コスモのフォトアルバム

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金沢文芸館(洋館)登録有形文化財~石川県金沢市尾張町

2014-05-31 09:25:28 | 洋館

2014年4月27日 【北陸から若狭へ2014】 石川県  

金沢文芸館(洋館) 登録有形文化財

石川県金沢市尾張町1丁目7-10

浅野川大橋近くの橋場町交差点に建つレトロな元銀行の建物は、貴重な昭和初期のモダニズム建築で、金沢市指定保存建造物・国登録有形文化財となっています。よるまっし金沢より

国登録有形文化財に指定されている建物は、金沢市橋場町交差点に建ち、昭和初期の面影を残すデザインが目を引きます。金沢の文芸活動の拠点、発信基地として開設されました。1階は「交流サロン」、2階は「金沢五木寛之文庫」、3階は「文芸フロア」となっています。ほっと石川より

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寺島蔵人邸(武家屋敷)・~石川県金沢市大手町

2014-05-31 07:22:49 | 建築物(洋館以外)

2014年4月27日 【北陸から若狭へ2014】 石川県  

寺島蔵人邸(武家屋敷)

石川県金沢市大手町10番3号

寺島氏は代々、加賀藩士として450石を知行された平士の家柄です。ことに11代蔵人が有名です。彼は文人画をよくし応養と号して、数多くの作品を残しています。
寺島蔵人邸跡は、現在1,179.53平方メートルの敷地内に家屋、土蔵、土塀、および庭園があります。家屋1階は、13畳半の座敷、5畳の茶室、4畳、6畳、7畳、8畳の各室等、2階は、蔵人の画室と伝える9畳の間、8畳の間、板の間2室等からなります。建築年代は、蔵人の祖父にあたる五郎兵衛恵叙が安永6年(1777)現在地に邸地を拝領、邸宅を新築したとの記録により、18世紀後半の中頃と推測できます。中級武家屋敷の旧態をよく伝えています。いいね金沢より

 

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大樋美術館~石川県金沢市橋場町

2014-05-30 20:43:45 | 建築物(洋館以外)

2014年4月27日 【北陸から若狭へ2014】 石川県  

大樋美術館 

石川県金沢市橋場町2-17

大樋美術館は裏千家の始祖仙叟宗室居士と同道した初代長左衛門から現代まで。歴代の大樋焼と加賀金沢の茶道文化にふれる美術館です。楽家から贈られた飴釉、仙叟好みの意匠、そして代々の創意が加えられた歴代の作品を中心に大樋焼330年の歳月と現在、そして新たなる伝統を重ねる姿を三つの展示室に展開している。

大樋焼
大樋焼は、ロクロを使わない手びねりとヘラで、ひとつひとつ作られます。保温に富み、軽くて暖かみがある風合いの器は口当たりが柔らかで、お茶に広く利用された事も頷けます。京都の楽家から、楽焼きの黒や赤を使うことを禁止され、独自に飴釉という釉薬の効果を利用した、独特の発色が特徴です。土作りから本焼きまでの、一貫作業で作られています。

※当方焼物に興味なくスルー

折鶴の松:樹齢450年を超える金沢指定樹木。

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主計町茶屋街(石川県金沢市主計町)2014(重要伝統的建造物群保存地区)

2014-05-30 06:06:33 | 重要伝統的建造物群保存地区

2014年4月27日 【北陸から若狭へ2014】 石川県  

主計町茶屋街2014  重要伝統的建造物群保存地区

石川県金沢市主計町

主計町茶屋街はひがし茶屋街・西茶屋街と並ぶ金沢3茶屋街の1つで国の重要伝統的建造物群保存地区にも指定されています。主計町茶屋街は浅野川に面しており百万石行列の前日夜には加賀友禅灯ろう流しも行われる情緒豊かな茶屋街です。主計町茶屋街の浅野川沿いは料亭の建物が立ち並んでいますが、一歩裏道に入ると狭い路地と千本格子の庶民向け遊郭跡が続く街並みが残存しています。

主計:かずえ

 

★★★☆☆cosmophantom

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志摩(重要文化財)2014~石川県金沢市東山(ひがし茶屋街)

