コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

坂越の町並み~兵庫県赤穂市坂越

2017-08-31 05:47:34 | 町並み

2017年8月4日 【明石・赤穂・姫路2017】兵庫県 

坂越の町並み 兵庫県赤穂市坂越

江戸時代から廻船業で栄えた港町。国指定記念物の原生林が茂る生島(いきしま)が目の前に見える。旧坂越浦会所から、国道250号方面へ行く道の両脇に古い街並みが残る。

▲坂越駅

 

▲千種川
   

 

▼妙道寺

▼奥藤酒造:慶長年間からほぼ400年続く造り酒屋

 

 

▼旧坂越浦会所
 

とうろん台

坂越湾を航行する船舶に海洋気象を知らせる施設

 

 ▲北前船:ここ坂越は北前船の寄港地だったようです。
  

 

 

坂越駅へ

 ▼坂越駅

  

坂越駅から姫路駅経由で本竜野駅へ

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赤穂の町並み~兵庫県赤穂市

2017-08-30 05:53:38 | 町並み

2017年8月3日【明石・赤穂・姫路2017】 兵庫県

赤穂の町並み

兵庫県赤穂市

のちに忠臣蔵として語り伝えられることとなる赤穂事件ゆかりの地である。毎年12月14日には赤穂市最大の催しとして赤穂義士祭が行われている。古くから塩田(入浜式塩田・揚浜式塩田・流下式塩田)が栄え、生産されている塩は「赤穂の塩」として全国に流通している。

▼赤穂城 

大手隅櫓

▼大石邸長屋門

▼近藤源八宅跡長屋門

▼赤穂市立歴史博物館
 

 ▼大石神社

▼ 旧日本専売公社赤穂支局
          

  

▼花岳寺:浅野内匠頭長矩や赤穂義士の墓、義士の木像などがある。

 

 ▼からくり時計「赤穂あんどん」
 

▼息継ぎ井戸

早水藤左衛門、萱野三平の両名が、早かごで主君刃傷の凶報をもって江戸より駆けつけた際、この井戸で一息ついて城内の大石内蔵助邸へ入ったといわれています。
  

▼播州赤穂駅

次の目的地 坂越(さこし)へ

2017-08-30 05:53:38

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旧日本専売公社赤穂支局・~兵庫県赤穂市加里屋

2017-08-29 05:52:25 | 洋館

2017年8月3日【明石・赤穂・姫路2017】 兵庫県

旧日本専売公社赤穂支局 兵庫県赤穂市加里屋

赤穂は古くから製塩業が盛んで、明治38年(1905年)の塩専売法施行に伴い、大蔵省塩務局の庁舎として、明治41年(1908年)に国会議事堂を建設した大蔵省臨時建築部技師大熊喜邦の設計、施行は地元赤穂の棟梁である山本近治ほか11名によって建築されました。
中央部に屋根窓を持つ主屋と、東に切妻造りの屋根と西に宝形造りの塔屋を大胆に組み合わせた変化のある建物の構造は、木造一部2階建てで屋根は黒色の日本瓦葺き、外壁は淡い白緑色塗装のドイツ下見杉板張りで、面積は約610,41平方メートルとなっています。
現存する日本最古の塩務局庁舎として、また明治の洋風建築として意匠・工法に優れた価値の高い建物として、昭和61年(1986年)兵庫県重要有形文化財の指定を受けています。

   

    

   

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大石神社~兵庫県赤穂市上仮屋旧城内

2017-08-28 05:33:15 | 神社・仏閣・教会

2017年8月3日【明石・赤穂・姫路2017】 兵庫県

大石神社 兵庫県赤穂市上仮屋旧城内

大石内蔵助と藤井又左衛門の屋敷跡に大正元年(1912)に建立された。義士と萱野三平、浅野家、森家を合祀している。

   

 

