.08㎎のトレシーバを注射していましたので,この日の夕食前からは0.09㎎を注射することになりました。
 一方,就寝前の血糖値に関しては,最も安定していましたし,低血糖を発症しているケースもありました。なのでトレシーバを増やすだけにすると,就寝前の血糖値がさらに低下してしまう危険性がありました。よってこれを避けるために,夕食前に注射している超即効型のインスリンであるヒューマログに関しては,逆に0.01㎎減少させるという措置が同時に採られました。こちらは前夜までは0.10㎎を注射していましたので,この日の夜からは0.09㎎になったことになります。
 この日はほかにアルブミンが3.9g/㎗で,下限値の4g/㎗を下回っていました。これは2019年10月に出て以来の異常でした。
 主治医は3月で退職するので,4月からはまた主治医が変更になることが伝えられました。主治医の変更は2年か3年に1度が恒例なので,驚きはありませんでした。
 薬局にはインスリンも針もありました。帰宅したのは午後4時20分でした。
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農林水産大臣賞典クラスターカップ&補修の依頼

2021-08-09 19:11:28 | 地方競馬
 第26回クラスターカップ
 逃げたのはシークザトゥルース。2番手はサイクロトロン,ジャスティン,ヒロシゲゴールド,マテラスカイの4頭の集団。2馬身差でリュウノユキナとツルオカボルト。2馬身差でスティンライクビーとナリタスターワン。3馬身差でサマニー。3馬身差でレールガンとボタニーク。2馬身差でウインルーカス。最後尾にメイショウオオゼキという隊列。前半の600mは34秒3のハイペース。
 3コーナーを回るとジャスティンが上がっていき,内にいたサイクロトロンがそれに呼応。シークザトゥルースはここで一杯になり,この2頭が並んで直線に。2頭の競り合いを制したのはサイクロトロン。単独の先頭に立ったところ,内を回って追い上げてきたリュウノユキナが楽に差し切って優勝。早め先頭のサイクロトロンが3馬身差で2着。一杯になったジャスティンの外からヒロシゲゴールドとマテラスカイが並んで追い込み,ジャスティンを差したヒロシゲゴールドが2馬身差で3着。ジャスティンが4分の3馬身差の4着でマテラスカイはクビ差で5着。
 優勝したリュウノユキナ東京スプリント以来の勝利で重賞2勝目。前走は3着馬に敗れていましたが,あれは相手に何もかもがうまくいった印象のレースの上,リュウノユキナ自身もいくらか太かったのかもしれません。今日は東京スプリントのときと同じ体重に戻り,持ち味の差し脚が十全に発揮されたということでしょう。上位5頭の中では桁違いの末脚を使っていますので,現状の能力でも最上位であるとみて間違いないと思います。父はヴァーミリアン。母の父はクロフネビューチフルドリーマーワールドハヤブサの分枝で母のふたつ上の半姉に2007年にTCK女王盃を勝ったサウンドザビーチ
 騎乗した柴田善臣騎手は第7回,16回に続く10年ぶりのクラスターカップ3勝目。管理している小野次郎調教師はクラスターカップ初勝利。

 家屋の基礎部分の工事というのは,僕の記憶では施行したことがありません。つまり,現在の家屋を建築したときのものが,そのまま使われてきたものと思われます。この家屋が建築されたのは,これも僕の記憶では僕が3歳のとき,あるいは3歳になる年のことです。この当時,僕たちは家を建てるために近所に借りた家で暮らしていて,同居していた祖母,の母と共に,建築中の家屋を見にきたという記憶が確かにあります。これは僕の最も古い記憶のひとつです。よってこの記憶が確かであれば,家屋の建築は1973年のことで,それ以来,48年くらいはそのときの基礎部分のままであったことになります。
 これはこの家に住み続けるならば必要な工事ですから,施工しなければならないでしょう。ですが,この家屋を建築した当時は僕の両親と父の母,そして僕の4人が住んでいて,その後に妹が産まれて5人で住むようになりました。おそらく僕が12歳のときに2階部分を増築したこともあり,5人で住むには十分な広さはありました。さらにその後,1階部分はリフォームしていますので,家屋自体はまだ長持ちするものです。ですが祖母,父,の順で死に,妹も現在は基本的にグループホームで暮らしているのですから,現在は僕がひとりでこの家で暮らしています。ひとりで住むには大きすぎる家なので,もしもここに住み続けるために大掛かりな工事というのが必要になった場合は,僕は家屋と土地を手放すつもりでいました。一方,もしもそんなに大掛かりな工事をしなくてもメンテナンスをすることができるなら,この家は妹が住み続けていた家であり,帰ってくる家でもありますから,そういう措置は講じるというつもりもありました。実際に母が死んだ後も,屋根の工事などは行ってきたわけです。
 家屋の基礎部分の補修というのが,大掛かりな工事であるのか,それともメンテナンスに含まれるのかということは僕には分かりませんでした。なので上述したような事情をハウスドクターに話し,補修の工事にどれほどの費用が必要か,概算で教えてほしいと伝えました。伝えられた額は,施工を意志できる額でしたので,工事をすることにしました。
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蓋然性&家屋の基礎部分

2021-08-08 19:01:04 | 将棋トピック
 人間は著しく非合理的なことはしない,とか,人間はきわめて非合理的であると知っている事柄はなさない,といった言明は,真verumではなく偽falsitasです。ただし,この言明が偽である蓋然性というのは事象によって異なります。ですから個別の事案に関してこうしたテーゼとの関連を吟味する場合には,一律にこういった命題が真ではないということだけを援用することは無意味であって,それが偽になり得る蓋然性の大きさがどの程度であるのかということを見極めなければなりません。三浦九段にとって,対局にあたってコンピューターに指し手の援助を受けることは著しくリスクが高い行為であるということについて吟味する場合にも,まずはこのことを考えておく必要があります。
 たとえば,三浦九段が自身の棋力の衰退を強く感じていたなら,上述の命題が偽となる蓋然性はそれだけ高くなります。逆に,三浦九段がそうしたことについて何も不安metusを感じていなかったら,これらの命題が偽となる蓋然性はきわめて低くなるでしょう。もっともこうしたことは三浦九段本人でなければ分からないことですから,僕が処分に関して第三種の認識cognitio tertii generisで認識した事柄を吟味するにあたって,役立つような情報ではありません。ただ,三浦九段がリスクの高いきわめて非合理的な行動をする場合があり得るということについて,それはあり得るといっても,あり得る度合いには差異があるということは重要ですから,ここではこの観点についても言及しておきました。
 さらにこの事案の場合には,別の要素が作用します。そもそも三浦九段が自身の棋力について不安を感じているか感じていないかに関わらず,さらにいえば,そうした行為がリスクの高い行為であるか否かということとも関係なく,自身の棋力,あるいは棋力に限らず広く自身の力potentiaといってもいいですが,自身の力以外の力を用いることによって一局の将棋を指すということは,それ自体が卑怯であるとか,それ自体が倫理にもとるというような思惟作用が三浦九段の知性intellectusのうちに生じ得るからです。こうした思惟作用が強く生じる場合は,そもそもコンピューターから援助を受けようという発想すら発生し得ないという場合があるのであって,こうした事象も勘案するなら,この事案に関しては,三浦九段がきわめて非合理的なことでもそれをなすという蓋然性も,きわめて低下することになるのです。
 よってこの事案について吟味するためには,元来から三浦九段がそれをなす蓋然性が低いということを,まず前提しておかなければならないでしょう。

