2014年7月21日 東京都
上野駅
東京都台東区上野7丁目・東上野3丁目
上野駅舎(1932年4月3日落成)2代目
正面玄関口
広小路口
公園口
cosmophantom
2014年7月21日 東京都
上野駅
東京都台東区上野7丁目・東上野3丁目
上野駅舎(1932年4月3日落成)2代目
正面玄関口
広小路口
公園口
cosmophantom
2014年2月26日 東京都
上野東照宮 重要文化財
東京都台東区上野公園9-88
1616年、2月4日、お見舞いのために駿府城にいた藤堂高虎と天海僧正は、危篤の家康公の病床に招かれ、三人一つ所に末永く魂鎮まるところを作ってほしいという遺言を受けました。そこで藤堂家の屋敷地であった上野に1627年に東照宮を造営しました。1646年には正式に東照宮の宮号を授けられました。1651年に三代将軍・徳川家光公が大規模に造営替えをしたものが、現存する社殿です。金箔をふんだんに使い、大変豪華であったことから「金色殿」とも呼ばれています。 当時は東叡山寛永寺の一部でしたが、戦後神仏分離令により寛永寺から独立しました。 その後、戦争や震災などの災厄に一度も倒れることなく、江戸の面影をそのまま現在に残す、貴重な文化財建造物です。
▲透塀
※ 鳥居や燈篭を追加 (2014年7月21日撮影)
cosmophantom
2014年7月21日 東京都
上野公園から寛永寺へ
奏楽堂
※ 外装をリニューアル?したのかな
▲ 2014年2月26日撮影
▲ 2014年7月21日撮影
カバヤ珈琲 (台東区谷中)
大正5年築の木造の建物が赴きある、昭和13年創業の喫茶店。先代の店主が亡くなってから閉店状態が続いていたが、「この店を残したい」という人々によって、2009年9月にリニューアルオープンした。
※ いい感じの店構え、コーヒーでもと思いましたが、行列ができており、スルー
吉田屋本店 (台東区谷中)
谷中6丁目で江戸時代から代々酒屋を営んでいた「吉田屋」の建物を現在地に移築したものです。明治43年に建てられた建物は、腕木より軒桁が張り出している出桁(だしげた)造で、また正面入口には板戸と格子戸の上げ下げで開閉する揚戸(あげと)が設けられています。いずれも江戸中期から明治時代の商家建築の特徴を示すものです。
※下町風蔵博物館として見学できるようになっている。
寛永寺 (台東区上野桜木一丁目)
上野寛永寺(天台宗東叡山寛永寺)は、天海僧正(慈眼大師)の進言により、江戸城の艮(うしとら、北東)の鬼門の守として、寛永2年(1625)に本坊が落成しました。東叡山は東の比叡山を意味し、寛永年間に創建時の年号によって寛永寺の勅号を与えられています。上野寛永寺は、将軍家の墓を芝増上寺と二分して菩提寺として成り、上野の山一帯に本坊円頓院を初めとして諸堂、子院がありましたが、慶応4年(1868)の東征軍と彰義隊による、いわゆる上野戦争時に、その多くが焼失しました。現在の根本中堂は、明治12年に川越喜多院本地堂を移築したものです。
根本中堂
cosmophantom
2014年7月21日 東京都
巌有院霊廟勅額門及び水盤舎 重要文化財
東京都台東区上野桜木一丁目 (寛永寺)
厳有院霊廟は、寛永寺にある霊廟で四代将軍家綱が埋葬されています。勅額門と水盤舎は、廟所と共に戦災を免れた貴重な遺構で共に重要文化財に指定されています。勅額門とは天皇直筆の額を賜った門のことで、水盤舎は手水舎のことです。勅額門の形式は四脚門、切妻造、前後軒唐破風付、銅瓦葺です。TAITOおでかけナビ
巌有院: 四代将軍家綱
cosmophantom
2014年7月21日 東京都
常憲院霊廟勅額門及び水盤舎 重要文化財
東京都台東区上野桜木一丁目 (寛永寺)
常憲院霊廟(じょうけんいんれいびょう)は、江戸幕府五代将軍徳川綱吉の霊廟。水盤舎は見ることができない。
常憲院:徳川綱吉のこと
cosmophantom
2014年7月11日 東京都
高燈篭(常燈明台)