▲大石内蔵助良雄 像
   

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大石邸長屋門と近藤源八宅跡長屋門~兵庫県赤穂市上仮屋

2017-08-21 05:37:44 | 長屋門など

2017年8月3日【明石・赤穂・姫路2017】 兵庫県

大石邸長屋門と近藤源八宅跡長屋門 兵庫県赤穂市

兵庫県赤穂市上仮屋

大石邸長屋門

この門は、浅野家筆頭家老大石内蔵助の一家三代が五十七年にわたり住んでいた大石屋敷の正面長屋である。間口約26.8メートル奥行約4.8メートル建物で、屋根瓦には双っ巴の大石家の定紋がついており、元禄の昔に思いを馳せ、内蔵助の偉業を偲ぶ唯一の建物となっている。かっては、内蔵助と主税の親子が朝夕出入りし、又元禄十四年三月主君の刃傷による江戸の悲報を伝える早打ちがたたいたのもこの門である。安政三年(1856)に大修理が行われ、大正十二年国の史蹟に指定された。更に昭和三十七年に屋根の大修理を行ったが老朽甚だしく、昭和五十二年十一月から国、県及び市の負担により、総工費3138万余円をかけて全面解体修理を行い、昭和五十三年十月末に復元完了した。 赤穂義士会 説明板

 

近藤源八宅跡長屋門

近藤源八正憲は甲州流軍学を修め、千石番頭の重職あった。源八の妻は、大石内蔵助良雄の叔母にあたり、大石家とは親戚関係にあったが、最初から義盟には加わらなかった。源八の父である三郎左衛門正純も甲州流軍学者であり、兵法に則って赤穂城築城の縄張り設計を行った。近藤源八宅跡長屋門は、「源八長屋」の愛称で親しまれているが、現存している建物は長屋門の長屋部分である。門部分は、大石良雄宅跡長屋門の斜め向かいにあったと考えられ、長屋部分を四戸分に別け、それぞれ下級武士の住宅として使われていた。
 現在は、その内の北端部の一戸とその南隣りの一戸の北端の一部屋が残されている。この長屋門は、18世紀以降に建て替えられたものと推察されるが、当時は総長21間半(約42.3m)の長大な長屋門であった。
 城内に残された江戸期の建物は、大石良雄宅跡長屋門とこの近藤源八宅跡長屋門のみであり、礎石や、柱材、梁材、天井、瓦、壁等の一部を保存し、平成11年3月に解体復原整備が完了した。
 入り口部分の土間は、炊事場であったと考えられ、煙出し窓や、天井周囲に残された煤(すす)が当時の生活ぶりを偲ばせている。また、簀子野地天井(すのこのじてんじょう)は建築当時の姿を保っており、屋外にある赤穂旧上水道の汲み出し枡(くみだします)とともに人気が高い。赤穂市教育委員会 説明板
 

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赤穂城(100名城)~兵庫県赤穂市加里屋

2017-08-20 06:05:56 | 100名城

2017年8月3日 兵庫県

赤穂城 100名城

兵庫県赤穂市加里屋

1648(慶安元)年に浅野長直(あさのながなお)が新城構築を始めた平城で、忠臣蔵(赤穂事件)の舞台となった近世城郭です。甲州流軍学者の近藤正純(こんどうまさずみ)が縄張(なわばり)を担当し、一部に山鹿素行(やまがそこう)の意見も加えられたとされ、鈍角の塁線を多用する珍しい平面形を呈します。本丸内は天守台や城主の御殿が置かれており、近年の発掘調査で庭園遺構を活かした史跡整備事業が進められています。

▼大手隅櫓

 

丸みをおびた石垣は見たことがない

 

 ▲二之丸庭園
 

本丸門

 

 ▼天守台

 

厩口門(台所門)
   

  

本丸門

▼大手隅櫓
  

 

2017-08-20 06:05:56

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赤穂御崎灯台~兵庫県赤穂市御崎

2017-08-19 05:47:43 | 灯台

2017年8月3日 【明石・赤穂・姫路2017】 兵庫県

赤穂御崎灯台 兵庫県赤穂市御崎

赤穂御崎の高台に立つ白亜の御崎灯台は、南は播磨灘に面し条件次第では四国や島々を見ることができ、北に赤穂の市街地を一望できるスポットです。八角形の灯塔が御崎の景観にふさわしく、観光地赤穂温泉のシンボルとして市民に親しまれています。 初点昭和38年3月

 