2014-05-29 18:36:41 | 建築物(洋館以外)

2014年4月27日 【北陸から若狭へ2014】 石川県  

志摩2014 重要文化財

石川県金沢市東山(ひがし茶屋街)

文政3年(1820年)に建てられたお茶屋の建物で、江戸時代そのままに保存され、学術的にも貴重な文化遺産として国の重要文化財に指定されている。お茶屋は二階が客間で、押入れや物入れ等はなく、あくまでも遊芸を主体とした優美で繊細な特有の造りとなっている。JRおでかけネットより

 

室内カメラ撮影禁止です。スマホはOKとのこと

 

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ひがし茶屋街(石川県金沢市)2014~重要伝統的建造物群保存地区

2014-05-28 09:58:49 | 重要伝統的建造物群保存地区

2014年4月27日 【北陸から若狭へ2014】 石川県  

ひがし茶屋街2014 重要伝統的建造物群保存地区

石川県金沢市東山

卯辰山山麓を流れる浅野川の川岸には、今でもキムスコ(木虫籠)と呼ばれる美しい出格子がある古い街並みが残り、昔の面影をとどめています。灯ともし頃にもなれば、今でも軒灯がともる茶屋から三味線や太鼓の音がこぼれてきます。五木寛之著「朱鷺の墓」の舞台としても知られています。また、平成13年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、「街並みの文化財」として保存策が進められています。金沢旅物語より

 

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志摩 重要文化財

文政三年(1820)に建てられたままに残るお茶屋の建物

※ 抹茶をいただき、少しばかり休憩

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懐華楼  金沢市指定保存建造物

文政3年(1820)年築の金沢で一番大きな茶屋
 
 
 
 
 
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旧かみや 金沢市指定文化財

建築年代は明治六年(1873)頃とされます。主屋は二番丁の通りに面して建ち、土蔵は主屋の奥に位置し、二番丁と三番丁を結ぶ脇道に面し建っています。

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2014-05-28 09:58:49

★★★★☆cosmophantom

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旧第6旅団司令部2014・~石川県金沢市丸の内

2014-05-27 06:22:27 | 洋館

2014年4月26日 【北陸から若狭へ2014】 石川県  

旧第6旅団司令部2014

石川県金沢市丸の内(金沢城址公園内)

旧第6旅団司令部は、明治31年に建てられた木造平屋建て、床面積196平方メートルの建物です。当時は、陸軍本省が各師団建物の設計をしていたため、全国に同様の建物が建てられました。金沢大学時代には、教育開放センターとして利用されていました。いこまいけ高岡

 

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金沢城2014⑥(いもり堀など)~石川県金沢市

2014-05-26 06:03:56 | 100名城

2014年4月26日 【北陸から若狭へ2014】 石川県  

金沢城2014⑥ いもり堀など

かつての「いもり堀」は、金沢城の南西側を囲む外堀で、明治40年(1907)、旧陸軍により上部の削平と埋め立てが行われ、その跡地は、陸軍用地を経て、戦後はテニスコートとして利用されました。江戸時代の堀は、幅が広いところで約40m、深さが10m以上あり、水を湛えていました。斜面は土羽で、比較的緩やかな勾配で造られており、南東端には鯉喉櫓台の石垣がありました。金沢城公園ホームページより

 

いもり堀

鯉喉櫓台(りこうやぐらだい)

関連記事:金沢城2014①(石川門)~石川県金沢市 

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金沢城2014④(鶴丸倉庫)(重要文化財)~石川県金沢市

2014-05-25 05:43:27 | 100名城

2014年4月26日 【北陸から若狭へ2014】 石川県 

金沢城2014④(鶴丸倉庫) 重要文化財

金沢城土蔵は、金沢城本丸の北側に、嘉永元年(1848)に建築された大型土蔵で、鶴丸倉庫とも呼ばれている。土蔵造2階建、切妻造、桟瓦葺で、もとは武具蔵として建てられ、加賀藩大工山本勝左衛門が普請を手がけた。金沢城土蔵は、広大な内部空間を有し、腰の石張など金沢城の土蔵に特徴的な技法も併せ持っている。また城郭内に現存する近世の土蔵として希少な遺構であるとともに、武具蔵という用途が明らかで、なおかつ、その機能に則した造作がみられる点においても、高い価値が認められる。文化遺産オンラインより

