[あらすじ] ギョーカイにはギョーカイ用語がある。
隠語というのはそれだけでなにか隠微な雰囲気が漂うものだ。
ストレートのことは異性愛者と言えばわかりやすいところを、
ノンケなんて言う。
仲間うちでしか通じない言葉を使うことは、仲間同士の共通意識とか結束とかが
あるように感じさせるので、心地良い。
しかし、少数者側とは言え、同族のみでかたまるのは、結局は差別の裏返しだ。
というわけで、隠語破綻プロジェクト発動。
ギョーカイ用語をみんなが知れば、それはもう隠語ではなくなってしまう。
閉じた言葉ではなくしてしまえば、言葉にまつわる意識も変化するのではないか?
という、ちょっと無理もありそうな発想から、LGBT用語集を続けてみようじゃないか。
(と、いま書いてて思い付いた。)
※
LGBTのLG。レズビアンとゲイ。つまり同性愛者。
同性愛の構造も、様々な面があって、あれこれ考えるとたいへん面白い。
タチは男役、ネコは女役、とよく説明される。
なあんだ、同性愛も、異性愛の型を取ってるんじゃないか、と思う。
では男女という表現を離れようということか、最近ではタチネコと言わず、
セメ、ウケ、という言い方をしたりする。
能動的にするひと、受動的にされるひと、という感じだ。
今までも何度か触れてきたが、私が二十代の頃はレズビアン・フェミニズムという
考え方が勢いを増していた。
女性の主権、男女平等を言うフェミニズムと、レズビアンが結びついたのだ。
レズビアニズム、なんてひとたちも現れたくらいだ。
男女同権をつきつめたら同性愛にたどり着いた。って、私には
なんのことやら理解しにくい。
少なくとも、私は自分の意志で選択して女性が好きなわけではない。
レズビアン・フェミニズムのひとにしてみれば、
男女の性愛を思わせる、タチネコという関係もよろしくない、ということになった。
くどいようだが、性行動は思想から起こるものではないと私は思う。
ところで、タチネコなりセメウケなりの役割が固定しているひともいるが、
どちらでもよいというひともいる。
そういうひとをリバと呼ぶ。
裏返しても着られる服をリバーシブルなんて言うが、あのリバだ。
相手によって変わったり、相手の性別によって変わったり、
リバ同士だったり。
これならフェミニストもOKだな。
※
読者にとって、初めて知ることがちょっとあったなら、
私としてはめっけもんです。
隠語というのはそれだけでなにか隠微な雰囲気が漂うものだ。
ストレートのことは異性愛者と言えばわかりやすいところを、
ノンケなんて言う。
仲間うちでしか通じない言葉を使うことは、仲間同士の共通意識とか結束とかが
あるように感じさせるので、心地良い。
しかし、少数者側とは言え、同族のみでかたまるのは、結局は差別の裏返しだ。
というわけで、隠語破綻プロジェクト発動。
ギョーカイ用語をみんなが知れば、それはもう隠語ではなくなってしまう。
閉じた言葉ではなくしてしまえば、言葉にまつわる意識も変化するのではないか?
という、ちょっと無理もありそうな発想から、LGBT用語集を続けてみようじゃないか。
(と、いま書いてて思い付いた。)
※
LGBTのLG。レズビアンとゲイ。つまり同性愛者。
同性愛の構造も、様々な面があって、あれこれ考えるとたいへん面白い。
タチは男役、ネコは女役、とよく説明される。
なあんだ、同性愛も、異性愛の型を取ってるんじゃないか、と思う。
では男女という表現を離れようということか、最近ではタチネコと言わず、
セメ、ウケ、という言い方をしたりする。
能動的にするひと、受動的にされるひと、という感じだ。
今までも何度か触れてきたが、私が二十代の頃はレズビアン・フェミニズムという
考え方が勢いを増していた。
女性の主権、男女平等を言うフェミニズムと、レズビアンが結びついたのだ。
レズビアニズム、なんてひとたちも現れたくらいだ。
男女同権をつきつめたら同性愛にたどり着いた。って、私には
なんのことやら理解しにくい。
少なくとも、私は自分の意志で選択して女性が好きなわけではない。
レズビアン・フェミニズムのひとにしてみれば、
男女の性愛を思わせる、タチネコという関係もよろしくない、ということになった。
くどいようだが、性行動は思想から起こるものではないと私は思う。
ところで、タチネコなりセメウケなりの役割が固定しているひともいるが、
どちらでもよいというひともいる。
そういうひとをリバと呼ぶ。
裏返しても着られる服をリバーシブルなんて言うが、あのリバだ。
相手によって変わったり、相手の性別によって変わったり、
リバ同士だったり。
これならフェミニストもOKだな。
※
読者にとって、初めて知ることがちょっとあったなら、
私としてはめっけもんです。
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