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赤穂御崎・赤穂温泉~兵庫県赤穂市御崎

2017-08-18 05:46:06 | 自然

2017年8月2・3日 【明石・赤穂・姫路2017】 兵庫県

赤穂御崎 兵庫県赤穂市御崎

岩礁や崖が続く景勝地。御崎の先端にある伊和都比売神社[いわつひめじんじゃ]の鳥居からは家島群島も見渡すことができ、近くには赤穂温泉の旅館街がある。播磨灘を一望する遊歩道が整備されており、春は桜が美しいことで知られる。

赤穂温泉

赤穂温泉は、瀬戸内海に浮かぶ島々や、天気の良い日には四国も見渡せるほどのロケーションにあります。1969年に赤穂御崎で掘削された単純温泉とは別に平成12年に町の中心地から湧出した新源泉の塩化物泉は、豊富な成分を誇り健康回復や美肌効果のある「若返りの湯」としても有名です。

8月2日

穏やかな瀬戸内海が広がっていた。
  

この島へは干潮時渡れるらしい

▲大石名残の松

8月3日

     

▼赤穂御崎灯台
 

    

 

2017-08-18 05:46:06

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明石城(100名城)~兵庫県明石市明石公園

2017-08-17 05:47:17 | 100名城

2017年8月2日 【明石・赤穂・姫路2017】 兵庫県

明石城 100名城

兵庫県明石市明石公園

明石城は信濃の松本から入部した小笠原忠政(豊前小倉時代に忠真に改名。以降忠真と記載)によって築城されました。忠真は最初船上城に入り、元和五年から明石城の築城を着工しました。本丸・二の丸の石垣は幕府直轄で、三の丸は幕府と明石藩との共同で工事が行われるなど、新城建設を禁止するなかで幕府が西国の押さえとして明石を重要視していたことがわかります。城の資材には付近の廃城となった三木城、高砂城、船上城、枝吉城などが解体されて運び込まれました。
本丸の西南寄りには建築されることはなかったものの五層の天守が載せられる天守台が築かれたほか、本丸の四隅には三層構造の乾・艮・巽・坤の四隅櫓が築かれ、二の丸、三の丸、西曲輪、帯曲輪には六棟二層の櫓があり、本三の丸には十棟の平櫓がありました。
小笠原氏の後に入部してきたのは、松平(戸田)光重、大久保忠職、松平(藤井)忠国・信之、本田政利と城主交替はめまぐるしく行われていきました。そしてその後に入った松平(越前)直明の松平氏がそのまま明治まで十代続くことになります。

        

▲向かって右 巽櫓、 向かって左 坤(ひつじさる)櫓

▼巽櫓
 

▼坤(ひつじさる)櫓


  

▼坤(ひつじさる)櫓
 

  

▼本丸跡

▼坤(ひつじさる)櫓

 

 ▼巽櫓

 

 ▼本丸跡
 

▼艮櫓跡

 

  

▼薬研堀

 

2017-08-17 05:47:17

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明石市(兵庫県)の町並み

2017-08-16 06:23:03 | 町並み

2017年8月2日 【明石・赤穂・姫路2017】 兵庫県

明石市(兵庫県)の町並み

江戸時代には小笠原家10万石(後に松平家8万石)の城下町として栄えました。阪神と播磨との接点に位置する、という恵まれた地理的条件を生かし、交通のかなめとしての役割も果たしてきました。

「子午線のまち」明石

日本標準時の基準となる東経135度子午線は、明石市を含む12市を通っています。北から京丹後市、福知山市(以上京都府)、豊岡市、丹波市、西脇市、加東市、小野市、三木市、神戸市西区、明石市、淡路市(以上兵庫県)、和歌山市(和歌山県)です。それぞれの町には、目には見えない子午線を表示する標識やモニュメントが建っています。明石市は、明治43年に日本で最初に標識を建てたことから「子午線のまち」といわれています。

▼明石駅前のお堀
 

▼織田家長屋門

明石藩歴代家老、重臣屋敷を偲ぶ現存する唯一の長屋門であり、江戸時代初期の建築です。
   

 ▼明石公園(明石城)

 

▲日時計
  

▲明石海峡大橋

▼時の道
 

▲明石海峡大橋

▲明石神社
   

▲教会の壁には日時計が設けられている

▼妙見社
    

▼本松寺
    

▲明石市立天文科学館

 ▼「亀の水」

人丸山から湧き出る霊水です。播磨三名水の一つで、かつて「長寿の水」とも言われていました。
  

▼トンボの標識 
 

▼明石市立天文科学館

東経135度子午線上に建つ”時と宇宙の博物館”。

▼日本標準時子午線(明石市立天文科学館)

