書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

コーンクリーム。

2011年10月05日 23時37分36秒 | 日記
 寒くなってきたからインスタントのコーンスープがおいしそう。

 あったかいものが飲みたい。飲もうと思えば飲める、これが幸せだとは多くの人は思わないかも知れない。

 平凡で、つまらないことだと。

 でも、アフガニスタンの山の中だと、一日中日干しレンガを作って小麦粉コネて焼いただけの食事しかできないことを考えれば。これはとても幸せなこと。

 本当の幸せっていうのは、幸せの一つ一つを幸せだと感じられること。

 それが感じられない奴は麻薬だの詐欺に手を出すことになる。それこそが本当の不幸というもの。憐れというもの。

 当人にはそのことがわからないんだろうね。

 他人を騙したり、搾取したりすると、相対的な利益は感じられるだろうね。でも主体的幸福にはならない、本当の心は満たされない。

 騙し合いとか搾取が横行する社会があなたの望みですか、そういう社会で生きていきたいですか。

 だから、公益倫理的な自律判断っていうのは、結局究極の利己的判断に基づく選択なんですよ。

 こういうことは意識から外して生きていた方が、何も考えずにいられるので、その場限りには「楽。」なんでしょうね。でも自己の良心が痛むので酒だのタバコだの麻薬をやっていないといられなくなる。

 無意識に何かをしていないと不安。

 それが心に余裕がないってこと。だから一生懸命他人に「余裕だぜ。」とか主張したがる。

 本当は楽しいことっていうのはギリギリだから楽しいんですけどね。だから「余裕だぜ。」ってのは他人からの見た目に対する強迫観念で無意識に言っているだけなんですけどね。

 本当に楽しいことって「うひゃー、難しいっ。」ってことなんだけどね。

 難しいことが楽しいっていう感覚は、楽しんでいる当人にしかわからない。だから、他人が楽しそうにやっているのを、その場限りに真似しても楽しいとは限らない。

 「何をしていたら楽しいか、それは実際にやってみるしかない。」(by:小柴昌俊)

 楽しいことがあれば、それを続けられるように社会全体の安定も求めるようにもなる。その結果的な公益倫理的自律判断が、当人の仁徳となる。

 理屈で言えば簡単なこと。

 難しいのは自分の無意識的な強迫観念を捨てること。そのためには認知行動療法とかに頼るのも良いかもね。

 自分が変われば、自分が認識している世界自体も変わる。

 今の自分が認識している世界が世界の全てだと思ったら、実は大間違い。

 だけど、多くのヒトは今の自分が変わることが恐い。服役しているヤクザが「俺は今までずっとヤクザで生きてきた。」なんていう言い逃れ、取り繕いをしているけど。要するにヤクザをやめるのが恐い。バカにされるんじゃないだろうかとか、他人の目が恐いから変われないだけなのでした。

 何の話だっけ。あ、コーンスープの話だった。サックサクのトーストつけて食べたい。

 でわまた。
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君主論。

2011年10月05日 22時02分48秒 | 意識論関連
 ニッコロ:マキャベリ外交官の著作

 当時は軍事防衛なんていう暴力支配の時代の実務的合理性を述べた話ですからね。いわば「現場の正義。」が含まれますから冷酷なのは致し方ありません。

 「現実主義。」っていうのは、実務的な「現状。」への対応が含まれます。マキャベリを弁護するつもりではありませんが、人間としてかくあるべきかについてもマキャベリは論じてはいるんです。ただ、現実(現状)的ではないって話ですね。自分一人なら理想を追求することも重要でしょうけど、君主としては多数の部下や領民の命までは賭けるわけにはいかないですから。実際マキャベリはそれで一度失脚してますからね。

 軍事なんていうのは「人間。」のやることではないんです。それでもやらないといけない状況における実務上での話がはいりますから、「時代。」には逆らえないわけです。でも。時代とか運命の変化に「備える」ことはできる。そこに冷酷さが伴うのは不思議ではない。

