コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

旧杉山家(重要文化財)~大阪府富田林市

2015-01-31 07:10:44 | 建築物(洋館以外)

2014年12月29日 大阪府

旧杉山家 重要文化財

大阪府富田林市富田林町14の31

杉山家は富田林寺内町の創設にかかわった旧家の一つであり、江戸時代は造り酒屋として栄えました。現存する家屋は寺内町で最も古く、江戸時代中期の大規模商家の遺構として、国の重要文化財に指定されています。本市では、旧杉山家住宅を寺内町の代表的な町家として保存し、一般公開しています。とんだばやし より

※ 残念ながら年末で休館日であり、内部の見学はできませんでした。外見だけでも流石の重要文化財!

石上 露子(いそのかみ つゆこ)

1882年6月11日、大阪府石川郡富田林村(現在の富田林市)の寺内町で、裕福な大地主で造り酒屋でもある杉山家の長女として誕生。幼年期は旧家の長女として、琴や和歌、漢籍、日本画、上方舞等を学ぶほか、家庭教師を招いて指導を受けた。1903年(明治36年)、21歳の時、与謝野鉄幹が主宰する新詩社の社友となり、同社の雑誌「明星」に短歌を寄稿する。また「婦女新聞」「婦人世界」「ヒラメキ」「新潮」等にも文章を寄せた。1907年(明治40年)、「明星」明治40年12月号に代表作となる「小板橋」を発表。

※ 当方はこの方を全く存じておりません。

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富田林寺内町②(2/2)(富筋・城門之筋など)~大阪府富田林市

2015-01-31 07:10:42 | 重要伝統的建造物群保存地区

2014年12月29日 大阪府

富田林寺内町②(富筋・城門之筋など) 重要伝統的建造物群保存地区

大阪府富田林市

 

▲ 上野家住宅 仲村家住宅の向かいにある。丸い虫籠窓が特徴。現「上野呉服店」。19世紀中期の築造。

仲村家住宅 屋号「佐渡屋」。酒造業を営んでいた。幕末期には吉田松陰が20数日滞在した。18世紀後半(1782年~1783年)の築造。

 

 ・

杉田家住宅 屋号「樽屋善兵衛」。油屋を営んでいた。現「杉田医院」。18世紀中期の築造。

 屋根上の小さな屋根?は煙出し越屋根と言うらしい


 
 

 ・

 葛原家住宅 屋号「たばこ屋」。18世紀末に酒屋を始めたと伝えられている。19世紀中期の築造。

 

 

 

二階の壁は銅ぶきかな?

 

▲ (東)奥谷家住宅  油商を営んでいた。19世紀初期の築造。

 ・

(南)奥谷家住宅 味醂製造業を営んでいたといわれる。19世紀後期の築造。

 


 

 

 ・

杉田家住宅 屋号「樽屋善兵衛」。油屋を営んでいた。現「杉田医院」。18世紀中期の築造。


 

▲興正寺別院

木口家住宅  18世紀中期の築造と推定 

 

▲中井家住宅   屋号「布屋」。呉服商を営んでいた。主屋は19世紀中期の築造と推定

 

 

中央眼科医院 登録有形文化財

 元・国分銀行本社屋の近代建築。1階壁面の大型半円アーチ窓と2階の半円錐窓台が特徴。1924年(大正13年)頃の築造。

 

 

 

▲ 佐藤家住宅

 

越井家住宅

屋号「平尾屋庄兵衛」。北側に長大な米蔵がある。明治末期の築造。

 

 

関連記事:富田林①(本町通)

2015-01-31 07:10:42

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富田林寺内町①(1/2)(市場通(本町通))~大阪府富田林市

2015-01-30 06:29:19 | 重要伝統的建造物群保存地区

2014年12月29日 大阪府

富田林寺内町① 重要伝統的建造物群保存地区

大阪府富田林市

1558年(永禄元年)、興正寺門跡証秀上人によって創建された興正寺別院を中心とした寺内町として誕生し、商売の盛んな在郷街として発展しました。現在も創建当時の六筋七町の町割りや、重要文化財旧杉山家住宅、仲村家住宅など往時の繁栄を偲ぶ重厚な町家が数多く残されています。また、大阪府内で唯一の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。富田林観光協会より

※ 市場通(本町通)から散策開始

 

 ※ これらの写真はい一軒のもの。きっと地域の名家に違いない

 

旧田中家住宅

旧田中家住宅は、明治期民家の特色を良くとどめた歴史的建築遺構として、国の登録有形文化財となっており、本市では、旧田中家住宅を保存伝承し、且つ活用するため、主屋の移設や施設の改修をおこない、広く市民の文化的活動の場として一般公開しています。とんだばやし より

切妻の綺麗な住宅 こんな家で暮らしてみたい・・・

 

 

旧杉山家住宅 重要文化財

杉山家は富田林寺内町の創設にかかわった旧家の一つであり、江戸時代は造り酒屋として栄えました。現存する家屋は寺内町で最も古く、江戸時代中期の大規模商家の遺構として、国の重要文化財に指定されています。本市では、旧杉山家住宅を寺内町の代表的な町家として保存し、一般公開しています。とんだばやし より

  

富田林寺内町②

2015-01-30 06:29:19

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千早城跡(100名城)~大阪府千早赤阪村千早

2015-01-29 06:13:13 | 100名城

2014年12月29日 大阪府

 

千早城跡 100名城

大阪府南河内郡千早赤阪村千早

千早城は、かつて金剛山中腹にあった山城で、鎌倉時代から南北朝時代にかけて活躍した楠木正成の城です。三方を深い谷が囲み、残りの一方は金剛山の山頂へ連なる尾根となっています。現在でも、千早城の城址への道のりは険しく、ちょっとした登山へ行くような心構えが必要です。 金剛山登山口から千早城址までは、徒歩で約20~30分程度ですが、ずっと登りです。千早赤阪村観光協会

▲千早城登り口

▲ 鎧のカカシがお出迎え

▲ いきなりの急階段

 
▲ 延々と続く階段
 

▲ 楠公之功與此山倶:意味は不明

▲ 長い階段を登りきると平らな所にでる。ここが城址か?まだ先でした

▲ また、あの 鎧カカシ

 

▲ 千早城址の石碑

▲ 千早神社

千早神社は千早城の本丸にあり、もとは千早城の八幡大菩薩を祀って鎮守として創建したものであったが、後に楠木正成、楠木正行を合祀した。1874年(明治7年)に社殿を再建、1879年(明治12年)に祠を建て千早神社となる。1907年(明治40年)に周辺にあった吉年の金峯神社、小吹の八坂神社、千早の坂本神社、中津神社を合祀した。Wikipediaより

バスで富田林駅へ戻る

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富田林駅~大阪府富田林市本町

2015-01-28 07:29:39 | 鉄道・駅

2014年12月29日 大阪府

富田林駅 近畿日本鉄道長野線

大阪府富田林市本町

※ 前日は大阪市内泊 夜は雨でしたが朝になると雨も上がり この日の最初の目的地 千早城跡へ

 

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根来寺(重要文化財)~和歌山県岩出市

2015-01-27 06:28:50 | 神社・仏閣・教会

2014年12月28日 和歌山県

 

根来寺 国宝 重要文化財

和歌山県岩出市根来

高野山僧の間で権勢を奮っていた覚鑁(かくはん)上人は、羨望の的となり教義対立から高野山を追われ、根来に逃れてきました。
その覚鑁の志を受け継ぐ弟子達により、約100年後に再興されました。戦国時代に僧兵1万余りを率いて根来衆としてその名をとどろかせましたが、豊臣秀吉に敗れ、現在は多宝塔と大師堂だけが当時の権勢の名残をとどめています。和歌山観光協会

 

大門 県指定文化財

江戸時代末期の嘉永3年(1850年)再建。高さ16.88メートル、幅17.63メートル、奥行6メートル。

 

 

 

 太子堂 重要文化財

 大塔とともに秀吉の焼き討ちをまぬがれた建物で、本尊の造立銘から明徳2年(1391年)頃の建立と推定されている。

 

大塔(多宝塔) 国宝

高さ40メートル、幅15メートルの日本最大の多宝塔。「多宝塔」とは二層一階建ての塔で、通例、初層(裳階)の平面が方形、上層が円形に造られる。この塔も、初層の外見は方形だが、初層内部には円形の内陣が造られており、円筒形の塔身の周囲に庇を付した、多宝塔本来の形式をとどめている。内部には12本の柱が円形に立ち、そのなかに四天柱が立っている。解体修理の際に部材から発見された墨書により、文明12年(1480年)頃から建築が始まり、半世紀以上経た天文16年(1547年)頃に竣工したと考えられている。また、基部には秀吉に攻められた際の火縄銃の弾痕が残されている。

 

▲大塔と太師堂

 

 大伝法堂  県指定文化財

江戸時代後期の文政10年(1827年)再建

 

奥の院 

興教大師廟所

 

 

光明殿(常光明真言殿)と庭園

中央に興教大師覚鑁上人の御尊像を安置し、左右に根来寺復興にお力添えを頂いた紀州徳川家のご位牌をまつっています。

紀州徳川家から拝領した 名草御殿 (なぐさごてん) に面した江戸時代の庭園です。自然の風景を取り入れた景色や美しい水辺が拝観できます。

 ▲ 閼伽井
 

▲ 名草御殿

 

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金田家長屋門~和歌山県岩出市

2015-01-26 06:20:49 | 長屋門など

2014年12月28日 和歌山県

金田家長屋門

和歌山県岩出市

門前町本通り道路に面した門長屋、桁行八間余、梁間一間半で左手に蔵がある。長屋門も腰はナマコ壁(瓦を四半にして壁にはり、目地をかまぼこ断面に漆喰でおさえる)その上は漆喰壁、屋根は本瓦葺、右手入母屋となる。中央部に扉、入口がある。昭和四十二年一月二十日、地士の門長屋として、町の重要文化財に指定された。

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増田家(重要文化財)~和歌山県岩出市

2015-01-25 06:59:40 | 建築物(洋館以外)

2014年12月28日 和歌山県

 増田家 重要文化財

和歌山県岩出市曽屋173

増田家はこの地方の大庄屋でこの住宅は宝永三年(一七〇六)に建立されたものである。また長屋門は宝暦九年(一七五九)の建立になる。屋敷も広く、大庄屋としての格式をうかがうことができる。建立年代の明らかな大庄屋住宅として貴重であり、県下ではもっとも古い住宅である。文化遺産データベース

※ 岩出駅からタクシー利用。道は大変狭く、地元のタクシートライバーもここにたどり着くのに苦労していました。 見事な長屋門だ

 

▲主屋は非公開?!見学できる状況にはないようであり、門付近からパチリ

※ この後、桃井家へ、探し回るも見つけることができず。仕方なく、金田家へ

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岩出駅~和歌山県岩出市

2015-01-24 07:06:16 | 鉄道・駅

2014年12月28日 和歌山県

岩出駅 西日本旅客鉄道和歌山線

和歌山県岩出市高塚

重文の増田家・桃井家、金田家の長屋門、根来寺へ

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名手本陣妹背家住宅(重要文化財)~和歌山県紀の川市名手市場

2015-01-23 06:18:30 | 建築物(洋館以外)

2014年12月28日 和歌山県

名手本陣妹背家住宅 重要文化財

和歌山県紀の川市名手市場641

中世以来の名家で、江戸時代には紀州藩主頼宣[よりのぶ]から地士に処遇され、寛永7年(1630)以来名手の大庄屋だった妹背家の住居(重要文化財・史跡)。華岡青洲[はなおかせいしゅう]の妻加恵[かえ]の実家としても知られる。旧大和街道に面し、参勤交代や鷹狩りなどのときに藩主が宿泊した本陣で、人々からは名手本陣とよばれていた。建物は江戸時代に建てられたもので、御座の間にある入母屋造の母屋や米倉など保存状態がよい。

▲玄関・式台▼

 

▲主屋居室▼
  

 

2015-01-23 06:18:30

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名手の町並み~和歌山県紀の川市名手

2015-01-22 07:08:31 | 町並み

2014年12月28日 和歌山県

名手の町並み

和歌山県紀の川市名手

紀ノ川北岸にある中心集落の名手市場は大和街道沿いに開けた宿場町,市場町で,旧名手本陣妹背家住宅(重要文化財)が残る。南岸の麻生津(おうづ)はかつて紀ノ川水運の舟着場であった。

※ 名手は鉄道によるアクセスが極めて悪い。和歌山駅から一時間に一本程度運行されている。小さな地区で、古い建物が散見できるが、なんといっても見所は名手本陣でしょう。

▲郵便局だった建物?

▲うだつのある建物

 

 

▲むしこまど

▲ 西日本旅客鉄道和歌山線

 富士山に似ていることから“紀州富士”と呼ばれ親しまれてきた龍門山。一番右の山

ただし、富士山には全くにていませんよね!和歌山市内から見ると富士山のように見えるらしいです。

 

2015-01-22 07:08:31

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粉河寺(重要文化財)~和歌山県紀の川市粉河

2015-01-21 06:43:34 | 神社・仏閣・教会

2014年12月28日 和歌山県

粉河寺

和歌山県紀の川市粉河2787

770年(宝亀元)に創建され、『枕草子』にも登場する古刹。正式には風猛山[ふうもうざん]粉河寺。粉河観音宗の総本山で西国三十三カ所第3番札所として名高い。最盛期には七堂伽藍、塔頭550坊、寺領四万石を有し、高野山、根来寺に次ぐ勢力を誇ったが、秀吉の紀州攻めの際に諸堂を焼失。江戸時代に再建された。大門、中門、本堂、千手堂(いずれも重要文化財)などがたたずむ。

大門 重要文化財

規模の大きい三間楼門で、和歌山県では、高野山・根来寺に次ぐ威容を誇る。宝永四年(一七〇六)総欅造り。金剛力士は仏師春日の作と云われ、尊像の用材は桂の巨木。粉河寺ホームページより

 

 

 

中門 重要文化財

三間二戸の桜門として標準的な規模をもち、軒まわりまで良質の欅材で繊細な建物に仕上げている。天保三年(一八三二)の建立で四天王を祀る。「風猛山」の扁額は、紀州徳川十代藩主、治宝候の直筆である。粉河寺ホームページより

 

千手堂 重要文化財 

宝形造りの三間堂、細部様式では本堂と一脈相通ずる面を持っている。宝暦十年(一七六〇)の建立。正面に千住観世音菩薩両側の脇壇には紀州歴代藩主とそのゆかりの人々の位牌を祀っている。 粉河寺ホームページより

 

本堂 重要文化財

八世紀(七七〇)の創建より、数度の造営と改造を繰り返し、現存の当本堂は享保五年(一七二〇)に再建された。江戸時代中期の欅材による代表的建築で西国三十三ヶ所の中で最大である。他に類例を見ない特異な形態で、一重屋根の礼堂と二重屋根の正堂とが結合した構成を持つ複合仏堂の形式である。 粉河寺ホームページより

 

2015-01-21 06:43:34

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粉河(こかわ)駅~和歌山県紀の川市

2015-01-20 20:33:16 | 鉄道・駅

2014年12月28日 和歌山県

和歌山駅→黒江の町並み→紀三井寺→粉河駅

粉河(こかわ)駅 西日本旅客鉄道和歌山線

和歌山県紀の川市粉河 

 

 

旧南丘邸

 

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紀三井寺(重要文化財)~和歌山県和歌山市

2015-01-19 06:31:44 | 神社・仏閣・教会

2014年12月28日 和歌山県  
和歌山駅→黒江の町並み→紀三井寺→粉河寺

紀三井寺

和歌山県和歌山市紀三井寺

紀三井寺は、今からおよそ1230年前昔、奈良朝時代、光仁天皇の宝亀元年(AD770)、唐僧・為光上人によって開基された霊刹です。正式には「紀三井山金剛宝寺護国院(きみいさんこんごうほうじごこくいん)」という当時の名称を知る人は少なく、全国に「紀三井寺」の名で知られていますが、この紀三井寺とは、紀州にある、三つの井戸が有るお寺ということで名付けられたといわれ、今も境内には、清浄水(しょうじょうすい)、楊柳水(ようりゅうすい)、吉祥水(きっしょうすい)の三井より清水がこんこんと湧き出して、年中絶えることがありません。(紀三井寺の三井水は昭和60年3月、環境庁より日本名水百選に選ばれました) 紀三井寺ホームページ抜粋

※紀三井寺駅から10分程歩き紀三井寺に朝の9時頃到着。参道に人影はない。。。小高い山の中にそれはあった。

 

「ようおまいり」か~ なんか響きが柔らかいな

楼門 重要文化財

三間一戸・入母屋造・本瓦葺き 建立以来たびたびの修理を受け、桃山時代の様式を残す。(高欄付きの縁をめぐらせた通路や和様三手先腰組) 欄間には、牡丹と菊の彫刻があざやか。金剛力士像を安置。

 

 

  

▲紀三井寺の三名水 たぶん「清浄水」 和歌山市指定文化財
 

六角堂  江戸時代・寛延年間(1750頃)建立 初代・二代目雑賀弥左ェ門建立。 

鐘楼 重要文化財

安土桃山時代・天正16年(1588)建立 入母屋造・本瓦葺き・袴腰。(腰板張りの下層) 全体に軽快な感じで、鐘楼建造物中の白眉とされている。



▲鐘楼と六角堂

 ・

▲大師堂▼

本堂 

江戸時代・宝歴9年(1759)建立 入母屋造・正面唐破風と千鳥破風・本瓦葺き・九間四面・総欅造り

 

▲開山堂

多宝塔 重要文化財 

室町時代・文安6年(1449)建立 嘉吉元年(1441年)倒壊した等に替わって再建された。本瓦葺三間多宝塔。下層は四本柱の方形、上層は十二本の柱を立て高欄をめぐらせた円形。室町中期様式・五智如来をまつる。

 

▲本堂より

 

▲新仏殿

▲大千手十一面観世音菩薩
 

※ このあと、粉河寺へ

  • 2015-01-19 06:31:44

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紀三井寺駅~和歌山県和歌山市三葛

2015-01-17 10:00:47 | 鉄道・駅

2014年12月28日 和歌山県

紀三井寺駅 西日本旅客鉄道紀勢本線

和歌山県和歌山市三葛

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