コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

平塚八幡宮~ 神奈川県平塚市浅間町

2017-07-31 05:50:07 | 神社・仏閣・教会

2017年5月4日 神奈川県

平塚八幡宮

神奈川県平塚市浅間町

神奈川県・湘南平塚市に鎮座する「平塚八幡宮」は古くは鶴峯山八幡宮と称えられ、仁徳天皇の68年、この地方を襲った大地震に苦しむ人々の様を見かねた天皇が国土安穏を祈り、應神天皇の御神霊をお祀りされたのが創祀の神社です。現在でも平塚八幡宮は、應神天皇、神功皇后、武内宿禰を御祭神に、相模國一國一社の神社として、また鎮地大神と仰がれ、数多くの方がご参拝し「大祓(茅の輪くぐり)」「ぼんぼりまつり」「八月の例大祭(夏祭り・ぼんおどり歩射神事)」などの行事や「平塚弁財天社(湘南ひらつか七福神めぐり)」などで親しまれ、「厄除」「八方除」「方位除」「七五三詣」「初宮詣」「安産祈願」「車のお祓い」などの御祈祷で崇敬者からの信頼を集めています。

 

 

cosmophantom 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平塚(神奈川県平塚市)の町並み

2017-07-30 05:49:55 | 町並み

2017年5月4日 神奈川県

平塚(神奈川県平塚市)の町並み

平塚八幡宮 

▼旧横浜ゴム平塚製造所記念館

▼旧平塚市議事堂(平塚市崇善公民館)
 

▼平塚宿 江戸方見附跡

▼この行列からみるとらーめんの人気店かな?

▼JR平塚駅西改札口

  

▼平塚駅前

▼平塚駅

駅構内

▼高麗山

cosmophantom

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

稲倉の棚田(日本の棚田百選)~長野県上田市殿城

2017-07-29 05:51:00 | その他

2017年7月1日 長野県 

稲倉の棚田 日本の棚田百選

長野県上田市殿城

上田市の北東部、殿城地区に、「日本の棚田百選」に選ばれた信州稲倉の棚田(しんしゅういなぐらのたなだ)があります。稲倉の棚田は、元禄時代から明治時代にかけて開田されたものと言われており、山裾から谷間に大小様々な形状の棚田が広がり、その景観について推薦をされ認定を受けました。

 

 

cosmophantom

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

柳町(長野県上田市中央)の町並み2017

2017-07-28 05:43:34 | 町並み

2017年7月1日 長野県

柳町の町並み

長野県上田市中央

旧北国街道沿いの家並みが残る通りです。柳の木が多かったこの通りに旅籠屋や商家が軒を連ね、呉服屋だけでも25軒あったといいます。面影を残す街並みは白い土塀に格子戸のある家、古道具屋、杉玉のある造り酒屋などがあります。
 

▼信州上田の十割蕎麦屋 おお西

   

 ▼岡崎酒造

創業:寛文5年(1665年)  信州亀齢(きれい)が人気らしい
  

店内には江戸時代に造られた雛人形

関連記事

柳町(長野県上田市中央)の町並み2015

2017-07-28 05:43:34

cosmophantom

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上田城2017(100名城)~長野県上田市

2017-07-27 06:09:26 | 100名城

2017年7月1日 長野県

上田城2017 100名城

長野県上田市

1583年、甲斐武田氏の旧臣・真田昌幸が築いた平城である。上田盆地北部、千曲川の分流である尼ヶ淵に面していたことから「尼ヶ淵城」と呼ばれることもあった。 北に太郎山、南に千曲川といった自然の要塞を持ち、さらに城の北と西に矢出沢川を引き込んで総構えとしている。唯一の攻め口である東側にも蛭沢川や湿地帯がある。 第二次上田合戦後、関ヶ原の戦いで真田昌幸、信繁(幸村)が属した西軍が敗れたため、上田城は徳川軍に徹底的に破却された。現在の遺構は、真田氏が信濃国松代に転封されたのちに入城した仙石氏によって再建されたものである。

※ 前回は西櫓を見逃してしまいました。!今回は西櫓をメインに 前回 上田城2015(長野県上田市)100名城

▼西櫓

西櫓は寛永3~5年(1626~1628)にかけて仙石氏によって建てられた、上田城で江戸時代から現存している唯一の建物です。南櫓・北櫓とともに長野県宝に指定されています。