 結局マキャベリは、自分自身の個人的「魂。」なんぞよりも、平和でない社会になど結局は自分が生きて行く意味が感じられなかった。そういうことなんだと思うんですけどね。

 実務的には北朝鮮に理想を説いたって無意味でしょ。そういうことなんだと思うんです。

 君主の威厳なんてものを必要としたのも、ヒトという種の生物として民衆を扱うための生物学的な結果論に基づいた話からすれば、一面的には「合理的。」ではあります。

 徹底的に理想だけを説けば、北朝鮮相手に無防備に防衛なんぞしないということになるわけですが。実務的にはそうはいかないわけです。

 本当なら不審船に20㎜機関砲をぶちまけるなんてやってはいけないことなんですよ。洗脳されているとはいっても人が乗っている船なんですからね。

 とかくマキャベッリは冷酷な実務部分ばっかり取り上げられがちですけど、その行動の根底には理想に近い平和な国を作りたいという願いが込められているわけです。ですから文章として考えを残しているわけです。単なる理想もすったくれもない奴なら、論文なんていう面倒臭いことなんかする必要なんてないんですよ。その場限りに世渡りさえしてりゃいいんですからね。

 一貫した考えに基づいて、平和を維持するためには、一見冷酷なことも言わないといけないわけです。嫌われるようなことも言わないといけない。

 大衆にウケの良い話だけ並べて人気取りをしていた方が得、オイシイわけです。だから君主論っていうのは自分自身が権力を得るための短絡的手法を述べているわけではないのです。大衆が権威に従順性を発揮するという「習性。」について論じていることも、一面的には合理的であり、未だに生物学とか文系の者なら科学的であると言い張っているくらいですからね。

 でも、君主論の全てが理想を論じているわけではありません。あくまで当時の時代的背景における実務的で一面的合理性も多く含まれているわけですから、きちんと区別しないといけません。この点においてはイスラム教の教典クルアーンも、時代背景を無視して原理主義に走ることは、結局真意としての「平和。」を逸脱することになってしまうことと似ているかも知れないです。極端かな。


 おいらが言いたいのは、とりあえず現状としての「変えられない現実。」については一面的な合理的対応も致し方ないわけですが。これからの社会、世界そのものは絶対不変なものではないわけですから、どう変えるべきなのか、何が変えられるのか、どうすれば変えられるのか、そこに「意識。」を持っていなければならないってことです。

 振り込め詐欺師が論文なんて書きますか、ヤクザが論文なんて書かないでしょ。最初から一貫した理論なんてないからです。

 普通の一般人は養老孟司とか読んで、頭が良くなったとか勘違いする。茂木健一郎の暗記術で頭が良くなったと思い込む。そこには自分自身の頭の悪さには触れていませんから、気分良くバカになることが簡単にできるわけです。マスコミも視聴率が稼げれば無責任に垂れ流す。

 誰にも意識が働いていない状態こそが、本当の洗脳状態なんです。それで良いわけないでしょ。

 ナチス政権下のドイツ人の多くも、「その当時にはわからなかった。」と言います。それでいいんですか。バカのままで良いんですかって話ですよ。それが認知症患者にとって厳しいとか冷酷とか言われても、振り込め詐欺に引っ掛かってしまってから冷酷だのすったくれだのという話はどうでも良いことでしょうが。気分が良ければどうなっても良いわけではないでしょってことです。

 こういう話をしていると面倒臭くなってきますね。ウンザリです。

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東京写真。3

2011年10月05日 15時49分39秒 | 写真
 くもじいがこんなところに。

 環状八号線と目白通りの交差点近く。

GoogleMap

 環状八号線。笹目通りとの分岐付近。
GoogleMap

 東武東上線上板橋駅のホーム終端部分。

GoogleMap

 ここから「東京写真」とか言いながら、埼玉県朝霞市近辺に迷い込みました。

 滝坂とかいう物凄い急な坂道の途中に涌き水が。
 
 ここだけが日本庭園っぽくなっていて、ちょっと違和感。

GoogleMap:滝坂 takizaka

 東武東上線の引き込み線。

GoogleMap

 谷中というと、東京の谷中、根津、千駄木を思い出しますが。全く無関係です。「隧道:ずいどう」とかかいてあるので、古いトンネルなのかと思ったら昭和60年なので普通でした。水の音がジャバジャバ響いていて、冠水しないのかと心配になります。
 
