書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○野町 和嘉。

2019年01月06日 12時53分17秒 | 日記
野町 和嘉という写真家さんが撮ったアイスランドが凄い



銀座のギャラリーは展示期間が終了しているんだけど 名古屋と大阪を巡回するそうだ

品川のオープンギャラリーは2月4日まで展示しているらしい

あと カメラ屋で数量限定の17作品が掲載されている豪華無料パンフレットも配布していた

このテの写真ってあんま興味なかったんだけど これは迫力が凄いよ



 ◇追記:大きめの写真が掲載されているページもある

EOS-Rシステムスペシャルコンテンツ「地球創成」 -Canon

 ◇追記2:米美知子の無料パンフレットもあったんか





Ende;

○生物学界の腐敗。(特に京大)

2019年01月06日 00時11分41秒 | 意識論関連
人間としての社会性とは何かと言えば それは自律的な社会的責任判断を行えるかどうかである

それを抜きに人間性を論ずることは出来ない

人間としての社会性には「自律」が絶対条件であり これに対して先天的本能習性というものは環境依存性から逃れることは出来ないものであり よって「先天的本能習性から人間としての社会性を立証すること」は構造原理的に絶対に不可能なのである

人間性とは何かを理解していないバカ生物学者が人間としての社会性について論じること自体が「一桁の足し算も出来ない奴が高次の方程式を解くようなもの」であり あまりにお粗末で話にならない

もしヒトという種の生物に先天的に人間性が組み込まれているとすれば それは環境条件に左右されずに常に絶対に自律的な社会的責任判断選択を行わなければならないが それなら最初から立証するまでもなく常に自動的に人間性が発揮されるわけで いちいち論ずる必要すらないことになる

だが 現実にはヒトでありさえすれば人間性を発揮出来るわけではなく 無責任に無駄な因習を繰り返して満足しているだけの凡人が大半を占めており 到底ヒトという種の生物に普遍的に人間性が組み込まれている論証など全く成立しないのである

歴史上幾多の残虐行為を繰り返してきたヒトという種の生物に「先天的に人間性が組み込まれている可能性」を主張するのは 客観性を著しく欠いたフィクションお伽話としか言いようがない

松沢哲郎の文化功労賞の選考を一体誰が行ったのかは知らないが 現状の生物学権威達の大多数が間違った前提に基づいた論証を鵜呑みにしている以上 生物学界の多数決など「バカの民主主義」的議決にしかなっていないのである

それは ジャレド:ダイアモンドのピュリッツア賞も同様であり 到底科学的業績にもなっていないのである

ジャレド:ダイアモンドの言っている内容というのは 論理整合性がなく 論理的精密検証が全く行われておらず 単に大量の知識をひけらかして大衆人気を得ているだけの詐欺ペテンでしかない

この種の詐欺ペテンは養老孟司で大衆の多くが散々カモられているにも関わらず 大衆の多くは一向に自分達の頭の悪さの原因を自覚せず 何度も似たような詐欺ペテンを科学的業績か何かと勘違い妄想して騙され続けるのである

マイケル:サンデルがやたらと用いたがる「トロッコ問題」の中には 人間としての倫理の本質が含まれていないことに誰も気づかず ただ提示された答の出しようのない(というか答が出せないように制限された)命題で気分的に「悩んだ」ことを あたかも「深く考えた」かのように勘違い錯覚して その上その勘違い錯覚で「自分は深く考えたので頭が良くなった」と勝手に錯覚し マイケル:サンデルに「今日は有意義な議論が出来ました」などという「おだて」を鵜呑みにし 実際には何の意味もない議論には意味があったと錯覚し 更には「自分の頭が良くなるよう導いてくれたマイケル:サンデル先生」などと崇めたて 盲目的に信奉するようになるのである

気分が良くなるよう誘導されると ヒトの多くは自分が「賢くなった」と思い込み 自分を賢くしてくれた相手を好きになり 何の疑いも持たなくなるようになる これが洗脳の基本構造である

「ハーメルンの笛吹き男」というお伽話は 実際にドイツのハーメルンであった事件に基づいて書かれたものだそうで ヒトという種の生物は 簡単に洗脳される習性(欠陥)が先天的に組み込まれているのである

ヒトという種の生物は 先天的に権威を盲目的に信頼し 服従することで統率的な協調性を発揮する習性があり この習性が生存価にとって有利だったという結果 ヒトは簡単に洗脳されるという欠陥の原因にもなっているのである

