2024年4月12日 埼玉県
忍城
埼玉県行田市本丸17-23
忍城(おしじょう)は成田顕泰によって築城され、石田三成による忍城水攻めにも耐え「忍の浮城」と称された。阿部忠秋によって大改築され、御三階櫓が建ち刷新されたが、明治維新後に取り壊された。現在は土塁などが残っている。
▼土塁
▼伝進修館表門(移設・復元)1832年
▼忍城櫓の石垣
▼忍城御三階櫓(再建)
【高校同期との旅2】 cosmophantom
2024年4月12日 埼玉県
忍城
埼玉県行田市本丸17-23
忍城(おしじょう)は成田顕泰によって築城され、石田三成による忍城水攻めにも耐え「忍の浮城」と称された。阿部忠秋によって大改築され、御三階櫓が建ち刷新されたが、明治維新後に取り壊された。現在は土塁などが残っている。
▼土塁
▼伝進修館表門(移設・復元)1832年
▼忍城櫓の石垣
▼忍城御三階櫓(再建)
【高校同期との旅2】 cosmophantom
2014年4月28日 福井県
北の庄城址・柴田公園
福井県福井市中央
北の庄城址・柴田公園には柴田勝家が築城した北庄城の天守があったとされています。北庄城は天正3(1575)に築城がはじまり、織田信長の安土城天守(7層)をしのぐ、9層の天守閣をもつ日本最大級の城だったと記録にのこっています。福井市ホームページより
▲復元模型
▲柴田勝家公像
2014-06-07 20:31:19cosmophantom
2023年12月15日 神奈川県
石垣山一夜城(続日本100名城)
神奈川県小田原市早川
石垣山は、本来「笠懸山」と呼ばれていましたが、天正18年(1590)豊臣秀吉が小田原北条氏を水陸15万の大群を率いて包囲し、その本陣として総石垣の城を築いたことから「石垣山」と呼ばれるようになりました。
この城が、世に石垣山一夜城または太閤一夜城と呼ばれるのは、秀吉が築城にあたり、山頂の林の中に塀や櫓の骨組みを造り、白紙を張って白壁のように見せかけ、一夜のうちに周囲の樹木を伐採し、それを見た小田原城中の将兵が驚き士気を失ったためと言われています。しかし、実際にはのべ4万人が動員され、天正18年4月から6月まで約80日間が費やされました。
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2023年12月5日 長野県
高島城2023
長野県諏訪市高島
420年ほど前の1598(慶長3)年、豊臣秀吉の家臣「日根野織部正高吉」により築城され、諏訪氏の居城としてその威容と要害堅固を誇ってきました。
日根野織部正高吉が築城の適地とした高島は、当時諏訪湖畔に島状を呈していたと思われる場所で「浮島」とも呼ばれ、ここには主に漁業を営む村落があったことが記録に残っています。高吉はこの村をまるごと移転させて高島城を築いたといわれています。
1970(昭和45)年5月に天守閣が復興
▼諏訪護国神社(高島城跡に鎮座)
二本の御柱が見て取れる。
▼ケヤキ
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2023年10月4日 秋田県
横手城(横手公園)
秋田県横手市城山町
横手城は佐竹氏の一族である戸村氏が城代となっていた城です。佐竹義宣が幕府に働きかけたことにより、一国一城令の例外として破却をまぬがれた城としても知られています。現在は横手公園として整備されており、模擬天守(横手城展望台)が建てられています。
熊・・・少しばかり怖いが足音を大きくして先に進む^^
▼視界が開け美しい山が見えた。鳥海山!!
▼これは土塁(遺構)なのか
▼模擬の天守閣(観光用)
▼秋田神社(横手公園・本丸跡)
秋田藩祖佐竹義宣を祀る神社で、戊辰戦争で戦死した22人の霊を慰めるために1879年(明治12年)秋田市の千秋公園にある八幡秋田神社を分社して建立されました。
▼「扇に月丸」は佐竹氏の家紋
▼秋田神社そばで見かけた石碑
朝倉城とは横手城のこと
▼帰路で見かけた。これは土塁(遺構)か?
