犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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東京の盆踊り

2018年09月05日 | 踊る阿呆
[あらすじ] アップリンク渋谷で鉄砲光丸の『河内の語り屋』と
『初代桜川唯丸 江州音頭革命記』を観た。

『河内の語り屋』の冒頭は、盆踊りの会場を探し回るシーンから始まる。
映画全体の長さの割に、このシーンは長く続く。
会場を見付けるのがどれだけたいへんだったか、ということが伝わってくる。

盆踊り好きなら知っている、東京の盆踊りの日程を網羅して告知するサイトが有った。
頼りになるそのサイトは、今年ついにサーバーのサービス終了とともに消えてしまった。
地元の寺や神社で小ぢんまりとやるような盆踊りは、インターネットにも情報は乗らない。
サークルに入ったり、積極的に仲間を作れば、あれこれ情報が手に入るのだろう。

行きたい小さな盆踊りもいくつか有るが、仲間から情報を得て
遠隔のよその盆踊りに乗り込むというところまで、私はしたいと思っていない。

行きたい所の近くに友達が住んでいたら、直前に貼られるポスターを見つけてもらって、
日にちを知らせてもらう、ということをしたことも有った。少しだけ。

『河内の』の取材も、そのようにして会場に辿り着いたようだ。
住宅街の中のほんのちょいとの広場で、盆踊りは催される。
そこだけ明るく賑々しい。



『革命記』は、大阪出身の監督の独白から始まる。
東京に来て盆踊りに行ってみたが、くそおもんない(全く楽しくない)。と。

音質の悪いカセットをかけて、辛うじて櫓には太鼓が有るか。
そんな盆踊りも多い。
「地元」というものが崩壊してしまった東京では、
盆踊りは盆の行事とも切り離され、小学校の夏祭りと化している所も多い。

都市化だけが原因ではない、と私は思う。
遡って江戸時代、ある時期に、盆踊りは禁じられたということだ。
みんなで集まって太鼓なんか叩いて音楽に乗って踊ってアドレナリンなんか放出すると、
一揆に繋がるからだ。

そこで一旦、芸能の伝統が断たれてしまったのだ。
では明治以降、どのように盆踊りの習慣が東京で成立してきたのか、
というところの調べはできていない。
「東京音頭」に先立つ「丸の内音頭」は昭和7年。
「音頭」が流行る前は、ほぼ同じようなものが「小唄」という名で流行った。
というくらいのことしか知らない。

録音と再生の機材が、カセットテープレコーダーの時代を迎える前は、
生演奏していたのだろう。
それは明治時代にどうやって復活し、盛んになっていったのだろう。

はいー、今後の課題。気長に。

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