▲黒く見えるのはセミ

子午線のモニュメント 
   

明石駅

播州赤穂駅へ

2017-08-16 06:23:03

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明石駅(兵庫県明石市大明石町)⇒播州赤穂駅(兵庫県赤穂市加里屋)⇒姫路駅(兵庫県姫路市駅前町)へ

2017-08-15 05:47:08 | 旅行

2017年8月2・3・4日 【明石・赤穂・姫路2017】 兵庫県

明石駅→播州赤穂駅→姫路駅へ

今回の旅は明石城、赤穂城、姫路城をメインに巡るもの。

品川駅から新幹線で西明石駅へ。西明石駅から在来線で明石駅へ。猛暑の中、徒歩で最初の訪問先「明石城」へ向かう

▼西明石駅(新幹線)到着

在来線の西明石駅ホームへ

明石海峡大橋が見える
 

▼明石駅

ホームからは明石城が見える

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旧木下家別邸・~神奈川県中郡大磯町大磯字北本

2017-08-14 05:51:46 | 洋館

2017年5月4日 神奈川県 

旧木下家別邸 神奈川県中郡大磯町大磯字北本

旧木下家別邸」は住民から「三角屋敷」と呼ばれ親しまれてきた、大正モダンの建物です。当時流行していた、ツーバイフォー工法で、輸入材ではなく国産材でつくられた住宅としては、国内最古のものと考えられています。この洋館の建物の特徴として、屋根は切妻造ストレート葺で、左右の屋根上に大きなドーマー窓を開けたシンメトリックな形状と、外壁は南京下見板張、各部屋には採光性に優れたベイウウィンド(出窓)を設置し、正面中央の玄関ポーチの上に2階バルコニーを乗せたデザインの外観が、往年の別荘時代を彷彿とさせます。

 

 

  

  

JR大磯駅

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伊勢神宮内宮(皇大神宮)2017~三重県伊勢市

2017-08-13 05:58:57 | 神社・仏閣・教会

 2017年7月11日 三重県

伊勢神宮内宮(皇大神宮)2017 三重県伊勢市

皇大神宮(こうたいじんぐう)は通称「内宮」とも申し上げ、神路山・島路山を源とする五十鈴川の川上に鎮座しています。ご祭神は、天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)。このご神名はお祭りに際して神前で畏まって称え申し上げる最高のご名称で常には皇大御神や天照大御神と申し上げています。伊勢神宮ホームページより

伊勢神宮内宮(皇大神宮)2015

  

  

  

▲御正殿

 

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おかげ横丁とおはらい町2017~三重県伊勢市

2017-08-12 06:46:00 | 町並み

2017年7月11日 三重県

おかげ横丁とおはらい町2017 三重県伊勢市

▼おかげ横丁

おかげ横丁は、第61回神宮式年遷宮の年、1993年(平成5年)7月16日に、伊勢神宮内宮門前町「おはらい町」の中ほどで、
お伊勢さんの「おかげ」という感謝の気持を持って開業しました。

おかげ横丁2015

 

▼おはらい町

内宮宇治橋前から五十鈴川に沿って続く「おはらい町」は内宮の鳥居前町として発達してきました。伊勢特有の切妻・入母屋・妻入り様式の土産物店や銘菓の老舗、旅館が軒を連ね、神宮道場や祭主職舎などの歴史的建造物もあります。

おはらい町通り2015

▼「すし久」:かげ横丁を代表する一番人気の料理屋。てこね寿しを食べてみた。

 

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神宮徴古館・~三重県伊勢市神田久志本町

2017-08-11 06:04:55 | 洋館

2017年7月11日 三重県 

神宮徴古館 三重県伊勢市神田久志本町

徴古館は和洋折衷の農業館とは趣を異にし、ベルサイユ宮殿を模した前庭を持つルネッサンス式の西洋風建築とされ、東京国立博物館の表慶館同様、正面中央にドームを配した高い屋根を持つ鉄筋コンクリート造の平屋となった。1909年(明治42年)開館。1953年(昭和28年)復旧

   

 

 

  

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