本日は自分で言うのもなんだが、私の50歳のお誕生日である。
あらおめでとうありがとう。
※
1969年7月15日
日本ではアポロ11号の打ち上げというニュースに沸いており、
看護婦さんたちはテレビに釘付け。
陣痛が来てナースコールを押しても誰も来てくれなかった、
というエピソードが大好きである。
打ち上げは成功したが、出産は難航し、
私は帝王切開で産まれた。
だから私は帝王。苦しうない。
※
蟹座である。
占星術の示すところによれば、
生物というものが出てきて、対に分かれて、雌雄の性に分化して云々。
蟹座は性未分化で対になっているところだそうな。
誕生年の69を横倒しにすると、蟹座のアイコンになる。
なるほどね。
69年は蟹座年。
もうこの際ほかの星座は無視。
なぜなら私は帝王だから。苦しうない。
※
母は帝王切開2度目であった。
2年前にも切り開いていた。
どうもそんときから産道は通りにくかったようである。
その子は産まれて2日で亡くなったという。
誕生の知らせが伝わってお祝いが届くタイミングだったそうで、
たいへんつらかったと聞く。
母の母はよく「いわいごとはのぶべし」と言っていたそうだ。
今、この言葉を検索してみたが、
「祝い事は急げ」というものが出てきてしまう。逆だわい。
喜ばしい状況が安定確立してから祝っても遅くない。
そう思える。
※
さて、私の2年前のその子は8月生まれで葉月と名付けられた。単純か。
ただ、2日でこの世を去ってしまった。
何が気に入らなかったのか。
私がこの葉月の生まれ変わりというか産まれ直しで、
実は当時は男子の身体で生まれたのがいやでいやで仕方なくて生きるのをやめちゃった、
なんて考えてみると、おもしろい。
おもしろ半分で想定してみているだけで、
別にあまり根拠は無い。
そう考えたところで、今の女子の身体に落ち着ける理由にはならない。
ただ、いっぺん死んでる、と思うのは、気分として非常に悪くない。
おめえ死んだことあるか?私はあるぜ。ってなもんで。
とは言えこれも別に死んだときの記憶も無いので、
胸を張って言うことでもない。
※
どこに生まれるかは、子どもが自分で選んでいる。
生まれた後、言葉をしゃべれるようになった頃にも、
生まれた時や生まれる前の記憶を持っている子どもがいる。
池川明という産科医が、多くの聞き書きを本にまとめている。
また、そういった研究をしている人の発表を聞いたこともある。
そんな話をあちこちでしていたら、
「わたしも子どもの頃は、生まれた時のことを憶えていた。」
と言う人に会えた。
っていうか。
音楽的相方、コンビを組んでいるベーシストのやまちゃんだった。
なんだ、こんなに身近にやっぱりいるじゃないか。
普段は話題に出ないだけなのだ。
そうなってみると、自分も幼い頃は憶えていたのかもしれない。
ただ誰からも聞かれなかったから言わなかっただけで。
記憶というのは、繰り返し思い出して言葉にしていると、憶えていやすい。
言わないでいると、忘れる。
それだけのことなのではないか。
※
母は国語国文学者で、父はアメリカ文学者、どちらも大学のセンセだ。
母がこんなことを言ったことがある。
「お隣に生まれてたら、あなたきっと不満だったわよ。」
隣は酒屋である。
小児麻痺から足が悪く、人づきあいの良い、
ちょっと足らない(昭和な言い回しだ。)けれど、いつもニコニコしているおっちゃんと、
非常に働き者で、夫と家と店をしっかり支える、美人でズーズー弁(昭和な言い回しだ。)のおばちゃん。
息子二人は大学も出て、次男は公務員、長男は店を継ぎながらバイトをして家計を支える。
私は母の言葉に、他人を見下したような感じを受けた。
自分の暮らししか見たことの無い、プチブル的な視点と感覚。
※
ついでだから書いておく。
老母の介護にまつわる愚痴めいた記事がこの頃多い。
私のブログを日々読んでくれるありがた読者の皆様に不快な思いをさせたら残念なのだが、
私にはどうにも母に寛大になれないところが有る。
オヤを信頼していないことが問題の根本に在る。
いくつか有る理由の一つが、このプチブル感だ。
あるとき、知人の誰かの話をしていて、母が言った。
「あの人は板前さんと結婚した。珍しいわね。」
自分の身の周りには板前がいないので、
'珍しい人たち'という見方になるのだろう。
残念なスタンスに思った。
※
なんのかんの言って、自分でこの母を選んで産まれたんだろう。おぼえてないけど。
なんで選んだのか、理由を思い出したい。
子どもは様々な理由で親を選ぶそうだ。
「お母さんかわいかったから。」とか、
「さみしそうだったから、一緒にいてあげようと思った。」とか
「〇〇になるためにお母さんを選んだ。」とか。
きっと私は望んだように暮らしている。
しっかし、その望みって、
なんだったっけなーーーーー
あらおめでとうありがとう。