 午後8時前に,ピアノの先生に電話をしました。翌週にピアノのレッスンが予定されていたのですが,それを中止にしてもらう要請です。緊急事態宣言が発出され,妹の移動についてはなるべく控えてほしいと求められていました。この週は眼科の通院がありましたから迎えに行ったので,翌週の迎えについては控えることに決定していたのです。妹が帰宅できなければ当然ながらレッスンはすることができません。よって1月のレッスンは中止ということになりました。最初の緊急事態宣言が発出されたときにも,同じような事情からレッスンが中止になったケースがありましたので,詳しい事情については先生に話すまでもありませんでした。
 1月18日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
 1月20日,水曜日。歯科検診でした。午前10時の予約。この日もクリーニングをしただけです。大抵の場合,クリーニングは歯科技師が行います。ですがこの日は医師の手によるものでした。おそらく緊急事態宣言が発出されていたので,出勤する歯科技師の人数も減っていたためだと思われます。
 帰宅後,正午過ぎにお寺の奥さんから電話がありました。これはお寺の維持費に関連するものです。11月の電話で奥さんが退院してすぐであったということは伝えられていましたが,その後は連絡がなかったので,今年の維持費に関してはまだ渡していませんでした。緊急事態宣言が発出されたこともあり,僕の家に来るのは難しそうなので,2020年の収支の報告書と,2021年分の振込用紙を送付するとのことでした。このうち,報告書はすぐに送られてきたのですが,その郵便物に振込用紙は入っていなかったので,今年分の支払いはまだ先のことになりました。
 1月21日,木曜日。2月からの妹の受給者証が役所から送付されてきました。
 1月22日,金曜日。14日に電話があった建築会社のハウスドクターに外壁の点検をしてもらいました。外壁の塗装に関しては現時点でも問題はないとのことでしたが,家屋の基礎部分が全体的に弱化して,ひびが入っている部分もあるので,補強した方がよいのではないかという指摘を受けました。
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生存権&眼科の通院

2021-08-07 19:22:25 | 哲学
 個人の自然権についてだけ考えるのは,他人の協力によって自然権の拡張が生じるという事態については,さしあたって考慮しないようにするためです。したがって,人間がなし得るある行動が,他人に対してどのような影響を与えるのかということ,また同時に他人の存在existentiaが自身のなし得る事柄に対してどのような影響を及ぼすのかということは考慮の外に置き,単に現実的にある人間が存在するという場合に,その人間がなし得ることだけをその人間の自然権jus naturaeとして考えていくことになります。ただ,このときに注意しておいてほしいのは,現実的にあるひとりの人間だけが存在するということは,語義矛盾のようではありますが,それ自体で現実的ではないという点です。実際には複数の人間が現実的に存在するのであって,僕はそのことまで無視するというわけではありません。現実的には複数の人間が存在することによって,ある人間の自然権は増大することもあれば減少することもあるでしょうし,逆に現実的に存在している別の人間の自然権を増大させたり減少させたりもするでしょうし,あるいはそれを拡張したり侵害したりすることもあるでしょう。そうした権利の増大や減少,あるいは侵害や拡張についてだけ,考慮に入れずに考えていくということです。そもそも概念notioとしての自然権の発生は,複数の人間が現実的に存在するということを前提としているのであって,この前提なしに人間の自然権について考えることは無意味なのです。
 一方,人間は自然権を拡張するために,自然権の一部を譲渡するあるいは放棄するという場合があるとも僕はいいましたが,そのようなことがあり得ない自然権というのも存在します。たとえば第三部定理七は,コナトゥスConatusはある事物の現実的本性actualem essentiamであるといっています。したがって現実的に存在する人間にも妥当します。よって現実的に存在する個々の人間のコナトゥスというpotentiaは,その人間のなし得ることを意味しますので,自然権に属します。しかしこれは同時に現実的本性なのですから,それを放棄したり譲渡したりすることはできません。これはとても分かりやすい例として取り上げましたが,この種の自然権はある人間が現実的に存在する場合には必ずその人間の自然権として属するのであって.それは侵害されるということはあり得ても,放棄されるということはあり得ません。一般にはこの種の自然権が,生存権といわれることになります。

 1月14日,木曜日。午後5時半に,2012年に外壁の修理をしてもらった業者から電話がありました。当時はが存命でしたから,母が依頼して実施したものですが,もう時間が経過しているので点検したいとのことでした。なので点検をしてもらう日時を決定しました。
                                   
