2016年8月27日 島根県
渡辺家住宅
島根県大田市大森町
同住宅は、江戸後期の1811(文化8)年に建てられた銀山付地役人の居宅で、同町の銀山地区内に唯一現存する武家屋敷。母屋は木造瓦ぶき一部2階建て、延べ床面積約223平方メートル。土塀を巡らせて前庭を設け、奥に母屋や土蔵を配置する当時の武家屋敷の特徴を伝えている。
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2016年8月27日 島根県
渡辺家住宅
島根県大田市大森町
同住宅は、江戸後期の1811(文化8)年に建てられた銀山付地役人の居宅で、同町の銀山地区内に唯一現存する武家屋敷。母屋は木造瓦ぶき一部2階建て、延べ床面積約223平方メートル。土塀を巡らせて前庭を設け、奥に母屋や土蔵を配置する当時の武家屋敷の特徴を伝えている。
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2016年8月27日 島根県
石見銀山遺跡(龍源寺間歩へ)
石見銀山では、16世紀~17世紀に大量の銀が採掘された。特に、17世紀前半の全盛期には年間約1万貫(約38トン)と推定され、世界の産出銀の3分の1を占めた日本銀のかなりの部分を産出していた。
▲銀山橋から龍源寺間歩へ向かう。上り坂だが自転車を使う人が多いが、当方は徒歩!
▼渡辺家住宅
同住宅は、江戸後期の1811(文化8)年に建てられた銀山付地役人の居宅で、同町の銀山地区内に唯一現存する武家屋敷。母屋は木造瓦ぶき一部2階建て、延べ床面積約223平方メートル。土塀を巡らせて前庭を設け、奥に母屋や土蔵を配置する当時の武家屋敷の特徴を伝えている。
大田市立大森小学校
▲西本寺山門 大田市指定建物
▲豊栄神社:境内は大田市文化財に指定されている
▼清水谷精錬所跡
明治時代の先端技術による精錬所の遺跡
▼高橋家 石見銀山御料銀山町年寄山組頭遺宅
文献によれば天保10年(1839)ごろ、当家の高橋富三郎が町年寄山組頭を勤めたことが分かっている。山組頭は、代官所と鉱山経営者である銀山師たちとの取次ぎなどを勤める役職で、銀山師の中から選ばれた。また、町年寄は周囲に拡がっていた銀山経営に携わる人たちが住む町の運営に係る役職であった。建物は通りに面して主屋があり、北側に茶室、南側に離れ座敷を設けている。 説明板
▼清水寺
清水(せいすい)寺は推古天皇の時代に創建された真言宗の古刹寺院
新切間歩 間歩:鉱山の坑道
▼福神山間歩
▼甘南備坑(かなんびこう)
石見銀山には600以上の間部があります。この龍源寺間歩の273mは通り抜け可能な間歩。公開されていない部分まで合わせると600mもある大坑道です。ちょっぴりひんやりとした空気が、なんとも言えない不思議な雰囲気を演出しています。
▼龍源寺間歩
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2016年8月27日 島根県
旧河島家
島根県大田市大森町ハ
1800年初頭に建築された代官所地役人の遺宅です。河島家は、代々大森に移住して銀山経営や銀山領内の支配にあたっていました。住まいは、通りに面して門塀を設けており、門をくぐると式台付玄関を備える主屋が正面に見えます。主屋は平屋建てのように見えますが、土間と納戸の上に二階が設けられ、接客用の座敷は庭に面しています。
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2016年8月27日 島根県
大田市大森銀山その2 伝統的建造物群保存地区
島根県大田市
▲庇(?)付きの橋
▼旧大森区裁判所(大森町並み交流センター)
▼旧河島家
1800年初頭に建築された代官所地役人の遺宅です。
関連記事:大田市大森銀山①
2016-10-28 05:44:06
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2016年8月27日 島根県
熊谷家住宅 重要文化財
島根県大田市大森町
石見銀山御料で最も有力な商家
熊谷家は古文書などによると、先祖は毛利家の家臣であったと伝えられ、江戸時代初めから旧銀山町(銀を産出した仙ノ山一帯)に住み銀山附役人(ぎんざんつきやくにん)を務めたとされています。
居間の床下の倉庫!
