犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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アンチホモフォビアデー

2016年05月17日 | LGB&T
カムアウトにまつわって、ここに個人史を書いたことがある。
私自身はずっとこんな私のはずなんだが、
ソレを呼ぶために名前を付けようとすると、
社会がどう捉えているかということに依ることになる。

具体的には、私は
「女性が恋愛対象で、身体的には女性だが性自認は男女どちらでもない」
ということだ。
ここに「性自認」という観点が無いと、
私は「レズビアン:女性同性愛者」ということになる。
これでは片手落ちなのだが、「性別は男か女」という社会の価値観に従うと
そういうことになる。
私も、思春期の頃から20代の頃は、自分がレズビアンだと思っていた。
なんだか自分の身体に違和感を持ちながらも。

1998年に、埼玉医科大学病院で、日本では公的には初めての性転換手術が行われた。
そこで、性同一性障害ということがメディアに出てきた。
私もこれかもしれない、と思ったものだ。

思春期の頃、自分の性的指向に悩み、書物に当たった。
身近に相談できそうな人もいなかったので、本の虫の私は本に知恵を求めたのだ。
しかし、心理学書には「思春期の一時的な」といったハナシが多く、
精神医学の世界では同性愛は精神疾患のひとつとして治療対象であった。
「気のせい」か、「心の病だから治さなきゃいけない」か。
助けにはならなかった。

1990年5月17日、WHO:世界保健機構は、国際的な疾病分類から
同性愛を外した。
つまり、それまで同性愛は世界で病気として扱われていたということだ。
世界の価値観が変わることにより、私の病気は二十歳で治ったのだ。

あほくさいが、こういう事は、まま、ある。
性分化疾患のある当事者が、
性別が不確定なままだと中学に入学を認めてもらえずにいたのに、
書類を男性として提出してみたらすんなり大学に入れた、
自分は何も変わっていないのに!
という体験を語っていた。

社会の価値観がどれだけ無意味で、しかしどれだけ影響力があるのか
知ることができる、良い例だと思う。

身体的性と性自認が違う人なら、1990年に疾患から外され、
日本では十年あまり後にまた性同一性障害と認められることになったわけだ。
自分は何も変わっていないのに。
とんだ疾病(しっぺ)返しだ。



今日5月17日は、同性愛が病気ではなくなった記念日として、国際的に
アンチホモフォビアデーとされている。
反・同性愛嫌悪の日。

こんな日をわざわざ記念しなくて済むようなヨノナカになるまで
まだまだ「反」する心構えが必要なのだろう。

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