 

関連記事: 金沢城①2014(石川門)~石川県金沢市  

 

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金沢城2014③(菱櫓・五十間長屋・橋爪門・橋爪門続櫓)~石川県金沢市

2014-05-24 06:42:15 | 100名城

2014年4月26日 【北陸から若狭へ2014】 石川県  

金沢城2014③( 菱櫓・五十間長屋・橋爪門・橋爪門続櫓)

菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓(ひしやぐら・ごじっけんながや・はしづめもんつづきやぐら)は、平成13年7月に復元建築された建物です。明治時代以降に建てられた木造城郭建築物としては日本最大規模となっています。戦の際に二の丸を守るための施設です。三層三階の菱櫓と橋爪門続櫓を二層二階の五十間長屋でつないでいます。石落しや鉄砲狭間となる格子窓、白塗漆喰壁や海鼠壁(なまこかべ)で防火構造になっている外壁が特徴です。菱櫓は大手と搦手(からめて、石川門)を見張る物見櫓であり、橋爪門続櫓は二の丸大手の橋爪門枡形を見張る物見櫓、五十間長屋は武器等の倉庫でした。いこまいけ高岡より

▲菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓

▲菱櫓・五十間長屋

▲菱櫓

▲五十間長屋・橋爪門・橋爪門続櫓

▲橋爪門・橋爪門続櫓

▲橋爪門・橋爪門続櫓

▲橋爪門・橋爪門続櫓

▲菱櫓・五十間長屋


なまこ塀


 石垣

 関連記事: 金沢城①2014(石川門)~石川県金沢市 

 

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金沢城2014②(河北門)~石川県金沢市

2014-05-23 19:49:58 | 100名城

2014年4月26日 【北陸から若狭へ2014】 石川県

金沢城2014②(河北門)

河北門は、金沢城の大手から入り、河北坂を上がったところに位置する「三の丸の正面」であり、金沢城の実質的な正門です。「石川門(重要文化財)」と「橋爪門」と共に「金沢城三御門」と呼ばれていますが、金沢城の建物の大半が焼失した宝暦の大火(1759年)の後、安永元年(1772)に再建されました。再建された河北門は、明治15年頃に無くなるまで金沢城の実質的な正門としての役割を果たしていました。約130年ぶりに甦った河北門は平成19年11月に着工し、平成22年4月まで約2年半の歳月をかけて完成しました。

河北門一の門

 

 河北門二の門 

関連記事: 金沢城2014①(石川門)~石川県金沢市 

 

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金沢城2014①(石川門)~石川県金沢市 

2014-05-22 05:09:32 | 100名城

2014年4月26日 【北陸から若狭へ2014】 石川県

金沢城2014①(石川門) 100名城  

石川県金沢市 

天正11(1583)年、前田利家が金沢城に入り、その直後から本格的な城づくりが始められました。キリシタン大名として知られる高山右近を招き、築城の指導をを仰いだと伝えられています。西丁口から尾坂口へと大手が変更されたのもこの頃です。しかし、当時は城内に重臣たちの屋敷があり、決して広い城ではありませんでした。慶長7(1602)年、落雷により天守閣が焼失した後、天守閣は再建されず、本丸には三階櫓と二の丸には御殿が建てられました。寛永8(1631)年の火災の後、二の丸の拡大や辰巳用水の通水などにより城の構造が変化するなかで。武家屋敷も城外へと出されました。内堀を掘り、土を掻き上げて各曲輪が区画されていきました。宝暦9(1759)年の火災では、城のほとんどを焼失しました。その後の再建では、実用性を重んじ、二の丸を中心とした整備が行われ、本丸の櫓は再建されませんでした。細工所が新丸から堂形へ移されたのもこの時期です。現存する石川門は、この後天明8(1788)年に再建されたものです。