 1月15日,金曜日。妹を迎えに行きました。この日はグループホームに待機となっていましたので,迎えに赴いたのもグループホームです。真直ぐには帰宅せず,O眼科まで行って目薬を処方してもらいました。グループホームであろうと通所施設であろうと,帰りは上大岡でバスを乗り換えます。帰るためのバスは根岸駅行きですので,そのまま根岸駅まで行くという方法で通院しました。これはこのときだけでなく,この日以降,O眼科に通院するときには必ずこの方法を用いています。また,O眼科は3ヶ月に1度は診察が必要です、ただし処方される目薬は基本的に1ヶ月分ですので,通院は概ね1ヶ月に1度の割合になります。このときは12月に通院したばかりでしたので,診察の必要はなく,目薬の処方箋を出してもらうだけで終了でした。この場合は窓口でそのように言えば,すぐに対処してもらえますので,長く待つ必要はありません。
 グループホームから,緊急事態宣言が発出されたので,移動はなるべく避けるように依頼されていました。ただこのときは目薬が必要でしたので,妹を連れて帰ったのです。厳密にいうと,処方箋を出してもらうだけであれば,妹が通院する必要はありません。僕がそのように言えば処方箋は出してくれますし,薬局でも処方箋さえ出せば妹がいなくても目薬は処方してもらえるからです。ただこのためには少なくとも保険証と重度障害者の医療証,そしておくすり手帳が必要となります。僕はこれら一式はグループホームに預けてありますので,それを取りにいく必要があります。グループホームまでそれを取りに行くのであれば妹も連れて帰る方がよいので,この週は妹は家に帰ることになったのです。
 1月17日,日曜日。午前中にお寺に行きました。個別の納骨堂に両親の写真を置いておきたいとかねがね思っていたので,そのためでした。
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東京スポーツ盃マイルグランプリ&出勤の予定

2021-08-06 19:18:55 | 地方競馬
 昨晩の第28回マイルグランプリ。森泰斗騎手は3日の11レースで落馬し,鎖骨と肋骨を骨折したためグレンツェントは本田正重騎手に変更。
 サンロアノークとワークアンドラブが先手を主張。枠が内だったサンロアノークの逃げとなり,控えたワークアンドラブは2番手。向正面に入るあたりで2頭のリードは3馬身くらいになり,3番手はモジアナフレイバーとドリームキラリ。3馬身差でティーズダンク。2馬身差でベンテンコゾウ。1馬身差でキングガンズラング。1馬身差でグレンツェント。4馬身差でドーヴァーとコパノジャッキーとセイヴァリアント。マースインディは大きく離された最後尾。前半の800mは47秒8のハイペース。
 3コーナーではワークアンドラブが先頭に立ち,サンロアノークは後退。モジアナフレイバーが2番手となり,大外からグレンツェントが捲り上げてきました。直線に入るとすぐにモジアナフレイバーが先頭に。追ってきたのは捲ってきたグレンツェントとその内に進路を取ったティーズダンク。この3頭が馬体を並べての競り合いとなり,制したのは真中のティーズダンク。外のグレンツェントがクビ差で2着。内のモジアナフレイバーが1馬身差で3着。
 優勝したティーズダンクは前々走のオープン以来の勝利。南関東重賞は戸塚記念以来の2勝目。このレースはモジアナフレイバーの実力が上位ではありましたが,ハイペースを直線先頭という強気なレースをしたためにフィニッシュ前に失速。中団に控えていた2頭が上位に入線しました。ティーズダンクは人気は落としていたのですが,こういった展開になれば十分に勝つだけの能力がある馬。僕が上位とみていた5頭で5着までを独占したレースなので,順当な結果とみてもよいのではないかと思います。父はスマートファルコン。母の父はキングカメハメハ。6代母がバレークイーンの祖母にあたる同一牝系。
 騎乗した大井の矢野貴之騎手はプラチナカップに続いて南関東重賞23勝目。マイルグランプリは初勝利。管理している浦和の水野貴史調教師は南関東重賞7勝目。マイルグランプリは初勝利。

 このお知らせというのは,この週から1月29日までの,通所施設への出勤日に関するものです。これによれば通常は出勤する筈の日のうち,12日の火曜日,15日の金曜日,19日の火曜日と20日の水曜日,22日の金曜日,26日の火曜日,そして29日の金曜日は在宅になるということでした。なお,11日の月曜日は祝日でしたので,もとより在宅でした。
 通所施設に出勤しているのは,妹のようにグループホームから通っている利用者ばかりではなく,自宅と作業所を往復している利用者もいます。というか人数としていえばそちらの方が多いです。ですからこうした利用者にとっての在宅というのは,文字通りに自宅に待機するということを意味します。妹のようなグループホームの利用者の場合は,自宅に帰らない場合にはグループホームで待機するということになります。なお,この期間中は,出勤にあたっている日でも,感染防止の観点から自主的に自宅で待機してもよいというルールになっていました。最後のルールは基本的には自宅から通っている利用者に対してのものですが,グループホームの利用者も,グループホームでなく自宅で待機する場合にはそれで構わないということになっていました。
 1月10日,日曜日。午前11時45分にグループホームの妹の担当者であるSさんから電話がありました。ひとつは,出勤日の変更に伴う送迎の変更です。すなわち,僕はいつもは作業所へ送迎をしていますが,待機日には妹は作業所には通いません。したがってその場合にはグループホームへの送迎が必要になるのです。もうひとつは,緊急事態宣言が発出されたために,可能な限り移動を避けてほしいという依頼でした。なので1月の従来の送迎の予定を変更することにしたものです。
 このブログは概ね午後7時前後に投稿されることになっています。しかしこの日は1時間ほど遅くなりました。これはいつもの時間帯にログインの障害が生じていたためであり,僕の事情によるものではありません。
 1月13日,水曜日。午後7時15分にグループホームの妹の担当者のSさんから電話がありました。15日は妹の迎えに行く予定でしたので,その場所と時刻の確認でした。
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刀&レンジフード

2021-08-05 19:01:12 | 歌・小説
 夏目家も篠本家も元は武田家の家臣であったということのほかに,別のエピソードも篠本は著しています。
                                          
 この当時,学校からの帰途に,漱石はガキ大将の一派にいじめられることがあったようです。そこで漱石は篠本に相談し,かれらを懲らしめることにしました。大将は漱石と篠本より4つか5つ年上の鍛冶屋の息子だったので,さしあたりその大将を懲らしめれば,この一派からいじめられることはなくなるだろうという考えの下に,漱石と篠本はこの鍛冶屋の息子がひとりでいるときに懲らしめることにしました。
 あるとき,漱石と篠本がふたりで遊んでいると,その大将がひとりでいるのを目撃し,これは絶好の機会が到来したと判断しました。篠本はすぐに家に戻り,何の分別もなしに2本の短刀を持ち出し,漱石とふたりで1本ずつ持ちました。ふたりが大将に近寄ると,大将は恐れ慄き小路に退却しました。そこで漱石は短刀は鞘に納め,杉の垣根に大将を押し付けました。ですがそこでこの大将の家の鍛冶屋の弟子が現れ大将を助けました。しかしこの一件があってから,漱石がいじめられることは一切なくなったそうです。
 時期は廃刀令の前後で,確かに篠本家にはこのときに日本刀があったのです。もしかしたら夏目家にもあったのかもしれません。一方,鍛冶屋は町人階級でしたから,士族に対する恐れ,いわゆる切り捨て御免といわれる行為に対する恐れがまだ残っていました。だから,たとえ年が上で,身体も漱石や篠本よりずっと大きい子どもでも,その子どもが町人階級であれば,士族のこともが刀の1本をちらつかせるだけで容易に懲らしめることができたのだと篠本はいっています。
 篠本は廃刀令の前後のこの時代には,士族の子どもが平民の子どもを抑圧する度合いが甚だしかったといっていました。これはその一例であるとみることができるでしょう。そしてその背景として,単に士族の子どもが平民の子どもに対してもっている意識だけが作用したのではなく,一般に町人の子どもが士族の子どもを恐れていたという事情も作用していたのです。

