犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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カムアウトしなくてもいいんだよ

2015年11月12日 | LGB&T
カミングアウトという言葉の説明は、ここでも何度かしてきた。

自分の性的指向や性自認をひたすら隠し、
押入れ(クローゼット)に潜むように生活する。
それをやめて、内側から扉を押し開き、
どーんとオープンに生きる。

という意味だ。
パワーが必要だ。

私自身は、二十代三十代と、親しい友達に個人的にカムアウトしてきた。
信頼できると思う友達でも、よく理解してくれないこともあった。
しかたない、彼らにとって初めての経験だったのだ。

二十代前半の頃には、日本で初めてのゲイパレードである、
「東京レズビアン・ゲイ・パレード」の実行委員もやった。
差別を減らすためには、まず、多くの同性愛者が身近にいるんだということを
知ってもらう必要がある、と考えていた。
社会を変えるためには、ひとりひとりがカムアウトしていく必要がある
とも考えていた。

その頃、映画「ハーヴェイ・ミルク」を観た。
ミルクは演説の中、強い言葉でカムアウトを勧める。

約20年前の、ゲイ・リブやレズビアン・フェミニズムといった運動の雰囲気に、
私も大いに影響を受けていた。

昨年の4月、東京レインボープライドのタイミングに乗じて、
このブログでもカムアウトした。

ミルクも言っているが、カムアウトは一旦やってしまえばとても身が軽くなる。
私も、1年あまり前に「じゃんじゃんカムアウトしたまえよ」ということを
書いている。
http://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/c13976037915a836f2eb81688de649a9

実は、書いてからずっと気にしていたのだが、
できないひとはしなくていい。
無理にカムアウトしなくていい。

できるひとはする。
すべきだと考えているひとはする。
どうしてもできないひとはしなくていい。

したらとても楽になる。
こりゃホント。
だからって、「全員しろ」とは思わない。

私が今まで付き合ってきたひとは、みんな社会的にはクローズドだ。
親しい友人だけに明かしているひとはいた。
ストレートのひとでも、もともとレズビアンのひとでも、そうだった。

ストレートのひとは特に、二人で外で過ごす時にごく自然にイチャイチャしたい、
というのが有ったようではある。
むしろ、レズビアン育ちのひとのほうが、隠すことに慣れている。
隠すことのストレスを、隠し慣れた私よりも、
ストレートで生きてきた彼女のほうが感じていた、
ということはありそうだ。

隠し慣れてうまく生きているんだったら、無理やりカムアウトしなくていい。
隠さずに生きられる社会を作る!なんてことは、カムアウトできるひとがやっていけばいい。

このあたりの事情も単純ではないが、
基本的に、ひとはいろいろで、いろんなひとがいるから社会全体が回っている、
と私は思っている。
みんながカムアウトしたら社会が良くなる!とか
みんながカムアウトしなきゃ社会が良くならない!とか、まったく思わん。
そんなに血を流さんでもよかろ。

と、言えるような日本の現状だと思う。
よその国だったらまた違うけど。

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