よく知らないことについて書いてはいけない。
と、自戒の意味を込めて、曾子の言葉を挙げた。
http://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/354670f77d007508991a127448bb96a4
曰く、「伝不習乎」習わざるを伝うるか。
よく理解しないでひとに教えてないか?
※
インターセックスの存在は、男女二元論が不当であることの証拠になる、
と考えた。
http://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/bb83f62074fe58de46647479bae5a864
※
インターセックスの中にも、いろいろな意見の人がいる。
「性はグラデーション」という言い方をする人もいる。
これは、LGBTの主張と並ぶようだ。
男でも女でもなく、性分化疾患によって、間の性として生まれ生きるのだ。
もちろんこんな一行で表せるわけはない。
自分が男でも女でもない性だということを受け入れるまでに
ものすごく時間がかかる。
また、「男にも女にもいろいろある」という言い方もある。
間の性などではなく、男か女なんだけれど、
多くの人が思っているような男や女になるためには
何段階もの枝分かれがあり、そのどこかがちょっと違うだけだ。
だから、インターセックスつまり間の性という表現を嫌う人もある。
性分化疾患という言い方だと、病気のレッテルを貼ることにもなってしまう。
※
同性愛は病気のひとつとされていた。
しかし、1993年にWHO世界保健機構は、「治療の対象にはならない」
と宣言した。
http://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/07792483a8768d658b52c0ea7035dcbc
それまで、同性愛というと、倒錯の世界とか、ビョーキとか言われていたが、
そうではないと堂々と発表されたのだ。
一方で、日本では2003年に「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」が
成立して、治療対象となった。
病気の無い臓器を切除することは、医療のルール上、できない。
そこで、性同一性障害という「診断」が必要になってくるわけだ。
http://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/a4f6f99f4c17dcb870ddeaf9dd35816d
※
LGBTなんて羅列しても、どうしたって取りこぼしがある。
だから、並べるくらいだったら、ひとこと「クィア」でも良いのではないか?
ということを書いた。
http://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/ebe1cfaee3db38045ef32cea03b77907
しかし、その前にインターセックスを含めて考えたほうが良い、と言ったことを
合わせると、問題がある。
クィアとは、日本語で言ったら「変態」だ。
インターセックスはしかし、そもそも性指向などの問題ではない。
※
LGBTにIを並べることは無い、という考えがある。
http://www.ipdx.org/japan/lgbti.html
インターセックスの立場や生活は、LGBT運動の質とかなり異なる。
まあ、LGBTの中にも、運動に関わらず、しずかに自分の生活を送っている人も多い。
というより、大半がそうだろう。
私自身もそうだ。
※
性同一性「障害」というと、心を病んでいるように聞こえる、ということを嫌う人も多い。
そこで、性別違和(gender dysphoria)と呼ぼう、という考えもある。
性分化「疾患」も、治療しなきゃいけない病気持ちに聞こえる、といやがる人も多い。
性分化多様性(variations of sex development)という表現が提唱されている。
※
しかしここには、「病気」への差別意識が潜んでいはしないか。
※
差別の意識がしみついた言葉を排除しても、
また新しい言葉が差別意識を持って使われてしまうことも多い。
しかし、排除された差別語は、何十年か経って世代が換わった頃には、
差別語だということを忘れられている。
だから、差別語を排除して新しい言葉に置き換えることは、
差別意識そのものを排除することにまったく役に立たないわけでもない、
と私は思っている。
人一人の短い人生の中でも、社会の変化は見られる。
こんなにジタバタ足掻いていることも、何代か後の世代では、
問題にならなくなっているかもしれない。
社会の変化は、3歩すすんで2歩さがる、くらいのものだろう、
と、そんなふうに思っている。
と、自戒の意味を込めて、曾子の言葉を挙げた。
http://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/354670f77d007508991a127448bb96a4
曰く、「伝不習乎」習わざるを伝うるか。
よく理解しないでひとに教えてないか?
※
インターセックスの存在は、男女二元論が不当であることの証拠になる、
と考えた。
http://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/bb83f62074fe58de46647479bae5a864
※
インターセックスの中にも、いろいろな意見の人がいる。
「性はグラデーション」という言い方をする人もいる。
これは、LGBTの主張と並ぶようだ。
男でも女でもなく、性分化疾患によって、間の性として生まれ生きるのだ。
もちろんこんな一行で表せるわけはない。
自分が男でも女でもない性だということを受け入れるまでに
ものすごく時間がかかる。
また、「男にも女にもいろいろある」という言い方もある。
間の性などではなく、男か女なんだけれど、
多くの人が思っているような男や女になるためには
何段階もの枝分かれがあり、そのどこかがちょっと違うだけだ。
だから、インターセックスつまり間の性という表現を嫌う人もある。
性分化疾患という言い方だと、病気のレッテルを貼ることにもなってしまう。
※
同性愛は病気のひとつとされていた。
しかし、1993年にWHO世界保健機構は、「治療の対象にはならない」
と宣言した。
http://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/07792483a8768d658b52c0ea7035dcbc
それまで、同性愛というと、倒錯の世界とか、ビョーキとか言われていたが、
そうではないと堂々と発表されたのだ。
一方で、日本では2003年に「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」が
成立して、治療対象となった。
病気の無い臓器を切除することは、医療のルール上、できない。
そこで、性同一性障害という「診断」が必要になってくるわけだ。
http://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/a4f6f99f4c17dcb870ddeaf9dd35816d
※
LGBTなんて羅列しても、どうしたって取りこぼしがある。
だから、並べるくらいだったら、ひとこと「クィア」でも良いのではないか?
ということを書いた。
http://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/ebe1cfaee3db38045ef32cea03b77907
しかし、その前にインターセックスを含めて考えたほうが良い、と言ったことを
合わせると、問題がある。
クィアとは、日本語で言ったら「変態」だ。
インターセックスはしかし、そもそも性指向などの問題ではない。
※
LGBTにIを並べることは無い、という考えがある。
http://www.ipdx.org/japan/lgbti.html
インターセックスの立場や生活は、LGBT運動の質とかなり異なる。
まあ、LGBTの中にも、運動に関わらず、しずかに自分の生活を送っている人も多い。
というより、大半がそうだろう。
私自身もそうだ。
※
性同一性「障害」というと、心を病んでいるように聞こえる、ということを嫌う人も多い。
そこで、性別違和(gender dysphoria)と呼ぼう、という考えもある。
性分化「疾患」も、治療しなきゃいけない病気持ちに聞こえる、といやがる人も多い。
性分化多様性(variations of sex development)という表現が提唱されている。
※
しかしここには、「病気」への差別意識が潜んでいはしないか。
※
差別の意識がしみついた言葉を排除しても、
また新しい言葉が差別意識を持って使われてしまうことも多い。
しかし、排除された差別語は、何十年か経って世代が換わった頃には、
差別語だということを忘れられている。
だから、差別語を排除して新しい言葉に置き換えることは、
差別意識そのものを排除することにまったく役に立たないわけでもない、
と私は思っている。
人一人の短い人生の中でも、社会の変化は見られる。
こんなにジタバタ足掻いていることも、何代か後の世代では、
問題にならなくなっているかもしれない。
社会の変化は、3歩すすんで2歩さがる、くらいのものだろう、
と、そんなふうに思っている。
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