リチャード:ドーキンスのお伽話は40年前に書かれたものだが具体的な内容は何もない
ヒトという種の生物が 集団組織の内部において 統率的な協調性を発揮することが生存にとって有利に働いたからといって これが短絡的に「ヒトの先天的人間性の論証」になど一切ならない
集団内部における他者に利益となる行動を採る先天的習性があるとしても それは振り込め詐欺集団内部でも働くものであり ISILの内部でも ナチス政権の内部でも働いたものであって
そもそも先天的本能習性というのは特定環境条件下においてのみ発揮される無意識な行動バイアスに過ぎず 倫理に基づいた人間性の根源である「自律的な社会的責任判断選択能力」として働く保証が何もないのである
遺伝的進化というものの結果だけを抽出して「進化の全ては常に生存にとって最適化される」と言い張る生物学の根本的間違いをドーキンスは認識しておらず 指摘も出来ていない
そもそも生存に適する行動の全てが常に人間性を伴う論理的証明もない以上 遺伝的進化によってヒトの行動の全てに人間性が発揮される証明には一切ならない
一面的 断片的 抽出的に利他的行動を立証しても ヒトの全ての行動に人間性が保証されたことには全くならない
遺伝的な進化のメカニズムというのは のべつまくなし変異した結果 大量の失敗(死滅)の果てに偶発的に「生存に適した」個体種が発生「すること」があるだけである
変異さえ繰り返せば必ず生存に適した進化が保証されているわけではなく むしろ膨大な失敗の屍の上に成り立つ過酷な自然現象に過ぎない
これを遺伝以外のヒトの文明知識に適用し のべつまくなし虐殺を繰り返せば自動的(自然)に人間性が組み込まれるかのように錯覚するのは 科学ではない
ヒトの多くはドーキンスのお伽話を読んで 気分的に安心満足し 「何も考えなくても自動的(自然)に人間社会は進歩するんだな」と勝手に妄想錯覚することで 無責任に思考放棄をするようになる
京大学長山極寿一による「戦争をしているのは人類のごく一部であることを知れば 戦争はなくなる」などという 論理的には糞の役にも立たない大衆迎合で人気取りが出来るのは ヒトの多くがバカだからである
京大霊長類研究所の松沢哲郎による「先天的な行動習性から 人間としての社会性が立証出来るかも知れない」などという最初から理論的には立証が絶対に不可能な非科学的予測をマスコミ大衆が鵜呑みにし 「出来たら素晴らしいですね」などというトンチンカンな感想を述べて満足するのも ヒトの多くがバカだからである
ジャレド:ダイアモンドによる「歴史の中で人類は 少しづつ良くなって来ている」などという結果だけを聞いて バカ学生の多くは具体的にどうすれば改善するのかを考えなくなる
これらは全てドーキンスのお伽話の延長線上にでっちあげられた「お花畑」妄想である
遺伝的な進化のメカニズムには 合理的な目的があるわけではなく偶発的な「結果」以上の意味はないからだ
人類の文明の進歩というのは 偶発的な「結果」の累積では促されることはなく
あくまで個人に自律的な論理検証(人間性)という本質的な意識 「目的」行動選択が伴わないことにはどうにもならない
そうでなければ遺伝的に変わることのない先天的本能習性に随って間違いを漫然と繰り返すだけである
ヒトという種の生物に普遍的に見られる先天的な欠陥というものを自覚認識し その欠陥に起因する過ちを繰り返さないための本質的知能が必要なのである
それは学力偏差値やクイズの正解率とは何の関係もない
学術論文での引用数や書籍の販売部数も同様である 「科学というのは多数決ではない」からだ
Ende;
ヒトという種の生物が 集団組織の内部において 統率的な協調性を発揮することが生存にとって有利に働いたからといって これが短絡的に「ヒトの先天的人間性の論証」になど一切ならない
集団内部における他者に利益となる行動を採る先天的習性があるとしても それは振り込め詐欺集団内部でも働くものであり ISILの内部でも ナチス政権の内部でも働いたものであって
そもそも先天的本能習性というのは特定環境条件下においてのみ発揮される無意識な行動バイアスに過ぎず 倫理に基づいた人間性の根源である「自律的な社会的責任判断選択能力」として働く保証が何もないのである
遺伝的進化というものの結果だけを抽出して「進化の全ては常に生存にとって最適化される」と言い張る生物学の根本的間違いをドーキンスは認識しておらず 指摘も出来ていない
そもそも生存に適する行動の全てが常に人間性を伴う論理的証明もない以上 遺伝的進化によってヒトの行動の全てに人間性が発揮される証明には一切ならない
一面的 断片的 抽出的に利他的行動を立証しても ヒトの全ての行動に人間性が保証されたことには全くならない
遺伝的な進化のメカニズムというのは のべつまくなし変異した結果 大量の失敗(死滅)の果てに偶発的に「生存に適した」個体種が発生「すること」があるだけである
変異さえ繰り返せば必ず生存に適した進化が保証されているわけではなく むしろ膨大な失敗の屍の上に成り立つ過酷な自然現象に過ぎない
これを遺伝以外のヒトの文明知識に適用し のべつまくなし虐殺を繰り返せば自動的(自然)に人間性が組み込まれるかのように錯覚するのは 科学ではない
ヒトの多くはドーキンスのお伽話を読んで 気分的に安心満足し 「何も考えなくても自動的(自然)に人間社会は進歩するんだな」と勝手に妄想錯覚することで 無責任に思考放棄をするようになる
京大学長山極寿一による「戦争をしているのは人類のごく一部であることを知れば 戦争はなくなる」などという 論理的には糞の役にも立たない大衆迎合で人気取りが出来るのは ヒトの多くがバカだからである
京大霊長類研究所の松沢哲郎による「先天的な行動習性から 人間としての社会性が立証出来るかも知れない」などという最初から理論的には立証が絶対に不可能な非科学的予測をマスコミ大衆が鵜呑みにし 「出来たら素晴らしいですね」などというトンチンカンな感想を述べて満足するのも ヒトの多くがバカだからである
ジャレド:ダイアモンドによる「歴史の中で人類は 少しづつ良くなって来ている」などという結果だけを聞いて バカ学生の多くは具体的にどうすれば改善するのかを考えなくなる
これらは全てドーキンスのお伽話の延長線上にでっちあげられた「お花畑」妄想である
遺伝的な進化のメカニズムには 合理的な目的があるわけではなく偶発的な「結果」以上の意味はないからだ
人類の文明の進歩というのは 偶発的な「結果」の累積では促されることはなく
あくまで個人に自律的な論理検証(人間性)という本質的な意識 「目的」行動選択が伴わないことにはどうにもならない
そうでなければ遺伝的に変わることのない先天的本能習性に随って間違いを漫然と繰り返すだけである
ヒトという種の生物に普遍的に見られる先天的な欠陥というものを自覚認識し その欠陥に起因する過ちを繰り返さないための本質的知能が必要なのである
それは学力偏差値やクイズの正解率とは何の関係もない
学術論文での引用数や書籍の販売部数も同様である 「科学というのは多数決ではない」からだ
Ende;