※
1969年7月15日
日本ではアポロ11号の打ち上げというニュースに沸いており、
看護婦さんたちはテレビに釘付け。
陣痛が来てナースコールを押しても誰も来てくれなかった、
というエピソードが大好きである。
打ち上げは成功したが、出産は難航し、
私は帝王切開で産まれた。
だから私は帝王。苦しうない。
※
蟹座である。
占星術の示すところによれば、
生物というものが出てきて、対に分かれて、雌雄の性に分化して云々。
蟹座は性未分化で対になっているところだそうな。
誕生年の69を横倒しにすると、蟹座のアイコンになる。
なるほどね。
69年は蟹座年。
もうこの際ほかの星座は無視。
なぜなら私は帝王だから。苦しうない。
※
母は帝王切開2度目であった。
2年前にも切り開いていた。
どうもそんときから産道は通りにくかったようである。
その子は産まれて2日で亡くなったという。
誕生の知らせが伝わってお祝いが届くタイミングだったそうで、
たいへんつらかったと聞く。
母の母はよく「いわいごとはのぶべし」と言っていたそうだ。
今、この言葉を検索してみたが、
「祝い事は急げ」というものが出てきてしまう。逆だわい。
喜ばしい状況が安定確立してから祝っても遅くない。
そう思える。
※
さて、私の2年前のその子は8月生まれで葉月と名付けられた。単純か。
ただ、2日でこの世を去ってしまった。
何が気に入らなかったのか。
私がこの葉月の生まれ変わりというか産まれ直しで、
実は当時は男子の身体で生まれたのがいやでいやで仕方なくて生きるのをやめちゃった、
なんて考えてみると、おもしろい。
おもしろ半分で想定してみているだけで、
別にあまり根拠は無い。
そう考えたところで、今の女子の身体に落ち着ける理由にはならない。
ただ、いっぺん死んでる、と思うのは、気分として非常に悪くない。
おめえ死んだことあるか?私はあるぜ。ってなもんで。
とは言えこれも別に死んだときの記憶も無いので、
胸を張って言うことでもない。
※
どこに生まれるかは、子どもが自分で選んでいる。
生まれた後、言葉をしゃべれるようになった頃にも、
生まれた時や生まれる前の記憶を持っている子どもがいる。
池川明という産科医が、多くの聞き書きを本にまとめている。
また、そういった研究をしている人の発表を聞いたこともある。
そんな話をあちこちでしていたら、
「わたしも子どもの頃は、生まれた時のことを憶えていた。」
と言う人に会えた。
っていうか。
音楽的相方、コンビを組んでいるベーシストのやまちゃんだった。
なんだ、こんなに身近にやっぱりいるじゃないか。
普段は話題に出ないだけなのだ。
そうなってみると、自分も幼い頃は憶えていたのかもしれない。
ただ誰からも聞かれなかったから言わなかっただけで。
記憶というのは、繰り返し思い出して言葉にしていると、憶えていやすい。
言わないでいると、忘れる。
それだけのことなのではないか。
※
母は国語国文学者で、父はアメリカ文学者、どちらも大学のセンセだ。
母がこんなことを言ったことがある。
「お隣に生まれてたら、あなたきっと不満だったわよ。」
隣は酒屋である。
小児麻痺から足が悪く、人づきあいの良い、
ちょっと足らない(昭和な言い回しだ。)けれど、いつもニコニコしているおっちゃんと、
非常に働き者で、夫と家と店をしっかり支える、美人でズーズー弁(昭和な言い回しだ。)のおばちゃん。
息子二人は大学も出て、次男は公務員、長男は店を継ぎながらバイトをして家計を支える。
私は母の言葉に、他人を見下したような感じを受けた。
自分の暮らししか見たことの無い、プチブル的な視点と感覚。
※
ついでだから書いておく。
老母の介護にまつわる愚痴めいた記事がこの頃多い。
私のブログを日々読んでくれるありがた読者の皆様に不快な思いをさせたら残念なのだが、
私にはどうにも母に寛大になれないところが有る。
オヤを信頼していないことが問題の根本に在る。
いくつか有る理由の一つが、このプチブル感だ。
あるとき、知人の誰かの話をしていて、母が言った。
「あの人は板前さんと結婚した。珍しいわね。」
自分の身の周りには板前がいないので、
'珍しい人たち'という見方になるのだろう。
残念なスタンスに思った。
※
なんのかんの言って、自分でこの母を選んで産まれたんだろう。おぼえてないけど。
なんで選んだのか、理由を思い出したい。
子どもは様々な理由で親を選ぶそうだ。
「お母さんかわいかったから。」とか、
「さみしそうだったから、一緒にいてあげようと思った。」とか
「〇〇になるためにお母さんを選んだ。」とか。
きっと私は望んだように暮らしている。
しっかし、その望みって、
なんだったっけなーーーーー
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