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古い家並み(本町・東町)と倉敷アイビースクエア~重要文化財

2015-07-31 06:23:21 | 町並み

2015年6月23日 岡山県

古い家並み(本町・東町)と倉敷アイビースクエア

古い家並み(本町・東町)

 

 

倉敷アイビースクエア

1889年(明治22年)に江戸幕府の代官所跡に倉敷紡績工場が建設され、 1973年(昭和48年)に改修されて現在の観光施設になりました。 赤レンガと蔦が印象的な施設内には、ホテル、レストラン、多目的ホール、倉紡記念館、児島虎次郎記念館、オルゴール館等があります。赤レンガを覆う蔦には理由があり、紡績工場であった頃に工場内部の温度調節の為に植えられていました。 くらしき観光.com

▼ 児島虎次郎記念館

観光文化施設「倉敷アイビースクエア」の一角にあるこの建物は,明治39年に倉敷紡績が5度目の工場増設を行った時,製品倉庫として建てられたものです。煉瓦造り(一部木造)の平屋建物で,屋根は寄棟桟瓦葺,小屋組はトラス組です。建物入口には擬石洗い出しのアーチが設けられており,意匠化した要石には,倉敷紡績のマークを見つけることが出来ます。昭和47~56年にかけて,大原美術館の分館として利用するために改装されましたが,保存状態が良く,往時の姿をとどめています。 倉敷市ホームページより

1972年、倉敷アイビースクエア内にある倉敷紡績の倉庫を改装し展示室として開館。大原美術館の基礎となるコレクションを収集した児島虎次郎の、初期から晩年にいたるまでの作品を所蔵・展示、児島の画家としての業績を見ることが出来る。 おかやま旅ネットより 

倉敷紡績のマーク(二・三のマーク):社訓「謙受」の精神をシンボライズ。人々はとかく一番になると、慢心し心が緩み後退するので、たとえ何事において一番になったときでも、常に二番・三番にいる気持ちで、一番を目指すつもりで努力せよ、という訓戒をカタチにしています。

 ▲ 代官所内濠遺構

 ▼ 倉紡記念館

明治22年に建てられた当社発祥の旧倉敷本社工場は、現在、倉敷アイビースクエアとなり、そのうち原綿倉庫はこの倉紡記念館に改造されました。倉紡記念館は白い壁、黒い瓦、黒い羽目という色彩に統一され、倉敷の町並みと調和し、企業記念館のイメージにも合致したデザインを施しています。 おかやま旅ネット

 

▼ 倉敷アイビースクエア

1889年(明治22年)に江戸幕府の代官所跡に倉敷紡績工場が建設され、 1973年(昭和48年)に改修されて現在の観光施設になりました。 赤レンガと蔦が印象的な施設内には、ホテル、レストラン、多目的ホール、倉紡記念館、児島虎次郎記念館、オルゴール館等があります。赤レンガを覆う蔦には理由があり、紡績工場であった頃に工場内部の温度調節の為に植えられていました。くらしき観光.com

 

 

 ▼ オルゴールミュゼ・メタセコイア

大正時代に建てられたモダンな紡績工場事務所

 

この建物は倉敷紡績の発祥工場で明治22年(1889)に建設された。設計は、日本最初の紡績工場(鹿児島紡績)を建設した石河正龍らによるもので、今日わが国に残存する最も古い紡績工場の代表的な一つとなっている。純英国風といわれる鋸型の屋根、赤いレンガの外壁、半円形の窓など当時の面影をそのままとどめている。この工場は昭和20年(1945)終戦とともに長年に亘る操業(綿紡績など)に終止符を打ち、休止工場として保存されていたものを昭和49年(1974)に改装した。

  

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倉敷案内観光所(旧倉敷町役場)・~岡山県倉敷市

2015-07-30 06:32:17 | 洋館

2015年6月23日 岡山県

倉敷案内観光所(旧倉敷町役場)

岡山県倉敷市

大正5年(1916)、倉敷町役場として建てられた木造洋風建築が特徴。登録有形文化財に指定されている。中橋のたもとにあり、現在は観光案内所と無料休憩所になっている。 るるぶ

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倉敷物語館~岡山県倉敷市本町

2015-07-29 06:15:18 | 建築物(洋館以外)

2015年6月23日 岡山県

倉敷物語館

岡山県倉敷市本町

倉敷物語館は、美観地区の入口に位置し、倉敷を訪れる観光客と市民の交流・活動の場として、また、美観地区の回遊性向上の拠点施設として活用されています。倉敷物語館は、南側の長屋門・塀、西側の路地がひときわ美しく、当時の景観が保たれています。建築年代は、江戸期とされ、長屋門、土蔵などが当時の風情を現代に伝え、美観地区を訪れた方々に‘倉敷らしさ’の印象を与えます。 倉敷観光 WEB

 

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倉敷民芸館~岡山県倉敷市

2015-07-28 06:11:55 | 建築物(洋館以外)

2015年6月23日 岡山県

倉敷民芸館

岡山県倉敷市

江戸時代末期の米倉を改装したもので、白壁と黒の貼り瓦が美しいコントラストを描いています。館内には古今東西の民芸品約700点が展示されています。東京の日本民藝館についで2番目に開館したという歴史を持っています。 倉敷観光WEB

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旧大原家住宅(重要文化財)~岡山県倉敷市

2015-07-26 05:49:33 | 建築物(洋館以外)

2015年6月23日 岡山県

 

旧大原家住宅 重要文化財

岡山県倉敷市

旧大原家住宅は寛政7年(1795)に主屋の建築が着工され,その後座敷部分が増築され, その先には広い庭が続いています。また,主屋の後ろには蔵が建ち並び, 防火の役目も果たしています。主屋は本瓦葺,厨子二階建てで,屋根は一見入母屋造に見えますが,実際には切妻造りで妻側に付庇を設けた庇付き切妻屋根となっています。また倉敷窓,倉敷格子といった倉敷独特の意匠も備えています。蔵は土蔵造りで,外壁は腰に瓦を張りつけ,目地を白漆喰で盛りあげる『なまこ壁』で仕上げられ,そのコントラストは非常に美しく,倉敷の町並みの景観を特徴づけています。倉敷市ホームページより

大原孫三郎(1880.7.28 倉敷生 1943.1.18. 没)
実業家。倉敷紡績,倉敷絹織 (クラレの前身) などの経営者として両社を大きく発展させる一方,労働問題にも強い関心をもち,従業員の待遇改善を実行した。また,高野岩三郎を所長に迎えて大原社会問題研究所 (現法政大学大原社会問題研究所) を設立し,日本の社会問題研究の水準向上に貢献,ほかにも大原農業研究所 (現岡山大学農業生物研究所) ,倉敷労働科学研究所 (現日本労働科学研究所) ,大原美術館を設立するなど,社会・文化事業にも尽力した。

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有隣荘~岡山県倉敷市

2015-07-25 05:17:26 | 建築物(洋館以外)

2015年6月23日 岡山県

有隣荘

岡山県倉敷市

大原家別邸となる有隣荘は、1928年(昭和3年)に 大原孫三郎が、病弱な妻を気遣い「家族の為に落ち着いた住まいを」と建設されました。 設計は、大原美術館や中国銀行の設計を手がけた薬師寺主計と明治神宮や築地本願寺の造営で知られる伊藤忠太、 内外装デザインは児島虎次郎、庭園は近代日本庭園の先駆者であり 平安神宮や山県有朋邸などの名庭を手がけた京都植冶の七代目小川治兵衞によって手がけられています。緑色の瓦屋根が目立つことで「緑御殿」とも呼ばれています。この艶やかな緑色の瓦は、 特殊な釉薬が使われており、泉州堺の瓦職人に特別注文したものです。 現在の価格で1枚3万円程だったといわれています。

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大原美術館~岡山県倉敷市

2015-07-24 06:26:54 | 洋館

2015年6月23日 岡山県

大原美術館

岡山県倉敷市

1930年(昭和5年)に日本で最初の近代西洋美術館で、 倉敷を基盤に幅広く活躍した実業家大原孫三郎が、 洋画家児島虎次郎が収集した西洋絵画の展示の為に造られました。ギリシャ建築の神殿を模して、柱などがイオニックという形式で統一されています。 倉敷観光案内 くらしき観光.com

 

 

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備前焼窯元明光窯~岡山県赤磐市仁堀東

2015-07-23 05:14:14 | 博物館・資料館等

2015年6月23日 岡山県

備前焼窯元明光窯

岡山県赤磐市仁堀東

 

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鳥取砂丘~鳥取県鳥取市

2015-07-22 06:27:05 | 自然

2015年6月23日 鳥取県

鳥取砂丘

鳥取県鳥取市

鳥取県鳥取市の日本海海岸に広がる広大な砂礫地で、代表的な海岸砂丘。山陰海岸国立公園の特別保護地区に指定されており、南北2.4 km, 東西16 kmに広がる。観光可能な砂丘としては日本最大で、一般が立ち入れないものも含めると青森県の猿ヶ森砂丘に次ぐ規模を誇る。Wikipedia

   

 

 

 

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南苑寺(三朝温泉)~鳥取県東伯郡三朝町三朝

2015-07-21 05:26:48 | 神社・仏閣・教会

2015年6月23日 鳥取県

南苑寺 (三朝温泉)

鳥取県東伯郡三朝町三朝

山号を万年山と呼び、本尊は薬師如来 独山禅師(本名 林松次郎)がその開基である。独山の生国は新潟県で、年少にして出藍の誉高く、特に絵と書を良くした。若くして京都に出て富岡鉄斉に師事し、書画と儒学を学んだ。やがて発心して仏門に入る。明治43年(1910)臨済宗相国寺派の管長となった。後年神経痛を病んで三朝温泉に湯治する。即ち快癒を喜び感謝して、ここに南苑寺創建を発願した。落慶は大正14年(1925)、異国風の白亜の山門が人目を引いている。

見慣れない造りの三門

色々な願い事を書いた瓦が置かれていた。絵馬のようなものなのだろう

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三朝温泉~鳥取県東伯郡三朝町

2015-07-19 07:40:35 | 温泉街

2015年6月22・23日 鳥取県

三朝温泉

鳥取県東伯郡三朝町

三朝川のほとりに旅館が軒を並べ、世界有数のラジウム温泉として知られる山陰の名湯。歓楽的な色彩も濃いが、観光・行楽向きの宿は27軒ある宿のうちの22軒、あとは昔ながらの湯治・保養向きの宿。温泉は放射能泉、源泉は100カ所近くもあり、湯量も豊富。古くからあらゆる病気に効果の高い温泉として知られる。澄んだ湯で臭いはなく神経痛・リューマチをはじめ、関節炎・胃腸病などに特効がある。 じゃらんより

 

▲恋谷橋

▲ 縁結び かじか蛙: この時期「かじか」がよく鳴いている

 ▼三朝神社

三朝温泉の守り神的存在の神社。合祀したこともあり、大己貴命(大国主命)、素盞鳴尊など、祭神の数は多いです。この神社の手水所は常にラジウム温泉が湧いており、「神の湯」として親しまれています。三朝温泉ならではの神社です。とっとり旅の生情報より

▲手水所:ラジウム温泉が湧いる「神の湯」(飲泉湯)

▲ 飲泉場(ラジウム温泉)

▼ 株湯

江戸時代にはすでに地元の人たちに利用されていたという、三朝温泉の歴史ある共同浴場。男女別の内湯だけの浴室だが、趣きあるたたずまいの建物に湧く湯は、いちど試してみたい。るるぶ より

 

▲ 三朝温泉の発見 大久保左馬之祐と白狼

三朝温泉の由来は、およそ八百五十年以上も昔のこと。大久保左馬之祐というお侍さんが、年老いた白い狼に出会い、一度は弓で射ようとしますが、思いとどまり見逃してあげることに。その夜、左馬之祐の夢に妙見大菩薩が現れて、白い狼を助けたお礼に温泉の場所を教えてくれたのです。以後、救いのお湯として、村人たちの病を治したと伝わります。三朝温泉観光協会より

???

▲たぶん石州瓦・・・すてきな色

 

▲足湯「薬師の湯」

 

 

▲ 河原の中に見える葦簾張りが河原風呂(露天風呂) この時は何人かが入っていました。

※ 下呂温泉にも同じような露天風呂があったな~

▼ 旅館大橋 

創業昭和7年。和風の建物がすばらしい

 

  

▲ 三朝大橋 

この橋のたもとで蛍を見ることができました。だいぶ待ちましたが、8時頃からひかり始め、長らく見ていない蛍の光にしばし見とれておりました。

▲ モチーフは三朝大橋

▼ 南苑寺 

まるで竜宮の様な門構えの南苑寺は京都の古寺の禅僧が、三朝温泉で病が全快したことに感謝して壮健した寺で、四季折々の風情を漂わせています。 依山楼岩崎のホームページより

 

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武家屋敷2015(塩見縄手)~ 島根県松江市

2015-07-18 06:50:32 | 建築物(洋館以外)

2015年6月22日 島根県

武家屋敷2015

島根県松江市

塩見縄手(しおみなわて)には、かつて松江藩二百石から六百石取りの中老格の藩士の屋敷が並んでいました。この武家屋敷も、約275年前の松江藩中級藩士が屋敷替えによって入れ替り住んだところです。刀だんすやお歯黒道具をはじめ当時の家具調度品、生活用具などを展示しています。玄関から座敷まわり、主人居間のあたりは立派な造りになっているのに対し、私生活部分は質素にするなど、公私のけじめをつけていた武家の暮らしぶりが偲ばれます。 武家屋敷ホ^ムページより

 

 

 

 

 