千代田区九段南2-2
靖国神社正面の常夜灯として明治4年(1871)に建設されました。靖国神社(当時は東京招魂社)に祭られた霊のために建てられたといわれています。 正式には高燈篭といいますが、常燈明台ともいわれています。当時、九段坂の上からは、遠く筑波山や房州の山々まで見渡すことができ、品川沖を行きかう船にとっては大変良い目印として灯台の役目も果たしました。当初は靖国通りをはさんで反対側に建てられていましたが、道路の改修に伴い昭和5年(1930)に現在地に移転しました。千代田区観光協会
cosmophantom
2014年3月4日 東京都
清水門 重要文化財
千代田区北の丸公園1-1
寛永元年(1624)助役大名,浅野長晟により建てられた枡形の城門。扉釣具の銘には万治元年(1658)とあるが,これは江戸城の総曲輪の大工事を行ったついでにこの門を修復した年であると考えられています。門名については,昔この辺りに清水が湧き出ていた、また、古くはこの辺りに清水寺があったことから、その名をとって清水門と称したともいわれています。宝暦9年(1759)九代将軍家重の第二子重好をして,この門内に一家を創立させて門名にちなんで清水家と称しました。文久3年(1863)の本丸炎上の時には、将軍家茂と夫人親子(静寛院宮)は一時ここに移っていたといわれています。千代田区観光協会ホームページより
※ 訪問時改修工事中 平成26年3月末日まで もう一度訪問しよう
▲2014年7月17日撮影 改修工事は終了
▲北の丸公園で見かけた住居表示
cosmophantom
街道ウォーク>旧日光街道>幸手(駅)~野木駅
2014年8月16日 目指すは日光東照宮 3回目
国道4号の様子(野木)(~友沼信号)
本道標は、日光街道野木宿から下生井・白鳥・部屋・榎本を経由し、栃木へ向う日光山近裏道と呼ばれた脇往還入口に建てられている。この道は、栃木で例幣使街道へ通じており、野木以南と日光方面とを短絡する道であった。以下省略
▲ひまわりか?
15:33
立派な門。なにか云われがあるかも?
▲街道は直進。帰宅のため友沼信号を左折しJR野木駅へ
本文 cosmophantom
街道ウォーク>旧日光街道>幸手(駅)~野木駅
2014年8月16日 目指すは日光東照宮 3回目
国道4号の様子 (野木)
64kmポスト 15:02 41563歩
野木宿説明板
本文 cosmophantom
2014年8月16日 栃木県
旧下野煉化製造会社煉瓦窯 重要文化財
栃木県下都賀郡野木町
明治19(1886)年、明治政府は臨時建設局を設置し、官公庁関連の建造物の近代化(煉瓦造化)に着手した。この計画により、煉瓦の大量生産が必要とされた。こうした時代の要請に伴い、明治21(1888)年10月に三井合名会社の援助を受け、地元の有志によって野木町に下野煉化製造会社(現在の株式会社シモレン)が創立された。
▲この穴の一つ一つが窯なんだろうな~
作業棟か?
cosmophantom
街道ウォーク>旧日光街道>幸手(駅)~野木駅
2014年8月16日 目指すは日光東照宮 3回目
旧下野煉化製造会社煉瓦窯 重要文化財
栃木県下都賀郡野木町
明治19(1886)年、明治政府は臨時建設局を設置し、官公庁関連の建造物の近代化(煉瓦造化)に着手した。この計画により、煉瓦の大量生産が必要とされた。こうした時代の要請に伴い、明治21(1888)年10月に三井合名会社の援助を受け、地元の有志によって野木町に下野煉化製造会社(現在の株式会社シモレン)が創立された。
▲この穴の一つ一つが窯なんだろうな~
作業棟か?
本文 cosmophantom
街道ウォーク>旧日光街道>幸手(駅)~野木駅
2014年8月16日 目指すは日光東照宮 3回目
旧道(よこまち柳通り)の様子
▲この常夜灯(?)で古河宿は終わり
▲塩滑地蔵菩薩:体の具合が悪いところに塩を塗ると治るという言われがある
本文 cosmophantom