洗脳状態の最大の問題点は 自律的に物事を検証しなくなることで 社会的責任判断力をも喪失することである



権威の正体とは何かと言えば 集団組織的な協調性を発揮する際の服従対象を権威と位置づけているのであり 別に権威というもの自体は科学的には証明不可能なのである

世間一般では「科学的権威」などという形容詞が出回っているが これは「科学界における多数決」などで世間的に承認されているに過ぎず 生物学界のように論理整合性や検証性が著しく欠落した組織における多数決など科学的には何の価値もないのである

科学は本来多数決ではない 論理的に正しいかどうかが重要なのである

従って単なる生物学界における多数決で承認されている権威肩書というのは 別に科学的根拠に基づいているわけではなく あくまで大衆観念的な形容詞や組織運営上の役職に過ぎないのである

ヒトという種の生物は その先天的習性として常に絶対盲目的に信頼しておける「権威」が存在していると気分的に安心満足することが出来るように出来ている

だからこそ実証不能の神という絶対的権威を信じておくことへの異常執着が生ずるのである

これは 一種の中毒である

疑う必要のない絶対的権威を盲目的に信頼することで 自律的に論理検証するという社会的責任を放棄出来るとでも思っているのであろう それはただの幼稚な無責任に過ぎない

そもそも「感じる」とは主観であり 何ら客観的論証にはならないのだが ヒトの多くは個人的主観であっても多数抽出してくれば客観的な普遍性の論証になるとでも思っているフシがあり 偏った論証の多数抽出だけで「神には進化的意味がある」などという こじつけによって あたかも宗教には絶対的存在価値があるかのように論証したがるのである



ヒトの脳の左側頭葉の一部に磁気刺激を与えると神の存在を「感じる」ようにもなるという

これは ヒトという種の生物には先天的に盲目的信頼服従対象を持つという行動バイアスが大脳の一部にコラムとして組み込まれているからであり それを「神聖」だとか「尊い」などと主観的に形容したところで客観的事実の論証には全くならない

ヒトは哺乳類であるため 産まれて来たらとりあえず親などを信頼し服従しなければならない

説明の便宜上「しなければならない」とは書いたが 別にしなくても構わない しなければ死ぬだけであり 親を信頼し服従しない性質を持った個体は自然界では淘汰の対象となり 生物種として存続しないだけのことである

生存であろうと別に生物の目的ではないからである

ヒトが生物として存続するためには 親を信頼し服従する行動バイアスが先天的に組み込まれている方が生存価にとっては有利だからこそ ヒトの子供は親に依存し 信頼し 服従するように進化(変異)したのである

そして こうした行動バイアスというのは大人になるに従い親以外の集団組織の内部に服従対象が転移することにより 集団統率的協調性の源ともなるのである

だが こうした集団統率的協調性というものは あくまで上下関係を伴う封建的なヒエラルキーによって促されるものであり そこに個人の自律的な社会的責任判断も 個人の尊厳も必要はない

だからこそ暴力団やテロリスト達は強力な統率協調性を発揮することで残虐行為に邁進することが可能となるのである

軍隊というのは その組織内部において絶対的服従を強要し それによって強力な統率協調性を発揮出来るわけだが それゆえ戦争などというバカげたことに使うには便利だが アブグレイブ捕虜収容所のような虐待も簡単に起きるのである

これは 兵隊に自律的な責任判断力がほとんどないから起きる事象であり これが東京電力社内では原発の津波に対する脆弱性放置の原因ともなったのである

企業における粉飾決算などの偽装工作が組織的に可能なのは 組織を構成する個人に自律的な社会的責任判断力が著しく欠けているからである

子供達の集団だけで放置しておくと 自動的且つ普遍的に差別やイジメの発生が見られる これは集団内部において服従する対象が幼稚な基準で選抜されることで生ずる統率協調性の暴走である

ヒトは集団になると 他者との間に上下関係を決定したがる性質がある これは服従対象を決定することで気分的に安心したいからであり 「誰が一番偉い」のかが決定していないと気分的に不安になるという先天的行動バイアスが働くからである

だが 子供の幼稚な価値観では暴力的で偉そうな相手に逆らうことを嫌い むしろ率先して暴力的な相手に迎合同調して加害者に回った方が得であるという姑息な発想によって 差別イジメは加速度的に過激化するのである

被害者にならない最も短絡的な方法は 加害者にまわることだからである

だが ヒステリックに怒鳴り散らすような面倒臭い相手に対し 理性的説得は簡単ではない だから簡単な選択に安易に流れるのであり そこに社会的責任云々といった人間性や倫理モラルが働くには強靭な自律判断力が不可欠である

環境依存性に左右されるような先天的な行動習性で人間性や倫理が立証出来るかも知れないなどという およそ科学的には立証不可能な話を鵜呑みにしているようなバカだからこそ 自律判断力が著しく欠落しているのである



先天的な習性であるならば その行動には快楽を感じることで行動を促されなければならないのだが むしろ洗脳などによって権威の言っていることを鵜呑みにし 自律的には一切論理検証をしなくなるバイアスしか現実には存在していないのである

自律的な社会的責任判断選択に快楽が伴うメカニズムはなく 東電社内で多数派が作り出す組織体質に逆らって原発の津波に対する脆弱性を主張し続けることは非常に精神的困難を極めるのである

子供のイジメにおいても 差別イジメを止めることに快楽が伴うことはなく むしろ暴力的多数派に逆らうことのリスクによる不快感の方が圧倒的に強いからこそ 放置しておくとイジメは過激化しかしないのである

それでもなを「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ」などと言い張るのであれば それはもはや脳の論理思考能力が崩壊しているのである

ナチスやポルポトにせよ ISILにせよ 歴史上無数のヒトによる残虐行為の全てを 先天的本能習性によって反証なんぞ出来るわけがないのである

ヒトであれチンパンジーであれ 特定の実験環境下における断片的な行動結果だけを抽出してきても 既に無数に起きている非人道的行為の全てを反証し否定することなど論理的に絶対に不可能であり

むしろヒトという種の生物には先天的に盲目性や差別迫害暴力の性質が存在する客観的事実から目を背けることは 極めて無責任な人間として最低の行為であることを認識すべきである

それに対して京大学長の山極寿一は「人類の0.02%しか戦争をしていない このことを知れば戦争は無くなる」などというおおよそ論理的根拠の全くない無責任な嘘で大衆人気を得て 権威面をしているという傲慢さを発揮しているのである

これは極めて無責任な大嘘であり この大嘘に気付かない大多数の大衆やマスコミも頭が悪すぎて話にならない

京都大学からノーベル賞受賞者が出ているからといって 短絡的に「京都大学の学長が科学者として優秀である」ことの論証には全くならないし むしろ山極や松沢はノーベル賞受賞者の面汚しにしかなっていないのである



NHKの「ダーウィンがきた」では 未だに「○○のために進化を選んだ」などという形容の仕方が続いているが これはどうも小笠原とかいう古参の制作スタッフが過去の業績を根拠に番組制作を主導しているのが原因らしい

ヒトは過去に業績がある人物に対して忖度(そんたく)する習性があり 組織内部で権威と見なされている相手には逆らわずに「話を丸める」ことで仲良く気分的に円満に仕事業務を進めようとする傾向があるが 科学的真理を目先の気分的安心満足で捩曲げるというのは 社会安全性の観点からは無責任極まりない手抜きとしか言いようがない

忖度などという気分が促すバイアスに流されているのであれば 東京電力福島第一原発事故における最も根源的原因である「個人による自律的な社会的責任」について語る資格もないのである



大衆の多くは犯罪者に対し「死刑にしちまえ」とでも怒鳴り散らしておけば その場限りに気分的安心を得て満足し それ以上の原因究明や再発防止について深く考えることはしないが

それによって似たような犯罪が繰り返している事実から目を背けているという短絡幼稚で無責任だという自覚は一切ないだろう

自律的な社会的責任判断力が どのように喪失され また どのように形成されるのかを具体的に検証するためにはそれなりに長い時間が必要であり 始めるのに「手遅れ」はあっても「時期尚早」などあり得ないのである

理論的な構造原理自体は既に明らかではあるが 具体的な成育過程や教育過程の関与は非常に複雑で簡単ではない

ましてや温室効果ガス削減などというのは個人の自律的な取り組みがなければどうにもならないものであり これに関しては一秒足りとも無駄にする時間的猶予などないのである

生物学界の腐敗体質を放置し 体制維持に荷担している暇など人類には残されていないのである

それとも本庶佑や山中伸弥までもが理解していないというのであれば もはや救いようはない

それが原因で回避可能性のあった危険まで回避出来なくなっても

それは私の知ったことではない

それは私の責任の範疇ではないからである



Ende;