書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○雰囲気もの。

2018年11月16日 22時26分53秒 | 意識論関連
ロバート:マルサスの人口論は二個の公準(前提?)からなりたっている。

第一は 人間の生存には食料は必要である。

第二は人間の情欲は不変である。



マルサスの第二の公準は間違っている

欲情 すなはち動物としての情動は ヒト以外では環境に依存し自律的には制御不可能であるが ヒトの場合はこの限りではない

利己的利益追求性においても 目先の利己的利益追求が原因で社会全体の持続可能性や安全性が損なわれてしまえば意味がなくなることを理解認識していれば 目的意識に基づいて利己的利益追求を抑制することは不可能ではないからだ

しかし 自律的な論理検証を伴う本質的な意識的目的行動選択が伴わなければ ヒトであろうと先天的で無意識な行動バイアスに流され 紛争や退廃を招くことは避けられない

重要なのは 自律的な論理検証性という本質的な人間としての意識であって 先天的な動物的行動バイアス(無意識)こそが これを阻害する最大の要因なのである

「先天的本能習性には抗えない」などと決め付け 自律的な論理検証に基づいた目的意識的行動選択を放棄するというのは もはや単なるワガママとか 寝言の類でしかない

それは本当は「先天的本能習性には抗いたくない」ことを正当化するための言い訳言い逃れはぐらかしゴマカシ嘘ペテンに過ぎないからである

中野信子が述べた「不倫はなくならない なぜなら先天的本能だから」という主張と構造は同じであり 論理的には立証不可能な「身勝手な決め付け」に過ぎず 何ら科学的には意味がない

役に立たない寝言でしかないのである

あらゆる本能習性や感情というものは 全て自己選択不可能な無意識であり 結果以上の意味はない

単なる結果を どんなに大量に陳列枚挙しても それが目的であることの論証には原理的にならない

先天的本能習性という無意識な結果に 無為に流されているから意識が働いていない状態だと言えるのである

自己選択不可能な先天的行動バイアスという無意識性から逃れ 意識的に合理的な目的行動選択を行って 初めて人間としての本質的意識なのである





結論から言えば ジャレド:ダイアモンドは意味のあることを全く言っていない

何の役にも立たない寝言を陳列しているに過ぎないのである

遺伝的進化というものが自分ではどうにもならない選択不可能なものであると言いながら 一方では「なぜこのような進化を選んだのであろうか」などという論理整合性のない話をし始める始末である

この時点でジャレド:ダイアモンドの言っている内容は科学から逸脱しているのである

論理整合性のない非科学的観念の陳列であっても ピュリッツア賞は獲得出来るらしい それは選考委員が論理的検証に基づいた科学的思考の出来ないバカしかいないからであろう

こうした不条理は日本の文化功労賞においても同様である

何やら問題解決の糸口を述べたかのような錯覚にさえ陥れば それが論理科学的(本当のところ どうなのよ的)に意味のあることであるかのように錯覚して 勝手に主観的感想として「素晴らしい」などと形容しているだけであって 本当は論理整合性がなく 役に立たないことには大多数の大衆マスコミは気づくことがない

ジャレド:ダイアモンドの言っている内容が 具体的に何かの役に立つのかと言えば 実際には役には立たないのである

論理整合性のない話である以上 これは本当のところ実際には使い物にはならないのである

ヘッド部分が固定されていないゲンノウで釘を打とうとしても使い物にはならない

外見だけどんなに「ゲンノウっぽい形」をしていても どんなに表面仕上げが凝っていても ヘッド部分が固定されていなければ釘を打つことは出来ないのである

論理整合性というのは 論の機能そのものである

ところが大衆の多くやマスコミというのは 外見的な雰囲気だけで評価し 内容の論理整合性についての裏付けは誰もしない

だから養老孟司なんぞを科学者や哲学者だと勝手に勘違いして有り難がることに陥る

それは 洗脳の基本構造そのものである



Ende;
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