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2016年8月27日 島根県
大田市大森銀山① 重要伝統的建造物群保存地区
大森の街並み
島根県大田市
町並みは、銀山川沿いの谷間に延びる約2.8㎞の範囲で、代官所跡や郷宿、武家屋敷、商家などがまとまって現存しています。また、町並み背後の山裾や銀山柵内の銀山地区には社寺や石切り場なども残され、鉱山町の歴史的景観を良好に伝えています。
▼大森代官所跡(石見銀山資料館)
石見銀山領の行政を司った国の史跡にも指定されている代官所跡
▼熊谷家住宅 重要文化財
石見銀山御料で最も有力な商家
詳しく見る:熊谷家住宅(重要文化財)~島根県大田市大森町
▼青山家
銀山御料内6組6軒の郷宿の一つ
関連記事:大田市大森銀山②
2016-10-25 05:48:40
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2016年8月27日 島根県
薬師湯旧館
島根県大田市温泉津町温泉津
薬師湯(旧藤乃湯)の旧館で、大正初期に建てられた木造洋館の震湯は、温泉街の中でも存在感があり、建築学的にも貴重な建物と言われ、温泉津に現存する温泉施設としては最古。
関連記事 温泉津(重要伝統的建造物群保存地区)~島根県大田市温泉津町
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2016年8月27日 島根県
温泉津(ゆのつ) 重要伝統的建造物群保存地区
島根県大田市温泉津町
温泉津港から山側に伸びる温泉街は、賑やかな歓楽街などが見られず、鄙びた日本旅館が両側に立地する静かな街並みである。この古風な温泉街は2004年(平成16年)7月、「温泉津町温泉津伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定された。
麻原才市:よく見ると角がはえている
▼薬師湯旧館
薬師湯の旧館は温泉津に現存する温泉施設として最古で、建築学的にも貴重な建物といわれています。大正8年(1919年)
詳しく見る:薬師湯旧館~島根県大田市温泉津町温泉津
▼恵珖寺
▼西楽寺
▼龍御前神社
▼内藤家庄屋屋敷
毛利元就の家臣で鵜丸城の初代奉行として温泉津にやってきた内藤家の屋敷。その後代々庄屋を務め、回船問屋や酒屋なども営んできたという内藤家400年の歴史を伝える屋敷と土蔵群。特徴のあるなまこ壁、玄関に掛けられた大きな縄のれん、格子窓や中2階の虫籠窓(むしこまど)などが往時の隆盛ぶりを今に残しています。延享4年(1747)に温泉津に大火があり、その後に建てられたため、主屋は塗籠造(ぬりかごづくり)の耐火建築となっています。非公開
2016-10-23 05:41:48
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萩(山口県萩市)2016の掲載記事まとめ
2016年8月
平安古(山口県萩市大字平安古町)~重要伝統的建造物群保存地区
萩市堀内地区(山口県萩市大字堀内) ~重要伝統的建造物群保存地区
東萩駅(山口県萩市大字椿東字大広津)から温泉津駅(島根県大田市温泉津町)へ
2016年8月27日 山口県・島根県
東萩駅から温泉津駅へ
前回萩を訪れたのは2013年12月。滞在時間も短く、今度来る時はじっくりと巡ってみようと思っていました。今回は、萩市にある重要伝統的建造物群保存地区四ヶ所、萩城などなどを巡ることができ大満足の萩観光となりました。大照院、明倫館は改修工事中、臨時休館だった熊谷美術館など残念なこともこともありましたが、これらはまたの機会にのこしておきましょう。萩には8月24日到着、三泊し8月27日の早朝、JR東萩駅から次の目的地「温泉津(ゆのつ)」へ向かう。
