犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
犬のこと、人の心身のこと、音楽や自作のいろいろなものについて

価値観はどこにあるのか

2014年08月18日 | LGB&T
私の性自認は生まれながらの女性ではなく、
しかし男性になりたいわけではない。
且つ、恋愛対象は女性。

ということなのだが、
こういう自覚が最初からあったわけではない。
その変遷を述べたいが、詳しく書くと長くなるので、
今日はおおまかなことだけにしたい。

まず、10代の頃は、心理学や精神医学の本などを読み、
自分は女性の同性愛者つまりレズビアンであって、
それは精神治療の対象となりえる、ということを知る。
つまり病気と言える。
当時のそういった学問の中でしばしば使われる表現は、性的倒錯、異常など。
また、キリスト教の洗礼を受け、教会では同性愛は罪とされているので、
自分が恋愛することには罪悪感があった。

1987年、私が18歳の時、別冊宝島『女を愛する女たちの物語』発刊。
日本のレズビアンの現状を知ることができた。
当時はインターネットなど無いので、この本から様々な情報を得た。
コミュニティの存在を知り、ミニコミ誌も購読した。

ミニコミ誌の募集記事を見て、1994年の第一回レズビアン・ゲイ・パレードに
実行委員として参加した。
フェミニズムの流れを汲むレズビアンたちの運動を知る。
性的指向は自分の意志で選択的に決定するものだ、という考え方を知る。

1993年にWHOが「同性愛はいかなる意味でも治療の対象にならない」
と宣言していたことを、後になって知った。
つまりそれまでは同性愛は病気扱いだったのだ。

1998年、埼玉医科大で国内初の性転換手術が行われた。
この頃になって、性同一性障害という捉え方が聞こえてくるようになった。
女性である身体に違和感をおぼえる自分も、性同一性障害ではないか、
と思ったりするようになった。

しかし、せっかく同性愛が病気扱い・治療対象ではなくなったのに、
今度は性同一性障害という病気になって治療を望むのかと
おおきな矛盾を感じた。

そして、今の自認に至る。

これが、おおまかな流れだ。

社会の中にある価値観で自分を見ることによって
自尊心を傷つけることもあれば、
社会の変化によって自分の見方が変化することもある。
自分の力だけでは自分を理解することはできなかった。
自分の価値観で自分を見ることが、自己同一感や自尊心にとって
重要であるが、その自分の価値観と言っているものも、
社会の情勢と無関係ではなかった。

より楽に自分らしく自然に生きるためには、社会を変えていく必要がある。
と、あらためて思う。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 用具 | トップ | ドローイン »

コメントを投稿

LGB&T」カテゴリの最新記事