ついに行書に手を出した。
10月から独習し始めて、隷書、篆書、甲骨文字、草書、楷書と
なめ回してきたが、ついに行書だ。
一旦初心を思い出しておくと、
・草書が読めるようになりたい
・小筆で書けるようになりたい
という願いがあった。
どちらも、実用につながる願いだ。
しかし、あれこれ練習してみているうちに、
一番実用的なのは行書だと思うようになっていたようだ。
速書きできるし、そのくせ読める。
バランス良いでないか。
ただ、行書独特の事が起きる。
点画の省略をしたり、書き順が変わったりする。
いづれも、字を書きやすくするためにやっていることなのだが、
そういう型ができあがってから学ぶのは、たいへんだ。
この場合はこうなる、あるいはこうでもいい、ということを
脳みそに収めていける気がしない。
しかし、目的は書きやすさなので、
そういった省略や書き順などは、ルールとして憶えるべき、
というほどのことは無いのだろう、
と思えてきた。
たとえば楷書だと、
横、横、縦、横、縦に貫いて、横、横。
などと厳格に形を構築するところを、
行書の場合は
はいめんどくせえからまとめて横横横横横書いて最後にずばっと縦!
なんてなことを平気でやっちゃう。
これでいいのだ。
融通するための書体だから、変化にも富む。
書いて飽きない。
ということは、鑑賞しても飽きない、作品になりやすい書体だとも思う。
例によって、図書館で教科書を借りてくる。
狩田巻山著『行書精習』(昭和49年)である。
こういう本でも例によって「まえがき」から読む。
この本で何をしようとしているのか、著者の心積もりがわかるからだ。
「本書は、初学者の方にも、自分で独習する方にも、そばに先生がいて、
手を執って指導してくれるのと同じ効果をあげようというのです。」
なんてなことが書いてある。
心強いではないか。
それこそまさに、私がこの本に求めていることである。
「行書は、日常の書写にも、芸術書道の上からも必習の書体です。
教育上では楷書から行書に進むのを常道としていますが、
私の指導経験からは、行書を先に習った方が、むしろ効果のあがる場合が
少なくありません。また、楷書と行書を並習するのも効果的です。」
得たり。
並習ならお手のもんでやんす。
いつも隷書と草書と楷書を書いています。
隷書を知ったときに、楷書の中に混ぜてある隷書っぽさ、というものに気付いた。
隷書をやってから草書をやると、草書の中に時折あらわれる隷書らしさ、
というものも見えてくる。
さて、行書をちょっとやってみたら、今まで書いていた
楷書や草書の中に、行書独特の癖がちらほらと混ざっていたことに気付いた。
行書をやっていないと、それは、楷書の中の妙な手癖かと思ったり、
草書の中のちょっとした変化かと思ったりしていたのだ。
草書はやっぱりかなり厄介で、なかなか身に付いてこない。
草書があまりにもできないままに、新しく行書を始めることには迷いがあったが、
こういう苦しい時こそ浮気しちゃった方が、楽しく続けられるかもしれない。
10月から独習し始めて、隷書、篆書、甲骨文字、草書、楷書と
なめ回してきたが、ついに行書だ。
一旦初心を思い出しておくと、
・草書が読めるようになりたい
・小筆で書けるようになりたい
という願いがあった。
どちらも、実用につながる願いだ。
しかし、あれこれ練習してみているうちに、
一番実用的なのは行書だと思うようになっていたようだ。
速書きできるし、そのくせ読める。
バランス良いでないか。
ただ、行書独特の事が起きる。
点画の省略をしたり、書き順が変わったりする。
いづれも、字を書きやすくするためにやっていることなのだが、
そういう型ができあがってから学ぶのは、たいへんだ。
この場合はこうなる、あるいはこうでもいい、ということを
脳みそに収めていける気がしない。
しかし、目的は書きやすさなので、
そういった省略や書き順などは、ルールとして憶えるべき、
というほどのことは無いのだろう、
と思えてきた。
たとえば楷書だと、
横、横、縦、横、縦に貫いて、横、横。
などと厳格に形を構築するところを、
行書の場合は
はいめんどくせえからまとめて横横横横横書いて最後にずばっと縦!
なんてなことを平気でやっちゃう。
これでいいのだ。
融通するための書体だから、変化にも富む。
書いて飽きない。
ということは、鑑賞しても飽きない、作品になりやすい書体だとも思う。
例によって、図書館で教科書を借りてくる。
狩田巻山著『行書精習』(昭和49年)である。
こういう本でも例によって「まえがき」から読む。
この本で何をしようとしているのか、著者の心積もりがわかるからだ。
「本書は、初学者の方にも、自分で独習する方にも、そばに先生がいて、
手を執って指導してくれるのと同じ効果をあげようというのです。」
なんてなことが書いてある。
心強いではないか。
それこそまさに、私がこの本に求めていることである。
「行書は、日常の書写にも、芸術書道の上からも必習の書体です。
教育上では楷書から行書に進むのを常道としていますが、
私の指導経験からは、行書を先に習った方が、むしろ効果のあがる場合が
少なくありません。また、楷書と行書を並習するのも効果的です。」
得たり。
並習ならお手のもんでやんす。
いつも隷書と草書と楷書を書いています。
隷書を知ったときに、楷書の中に混ぜてある隷書っぽさ、というものに気付いた。
隷書をやってから草書をやると、草書の中に時折あらわれる隷書らしさ、
というものも見えてくる。
さて、行書をちょっとやってみたら、今まで書いていた
楷書や草書の中に、行書独特の癖がちらほらと混ざっていたことに気付いた。
行書をやっていないと、それは、楷書の中の妙な手癖かと思ったり、
草書の中のちょっとした変化かと思ったりしていたのだ。
草書はやっぱりかなり厄介で、なかなか身に付いてこない。
草書があまりにもできないままに、新しく行書を始めることには迷いがあったが、
こういう苦しい時こそ浮気しちゃった方が、楽しく続けられるかもしれない。
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