 隣には跨線橋、横から見るとたいした坂には見えないかも知れませんが、自転車で上がるのはとんでもなくしんどかったです。

 越すに越されぬ越せん橋。橋の上で思いついたので言ってみたかったのです。
GoogleMap:谷中 *地図上では普通の道路みたいに書いてありますが、自転車でも通れない地下道です。



 台地のへりに出ました。
GoogleMap


 完全に迷いました。どこ?ここ。



 遠くに大きな橋みたいなものが見えます。多分外環自動車道なので、あっちに向かえば荒川河川敷まで出られるのかな。

 
 人工の光と自然光が交わる時間帯が大好物なのです。

GoogleMap


 やっと荒川河川敷に戻れました、って言いたいところですが。実際にはこの写真は後日撮影したもので、当日は荒川河川敷に戻れた時には真っ暗闇でした。

GoogleMap

岩淵水門の近く。

 ちなみにGoogleMapのURLの後半部分は緯度経度地図の倍率が書かれているので、これを書き換えることも可能です。最後の2桁の数字を英数字半角で書き換えれば表示倍率を変更することができます。緯度とか経度はGPSとかがないと変更は難しいかな。

http://map.ultra-zone.net/g/35.804520/139.612930/17"


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スマートフォン版。

2011年10月05日 13時41分51秒 | 日記
 以前から気になっていたんだけど、このブログのスマートフォン版ページだと、goo地図をクリックしても地図が表示されない。



 まだgoo地図自体がスマートフォンに対応できていないのか、それでもPCページを表示しても良さそうなものだけど、全く意味不明なページに飛ばされる。

 こういうことはgooブログの事務局に要望すればいいんだろうけど、どこをクリックしたら要望できるのかを探し出すのも面倒臭いので、直接ブログに書いてみた。

 PCページであればgoo地図へのリンクは作動するので、切り替えてもらえばgoo地図は見れるはず。それでもダメな場合を想定してGoogleMapへのリンクも設けてあります。

 gooブログはNTT系なんだから、Android対応はきちんとしてもらわないとね。

 それともgoo地図をブログに貼る人って極端に少ないのかな。それでスマートフォン版ページでgoo地図が動作しないことが発覚していないとか?。

 ああ、そういえばgoo地図貼ったブログって見たことないや。やっぱ使い方ややこしいんだろうな。もしかするとそのうち使えなくなったりして。
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レンズの水滴。

2011年10月05日 13時06分30秒 | ネタ帳
 いましがたNHKの「ひるブラ。」っつう番組で、雨の宮崎から生中継をしていたんだけど。カメラによっては寒さと湿度でレンズが曇ってしまっていた。

 確か窓ガラスの表面に二酸化チタンだかを真空蒸着させると、雨粒などの水滴がガラスの表面にまんべんなく拡がる「超親水性。」とかっていう性質によって、水滴にならないっていう話を聞いたことがある。

 しかも、この二酸化チタンの膜には光触媒とかいう性質も兼ね備えていて、ガラスの表面にくっついた汚れ成分が、太陽光によって分解除去されるんだとか。

 それとは別に、キヤノンの一眼レフカメラのファインダーに取り付ける「アンチフォグアイピース。」とかいう部品は、ガラスの表面に特殊な樹脂をコーティングすることによって、低温高湿度下でも曇ることがないようになっているんだそうです。

 ペンタックスのレンズの一部には、汚れが付きにくいコーティングを施したものもあるらしいけど、水滴が付かないとは書いてない。

 レンズ用のフィルターで水滴が付かないとか曇らないといった機能があれば需要はあると思うんだけどな。

 そういえばNHKが水滴対策でいろんな機材を作ったっていう話をどっかで聞いた記憶があるけど、どうなったんだろう。

 ◇ んでもって調べてみたんだけど、二酸化チタンのコーティングをしても紫外線が当たらないと超親水性は発揮しないんだそうです。

 ま、でも紫外線くらいはLEDだって照射できるんだから、商業用として二酸化チタンコーティングのフィルターと紫外線照射装置のセットで商品化すればいいのにね。

 あちこち読み散らかしてみたんだけど、二酸化チタンは真空蒸着ではなくても良いらしいですね。既存の建築物の外壁とかにもコーティングができるらしいので、自作するのも簡単なのではないでしょうか。
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