▼東萩駅前
まだ夜明け前
▼東萩駅
▼温泉津駅 島根県大田市温泉津町小浜
▼温泉津駅周辺
温泉津湾
明治初期~大正建築
2016-10-22 06:02:21
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2016年8月26日 山口県
常念寺表門 重要文化財
山口県萩市下五間町
常念寺の境内にある表門は、ひかえ柱をもった桁行3.66m、梁間3.12mの四脚門で、切妻造り本瓦葺きで、両袖にくぐり戸がついています。寺伝によれば、この門は、もと京都聚楽第にあった裏門とされ、これを豊臣秀吉から毛利輝元がもらい受けて伏見の自邸に移建し、のちに輝元が萩城内に移し、さらに常念寺に移したといわれています。
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2016年8月26日 山口県
萩藩校明倫館
山口県萩市大字江向
長州藩の藩校跡で、亨保4年(1719)毛利吉元が城内三の丸の創設、嘉永2年(1849)毛利敬親が江向に移しました。
明倫小学校・萩商業高校・萩裁判所の約14,349坪がその跡地で、現在明倫小学校の敷地内に剣槍場の有備館、遊泳術、水中騎馬の行われた水練池、その傍に、聖廟の東塾・西塾を合併して移した聖賢堂があります。なお明倫館聖廟の建物は、現在北古萩町の海潮寺の本堂に移され、また南門は本願寺院の表門、観徳門は明倫小学校に現存しています。
※ ご覧のとおり改修工事中でした。(2016年8月26日)
▼観徳門
藩校明倫館の遺構で、孔子を祀る聖廟の前門です。形式は木造瓦棒銅板葺き、左右に唐破風を備えた平唐門で両袖に連子格子の塀を付け、出入口は一間一戸、扉は上部に連子を入れた桟唐戸で両開きになっています。建築年代は新明倫館が再建された嘉永2年(1849)になります。
▼有備館
有備館は、旧明倫館の剣術場と槍術場を移して拡張したもので、木造平屋建入母屋造桟瓦葺、桁行37.8m、梁間10.8mの南北に長い建物です。内部の北側半分は板の間で39畳の剣術場、南側半分は土間で54畳の槍術場、各その西側を藩主の上覧場とし、中間に藩主臨場などの場合に使う控室があります。
有備館内の展示されていた扁額
2016-10-20 05:58:14
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2016年8月26日 山口県
菊屋住宅 重要文化財
山口県萩市呉服町
藩の御用達を勤めた豪商・菊屋家の住宅で、その屋敷は幕府巡見使の宿として度々本陣にあてられました。屋敷は江戸初期の建築、現存する商家としては最古の部類に属し、400年の歴史があります。藩の御用商人・菊屋家は、大内氏時代には武士であったが、毛利輝元公萩城築城の際には有力町人として萩に入り、町づくりに力を尽くしました。主屋、本蔵、金蔵、米蔵、釜場の5棟が国指定重要文化財に指定され、約2000坪の敷地の約3分の1が現在公開されてます。すばらしい庭や美術品、民具、古書籍など貴重な資料が数多く展示されており、往時の御用商人の暮らしぶりが偲ばれます。
▲写真1枚目~3枚目は2013年12月撮影したものです
▲側溝
▲石をくり抜いて作った流し
2016-10-19 05:13:26
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2016年8月26日 山口県
萩城城下町など2016
山口県萩市
旧萩城の外堀から外側に広がる城下町は、町筋は碁盤目状に区画され、中・下級の武家屋敷が軒を連ねていました。現在でも町筋はそのままに残り、往時の面影をとどめています。白壁となまこ壁や黒板塀の美しい町並みが続き、維新の志士ゆかりの地が点在しています。