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2020年1月30日 【小倉・門司・下関】 福岡県
小倉城
福岡県北九州市小倉北区城内
細川忠興の造った小倉城の天守閣は、「唐造り」と呼ばれ、4階と5階の間に屋根の庇がなく、5階が4階よりも大きくなっているのが特徴です。城下町を囲む外堀は、現在の砂津~中津口~香春口~豊後橋~金田~竪町を結ぶ約8キロメートルになります。石垣は切石を使わず、足立山から運び出した自然の形の石を積み上げて造っています。昔の天守閣は1837年(天保8年)に焼けてしまい、今の天守閣は1959年(昭和34年)に建てかえられました。
▲井戸
☆
▲小次郎vs武蔵
▲長州藩の小倉城砲撃に使用した大砲(復元)
▲旧第12師団司令部の正門
文豪・森鷗外は第十二師団軍医部長として小倉にいたのは明治32年(1899)6月から2年10か月である
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2019年6月12日 山形県【上山温泉】
上山城
山形県上山市元城内
金森家が転封された際に一度破却されたが、破却前は本丸に三重の天守や各所に櫓門がある近世城郭であり、月岡・天神森にそびえるその壮麗な城郭は「羽州の名城」として広く知れ渡っていた。藤井松平家が封じられた際に上山城は再興されたが、二の丸に居館を設けた程度の城構えであり明治を迎えた。
本丸西側に西内堀が残り、この他、土塁、石垣の一部と庭園が現存している。
天守閣は模擬 城門も多分模擬かな?
▲蔵王は雲の中・・・
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2018年11月11日 【チャシ跡群(根室・釧路)を巡る】 北海道
モシリヤチャシとハルトルチャランケチャシ
モシリヤチャシ 北海道釧路市城山
北海道釧路市にある北海道の先住民アイヌの砦跡。言い伝えによれば、1751年(宝暦1)に、この一帯で勢力をふるったトミカラアヤノという名前のアイヌが築造したもの。釧路市立博物館には、トミカラアヤノの一族の系図などが保存・展示されている。チャシ(砦)は長径約170m、短径約70mの楕円形の丘で内郭(本砦)と外郭(副砦)に分かれており、内郭には空堀がめぐらされ、その堀をつくった際に出た土砂を利用して土塁がつくられた。竪穴、貝塚も残っている。1935年(昭和10)に同市内のチャランケチャシ、春採(はるとり)台地竪穴群などとともに「モシリヤ砦跡」として国指定の史跡に指定された。
チャシはこの小山の上
この壕がチャシの特徴
▼モシリヤチャシは町中にきれいな状態で保存されている
▼ハルトルチャランケチャシ 北海道釧路市春湖台
春採湖岸にあるアイヌ民族のチャシ跡の一つ
2019-01-05 05:49:12
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2018年9月28日 大分県
杵築城
大分県杵築市大字杵築
室町時代初期、木付氏によって八坂川の河口にある台山の上に築かれたこの城は、北は高山川、東は守江湾といった天然の要害に囲まれた城であった。その後の天災、震災などで城も場所や形を変えながら、城主もまた前田、杉原、細川氏と入れ替わり、その後の小笠原氏、そして松平氏を最後に江戸の時代も終わりを告げ、杵築城は新たな城主を迎えることなく今に続く。現存するのは一部石垣など。天守閣は観光用
▼青筵神社
▲この海の先で関サバ、関アジがとれる
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2017年12月24日 【一人でゆく九州2017】 鹿児島県
清色(きよしき)城跡
鹿児島県薩摩川内市入来町浦之名(入来麓)
薩摩国の有力国人である入来院氏が本拠とした城で、建築年度は明らかではないが南北朝時代の頃に原型が出来上がったのではないかと考えられる。一国一城令により廃城となった。
現在の薩摩川内市入来支所の裏山が跡地で、東西750メートル、南北600メートルにわたる尾根上に「本丸」「松尾城」「西之城」「中之城」などの曲輪が設けられていた。曲輪の間はシラス台地を切り取った断崖絶壁の空堀が設けられているのは他の鹿児島県内の中世城郭にも共通する特徴である。2004年(平成16年)5月に国の史跡に指定された。 Wikipediaより
松尾城へ
▲松尾城跡
本丸へ進む
▲頼りの案内標識が落ちている。
▼本丸跡
中之城跡へ
▼中之城跡
▲この先に求聞持城跡、物見之段跡があるのですが、道の状況が悪く、堀切へ戻ることとした。
☆
▲この堀は清色城に因んだものなのだろうか?
この石碑脇の階段を登ると清色城の遺構があるのかも?
階段の上は小学校でした。奥の山が清色城跡?