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塩見縄手2015~島根県松江市

2015-07-17 06:03:37 | 町並み

2015年6月22日 島根県

塩見縄手2015

島根県松江市

泉八雲旧居を始め、武家屋敷風の家が堀に面して軒を連ね、松江で最も城下町らしいたたずまいを残している通りで、松江市の伝統美観地区に指定されています。かつて二百石から六百石取りの中老格の藩士の屋敷が並んでいました。堀沿いに立ち並ぶ老松も堀川の流れとあいまって江戸時代さながらの風情を漂わせています。 水の都松江より

武家屋敷の前にひろがる通りは、塩見縄手とよばれ、初代出雲藩主堀尾吉晴が1607年(慶長12年)から 1611年にかけて松江城築城の際に、城地の亀田山と北側の赤山の中間にあった宇賀山を堀削して、内堀とそれに並行する道路および侍屋敷を造成してできた城下町の通りです。 城下町では、縄のようにひとすじにのびた道路のことを「縄手」といい、この塩見縄手には、二百石から六百石程度の中級武士の家中屋敷がならんでいました。なかでもこの武家屋敷に一時住んでいた塩見小兵衛が、のちに異例の栄進をしたため、それをたたえてこの通りを塩見縄手とよぶようになりました。

 

 

北惣門橋

▼ 松江歴史館

 

 

▲ 武家屋敷

 

▲田辺美術館
 

▲小泉八雲旧邸

▲小泉八雲記念館

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松江城の櫓など2015②

2015-07-16 06:28:34 | 100名城

2015年6月22日 島根県

松江城の櫓など2015②

▼ 中櫓

中櫓は、二の丸の東側に建てられた平屋建ての櫓です。江戸時代前期の文献や絵図には「中櫓」または「東ノ矢蔵」という名前が見られ、幕末には「御具足蔵(おんぐそくぐら)」とも呼ばれていました。この櫓の用途は分かっていませんが、「御具足蔵」という名前のように、中に武具などを保管する倉庫であったことが考えられます。説明板より

 

▼ 太鼓櫓

太鼓櫓は、二の丸の北東角に建てられた平屋建ての櫓です。中櫓と同規模の櫓であるが、入口に庇(ひさし)が付くところが異なります。江戸時代前期から幕末までの文献や絵図には、いずれも「太鼓櫓」という名前で記されているように、城内に時刻や号令を告げる太鼓が置かれた櫓であったことが考えられます。 説明板

 

 ▼ 南櫓

南櫓は、二の丸の南東角に建てられた2階建ての櫓です。江戸時代前期の文献や絵図に「南櫓」または「南ノ弐重屋くら」という名前が見られ、幕末には「御召蔵(おめしくら)」とも呼ばれていました。この櫓の用途は、建てられた位置から考えると、城下町の南東方向を監視する櫓であったことが考えられます。 説明板より

南櫓より

 ▼ 興雲閣(松江郷土館)

松江城二ノ丸に建つ明治建築の洋館。
明治36年(1903)に完成した県内に残る数少ない明治建築で、1907年、大正天皇のご宿泊所としても使用された。正面には車寄せがあり、周囲を豊かな装飾で飾る柱を配した優美な造り。 水の都松江より

※ 改修工事中・・・・

 

関連記事  松江城2015①(100名城)

 

2015-07-16 06:28:34

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松江城2015①(100名城)~島根県松江市殿町

2015-07-15 05:34:46 | 100名城

2015年6月22日 島根県

松江城2015① 100名城

島根県松江市殿町

城下町松江のシンボルで、松江開府の祖堀尾吉晴(ほりおよしはる)公が慶長12年(1607)から足掛け5年の歳月をかけて、慶長16年(1611)に築城しました。千鳥が羽根を広げたように見える入母屋破風の屋根が見事なことから、別名「千鳥城」とも呼ばれます。山陰地方で唯一現存する天守閣は黒塗りの下見板で覆われており、その荘重かつ優美な姿は訪れる人々を魅了します。さらに、最上階の望楼から360度にわたって見降ろす街並みの眺めは圧巻です。 島根県松江市観光公式サイトより

平山城で江戸時代には松江藩の藩庁として、出雲地方の政治経済の中心となったが、明治時代初頭に廃城令によって存城処分(陸軍省所管)となったため、天守以外の建物はすべて払い下げられ撤去された。城跡は現在、松江城山公園として利用され、また、江戸時代初期建造の天守を有する城跡であり、天守は山陰地方の現存例としては唯一である。天守からは宍道湖を眺望できる。Wikipedia

祖堀尾吉晴 像

▲ 噂の形の石

 

  

 

 

▲石落とし
  

▲天守閣最上部

  

▼ 二之丸下之段

 

関連記事 松江城の櫓など2015②

2015-07-15 05:34:46

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