▼旧久保田家住宅
久保田家は、初代庄七が藩政時代後期に近江の国(滋賀県)から萩に入り、熊谷町の久保田家の分家となり、菊屋家の向かいで呉服商を開いたと伝えられている。二代庄次郎のとき酒造業に転じ、造り酒屋の「あらたま酒店」を営業していた。また明治時代、しばしば名士の宿舎としても利用された。旧久保田家は幕末から明治前期にかけての建物として、意匠、構造、技術に優れ、酒造業で繁栄した往時の状況をよく伝えており、史都萩城城下町を形成する建物として極めて重要です。じゃらん
▼菊屋家住宅 重要文化財
▲▼高杉晋作誕生地
▲高杉晋作立志像
▲▼旧野田家住宅
▲円政寺
▼青木周弼旧宅
幕末の当時、日本屈指の蘭学医であった青木周弼は、13代藩主・毛利敬親[もうりたかちか]に召し出され、敬親の侍医を務めた人物。周弼宅には、全国から教えを乞う門下生が続々と集まったため、安政6年(1859)にこの家が新築された。るるぶ
▼旧佐伯丹下家屋敷
旧佐伯丹下家屋敷は、幕末安政年間(1854~59)び描かれた「萩城下町絵図」によると、萩藩大組士佐伯丹下(125石)の屋敷であったことがわかる。佐伯丹下は、幕末期、直目付や撫育方仕組掛、奥番頭役など藩の要職を歴任、多年藩の財政整理や岩国吉川家との交渉に尽力した。明治5年(1872)65歳で没するまで、この家が本拠であった。その後、安富五三郎(通称:伊勢屋)の所有になり、親戚の久原房之助が衆議院議員に立候補の時には選挙事務所になったこともある。戦時中は九州大学名誉教授の永積純次郎が住み、戦後は萩中学校長の河内才三や、第六高等学校(現岡山大学)校長の金子幹太などが住んでいた。 屋敷は昔の状態がよく保たれており、映画のロケにも使われたことがある。 説明板
▼木戸孝允旧宅
江戸屋横町にある、木戸孝允(桂小五郎)の生家。当時としては珍しい木造2階建て桟瓦葺きで、14室もの部屋があり、父が藩医を務めていたために患者用と来客用の2つの玄関がある。孝允は天保4年(1833)に誕生し、約20年間をここで過ごした。誕生の間や勉強部屋などがあり、勉強部屋では後年、名筆家として知られた孝允の少年時代の習字も見られる。 るるぶ
☆☆☆☆☆
▼熊谷家住宅主屋 重要文化財
萩藩の御用を勤めた豪商の家。 広大な屋敷地に主屋をはじめ数多くの蔵や附属屋が建ち並ぶ。 主屋は大規模で質がよく、意匠も洗練されており保存もよい。 江戸時代後期における地方豪商の富を示す好個の遺例。1768年頃
▼熊谷美術館
熊谷家の土蔵3棟を改造した美術館には、熊谷家代々の当主が収集した美術品が展示してあります。 じゃらん
臨時休館・・・そんな~~ 残念!
▼萩藩校明倫館
▼有備館
▼常念寺表門 重要文化財
2016-10-18 05:45:40
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2016年8月26日 山口県
旧萩藩御船倉
山口県萩市浜崎町
藩主の御座船や軍船を格納した御船倉で、慶長13年(1608)萩城築城後まもなく建てられたといわれ、浜崎重要伝統的建造物群保存地区に位置しています。奥行き27メートル、間口8.8メートルで、両側と奥に玄武岩で壁を築き、上部に瓦屋根を葺き、前面には木製扉を有しています。天保年間(1830~43)に作成された「八江萩名所図画」には4棟の船倉が描かれており、もっとも大きかったものが現存しています。明治以降の埋め立てのため、現在は河岸から離れたところに位置していますが、往時は松本川に面して船が自由に出入り出来る場所でした。屋根を葺いた旧藩時代の船倉としては全国唯一の遺構で、国の史跡に指定されています。
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