書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

嘘と真実を見分けられずに「意識」とは言わない

2022年11月08日 01時08分52秒 | 意識論関連

養老孟司は「受精卵から親(繁殖可能な成体)が発生する過程」には興味がない

「なぜ」という科学的好奇心ではなく 単に解剖という作業(業務)に熱中することで主観的に安心満足していただけなのである

そもそも養老は自ら解剖学を志したわけではなく 親から「医者になれ」と言われて医学部に進学したが 臨床医になると「人を殺してしまう」という責任から逃れる形で解剖に進んだに過ぎない

養老はこうも述べている

「誰が退官してまで解剖などという辛気臭いことをするんですか」と

これは解剖学を志した研究者に対する冒涜でもある

「安月給で30年間も働いた そこには意味があったんだ そう思わなきゃやってられないじゃありませんか」とも言っている

養老は自ら解剖学を志した科学的探究心を持ちあわせておらず 親や世間からの圧力に屈する形で消去法的に望んでもいない解剖学を「安月給」で勤め上げたに過ぎないのである

自ら望んで研究していれば「安月給」などという身勝手な発言は出てこないはずであり たとえ研究費が足りないとしても秋葉原で部品を買ってきて専用計算機を自作するような天文学者の猛者もいるのである

だからこそ受精卵からの生物の「発生」については何の興味も持たず 「発生するんだから 良いじゃねぇか」などというなげやりな発言を平気でするのである

 

解剖でも集中していれば安心なら 主体的に自分で選んだことに熱中することと同じわけではない

生育環境に依存して消去法的 受動的に仕事業務として「やらされて」いたことに集中できたとしても それはオウム真理教の幹部が毒ガス製造を仕事業務として命懸けで集中していたことや ナチス政権下でアドルフ:アイヒマンがユダヤ人絶滅計画書の作成に「頑張って」いたことと同様であり 本質的には主体性がなく 体制組織や世間の価値観に則った評価報酬につられて行った「不純」な動機であるが故に生物の発生メカニズムなどの純粋な科学的好奇心を持ち合わせていないのである

それはもはやチンパンジーが餌欲しさに瞬間記憶に異常集中するのと同じものである

どんなに学力偏差値という抽象化された「エサ」につられて勉強しても 教えられた内容を教えられた通りにしか答えることはできず イマヌエル:カントの「純粋理性批判」を「哲学」だと教え込まれれば 「哲学とは そういうものだ」という「常識」として鵜呑みにし 何一つ自分の頭で論理検証などしない「学力偏差値が高いだけのバカ」ができあがるのである

慶應の「塾員」共が企業内で東大出身者をイジメたりするのも イジメという社会問題には何の自発的問題意識も持ち合わせていないバカだからである

マトモな研究者なら 奇形などの先天性疾患の原因を知りたいと思うものであり 「正常な発生」と「異常な発生」の違いには興味を持つものであって 「死体を担ぎ出した」だけでは何の科学的「立証」にもならない

だからマトモな研究者からは養老の著作は「意味がわからない」と嘲笑の対象にしかならないのであり 養老の著作を有り難がっているのは論理的にも科学的にも何も考えない大衆やマスコミが 勝手に「わかったような錯覚」に陥っているその多数や世間的成功によって まるで養老孟司が学術的権威であるかのように倒錯しているに過ぎないのである

事実 太刀川英輔との会話は全く噛み合っておらず 最初から太刀川は養老の著作の内容など論理的には全く理解などしていない証拠である

何度も言うが 養老は「客観的事実などない」などという科学を根底から否定する発言をしているオカルトであり 学術権威として扱っている時点でかなり倒錯しているのである

太刀川は所詮デザイナーであり 芸術家に過ぎず 科学者ではないから 論理的理解ができていなくても致し方ないのだが 番組製作者やNHK編成局の誰一人として養老の発言内容の論理整合性の重大な欠落を認識していないというのは報道機関として無責任極まりない

 

養老は「スルメ(死体)見て イカ(生体)がわかるか」と言われて「悔しい」と述べている

純粋に解剖を志して研究していれば 「別にイカ(生体)をわかりたいわけではない」の一言で片付く話であり 養老が「悔しい」と述べたのは他人との比較による不純な競争に意識を奪われているからである

静岡大学の加藤英明は爬虫類が大好きで研究しているが 「それが何かの役に立つのか」と問われても 「すぐに何かの役に立つようなものではありません」と答えている

純粋に好きで研究している内容には 他人との評価比較は意味を為さない

従って「悔しい」などという主観的感想は出てこないものなのである

しかし 山極寿一やら松沢哲郎などは純粋に霊長類の研究に集中することができずに 本当は何の興味もない文化人類学に手を出して大衆ウケを狙って支離滅裂な屁理屈を展開しているのである

「ゴリラは威嚇をするから 平和的だ」などという話は 軍拡競争を「平和的だ」と言っているのと同義であり あまりにバカげていて信用する大衆マスコミの方が明らかに倒錯している

ヒトという種の生物は 概ね平和的である

99.99%平和的であることを 先天的に「立証」したところで 0.01%の凶暴性の反証には全くならない

危険学や失敗学では たとえ1/100万の確率であろうと「いつか必ず起きる」ことを前提に予防対策を行う

「ヒトは先天的に99.99%平和的だから安心だ」という話にはならない

山極はこう述べたこともある

「ヒトの大半は戦争をしていないことを知れば戦争はなくなる」と

この話には何一つ論理的根拠が示されていないが 大衆マスコミには人気が得られるのである

現代人の大半は「科学を信じている」と言うが 実際には科学分野の権威肩書を持った相手の発言を盲目的に鵜呑みにしているだけであって 何一つ論理客観的に「理解」などしていないのであって だからこそ養老や山極の著作には大衆人気が集まるのである

ヒトの大半は 論理的に理解していることと 観念的に「わかった」ような気分になって錯覚していることの区別ができない

それは 大脳辺縁系によって促される情動が優先し 大脳新皮質の前頭連合野による論理的理解能力が後回しにされるように先天的な認知上の重大な欠陥が存在しているからである

苫米地英人は「恐怖で支配するのは危険」と述べたが 危険学は危険(恐怖)を認識することによって安全性を担保するための学問であり 恐怖を直視しなければ安全とは何かを認識理解することもできないのである

詐欺師に騙される人は 最初に詐欺師を信頼し 安心してしまうからこそ騙されるのであって 安心であろうと恐怖であろうと主観に過ぎない情動だけで物事を判断する無意識性こそが真実と嘘を見分けるための論理検証性という「意識」を阻害する最大の要因なのである

 

 

 

Ende;

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