書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○ひょっこり。

2019年01月21日 19時06分33秒 | 写真
月の出の時間を過ぎたのに月が見えなくて

探したらビルの谷間からひょっこりはん

肝油ドロップ感が…

そこから出るか


狭いよ (*_*;)




Ende;
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○葱を背負う。

2019年01月21日 13時55分03秒 | 意識論関連
頭で考えて合理的目的行動選択することは 遺伝的進化には影響がない

どんなに頭で考えても産まれてくる前に既に決定している遺伝子に影響を及ぼし 能動的に「進化する」ことなど原理的に不可能なのである

「頭が良いから 進化した」などというのは 科学的根拠のない大衆観念に基づいたデマに過ぎず 個体の頭の良さと遺伝的進化には相関関係がない

遺伝的進化というものは 結果的に死ななければ生き残るだけのことであって バカでも何でも死にさえしなければ生き残ることは可能であり ゴキブリでも何でも構わない

「生存」だの「種の保存」も生物の結果であって 別に合理的目的の論証には一切ならない

進化というものが能動的に選択可能であるならば 先天的遺伝疾患を説明することが出来ない



生存自体を目的にすり替えてしまうから「先天的に生存に適さない障害者は殺害してしまえ」という帰結が出てきてしまうのであり 単なる自然界の結果を絶対的な目的終着点だと勘違いしているから優生学などというオカルトが130年間も科学的理論であるかのように扱われ続けてしまっているのである

「死にたくない」というのは主観である 決して客観的論理性に基づいた人類の目的行動選択にはならない

「永遠に生きたい」とどんなに強く「思った」からといって その「思い」の強度程度は合理的目的行動選択の論証には全くならない

「種(遺伝子)を保存」とは言っても そもそも遺伝子を一切変えずに保存していれば進化にはならないのであって この時点で「種の保存」などというのは論理的に意味がない

生物というのは遺伝子が変異するからこその進化であって 「種の保存」などというのは遺伝的進化を促さず 「生物の結果」にすら適合しない

「自分が死んだ後にも子供が生き残れるようにしたい」という主観的な「願い」や「思い」というものの程度強度をどんなに多数派で共有しても 到底「生物の目的」であることの科学的論証には一切ならない

自分の遺伝子を受け継いだ直系の子孫が生き残れるというだけでは 本当の意味における人類の子孫にとっての幸福にはつながらず むしろ生存競争を激化させ殺し合いを助長することにもなりかねない

自分の直系の子孫でなくても そもそも全てのホモ・サピエンスはアフリカで産まれたたった一人の女性の子孫であり 誰の子供であろうと差別する必要性はないのである

たとえ永遠に生き続けられる技術が開発されたとしても パレスチナで赤ん坊が丸焦げにされていれば どんな高級な料理も味がわからなくなるものであり そこに本当の幸福など存在しないのである

人間としての本当の幸福とは 「人が人を殺さない社会」を作り出すことであり 平和で安全で持続可能性を持った社会であれば安心して死ぬことも出来るのである

「人が人を殺さない社会」を求めるという「幸福の追求」も主観であることに違いはないが 目先の欲望執着(中毒)を棄て 統合的視点という意識の広さなしに大局的主観にも至ることはない

誰かの無責任行為によって 子供が路上で血まみれになるような社会なら 何年生きても生きている実感も幸福も感じられることはない

単なる結果に過ぎない「生存」や「種の保存」を あたかも「生物の目的であることの科学的論証」だという大嘘を鵜呑みにするのではなく

「安心して死ねる社会を構築すること」こそを 人間個人としての目的にすべきなのである

「安心して死ねる」ことであっても主観であることに違いはないが この主観を持つためには目先の「死にたくない」だとか「自分の子供だけが生き残れる」といった利己的欲望を捨てるだけの意識の広さが必要である

福島第一原発の安全担当者がなぜ津波に対する脆弱性を放置したのかと言えば 「自分の家族の生活の安定のためには会社の上司の意向に逆らわずに迎合同調しておいた方が良かった」からである

その結果 福島を放射性物質で汚染し 現地住民の生活を根こそぎ奪ったのである

果たして 原発安全担当者達は 「安心して死ねる」であろうか 更に言えば「安心して生き続ける」ことすら失ってはいないだろうか

生存とは 生物の結果であって 決して人間としての幸福とは関係がないのである

本論では「生存自体に意義はない」と述べているが それは別に仏陀の言っていることを鵜呑みにして洗脳されているわけではなく「限りある人生を何に利用するのか」という考えに基づけば 自ずとあらゆる執着を捨てられる意識の広さを持てるようになるからである

人間の目的は「ヒト同士が殺し合いをしない社会を作ること」である 持続可能性や安全性の追求とは 宮沢賢治が述べた「世界全体が幸福にならなければ、個人の幸福も有り得ない」からであり これに疑問を持つこと自体が人間としての脳機能を喪失していると言わざるを得ない

たとえ永遠の生存が保証されたところで 地球の裏側で赤ん坊が丸焦げにされていたら幸福もスッタクレもあったものではない

パレスチナの女性救急隊員がなぜ自爆テロに走ったのか それは目の前で子供達が殺されることに耐えられなかったからである

イスラムの教えでは女性が戦闘に加わってはならないとされ 殉教者として「死後の快楽」が一切保証されていない

人間にとって最も大切なものとは何か 人間としての目的とは何か それを論理的に「考え」ずに目的行動選択など成立しないのである

ヒトという種の生物は 先天的に出来損ないであるため どうしても目先の執着(中毒)に意識を奪われ 統合的な広い視点に基づいた合理的目的行動選択を喪失する習性がある

教えられたことを鵜呑みにして盲目的に信頼するだけであれば 個人の自律的判断力など存在していないのと同義である

自分では何も考えていないにも関わらずに「自分は知的生命体だ」などと錯覚するのは傲慢と言う他ない

進化万能論者は「相対性理論であろうと アインシュタインでなくとも同世代の誰かが気付いたはずだ」などと論理的根拠もなく断言するが それならなぜ優生学に対する論理反証が130年以上もされてこなかったのであろうか

それは ヒトという種の生物が先天的にバカだからであり バカであることを気づくことが出来ない程にバカだから バカが治らないのである

ジャレド:ダイアモンドは「人類社会は少しずつ良くはなっている」と述べたが 今までの結果を抽出してきただけでは「人類社会は永遠に良くなってゆくものである」ことの科学的論証にはならない

多数抽出というのは統計的傾向性を証明することは出来ても 傾向性が絶対であることの科学的論証には使えないのである

人類は既に手遅れかもしれない問題も抱えており 「少しずつ良くなって」いただけでは間に合わない可能性も充分にある

「少しずつ良くなっている」などと言われれば バカな大衆は「何も考えなくとも自動的に良くなるんだな」と勝手に勘違いし 気分的安心満足感で勝手に思考停止に陥れるのであろうが

こうした思考停止こそが ヒトという種の生物に普遍的に見られる習性であり 先天的欠陥なのである

だから養老孟司なんぞに簡単に騙されるのである

養老孟司なんてのは「オレ様は科学的権威詐欺」みたいなものである

そりゃ振り込め詐欺にすりゃカモも良いところである



Ende;
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