 
石川門 重要文化財

石川郡の方を向いていたことからその名がついた石川門は、金沢城跡の東に位置する重要文化財です。1759(宝暦9)年の大火によって全焼しましたが、11代藩主前田治脩の代に再建され、その後修理等を重ねて現在の姿になりました。ほっと石川より

▲石川門一ノ門▼

▲石川門櫓

▲石川門櫓のニラミ櫓

▲石川門櫓▼

 

▲石川門櫓



 石川門二の門

▲石川門の枡形

 

関連記事

金沢城②2014 -河北門-

金沢城③2014 -菱櫓・五十間長屋・橋爪門・橋爪門続櫓-

金沢城④2014 -鶴丸倉庫(金沢城土蔵)-

金沢城⑤2014 - 三十間長屋-

金沢城⑥2014 -いもり堀など- 

 

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兼六園(日本三名園)2014~石川県金沢市兼六町

2014-05-21 19:41:37 | 庭園・公園

2014年4月26日 【北陸から若狭へ2014】 石川県

兼六園(日本三名園)2014

石川県金沢市兼六町

兼六園(けんろくえん)は、石川県金沢市にある日本庭園。国の特別名勝であり、日本三名園の一つに数えられる。17世紀中期、加賀藩により金沢城の外郭に造営された藩庭を起源とする江戸時代を代表する池泉回遊式庭園である。広さは約11.7ヘクタール。岡山市の後楽園と水戸市の偕楽園と並んで、日本三名園の一つに数えられる。1922年に国の名勝、1985年には国の特別名勝に指定されている。Wikipediaより

▲徽軫灯籠(ことじとうろう)

▲雁行橋

関連記事

兼六園(日本三名園)2019(冬)

岡山後楽園(日本三名園)

偕楽園(日本三名園)

 

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成巽閣 (重要文化財)・~石川県金沢市兼六町

2014-05-21 05:59:59 | 建築物(洋館以外)

2014年4月26日 【北陸から若狭へ2014】 石川県

成巽閣  重要文化財

石川県金沢市兼六町1-2

成巽閣(せいそんかく)とは、文久3年(1863年)に加賀藩13代藩主・前田斉泰が母・真龍院(12代斉広夫人)の隠居所として建てた歴史的建造物である。歴史博物館として一般公開されている。兼六園に隣接する。建築当時は、巽御殿(たつみごてん)と呼ばれたが、後に成巽閣と改められた。1階は書院造で2階は数奇屋造になっており、江戸時代末期の大名屋敷の代表的建築として、国の重要文化財に指定されている。Wikipediaより

内部は撮影禁止 庭は撮影OK

 

正門・辰巳長屋 県指定有形文化財

1822(文政5)年、12代斉広(なりなが)が造営した竹沢御殿の長屋で、1863(文久3)年、現在地に移築。県指定有形文化財。指定面積173.52平方メートル。 成巽閣辰巳長屋は、成巽閣正門の正面左手に位置している。

 

 赤門

「成巽閣」は江戸末期の1863年に、加賀藩13代藩主の前田斉泰が母・真龍院のために建てた隠居所です。その入口にはひと際目をひく赤門があり、兼六園や金沢城への通用口として使われていました。また東大にある赤門のミニチュアであることから、ここでも赤門と呼ばれているそうです。金沢旅行クチコミガイド

 

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石川県庁舎石引分室(B)(旧陸軍金沢偕行社)・~石川県金沢市石引

2014-05-20 06:29:02 | 洋館

2014年4月26日 【北陸から若狭へ2014】 石川県

石川県庁舎石引分室 (B)(旧陸軍金沢偕行社) 登録有形文化財

石川県金沢市石引4-18-3

マンサ-ド風の屋根を持つ中央棟の左右に,寄棟の翼屋が付く構造になる。コリント式のピラスターやドーマー窓等バロック風の技巧的な装飾を用いた外観意匠は,全体として華やかで優れている。明治42年に現在地に移築したと伝える。設計は,陸軍経理部。

 ▲向かって左の建物は石川県庁舎石引分室 (旧陸軍第九師団司令部庁舎)

※この建物は石川県庁舎石引分室(B)

関連記事 石川県庁舎石引分室(A)(旧陸軍第九師団司令部庁舎)

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