 12月25日,金曜日。換気扇の交換の工事の日でした。これまで使用していたものを取り外し,新しいものを設置するというのが作業の過程で,工事が始まったのは午前9時。概ね1時間半ほどですべての作業が完了しました。請求書はこの工事の後で受け取り,この日のうちに口座に振り込みました。224000円でした。
 12月28日,月曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。この日が妹の2020年の最後の作業の日でした。ですから週末は迎えに行かず,この日に迎えに行って,年末年始は家で過ごせるようにしたものです。
 1月4日,月曜日。この日は妹の2021年の始業の日でした。なのでこの日に妹を通所施設に送りました。
 1月6日,水曜日。O眼科網膜症の検査に行きました。目には変化はなく,異常はありませんでした。帰りがけに同じビルの同じ階にあるI歯科に立ち寄り,歯科検診の予約を入れてきました。I歯科では患者の重複を避けるという措置を採っていたため,わりと先の予約になりました。帰宅したのは午前11時55分でした。
 1月7日,木曜日。この日から関東地方の一都三県に2度目の緊急事態宣言が発令されました。このことについてはもうすでに記述しましたから,詳しいことは繰り返しませんが,この宣言自体は遅きに失したと僕は考えていますし,たとえ表面上のことであったとしても,外食することや旅行をすることを推進した政策については,誤りを認めるべきであったとも考えています。
 1月9日,土曜日。この日は土曜レクリエーションがありました。ですからこの週は妹を迎えに行っていません。また,緊急事態宣言の発令を受け,通所施設とグループホームの個別支援計画に,追加事項が発生しました。その書類はすでに受け取っていましたので,サインをしてこの日に郵送しました。サインをするだけであれば簡単で,郵送はすぐにすることができるのですが,僕はこの種の書類についてはよく読解してからサインをしますので,たぶんほかの人と比べると時間が掛かるのではないかと思います。
 さらにこの日の夕刻に,緊急事態宣言中の通所施設への出勤に関するお知らせが郵送されてきました。
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叡王戦&2020年12月の通院

2021-08-04 19:08:52 | 将棋
 甲府市で指された昨日の第6期叡王戦五番勝負第二局。
 豊島将之叡王の先手で角換り相早繰り銀。先攻した後手の藤井聡太二冠がその直後に新手を出す将棋。先手の準備不足もあって,後手有利で進展していきました。
                                        
 先手が3八に銀を打ち,後手が4七の龍を引いた局面。後手が攻め合っての勝ちを目指したので,一時に比べればだいぶ差は詰まっています。
 先手は☗4二歩☖同金としてから☗4五金と打ちました。これは飛車交換になった後で☗2二飛と打てるようにするためです。後手は☖5五龍☗同金と交換しました。
                                        
 ここで☖7八とと取ったのが最終的な敗着になったようです。☗4三歩☖同金☗2二飛以下の手順で後手玉は必至。この過程で後手は多くの持駒を入手しましたが,先手玉は詰みませんでした。第2図で☖8九とと桂馬の方を取っておけば,同じ手順で先手が攻めた場合,先手玉に詰みが生じていました。
 豊島叡王が勝って1勝1敗。第三局は9日に指される予定です。

 病院に到着したのは午後2時25分でした。中央検査室では採血を待っている患者はいませんでした。注射針の処理は採血をする部屋の横でできますので,その処理を済ませたらすぐに呼ばれましたので,採血をしました。採血が終った後で採尿をしました。この日は診察の予約は午後3時でしたので,すぐには内分泌科には向いませんでした。この場合は院内のコンビニエンスストアで週刊競馬ブックと缶コーヒーを買い,コーヒーを飲みながら週刊誌を読んで時間になるまで待つのが通例です。もちろんこの日もそのようにしました。
 診察が開始になったのは午後4時でした。HbA1cは7.6%で,11月より高くなっていました。もっとも,前回の診察では,朝食前に注射する超即効型のインスリンの量を0.01㎎減らしたわけですから,それに伴ってHbA1cが上昇するのは当然のことといえます。この減少という措置を作用したのは,昼食前に低血糖を発症するケースが多かったからですが,それは0になっていました。つまり減量した効果はあったということです。HbA1cも問題視しなければならないほど上昇したわけではなかったので,注射の量は変更せず,前月に決定した措置を継続することになりました。
 この日もこれ以外には何も異常が出ていませんでした。これは2ヵ月連続です。
 この診察が2020年の最後の診察になります。何度かいっているように,僕の自己管理ノートは1月から始まって12月に終わるようになっています。なので新しいノートをもらいました。
 帰途に薬局に寄りました。インスリンも注射針も在庫がありました。この日は診察の開始時刻が遅くなりましたので,帰宅したのも午後5時10分と遅くなりました。
 帰宅後,午後5時40分に,通所施設の妹の担当者から電話がありました。妹が椅子に座ろうとしたところ,ほかの利用者がいたずらしてその椅子を引いてしまったため,妹は尻餅をついてしまったとのことでした。念のために地域担当支援主任のSさんに病院に連れて行ってもらい,異常はなかったという旨の報告でした。僕はこのようなことはあり得ることだと思っているのでさほど気にしません。
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非合理的なこと&通院の間隔