    

 

▲尼ヶ淵の崖

上田城南側の崖下にはかつて千曲川の緩やかで深い分流があり、天然の堀となっていました。崖面がもろく崩れやすい性質だったことから築城以来保護対策が行われ、大規模な石垣が設置されています。この場所を「尼ヶ淵」と称したことから、上田城は別名「尼ヶ淵城」とも呼ばれていました。

 

▼二の丸櫓台と硝煙蔵

 

西櫓

本丸跡

 

▲真田井戸

西櫓

 

▲東虎口門と南櫓

南櫓

▼北櫓
  

 ▼真田神社

▼東虎口門

▼真田石

 

▲東虎口門と南櫓
 

▲東虎口門と北櫓
 

 ▼自作の甲冑を身に着けた上田城甲冑隊

決めポーズ お見事!

これは花札を利用しているとのことでした

 ▼上田市立博物館にて
  

関連記事:上田城2015(長野県上田市)100名城

cosmophantom

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海野宿2017(重要伝統的建造物群保存地区)~長野県東御市本海野

2017-07-26 05:50:49 | 重要伝統的建造物群保存地区

2017年7月1日 長野県

海野宿2017 重要伝統的建造物群保存地区

長野県東御市本海野

海野宿は寛永2年(1625)に北国街道の宿駅として開設されました。北国街道は、中山道と北陸道を結ぶ重要な街道でした。佐渡で採れた金の輸送、北陸の諸大名の参勤交代のほか、江戸との交通も頻繁で善光寺への参詣客も多くありました。寛保2年の大洪水によって隣接する田中宿が被害を受け、本陣が海野宿へ移されてからは、伝馬屋敷59軒、旅籠23軒と、たいへんな賑わいを呈していました。明治に入り宿場機能が失われてからは、養蚕の村へと移り変わりました。海野宿は伝統的な家並みが現在まで保存されていることから、昭和61年には「日本の道百選」に、62年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定を受けています。 東御市観光協会

  

▼海野宿資料館

江戸時代の寛政年間(1790年頃)に建てられた建物がそのまま資料館に。旅籠屋造りと明治以降の養蚕農家の特徴を兼ね備えている点で海野宿特有の建物です。海野宿の風土・歴史・資料が展示されています。

  

▲移築された小屋根
 

 

本陣跡

      

  

  

▼白鳥神社

白鳥神社は、日本武尊の伝説を縁起とする神社で、信州は北国街道の宿場「海野宿」(現在の長野県東御市本海野)の産土神社でもあると共に、海野氏、また真田幸村で有名な、真田氏の氏神として祀られた歴史のある神社です。

 

 

関連記事 海野宿2015

2017-07-26 05:50:49

cosmophantom

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上田(長野県上田市)へ

2017-07-25 05:51:55 | 旅行

2017年7月1・2日 長野県 群馬県

上田(長野県上田市)へ

ベトナム在住の旧友が一時帰国し、定番となりつつある、歓迎旅行。今回で3回目。宿泊先は「休暇村 嬬恋鹿沢」

▼富岡製糸場(2017年7月1日)

▼海野宿(2017年7月1日)

 

 休暇村 嬬恋鹿沢へ(2017年7月1日)
 

▼湯の丸レンゲツツジ群落(群馬県吾妻郡嬬恋村鹿沢)

湯の丸山の東腹から県境の地蔵峠付近にかけて広がる標高1700m前後の高原。174万平方mに及ぶ高原一帯に60万株のレンゲツツジ大群落が花盛りとなる。山頂から見下ろす朱橙色に埋めつくされた風景は見事です。

 

「休暇村 嬬恋鹿沢」へ

▼休暇村 嬬恋鹿沢(2017年7月2日)

標高1400mの高原の魅力と温泉の恵みを堪能できる

コマクサ

  

▼上田城(2017年7月2日)

 ▼柳町(長野県上田市中央)の街並み

▼稲倉の棚田
  

cosmophantom

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

富岡製糸場2017(世界遺産)・~群馬県富岡市富岡

2017-07-24 05:44:32 | 洋館

2017年7月1日 群馬県

富岡製糸場2017 世界遺産

群馬県富岡市富岡

富岡製糸場は、明治5年(1872年)に明治政府が日本の近代化のために設立した模範器械製糸場です。
明治維新後、政府は日本を外国と対等な立場にするため、産業や科学技術の近代化を進めました。そのための資金を集める方法として力を入れたのが、生糸の輸出でした。政府は生糸の品質改善・生産向上と、技術指導者を育成するため、洋式の繰糸器械を備えた官営の模範工場をつくることを決めました。こうして富岡製糸場が建設され、現在までほぼ変わらぬ姿で残されています。

▼西繭倉庫 国宝

▼東繭倉庫 国宝

    

▼西繭倉庫 国宝

東置繭所と同様に2階は繭を貯蔵していた建物です。大きさ・構造は東置繭所とほぼ同じですが、1階の北半分の東面は官営期に蒸気機関を動かすための石炭置き場として使われてため東面には壁がありませんでした。この部分の煉瓦壁は昭和56年頃に積まれたものです。
  

 ▼ブリュナエンジン(復元機)

「ブリュナエンジン」は、富岡製糸場の創業(1872年)に際して設立指導者のポール・ブリュナが導入した横形単気筒蒸気機関で、通称「ブリュナエンジン」と呼ばれています。蒸気ボイラーと共に旧蒸気釜所(重要文化財)の中に置かれ、大正期に電力に取って代わられるまで繰糸器械等を動かす動力原として使われました。1968年に当時の経営者である片倉工業株式会社によって博物館明治村(愛知県)へ寄贈され、現在、同館にて展示されています。このたび富岡製糸場で展示を開始する復元機は、2012年に富岡市内の工業界が「将来に残せる工業界のシンボル」として製作に取り組み、昨年(2016)、完成したものです。

▼検査人館 重要文化財
   

▼男子寮

▼繰糸所

繰糸所(そうしじょ)あるいは繰糸工場は、富岡製糸場の中で中心的な建物である。敷地中央南寄りに位置する、東西棟の細長い建物で、木骨レンガ造、平屋建、桟瓦葺き。平面規模は桁行140.4 m、梁間12.3 mである。東端に玄関を設ける。小屋組は木造のキングポストトラスである。Wikipediaより
 

  

▼ブリュナ館 重要文化財

明治政府は外国人指導者としてフランス人のポール・ブリュナを雇用し、製糸場を建設しました。ブリュナはフランスから技術者を招いたり、日本人の体格に合うように改良した洋式の器械を取り寄せました。工場の敷地内には明治6年に建設された、ブリュナが家族やメイド達と暮らしていた住居、「ブリュナ館」があります。ブリュナが去った後の明治13年からは工女の夜学校や寄宿舎として使用されました。クラブツーリズムHPより

▼診療所

昭和15年に建てられた3代目の診療所

 

関連記事

富岡製糸場2014

富岡製糸場・ブリュナ館2014

富岡製糸場・繰糸場2014

富岡製糸場・東繭倉倉庫2014

2017-07-24 05:44:32

cosmophantom 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

成宗電車第一トンネル・第二トンネル~千葉県成田市

2017-07-23 05:47:25 | 遺産・遺跡など

2017年4月30日 千葉県  

成宗電車第一トンネル・第二トンネル

千葉県成田市

成宗電車第一、第二トンネルは「明治43年に建設された煉瓦造の鉄道トンネルで、形態的にほぼ同一な2つのトンネルが連続している姿は趣がある貴重な土木遺産」であります。竣工年1910(明治43)年

 

 ▼京成成田駅

▼JR成田駅

☆cosmophantom

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

成田山新勝寺2017~千葉県成田市成田

2017-07-22 05:55:40 | 神社・仏閣・教会

2017年4月30日 千葉県 

成田山新勝寺2017

千葉県成田市成田

新勝寺は成田のお不動様として親しまれ、歌舞伎の成田屋・市川團十郎丈、海老蔵丈など多くの人々が江戸の昔から参詣する霊場です。。寛朝大僧正が天慶3年(940年)に開山した真言宗智山派の大本山です。本尊の不動明王は、平安時代、嶬峨天皇の勅願により弘法大師が一刀三礼、敬慮な祈りを込めて彫り開眼しました。朝夕に天下泰平・五穀豊穣・万民豊楽の護摩法を修せられた霊験あらたかなご尊像です。朱雀天皇の天慶2年(939年)、平将門の乱平定の為、寛朝大僧正によって当地に還座、成田山が開山されました。

成田山新勝寺2013

参道にて

 

           

cosmophantom

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧御子神家住宅(重要文化財)~房総のむら構内

2017-07-21 06:06:29 | 建築物(洋館以外)

2017年4月30日 千葉県

旧御子神家住宅  重要文化財

千葉県成田市大竹字申内1451番地千葉県立房総のむら構内

南房総市(旧丸山町)に、安永9年(1780)に建てられた中規模農家です。御子神家は、安房郡丸山町石堂で代々農業を営んできた旧家で、この住宅は、昭和46年(1971)に「普請入用覚帳」、「屋根替覚帳」とともに千葉県に寄贈され、昭和48年(1973)に県立房総のむら(旧県立房総風土記の丘)敷地内に移築公開されている。

この建物は、4室の部屋と土間からなる。炉を切った板の間の「ざしき」と、板の間の「なんど」、8畳敷の「しもでい」、6畳敷の「でい」の4室があり、でいには床を設け、ざしきには仏壇を設ける。客座敷のまわりに縁側をまわしてあることや引違いの板戸の内側に一枚の障子がつけられていること、土間からの入り口には戸棚を設けていることなどが特徴で、床を張った部分と土間が一つの屋根となっている安房地方の直屋形式をとる古民家の例として貴重である。

 

 cosmophantom

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧学習院初等科正堂(重要文化財)・~千葉県成田市

2017-07-20 05:59:10 | 洋館

2017年4月30日 千葉県

旧学習院初等科正堂 重要文化財

千葉県成田市大竹字申内1451番地千葉県立房総のむら構内

東京四谷尾張町に講堂として建てられたが 昭和十二年皇太子の入学に備えて新築する際、千葉県印旛郡遠山村(現成田市)に払い下げられ、同村立尋常高等小学校(現成田市立遠山中学校)の講堂として移築された。木造平家建で装飾が少く意匠は簡潔であるが、様式手法は堅実で落着いた趣をもつ。

   

       

  

cosmophantom

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

房総のむら その2~千葉県印旛郡栄町龍角寺

2017-07-19 05:50:55 | その他

2017年4月30日 千葉県

房総のむら その2

千葉県印旛郡栄町龍角寺

▼旧学習院初等科正堂 重要文化財

 

▼岩屋古墳(龍角寺105号)古墳

周辺には多くの古墳が点在している
 

 ▼旧平野家住宅 県指定有形文化財

平野家は、富津市亀沢で農業を営み、江戸時代には代々名主役を務めた旧家。移築
 

 ▼旧御子神家住宅 重要文化財

  
これも古墳?

 cosmophantom

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

房総のむら その1~千葉県印旛郡栄町龍角寺

2017-07-18 05:46:36 | その他

2017年4月30日 千葉県 

房総のむら その1

千葉県印旛郡栄町龍角寺

「千葉県立房総のむら」は、参加体験型の博物館として昭和61年4月1日に開館しました。
平成16年には「千葉県立房総風土記の丘」と統合して、恵まれた里山環境の中で原始・古代から近代現代までの衣・食・住・技の移り変わりを体験することができる博物館としてリニューアルスタートしました。

▼千葉県議会議事堂(管理棟)

▼商家の街並み

香取市(旧佐原市)などに残る古い町並みを参考にして、商家16棟と総屋・地蔵堂・辻広場・稲荷境内で構成されており、人々で賑わう町場の景観を再現しています。

▼武家屋敷

佐倉藩中級武士の武家屋敷が再現されています。
 

 

 ▲綱つり:災いよけ
 

 上総の農家:上総地方の代表的な名主クラスの農家を再現
  

▼節供(せっく)凧
  

cosmophantom

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

千葉県議会議事堂(管理棟)・~千葉県印旛郡栄町龍角寺

2017-07-17 05:49:09 | 洋館

2017年4月30日 千葉県 

千葉県議会議事堂(管理棟)

千葉県印旛郡栄町龍角寺

明治13(1880)年千葉市長洲に建てられ明治44(1911)年まで使用された第2代目の千葉県議会議事堂を、当時の写真や銅版画によって外観を再現しています。屋根は、日本で古くから行われてきた平瓦と丸瓦を交互に置く本瓦葺きですが、前面のベランダや窓は西洋風で、擬洋風建築と呼ばれる和洋折衷の独特な外観です。

    

cosmophantom

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする