コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

三浦富士~砲台山~武山(三浦半島)

2016-02-29 06:10:07 | 自然

2016年2月27日 神奈川県

三浦富士(標高183m)~砲台山(標高206m)~武山(標高200m)

山岳部会の活動に部外者として参加。前回は昨年末に高尾山(ダイヤモンド富士)。今回は三浦富士(標高183m)~砲台山(標高206m)~武山(標高200m)を目指します。

京浜急行長沢駅から歩き始める。

▲駅前

▲三浦富士(?)階段から上り始めます

▲遠くに見える山並みは千葉か伊豆か全くわかりません

 ▲複数の幹が伸びているこの木。このあたりの群生している。

 自宅にもどり調べてみたところ「マテバシイ」らしい
  

三浦富士への道程で一番キツイ所だったかも?
   

頂上はすぐ先

▼ 三浦富士頂上

  

 

▲奥の山並みは天城山とのこと

▲中央に富士山

※10分ほど休憩し「砲台山」へ
  

 ▲天城山がよく見える
 

 砲台山頂上手前で見かけた工作物。なんだろうねこれ
 

砲台山(ほうだいやま)山頂

昭和初期に造られた砲台が見事に残っている

▼ 砲台山から武山へ

 

 シダ類?の新芽(ゼンマイ状になっている)

▼武山頂上から

▲砲台山

▲左隅には横浜やレインボーブリッジが見える

▼武山不動
 

ヒヨドリに食べられたミカン

※ 武山山頂で早めの昼食。別ルートで下山したグループと三崎口で合流のため、一騎塚バス停からバスを乗り継ぎ三崎口へ

よく見ると、見ざる聞かざる言わざる が刻まれている
   

 京浜急行三崎口駅

 駅前の河津桜

※  シーフード店で打ち上げをしたのは言うまでもない・・・・

cosmophantom

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧真壁郵便局(登録有形文化財)・~茨城県桜川市真壁町真壁

2016-02-27 06:03:21 | 洋館

2016年2月20日 茨城県

旧真壁郵便局 登録有形文化財

茨城県桜川市真壁町真壁

昭和2年に第五十銀行(現・常陽銀行)真壁支店として建設されたものである。その後、所有者も替わり、幾度かの転用を経て、昭和31年から真壁郵便局(特定郵便局)として昭和61年まで使用されてきた。外観はセメント洗出し仕上げで石張り風に目地を付け、規則的に窓を設けただけで、装飾的要素のほとんどない平坦なものである。内部は間仕切壁や床はすべて木造である。 茨城県教育委員会

cosmophantom

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真壁2016(重要伝統的建造物群保存地区)~茨城県桜川市真壁町真壁

2016-02-27 06:03:20 | 重要伝統的建造物群保存地区

2016年2月20日 茨城県

真壁2016 重要伝統的建造物群保存地区

茨城県桜川市真壁町真壁

真壁の町割りは、戦国時代末期の真壁氏時代に形づくられ、江戸時代初期の浅野氏時代に完成したといわれています。枡形と呼ばれる城下町特有の交差点が現存し、その町割りの中に、蔵や門などの歴史的建造物が息づいています。現在、99棟が国の登録文化財となっています。平成22年6月29日には、この真壁地区が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。全国で87地区目、関東地方では4地区目、県内では初となります。 桜川市観光ガイドより

※ 真壁へのアクセスは非常に悪い。最寄り駅は水戸線の岩瀬駅であるが、真壁までの路線バスはなく車で20分ほどかかる。毎年、真壁ではひな祭りが開催され、今年は2月20日から真壁までの臨時バスが出るため、雨の予報のなか、訪れる。

真壁のひな祭り

「寒い中、真壁に来てくれた人をもてなそう」。そんな一言から始まった真壁のひなまつり。見世倉・土蔵などが幹を連ねる風情豊かな町並みの真壁町に、160軒を超える家がひな人形を飾る一大イベントです。町の各地に展示しているひな飾りは、数百年前の由緒あるひな人形や現代作家の作品、はたまた石で作られた変わり種まで。愛らしいひな人形と歴史ある街並み、そして、真壁の方の地域を愛する心に触れてみてはいかがでしょうか? 観光いばらき

▼ 星野家 登録有形文化財

  

 ・・・

 ▼ 三輪家 登録有形文化財
 

よく見ると「下駄」が描かれていた。。。

 ・・・

 ▼ 旧真壁郵便局 登録有形文化財

昭和2年に第五十銀行(現・常陽銀行)真壁支店として建設されたものである。その後、所有者も替わり、幾度かの転用を経て、昭和31年から真壁郵便局(特定郵便局)として昭和61年まで使用されてきた。外観はセメント洗出し仕上げで石張り風に目地を付け、規則的に窓を設けただけで、装飾的要素のほとんどない平坦なものである。内部は間仕切壁や床はすべて木造である。 茨城県教育委員会

   

これは私書箱のようなものか?

 

▼ 川島書店 登録有形文化財

・・・
 

江戸時代と明治時代の雛人形
     

  

▼増渕家 登録有形文化財

・・・

▼佐藤家表門 登録有形文化財

・・・

▼桜井家 登録有形文化財 

 ▼橋本旅館 登録有形文化財 

   

真壁では「すいとん」を売りとしている

▼西岡家 登録有形文化財 

・・・

▼真壁伝承館

  

 

「むかしのコロッケ」は大人気!一個50円 もちろん食べましたよ。揚げたてで美味しいぞ 

▼神社の拝殿にも雛人形が・・・

 ・・・

 

つるや亭で「すいとん」を食べてみた。味は・・・「すいとん」だからね~

・・・

▼ 入江家 登録有形文化財 

 ・・・

▼ 塚本茶舗 登録有形文化財 
    

 ▼ 潮田住宅 明治後期

・・・

 ▼伊勢屋旅館 登録有形文化財 

  

・・・

 ▼村井醸造 登録有形文化財  
   

石の雛人形

 

cosmophantom

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR水戸線岩瀬駅~茨城県桜川市犬田

2016-02-27 06:00:20 | 鉄道・駅

2016年2月20日 茨城県

JR水戸線岩瀬駅  茨城県桜川市犬田

真壁へはこの駅からでる臨時バスで

 

cosmophantom

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩国(大明小路)の町並み2015②~山口県岩国市

2016-02-26 06:10:47 | 町並み

2015年12月26日 山口県

 岩国(大明小路)の町並み2015②  

山口県岩国市

 

人の顔つきも習慣である 笑顔が習慣になれば しめたものである 宇野千代

※ 宇野千代は岩国の出身

 

岩国往来:岩国市本郷町から岩国市錦見及び今津に至る藩政時代の街道

▼ 岩国練武道場(岩国練武会)

陸軍元帥長谷川好道の邸宅跡に西面して建つ。寄棟造桟瓦葺、桁行二四メートル梁間一〇メートル、妻入で正面中央に唐破風造の玄関を付す。外部は下見板張とし、内部は演技場の東面に師範台、南面に観覧席と支度室を下屋で設ける。地域に根ざした剣道場の一例。

▼西中国信用金庫

▲ 山口銀行

▲岩国寿司 よしだ ここで岩国すしを買う

▲この写真は「よしだ」ではなく「三原」でした。このブログをご覧の方からご指摘を受け間違いが分かりました。 訂正させて頂きます。

 

 ▼ 岩国学校校舎(岩国学校教育資料館)

▼JR西岩国駅

関連記事:岩国の町並み2015①

2016-02-26 06:10:47

cosmophantom

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩国の町並み2015①~山口県岩国市

2016-02-25 21:43:22 | 町並み

2015年12月26日 山口県

岩国の町並み2015① 

岩国の名前は万葉集にも見られ、古くから山陽道の交通の要衝であった。守護大名・大内氏が中国地方を統治していた室町期まで、岩国氏・広中氏といった豪族がこの地を治めていた。関ヶ原の戦いの後、長門・周防の2国に減封された毛利家前当主・毛利輝元は、東の守りとして、毛利元就の次男・吉川元春の三男で、吉川家を相続していた吉川広家に岩国を与えた。以後、岩国は、吉川家が治める岩国領6万石の城下町として発展していく。後述のように、関ヶ原敗戦の原因を毛利両川(小早川の裏切りと吉川の内応)のためと考えていた毛利本家から、幕府に対して支藩としての推挙がなかったため、岩国領と称された。吉川氏が諸侯に列し、大名となったのは慶応4年のことである。したがって岩国藩と呼べるのは、それ以後からのこととなる。旧市街である、錦見(にしみ)・岩国・横山といった現西岩国駅・川西駅の周辺が繁栄した。江戸年間、岩国藩と長州藩は幕末まで吉川家の家格をめぐって疎遠であった。このためか旧岩国市域の住民は山口県に帰属しているという意識は薄い。Wikipedia
 

▲錦帯橋
 

▲槍倒しの松:参勤交代で大名行列が藩の要所を通る時は、槍を倒すのが礼儀だが、わずか6万石では誰も倒さなかったという。そこで、枝ぶりのよい松の木を橋の袂に植えたところ、嫌でも槍を倒すようになったという。岩国藩士の心意気といえるが、本当に意識して植えたという記録はない。 じゃらん

巌流ゆかりの柳:佐々木巌流小次郎は宮本武蔵との勝負に敗れましたが、小次郎の「つばめ返し」の剣法は天下無双であったということです。吉川英治氏は小説『宮本武蔵』のなかで、岩国で産まれた小次郎は、母からの家伝の長光の刀(一名物干し竿)を授かり、この辺りの柳とつばめを相手に独りで工夫し、努力を重ね、遂に『つばめ返し』の術を編み出したと記しています。 説明板より

▲佐々木小次郎像:吉川英治の小説「宮本武蔵」で、佐々木小次郎は錦帯橋畔で、柳の枝が燕を打つのを見て「燕返し」の術を得たと岩国に来て自ら創作した。 おいでまっせ山口へ

 

刀の柄を持つ手に注目: 「燕返し」の為の構えかもしれない。
 

▲昌明館附属屋及び門
 

 ▲ 旧吉川邸厩門
  

 ▲ 錦雲閣

▲ 吉香神社 ▼

▲ 白山比神社

▲ 岩国高等学校記念館

ロープウェイで岩国城へ
 

▲ ロープウェイ内から 錦帯橋が眼下に見える

▲ 岩国城

▲ 旧目加田家住宅

▲ 香川家長屋門
 

 

▲ 吉香公園

▲ 吉香公園の十月桜 

▲ 紅葉谷:紅葉谷公園は、江戸時代からあったいくつかの寺院跡地を公園化したもので、昔はこの辺りは「寺谷」と呼ばれ、多くの寺院が集まっていました。常に静かで落ち着いた雰囲気に包まれた風流な公園で、新緑のモミジ、紅葉のモミジともに趣があり、観光客の目を楽しませています。 ひろしま観光ナビ

 ▼ 吉川家墓所

「吉川家墓所」 は紅葉谷公園の入口付近にあり、初代広家から12代経幹まで (6代経永を除く) の当主や一族の墓51基が並んでいます。

      

 ▼ 永興寺庭園 名勝

吉川家、大内氏ゆかりの寺です。また、庭園は枯山水庭園の例として貴重で、岩国市指定文化財です。 おいでまっせ山口へ
  

 ▼ 六角亭

紅葉谷公園の一角に立つエキゾチックな建物 「六角亭」 (ろっかくてい)は、岩国出身で朝鮮総督を勤めた長谷川好道元帥が朝鮮から贈られたものを1918年 (大正7年) に移築しました。元々六角亭は朝鮮各地で身分の高い人々が景観のよい場所に建て憩いの場として利用していたものと言われています。 岩国の観光.com

▼ 吉川 広嘉公像

岩国藩三代藩主吉川広嘉公の像で、錦帯橋創健の偉業をたたえて建てられたもの。しかし、岩国藩では二代藩主から十一代藩主までの肖像画が残されておらず、この銅像は、初代藩主と子孫の方の肖像画と写真を合成して作られたものです。 おいでまっせ山口へ
   

関連記事:岩国(大明小路)の町並み2015②

2016-02-25 21:43:22

cosmophantom

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR西岩国駅~山口県岩国市錦見

2016-02-24 06:01:49 | 鉄道・駅

2015年12月26日 山口県

JR西岩国駅

山口県岩国市錦見

西岩国駅舎 は1929年(昭和4年)4月15日、岩徳線の岩国駅として開業しました。洋風の建物は、正面玄関などに錦帯橋をモチーフにしたと思われるデザインが取り入れられています。当時この駅は、岩国観光の表玄関で、錦帯橋への観光客のほとんどが利用したのではないでしょうか。しかし、1942年(昭和17年)には岩国駅の名称を麻里布駅(現在の岩国駅)に譲り、西岩国駅に改称されました。1979年(昭和54年)、開業50周年を節目に駅舎の永久保存が決定し、その際、木製の改札口や待合室天井のシャンデリアなどが開業当時の姿に復元されました。 岩国の観光.com

 

 

 

2016-02-24 06:01:49

cosmophantom

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩国学校校舎(山口県有形文化財)・~山口県岩国市

2016-02-23 05:21:41 | 洋館

2015年12月26日 山口県

岩国学校校舎(岩国学校教育資料館) 山口県有形文化財

山口県岩国市

「岩国学校校舎」  は1871年(明治3年) に建てられた藩立岩国学校の校舎です。当初は和風の二階建てでしたが、1873年(明治5年) に洋風の三階を増築しています。和洋折衷の建物は、明治初期の学校建築においても特異な存在で、1969年(昭和44年) には山口県有形文化財に指定されています。東芝の創始者の一人で「日本の電気の父」とも言われる藤岡市助博士や文豪・国木田独歩、作家・宇野千代などが、この学校で学びました。建物は1972年((昭和47年) に解体修理され、現在は「岩国学校教育資料館」として、寺子屋時代から現代までの教科書や民俗資料、また藤岡市助博士に関する資料等が展示されています。

        

2016-02-23 05:21:41

cosmophantom

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

香川家長屋門2015(山口県有形文化財)~山口県岩国市

2016-02-22 05:58:05 | 長屋門など

2015年12月26日 山口県

香川家長屋門2015 山口県有形文化財

山口県岩国市

香川家長屋門は岩国藩家老香川氏の表門で、1693年(元禄6年) の建立と伝えられています。岩国市の建造物としては最も古いものの一つで、当時の武家屋敷の構えをよく残しており、1966年(昭和41年) には山口県の有形文化財に指定されています。 岩国の観光.com

※ 住宅として使用されており内部は非公開

長屋門と岩国城

cosmophantom

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧目加田家住宅(重要文化財)2015~山口県岩国市

2016-02-21 06:43:51 | 建築物(洋館以外)

2015年12月26日 山口県

旧目加田家住宅 2015 重要文化財

山口県岩国市

「目加田家住宅」 (めかたけじゅうたく) は江戸時代中期の18世紀中頃に建てられた中流武家屋敷です。岩国の武家屋敷は、錦川の氾濫に備えて二階建てが多かったようです。目加田家住宅も二階建てですが、表側は大屋根としてあり、一見して平屋に見えます。これは藩主が通る際に見下ろすことがないように配慮したものと言われています。入母屋造りの建物は、簡素ながら端正な構造で、250年を経た現在も当時の武家屋敷形式をよく伝えており、1974年 (昭和49年) に国の重要文化財に指定されています。特徴ある両袖瓦 (りょうそでがわら) と平瓦を使用した二平葺き (にひらぶき) は岩国の瓦師が考案したと言われ、岩国城下町に見られた地方色です。








 

cosmophantom

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩国城(100名城)~山口県岩国市横山

2016-02-20 05:29:17 | 100名城

2015年12月26日 山口県

岩国城 100名城

山口県岩国市横山

岩国城は、初代岩国領主吉川広家(きっかわひろいえ)によって慶長13(1608)年に作られた山城で、眼下を流れる錦川を天然の外堀にし、標高約200メートルの城山山頂に位置していました。
三層四階の桃山風南蛮造りでしたが、築城後8年で一国一城制により取り壊されました。現在の天守は、昭和37(1962)年に再建されたものです。岩国旅の架け橋より

