先日放送されたNHK Eテレ「ヘウレーカ」の中で又吉直樹がこう述べていた
「本当は他人の気持ちはわからない。これを言うと気持ち悪がられるんですけど、相手の気持ちを想像してわかったような気分にはなるんですけど。でも本当はわからない。」と
気持ち すなはち感情というものは主観であって これは個人の内部だけの個人的なものであって どんなに想像を巡らせ「相手の気持ちをわかった、理解した」と思い込んでも 本当のところは論理的に共有することは物理的に不可能である
頭部結合のシャム双生児ですら 大脳辺縁系は個別に持っているため 相手が何を「考えて」いるのかは理解していても 感情の全ては共有できずに喧嘩になることもあるという
物理的に脳神経接続が存在していても感情の共有が完全には出来ないことからも そもそも他人とは脳神経接続がない以上 相手の気持ちや感情というものは「こういう気持ちに違いない」という予測に基づいて似通った感情になることを「相手の気持ちがわかった」と思い込んでいるに過ぎず
又吉直樹が言うように 相手の気持ちは論理的には本当はわからないのである
しかし 多くのヒトは この話を「気持ち悪い」と思うらしいのだが その「気持ち悪さ」というのは客観的論証があるわけではなく あくまで主観的観念に過ぎない
もし他人の気持ちが本当にわかるのであれば 相模原障害者施設津久井やまゆり園障害者虐殺を行った植松聖の気持ちも「わからなければ」おかしいのだが
その「気持ち」は大抵の人は全く理解も共感も得られず むしろ「植松の気持ちがわかる」という人がいたら その方が恐怖でしかないだろう
理論的には本当はわかりようもない「他人の気持ち」が 本当はわからないという客観的事実に対して 多くのヒトは主観的に「気持ち悪い」と感じ 拒絶反応を示すのである
東池袋プリウス暴走事故で亡くなった松永莉子ちゃんのお父さんの気持ちも本当は誰もわかりようがないものである
莉子パパの気持ちというのは あくまで奥さんや娘の莉子ちゃんとの生活があってこその地獄であって 同じ体験をしていない他人には莉子パパの気持ち 地獄は本人以外誰にもわかりようがないものなのである
ただ 同じ大脳辺縁系を持っているために 似たような感情を想定することは出来る
しかし である それなら植松聖の大脳辺縁系は他の多くの人達とは全く異なる構造であることのが生物学的に立証可能であろうかと言えば おそらく不可能である
無差別殺人を行うヒトというのは時折発生するし 電車内などの公共空間において無神経にゲホゲホ咳き込む合法的テロをやらかすヒトも実在するのである
それなら なぜ多くのヒトが想定すら困難な「気持ち」で他人に迷惑な行動を行うようになったのかを徹底的に検証し そうならないよう「治療」しておく必要性というものがあるはずである
しかし現状の司法刑罰制度上では こうした「治療」は刑務官の努力義務程度に丸投げされているものであって 更生していようがしていまいが司法が下した刑期さえ満了すれば機械手続き的に釈放されてしまうのである
しかも その半数近くは再犯するのである
刑務所というのは罰を与えるための施設であって 更生治療や再犯再発防止を「目的」とはしていない
しかし 社会安全性において最も優先されるべきは再発防止であるはずで これが現状の司法制度上には全く考慮されていないという重大な欠陥があるのだ
航空機事故や原発事故では再発防止を優先して徹底した調査検証が行われるのだが これが個別の犯罪や過失になると急に「罰で解決」になってしまうことに誰も異議を唱えず 制度として聖域のように温存されてしまっているのである
主観に過ぎない美的感覚や感情というものを あたかも意識の本質であるかのように錯覚するのは ヒトという種の生物の先天的欠陥でもある
主観というのは動物的な「感覚」であって 大脳辺縁系によって促される情動のことである
動物的な情動行動の全てが合理性のある常に最適な行動を促すわけではないことは 言うまでもなかろう
アオリ運転をやらかす奴は主観的感情が行動と直結している故の行動であり 幼女強姦をやらかす奴は主観的欲求が行動と直結している故の行動であるからだ
ドイツ民族は戦前から理性的な傾向があるとされていたにも関わらず ナチス政権の勃興を許してしまったのはなぜか それは「傾向性(習性)」というものが環境依存的なものであって 決して自律的なものではないからである
環境が異なればドイツ人であろうとも虐殺に加担するのである
日本人も戦後優生保護法に基づきらい病患者への虐待的隔離政策を行っており 戦時中の国家権力による強制的抑圧の危険性を全く教訓として活かすことが出来ていなかったのである
過去に起こした「ヒト」の過ちを精密に検証せず ただ賠償請求だけで「解決」だとみなしていれば 虐待や虐殺についての再発防止には全くならない
ヒトには環境依存性という 動物に普遍的に見られる無意識な傾向性や習性というものがあり これは主観的感情によって促されるものである
刑務所の服役者の大半は幼児期からの虐待を受けて育っていると言われ 劣悪な生育環境が犯罪の温床となっていることはあまり疑う余地はない
それなら犯罪者に対しては罰ではなく 更生治療や 今の子供達が将来犯罪者にならないための再発防止策を優先するべきなのである
Ende;