関連記事:入来麓(重要伝統的建造物群保存地区)~鹿児島県薩摩川内市入来町
☆☆☆cosmophantom
2017年8月4日【明石・赤穂・姫路2017】 兵庫県
龍野城
兵庫県たつの市龍野町上霞城
明応8年(1499年)に豪族の赤松村秀が鶏籠山に築いた。以後政秀、広貞、広秀と続いたが、天正5年(1577年)に豊臣秀吉によって開城し、秀吉はあらたに蜂須賀正勝を置いた。 江戸時代に万治元年京極高和の丸亀移転の際に破却されたが、1672年に脇坂安政によって龍野城が再建された。この際山頂の郭は放棄され、山麓居館部のみの陣屋形式の城郭になった。現在の本丸御殿は1979年に再建されたものである。 歴代城主には福島正則、池田輝政なども挙げられる。
埋門(うずみもん)
▼本丸御殿
現在の本丸御殿は、昭和五十四年に再建したものですが、再建にあたっては当時を偲ぶ貴重な資料や現在残る数点の古図に基づき重建したものです。
脇坂氏の家紋である輪違(わちがい)
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2017年4月8日 佐賀県
唐津城2017
唐津城は、豊臣秀吉の臣“寺沢志摩守広高”が慶長7年(1602年)から7ヶ年の歳月を費やして完成したと伝えられています。
天守閣は観光用。
▼町のあちこちに残る石垣
▲武家屋敷だったとのこと。今は旅館?
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2017年4月8日【CTで行く福岡・長崎・佐賀県2017】 佐賀県
三ノ丸辰巳櫓(唐津城)2017
佐賀県唐津市
この櫓は唐津城三の丸の東南隅に建てられた、見張りや防御のための矢倉です。江戸時代初期、正保年間の「正保絵図」に描かれており、築城当時から築かれていたことがわかります。明治の廃藩後解体されていましたが、平成3年度に石垣を修復したうえで平成4年度に新築復元されました。 説明板
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2016年12月26日 高知県
安芸城跡
高知県安芸市土居
古代から安芸地方を支配してきた安芸氏の居城。
延慶元(1308)年、安芸親氏によって築かれたといわれている。
安芸氏は、戦国期には土佐七雄の一人に数えられ、「安芸五千貫」を領有する大豪族として、土佐国東部で最大の勢力を誇るようになったが、永禄12(1569)年、土佐統一をめざす長宗我部元親に攻められ、激戦の末に敗れた。
安芸城は、安芸平野のほぼ中央にあり、標高41m、東西100m、南北190mの長楕円形をした平山城の頂上からは、安芸平野や太平洋を一望できる。
現在は詰のほか、二の段、三の段などの曲輪や堀切、虎口の遺構、大手門の枡形などが残る。 外堀には、夏になると白連が咲きほこる。
▲城山か?
石垣や土塁は当時のもの?
▲安芸市立書道美術館 城郭風の建物
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2016年8月28日 鳥取県
米子城跡
鳥取県米子市久米町
西伯耆の拠点的な城であった米子城は、山陰で最初に築かれた近世初期の城郭です。天守のあった標高90メートルの湊山は、北側に丸山、東側に飯山、さらに南西側には中海という天然の要衝を擁する地で、この城山を内堀で囲み、さらに外郭に武家屋敷を配し、外堀を巡らせるという、典型的な平山城の特色を備えていました。湊山頂上には、四層五重の天守閣と四重櫓という大小2つの天守が、華麗に連なっていました。江戸時代に発布された「一国一城令」の下、例外として存続を許された「支城」と呼ばれる城のなかで、このような天守をそなえたものは全国でも稀です。城の建物は、ほとんど姿を変えることなく、明治にいたるまでその偉容を誇りました。その城の建物は残っていませんが、石垣や礎石などは城郭の形態をよくとどめ、その構造を知ることができる城跡として重要です。また、米子城に関する文献・絵図資料なども数多く、良好な状態で伝えられています。
▼旧小原家長屋門
米子城二の丸跡の南東側に、米子市で唯一の武家屋敷の建物である小原家長屋門があります。長屋門とは家臣などを住まわせるため、武家屋敷の前面に長屋を設け、その一部を開けて門とした建物です。この長屋門は桁行20.38メートル、梁間4.03メートル、木造瓦葺平屋建て入母屋造りで、入口正面に向かって右側に1室、左側に2室あります。左側奥の部屋には、物置用に造られたと思われる屋根裏の中2階があります。窓の部分は出窓づくりの古い造りが残されています.
▲内善丸(ないぜんまる)
鉄御門跡
▲ 天守などの礎石
▲大山(?)だと思いますが。
▲遠見櫓跡
2016-11-15 05:21:46
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