※ロープで天守閣へ

 

▲木々の背後に石垣が見える

 

▲大手門から入城

 

天守閣より:錦川に架かる錦帯橋がよく見える

 

▼旧天守台

一国一城令による取り壊し後、幕府より石垣も破却するよう命じられ、天守台も破壊されました。しかし下部約1/4が地中に埋まって残っており、1995年 (平成7年) に古式穴太積 (こしきあのうづみ) 石垣が発掘復元されました。 岩国の観光より

 

▲空堀

 ▲北の丸

▼大釣井

この大井戸は、慶長13年(1608)築城と同時につくられたもので、非常時の武器弾薬等の収納をはかるとともに、敵に包囲されたり、落城の危機にさらされた場合の脱出口を備えた井戸であったとも伝えられている。

  

 

cosmophantom

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白山比め神社~山口県岩国市

2016-02-19 05:44:50 | 神社・仏閣・教会

2015年12月26日 山口県

白山比め神社しらやまひめじんじゃ)

山口県岩国市

「白山比め神社」(しらやまひめじんじゃ) は1559年の創建で、加賀国 (石川県) 白山神社の分霊を移し祭ったものと伝えられています。現在の建物は、拝殿を除き、1898年 (明治31年) に完成したものです。通称「白山神社」 (はくさんじんじゃ) と言われており、境内にはモミジや杉の大木があり雨や霧などに煙る姿は幽玄です。また境内横より城山登山道が通じています。 岩国の観光.com

比め神社:神社の祭神を示すときに、主祭神と並んで比売神(比売大神)、比神、姫大神などと書かれる。これは特定の神の名前ではなく、神社の主祭神の妻や娘、あるいは関係の深い女神を指すものである。 Wikipediaより

 手水舎には吉川家の九曜紋が施されている

cosmophantom

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉香神社2015(重要文化財)~山口県岩国市

2016-02-18 06:20:09 | 神社・仏閣・教会

2015年12月26日 山口県

吉香神社2015 重要文化財

山口県岩国市

「吉香神社」 (きっこうじんじゃ) は旧岩国藩主吉川家の先祖を祀る三社を統合して、1884年 (明治17年) 旧居館跡に建立されました。社殿は、吉川興経を祀る治功大明神として1728年 (享保13年) に造営されたものです。建物は当初の形式をよく保持しており、岩国藩大工の高い技術力が窺えます。本殿、拝殿、神門が同一時期の建築で揃っているものは大変貴重で、1988年 (昭和63年) に県の有形文化財に指定されています。その後、2004年 (平成16年) 12月10日には国の重要文化財に指定されました。 岩の国観光

▲神門 重要文化財

▲本殿 重要文化財

   

  

cosmophantom

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

錦雲閣(山口県岩国市) 岩国市登録有形文化財

2016-02-17 05:55:27 | 建築物(洋館以外)

2015年12月26日 山口県

錦雲閣 岩国市登録有形文化財

山口県岩国市

錦雲閣 (きんうんかく) は1885年 (明治18年) に旧岩国藩主吉川家の居館跡が公園として開放された際、旧藩時代の矢倉に似せて造られた絵馬堂です。吉香公園の堀に面して立つその姿は大変風情があり、まるで一幅の日本画を見るようです。2000年 (平成12年) 2月には岩国市の登録有形文化財となっています。

 

  

cosmophantom

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昌明館附属屋及び門(市指定の有形文化財)2015~山口県岩国市横山

2016-02-16 06:01:00 | 長屋門など

2015年12月26日 山口県

昌明館附属屋及び門2015 岩国市指定市指定の有形文化財

山口県岩国市横山2丁目7-3

寛政5(1793)年6月に岩国7代領主吉川経倫(きっかわつねとも)の隠居所として建造。廃藩置県の際、岩国県庁が置かれ、岩国の政治の拠点となりました。現在は、18世紀末頃の建築様式を留めた長屋二棟門一棟が残され、市指定の有形文化財となっています。 岩国旅の架け橋

▲吉川資料館は館内整理のため休館!前回訪問時(2013年)は休館日。縁がないな・・・

cosmophantom

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする