コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

岩殿城址(山)~稚児落とし(山梨県大月市)

2014-06-30 18:46:43 | その他の城

2014年5月10日 山梨県大月市

岩殿城址(山)~稚児落とし

山梨県大月市

戦国期の築城とみられる山城。円通寺の聖地でもある、「甲陽軍鑑」に岩殿山が三処の名城の一つとあり、その存在は古くから知られていた。
「甲斐国志」によれば、山頂部の一帯に「揚城戸、馬場、蔵屋敷、本丸、亀ガ池、空湟」などの地名が残っている。遺構の残存状況も良好で、学術的価値は極めて大きいものである。大月市観光協会

山岳部の山行きに参加は今回で3回目。今度のコースは事前にネットで調べたところ怖そなコースが何箇所かありました。

▲大月駅前

▲これが岩殿山

▲振り返れば白い富士!

▲ここらが登山口か?

▲やっぱり富士はいいね~~
 

▲関東の富士見百景 丸山山頂444.4m

▲形から城に関係する建物かと思いましたが、「ふれあいの館」という写真館のようなものでした。。。。

うっ ここを登るか~~

▲揚城戸跡(第二の関門)両脇は自然石▼

▲番所跡とありますので城はまだ先ということか?

▲標識によると 岩殿城・山頂とある。城は山頂にあったということなんだね

▲岩殿山の標高は634m!!ここが城址か?

 ▲眼下に「ふれあい館」が見える。

▲馬場跡?で昼食

昼食後もう一つの634mへ

▲もう一つの634m地点は烽火台でした。

 ここから稚児落としへ

この時期に出るかな?

難所の連続!!気持ちは萎えている!これはハイキングではない・・・

難所を越え一休み 後ろに岩殿山

最もビビったところ、当方迂回を主張するも同行者から背中を押されここを通ることに。左側は絶壁なのですけど

その先には垂直に近い岩場 嗚呼~

天神山って何処よ?

ウッ この先危険の表示 

 

無事に稚児落としに到着

あのね! 少し先は絶壁なんだけど。。。

▲マンホールのモチーフは猿橋か? 猿橋

大月駅に入線していた富士急の車両

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本願寺・伝道院・~京都府京都市下京区

2014-06-29 06:59:49 | 洋館

2014年5月1日 京都府

本願寺・伝道院

京都府京都市下京区

 本願寺伝道院は、西本願寺を大株主とする同会社の社屋として1911年に建てられた。設計は平安神宮(左京区)や祇園閣(東山区)を手がけた伊東忠太の初期の代表作。れんが造りで英国風だが、インド風のドームなどアジアの意匠も取り込み、同寺では異色の近代建築となっている。

 

※東京を4月24日にたち、北陸~丹後を巡った旅も伝道院で終わり。当方にとっては7泊8日は学生以来の長旅!ほぼ予定どおりに様々な場所を訪れることができ、満足!次回の長旅は山陽・山陰か?

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唐門(西本願寺)(国宝)~京都市下京区

2014-06-28 05:49:52 | 長屋門など

2014年5月1日 京都府

 唐門 国宝

京都市下京区

境内の南側、北小路通に南面して建つ。境内東側の御影堂門、阿弥陀堂門がそれぞれの堂への入口であるのに対し、唐門は書院(対面所)への正門である。前後に計4本の控え柱をもつ四脚門形式で、屋根は檜皮葺き、正背面は唐破風造、側面は入母屋造の「向い唐門」である。総漆塗り、各部各所を中国の許由と張良の故事を題材とした極彩色彫刻と鍍金金具で装飾しており、日暮し眺めても飽きないとされることから「日暮門」の俗称がある。場所によっては厚さ60センチメートルにもなるこれら装飾彫刻の多くがのちに付加されたものであることが修理に際して明らかにされている。金具の各所には桐紋と菊紋が打たれ、寺院の門としては華麗に過ぎるところから聚楽第の遺構とも伏見城の遺構とも伝えるが確証はない。Wikipediaより 

 

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西本願寺(重要文化財)~京都府京都市下京区

2014-06-27 05:47:21 | 神社・仏閣・教会

2014年5月1日 京都府

西本願寺 世界遺産 重要文化財

京都府京都市下京区堀川七条

西本願寺は通称であり、正式名称は「龍谷山 本願寺」、宗教法人としての名称は「本願寺」である。京都市民からは「お西さん」の愛称でも親しまれている。真宗大谷派の本山である「東本願寺」(正式名称「真宗本廟」・下京区)と区別するため、両派の本山は通称で呼ばれることが多い。文永7年(1272)、親鸞の廟堂として京都東山の吉水の地に創建されたがその後比叡山延暦寺から迫害を受けるなど場所は転々とし、現在地には天正19年(1591)、豊臣秀吉の寄進により大坂天満から移転した。

▲総門

▲御影堂門

 

阿弥陀堂 重要文化財

 

御影堂 重要文化財

 

唐門 国宝

 

▲太鼓楼

▲経堂

 

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興正寺~京都府京都市下京区

2014-06-26 05:43:42 | 神社・仏閣・教会

2014年5月1日 京都府

興正寺 

京都府京都市下京区堀川七条

かつて西本願寺の脇門跡であったが、1876年(明治9年)に真宗興正派として独立した際に、同派の本山となる。住職は門主の華園家。本山だけあって大伽藍であるが、壮大な西本願寺の南に隣接しているため、一見西本願寺の伽藍の一部と見まがう。また西本願寺の御影堂があまりに大きいため、興正寺の伽藍が比較的小さく感じられるが、実際には堂々とした規模である。

▲三門

▲阿弥陀堂

▲御影堂

▲経堂

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宮津市天橋立文珠の町並み~京都府宮津市

2014-06-25 18:32:18 | 町並み

2014年4月30日・5月1日 京都府

宮津市天橋立文珠の町並み

天橋立駅

北近畿タンゴ鉄道宮津線の駅。伊根の「舟屋」を模した駅舎は日本鉄道建築協会賞を受賞。駅前広場は「天橋立」の白砂青松のイメージ

▲知恵の輪

▲モチーフは天橋立

▲モチーフは海鳥と天橋立か?

▲モチーフは知恵の輪と・・・・?

▲伊根の舟屋 重要伝統的建造物群保存地区

▲天橋立 日本三景

▲知恩寺 多宝塔は重要文化財

※北近畿タンゴ鉄道とJRで京都へ

☆cosmophantom

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知恩寺(重要文化財)~京都府宮津市天橋立

2014-06-25 07:28:59 | 神社・仏閣・教会

2014年4月30日 京都府

知恩寺 重要文化財

京都府宮津市天橋立文珠

「三人寄れば文殊の知恵 」でおなじみ智恩寺は知恵を授ける菩薩として、学業成就を願う人々が全国各地から参詣に訪れます。黄金閣を正面に宝形造りの銅板葺き屋根の御堂を文殊堂といい、これが天橋立智恩寺の本堂であり、ここに文殊菩薩をまつり、本尊としています。堂内4本の柱は神代に創建されたものと伝えられています。 智恩寺は大同三年(808年)に平城天皇の勅願寺として建てられ、本堂内陣の「智恩寺」の寺号額は延喜四年(904年)に醍醐天皇から下賜されたものです。内陣厨子には、本尊・文殊菩薩騎像、両側に善財童子・優でん王立像がまつられており、鎌倉時代後期の作で、国の重要文化財に指定されています。丹後海陸交通株式会社ホームページより

 

▲文殊堂

 

   

多宝塔 重要文化財

多宝塔は室町時代中期の明応九年(1500年)、府中城主延永修理進が自分の病気全快を感謝し、一の宮の別当大聖院の智海に託して建立寄進したもので、国指定の重要文化財となっています。その他、境内には和泉式部の歌塚やマリア灯籠などがあります。

 

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天橋立2014~京都府宮津市字文珠

2014-06-24 19:07:00 | 自然

2014年5月1日 京都府

天橋立2014 日本三景

京都府宮津市字文珠

天橋立は陸前(宮城県)の松島、安芸(広島県)の宮島と共に日本三景の一つに数えられる景勝地である。「丹後国風土記逸文」に、国を生まれたいざなぎのみことが天に通うために梯(はし)を作られたが、命(みこと)が寝ていられる間に倒れ伏したという記事があり、これが名の起こりである。天橋立文殊繁栄会より

飛龍観より

▲お約束のポーズ

▲股から見るとこう見える!

▲下りリフトより 

 

天橋立松並木

大小8,000本もの黒松が生い茂っており、日本の名松百選にも選ばれている天橋立の端から端までを歩くコースです。天橋立の松並木にある観光スポットをチェックしながら、府中(舟越)側へ渡りきります。時間帯が合えば、府中側で、トワイライト・レールロードの現象を見ることが出来ます。北近畿タンゴ鉄道株式会社ホームページより

この松林は府道「天の橋立線」で日本の道100選の一つとなっている。

▲大天橋

▲小天橋

小天橋は旋回する。。。。

 

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伊根の舟屋2014(重要伝統的建造物群保存地区)~京都府与謝郡伊根町

2014-06-24 06:37:58 | 重要伝統的建造物群保存地区

2014年4月30日 京都府

伊根の舟屋2014 重要伝統的建造物群保存地区

京都府与謝郡伊根町 

伊根の舟屋(いねのふなや)は、京都府与謝郡伊根町の伊根地区にある民家の種類のひとつであり、伝統的建造物である。船の収蔵庫であると共に住居の役割も持つ。

舟屋から見る海の景観、海から見る舟屋の景観が美しいため、伊根町の代表的な観光スポットとして観光客が多く訪れる。また、近年では伊根町内での映画やドラマのロケがあり(男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋、釣りバカ日誌5、連続テレビ小説 ええにょぼ等)、全国に名が知られている。舟屋は江戸時代中期頃から存在しているものと見られる。舟屋は2000年現在、238棟が確認されている。特徴としては基本的に「海への開口」、「妻入り」の2点である。こうした特徴が評価され、漁村では全国で初めて国の重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けている(選定名は「伊根浦」)。

舟屋は伊根湾の海面すれすれに建築されている。土台や柱は椎の木を用い、梁は松の原木を使用している。1階には船揚場、物置、作業場があり、出漁の準備、漁具の手入れ、魚干物の乾場や農産物の置き場などと幅広く活用されている。また、2階は居室、民宿といった生活の場となっている。

伊根湾めぐり遊覧船

 ※伊根の舟屋へは、天橋立から丹後海陸交通㈱の路線バスで「日出バス停」下車 一時間程の乗車でもバス料金はなんと400円でした!

関連記事:伊根の舟屋2016

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舞鶴市(京都府)の町並み

2014-06-23 18:49:55 | 町並み

2014年4月30日 京都府

舞鶴市の町並み

JR東舞鶴駅

▲舞鶴湾

▲モチーフは舞鶴湾か?

 

東舞鶴駅

 

 

西舞鶴駅

▲駅前の様子

※ 東舞鶴駅からJRで西舞鶴駅へ、西舞鶴駅から北近畿タンゴ鉄道で宮津駅へ 4月30日は天橋立泊 

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舞鶴市赤れんが倉庫群(舞鶴赤れんがパーク)③~京都府舞鶴市 

2014-06-23 05:46:30 | 洋館

2014年4月30日 京都府

舞鶴市赤れんが倉庫群(舞鶴赤れんがパーク) ③  重要文化財

京都府舞鶴市

北吸地区の赤れんが倉庫群は、全12棟のうち8棟が国の重要文化財に指定されるなど、わが国でも有数の歴史的価値の高い赤れんがの建築群です。

▲舞鶴赤れんがパークホームページより

左から (Wikipediaによるデータ)

旧舞鶴海軍軍需部第三水雷庫 - 大正7年竣工、現・赤れんが5号棟(赤れんがイベントホール)  重要文化財

旧舞鶴海軍兵器廠雑器庫並預兵器庫(雑品庫並損兵器庫とも) - 明治35年竣工、現・赤れんが4号棟(赤れんが工房) 重要文化財

旧舞鶴海軍兵器廠弾丸庫並小銃庫 - 明治35年竣工、現・赤れんが3号棟(まいづる智恵蔵)  重要文化財

旧舞鶴海軍兵器廠予備艦兵器庫 - 明治35年竣工、現・赤れんが2号棟(舞鶴市政記念館)  重要文化財

▲二号棟▼

▲二号棟

▲二号棟

▲二号棟

 

▲五号棟

▲五号棟

▲五号棟

▲右:二号棟、左:三号棟

▲四号棟

▲四号棟

▲四号棟

▲四号棟

▲四号棟

▲四号棟

 

▲中央:三号棟 右:四号棟 左:二号棟

▲左:三号棟 中央奥:五号棟 右:四号棟

▲右:三号棟 左:二号棟

 

▲右:三号棟 左:二号棟 奥:五号棟

 ▲三号棟

 

cosmophantom◎

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舞鶴市の赤れんが倉庫群②~京都府舞鶴市

2014-06-22 12:15:21 | 洋館

2014年4月30日 京都府

舞鶴市の赤れんが倉庫群②

京都府舞鶴市

小浜駅から宮津駅へ向かう乗り換えの時間を利用し東舞鶴駅からタクシーでぐるりと赤れんが倉庫群を巡りました。赤レンガの建物を見ると何故か気持ちがワクワクいたします。夢中で撮影したため、不明な写真が多数あり。今後チャンスがあればじっくりと巡りたいエリアですが、チャンスはありそうに思えない。。。

海上自衛隊舞鶴補給所No2倉庫、同No3倉庫、同No4倉庫と思われます。。。。

▲右から海上自衛隊舞鶴補給所No2倉庫、同No3倉庫、同No4倉庫?

▲No2倉庫?

▲No2倉庫?

▲右から海上自衛隊舞鶴補給所No2倉庫、同No3倉庫?▼

▲右から海上自衛隊舞鶴補給所No3倉庫、同No4倉庫?▼

 

Wikipediaによるデータ

旧舞鶴海軍経理部衣料科被服庫 - 明治34年竣工、現・海上自衛隊舞鶴補給所No.2倉庫

旧舞鶴海軍経理部衣料科被服庫 - 明治34年竣工、現・海上自衛隊舞鶴補給所No.3倉庫

旧舞鶴海軍軍需部第三被服庫 - 大正10年竣工、現・海上自衛隊舞鶴補給所No.4倉庫

 

 

cosmophantom◎

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舞鶴市の赤れんが倉庫群①(重要文化財)~京都府舞鶴市

2014-06-22 09:01:07 | 洋館

2014年4月30日 【北陸から若狭へ2014】 京都府

赤れんが倉庫群① 重要文化財

京都府舞鶴市

赤れんが倉庫群 旧海軍が築いた、美しい赤れんがの風景。明治33年から大正10年頃までに建てられた多くの赤れんが倉庫。市民が再生した当時の道は現在、赤れんがロードと呼ばれ、時代を感じさせる美しい風景が広がっています。魚雷庫、倉庫など旧海軍関連の施設をはじめ トンネルや橋脚などの生活基盤まで、舞鶴では日本が近代化を進めていくための礎としてさまざまな赤れんが建造物がつくられました。それから100年余りの時を経た今もなお舞鶴にはその近代化遺産が数多く残され、当時の「ハイカラ」を感じさせるまちなみが続きます。まいづる観光ネットより

これらの写真は旧舞鶴海軍需品庫需品庫群と思われます。

※これらの倉庫は赤レガパークの西側にあるもの。詳細はわかりません。下記の建物が写真に写っているのではないかな~

Wikipediaによるデータによるとと 

旧舞鶴海軍需品庫需品庫 - 明治35年竣工、旧・電機庫、現・文部科学省(文化庁)所管倉庫 - 重要文化財

旧舞鶴海軍需品庫需品庫 - 明治35年竣工、旧・第一水雷庫、現・文部科学省(文化庁)所管倉庫 - 重要文化財

旧舞鶴海軍需品庫需品庫 - 明治35年竣工、旧・第二水雷庫、現・文部科学省(文化庁)所管倉庫 - 重要文化財

旧舞鶴海軍経理部衣料科被服庫 - 明治34年竣工、現・海上自衛隊舞鶴補給所No.3倉庫

旧舞鶴海軍経理部衣料科被服庫 - 明治34年竣工、現・海上自衛隊舞鶴補給所No.2倉庫

旧舞鶴海軍軍需部第三被服庫 - 大正10年竣工、現・海上自衛隊舞鶴補給所No.4倉庫

 

社会情勢がよくありませんので、しばらくは過去記事を再投稿しております。

投稿日 2014-06-22 09:01:07

cosmophantom

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若狭鯖街道熊川宿資料館(宿場館)・~福井県三方上中郡若狭町熊川

2014-06-22 07:05:04 | 洋館

2014年4月30日 福井県 

若狭鯖街道熊川宿資料館(宿場館)

福井県三方上中郡若狭町熊川

昭和15年に、熊川出身で伊藤忠商事二代目社長の逸見竹ノ助により、近代洋風建築の熊川村役場が建てられました。トスカナ風の柱頭をもつ円柱がポーチに建ち、寄棟瓦葺の2階屋根の中央には越屋根が付いています。若狭鯖街道熊川宿ホームページより

▲瓦には役場の文字が

cosmophantom◎

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小浜西組(重要伝統的建造物群保存地区)~福井県小浜市

2014-06-22 07:03:42 | 重要伝統的建造物群保存地区

2014年4月30日 【北陸から若狭へ2014】 福井県

小浜西組 重要伝統的建造物群保存地区

福井県小浜市

「小浜市小浜西組伝統的建造物群保存地区は、中世の港町から近世の城下町へと発展し、 町域が拡大するのに伴って整備された近世前期の街路構成、 並びに近世末期の地割を残し、近世から近代に建てられた商家や茶屋、 寺社が併存する近世城下町の歴史的風致を、今日によく伝えており、わが国にとって価値が高い。」と言われています。小浜西組町並み協議会より

※小浜西部地区内には、越前・若狭(敦賀市)から丹後の田辺(京都府舞鶴市)・宮津(京都府宮津市)までの道のりである、丹後街道が通っていました。

  ▲ふくいの伝統的民家▼

 

 

高島歯科医院

大正14年の建物。登録文化財

 

 

小浜駅

▲蒸気機関車用給水タンク 以前同じものを日野春駅でも見かけました。 

 ※ このあとJRで東舞鶴駅へ

★★★☆☆ cosmophantom

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