犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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逆さ孤立

2017年05月19日 | LGB&T
[あらすじ] 23年前、私は日本で初めてのレズビアン&ゲイ・パレードの実行委員をやったが、
その時、パレードを歩いてくれたストレート・カップルの友人がいた。

その友人Yに久しぶりに会った。
パレードを歩いたときのことを振り返って話してくれた。

とにかくみんな楽しそうで、イキイキとしてた。
目が合ったらハイタッチしよう!っていう雰囲気があった。
でも、私を見て、隣に男がいるのを見て、あ、違うんだな、って
表情が引いて、去って行く。
あ、須山がいつも感じてるのって、こういうことなんだなって思った。

そう、パレードの日、みんなの表情は明るい。
最近は「Happy pride!」なんて挨拶をする習わしができてきているようだ。
毎日いろいろあるけど、今日は楽しもうぜ、という気分がある。
パレードの場は、当事者が集まって楽しみつつ世間に対してアピールする、
という雰囲気だった。

今日は日本初のゲイパレードだぜ!という場で、
ストレートカップルを見てその人は
なーんだこいつら、と思ったのだろう。
当時はまだアライなんて言葉も無かった。
家族や支援者が参加する、という段階ではなかった。
友人Yは日本初のパレードの中でも、最先端の存在のようになっていた。

今も根っこには変わらぬものがあるとは思う。
会場に集まった人たちの表情はいきいきとしている。
ただ、23年前に較べたら、多様性は増した。

当事者だけの集まりではなくなったことも加わって、
イベント会場への動員数は10万人という規模になっている。
ただ、企業の参加が過ぎるほどに増えてきていて、
コミュニティの活動という色が押しやられてきている。
会場でのブースの配置にそれは如実に反映されている。
このままでいいのか、疑問がわく。

当事者の中の多様性も増えた。
当初のパレードのタイトルを見てもわかる。
パレードを始めた中心がレズビアンとゲイだったから、
レズビアン&ゲイ・パレードという名称になった。
バイセクシュアルやトランスジェンダーのあれこれ達は、
この名称と雰囲気のせいで、マイノリティの中でさらなるマイノリティとして
疎外感を抱いていた。

現在、規模が大きくなっても、誰かが孤立を感じるようなことは
起き続けている。
とても難しい課題だけれど、取り組まなければプライドじゃないと思う。



今のレインボープライドにストレートカップルがやって来ても、
孤立感で愕然とするほどの事は起きないだろう。

だからってんじゃないけど、一度はおいでよ会場へ。

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