2021-08-03 19:13:38 | 将棋トピック
 三浦九段が対局においてコンピューターから指し手の援助を受けることは,きわめてリスクの高い行為であって,実際にそれをするとしたら著しく不条理なこと,あるいは同じことですがきわめて非合理的なことをしていることになるということを,僕は第三種の認識cognitio tertii generisとして認識しました。ただしこのことを現実的にあった疑惑に対して適用する際には,注意しなければならないことがあります。
 第三種の認識は直観scientia intuitivaといわれるものですが,それ自体が論証Demonstratioを含んでいるので真の認識です。だから僕が認識した事柄が十全な観念idea adaequataであったことは間違いありません。同様に理性ratioによる認識,すなわち第二種の認識cognitio secundi generisもまた真の認識です。だから再構成という方法であるとはいえ,第三種の認識で認識した事柄について,それを第二種の認識に基づいて説明するということが,一般的に可能になるのです。そしてこの方法によって説明すれば,僕が第三種の認識で認識したことが真verumであるということ,あるいは十全adaequatumであるということは,だれにでも理解してもらうことができるのです。いい換えれば,僕が処分の発表を知ったときに,第三種の認識によって認識したことが,十全な認識であったということは,すべての人に理解してもらえたでしょう。
 ただし,僕が認識したのは,三浦九段あるいは三浦九段と同じ程度の実績と棋力をもつ棋士が,コンピューターの援助を得て対局を行うということは,きわめて非合理的で不条理だということなのであって,三浦九段がそれをしなかったということではないのです。もしこのふたつの事柄が同じ意味をもつのなら,三浦九段はきわめて非合理的で不条理なことをしないということが前提されなければなりませんが,この前提が真であるか偽falsitasであるかといわれれば,それは偽なのです。このことは一般論から帰結します。つまり,現実的に存在する人間はきわめて非合理的なことをなさないとか,現実的に存在する人間はきわめて非合理的であると確知している事柄をなさないといった言明は,いずれも偽なのです。他面からいえば,それがどんな非合理的なこと,あるいはそれはきわめて非合理的であるということを知っている事柄であったとしても,人間はそれをなす場合があるのです。
 よって,現実的なある事象について,このことを適用して何かを考えるのなら,与えられた条件についてさらに吟味する必要があります。よって僕がどのように吟味したのかも説明しておく必要があるでしょう。

 12月16日,水曜日。新しく設置することにした換気扇の見積もりの日がこの日でした。どのタイプのものを設置するのかを決定し,施工の日時もこの日に決定しました。支払いの方法についても尋ねましたが,これは口座振替にしてほしいとのことでした。口座振替にすると手数料が必要になりますので,僕は現金での支払いの方がよかったのですが,口座振替のみでしたので,これは仕方がありません。
 12月17日,木曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
 12月18日,金曜日。妹の本牧脳神経外科への通院でした。この通院がありましたので,この週は木曜に妹を迎えに行ったのです。この日は診察をして,処方箋を出してもらっただけでした。
 12月21日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
 午後は内分泌科の通院でした。
 内分泌科の通院は,現在は概ね1ヶ月に1度の頻度になっています。11月の通院は30日でした。僕の通院は,必ず月曜日です。1度だけ木曜日に通院したことがありましたが,これは月曜日に患者の数が多くなってしまい,やむなく木曜日に振り分けられたものであって,例外です。12月は28日が最後の月曜日で,みなと赤十字病院はこの日までは平常の診察を行っていましたので,11月の通院からの間隔だけでいえば,28日になるのが自然でした。実際に次の通院の日は,診察の最後に主治医と相談して決定するのですが,11月のときにはまず28日を打診されました。しかし28日は,妹の冬休みの開始の前日だったので,冬休みを家で過ごさせるために妹を迎えに行くことになっていました。なので僕の方から1週早めるように依頼し,この日の通院ということになりました。
 月曜日は,それが平日,つまりみなと赤十字病院で通常の診察が行われる日で,妹が家にいる場合は,午前中は妹を通所施設に送ることになります。僕は妹の送迎にはバスを使っていますが,通院の日は帰りは電車を使います。電車を使った方が少し早く帰ってくることができるからです。
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他人の協力&使用上の注意

2021-08-02 19:24:35 | 哲学
 個人の自然権だけを考慮に入れる理由を簡単に説明しておきます。
 僕は,人間の自然権jus naturaeというのを,人間のなし得ることと規定します。そこで,現実的にAという人間がいて,ある事柄,たとえばXについて,それをAがなし得ないと仮定します。このとき,XはAの自然権には属しません。しかしもしもこのときにBという別の人間が現実的に存在していて,AはBと協力することによってXをなし得るのであれば,このときにはXもAの自然権に属すると僕は考えます。つまり,Aがただひとりで存在しているときにはAの自然権には属さなかったXが,Bと協力することによってAの自然権に属すると僕はいうのです。人間についていわれる自然権が,人間のなし得ることであると規定する限り,このようにいうことは不条理ではないということは分かると思います。
 この場合はAとBのふたりだけですが,一般に人間は,より多くの人間と協力することによって,ひとりではなし得なかった多くの事柄をなし得るようになります。したがって,より多くの人間と協力することによって,ひとりの人間の自然権の拡張という事態が生じるようになります。これはこれで,たとえば社会societasとか国家Civitasというような組織が成立することを説明するためのモデルとなる考え方なので,重要な観点ではあります。一方でその場合,人間は他者と協力するために,自身が有している自然権の一部を放棄するという事態も生じ得ます。自身があることをなすことによって,他者からの協力を得られなくなるよりも,自身が一部の自然権を放棄することによって他者の協力を得られるようにする方が,その人自身の全体の自然権は拡張する,つまりその人自身のなし得ることが増加するのであれば,そちらを選択する方が合理的であるからです。ですから他者からの協力を得るために,必然的にnecessario自然権の一部を放棄する場合があるのです。
 僕がまず個人の自然権から考えるのは,このような他者の協力というのを排除した自然権について考察するためです。なので他者との関係の上での自然権は考えず,単に個人の思惟作用あるいは身体corpusの運動motusとしてのみそれを考えます。

 この日にO眼科に通院した本来の目的は,眼鏡の処方をしてもらうことでした。これは事前に予約が必要で,予約は午後3時でした。開業医ですから予約の重複はありません。ですからこれは時間通りに開始されました。しかしどんなに矯正しても視力が0.3ほどであったため,視力低下の原因は別にあるかもしれないということで,検査が必要になったのです。これは検査ですから,僕の網膜症の検査と同様に,順番を待たなければなりません。そして白内障を発症しているということが判明したのですが,その後に散瞳をしての検査もしました。瞳孔が開くまでは待たなければなりませんし,瞳孔が開いても,さらに順番を待たなければなりません。ここの眼科は混雑しているというのが日常でしたから,とても時間を要しました。さらに薬局に寄って,目薬を処方してもらわなければならなかったのでなおさらです。僕たちが帰宅したのは午後6時25分ごろでした。
                                   
 12月12日,土曜日。10日に電話があったように,この日がピアノのレッスンでした。この日は午後2時の開始でした。
 12月14日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
 通所施設に送るときは,施設の建物の玄関で,妹の通所施設の担当者が来るのを待ち,来たら連絡帳など,必要なものを渡します。しかしこの日は,目薬について伝えなければならないことがありましたので,地域担当支援主任のSさんを呼んでもらいました。点眼薬は1日に4度の使用ですが,そのうちの3度はグループホームで使用することになりますし,塗布薬も就寝前に塗るので,同様にグループホームで使うことになります。なので使用するに際しての注意事項は,通所施設の担当者に話すだけでなく,グループホームの職員に伝えてもらわなければならなかったからです。また,妹の視力が白内障によって低下しているという点についても,話しておかなければなりませんでした。
 塗布薬は,塗った後で1分ほど目を閉じている必要がありました。でも妹はうまく目を閉じ続けるということはできません。なので塗布後に,手で左目を軽く押さえてあげてほしかったので,その点もこのときに伝えました。
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