街道ウォーク<甲州街道<笹子駅~甲府駅
2011年12月23日 5回目
甲府駅
cosmophantom
街道ウォーク<甲州街道<笹子駅~甲府駅
2011年12月23日 5回目
甲府駅
cosmophantom
街道ウォーク<甲州街道<笹子駅~甲府駅
2011年12月23日 5回目
舞鶴公園お堀
cosmophantom
街道ウォーク<甲州街道<笹子駅~甲府駅
2011年12月23日 5回目
山梨学院大学
cosmophantom
街道ウォーク<甲州街道<笹子駅~甲府駅
2011年12月23日 5回目
甲府まで4km地点
cosmophantom
街道ウォーク<甲州街道<笹子駅~甲府駅
2011年12月23日 5回目
甲運橋の道標
cosmophantom
街道ウォーク<甲州街道<笹子駅~甲府駅
2011年12月23日 5回目
石和の町並み
cosmophantom
街道ウォーク<甲州街道<笹子駅~甲府駅
2011年12月23日 5回目
石和本陣跡 (山梨県笛吹市石和町)
▲奥の蔵は当時のもの
本陣は江戸時代、大名、公家、幕府の役人、高貴の人の宿泊する所である。石和御本陣は、寛永年間(1625頃)幕府の命により此処に置かれた。特に大名が宿泊し、信州松代城十万石、真田伊豆守及び松平甲斐守十五万石を初め、全国の諸大名が宿泊し、大名宿とも言われ明治維新まで続いた。建物は書院造り、門・玄関・上段の間を備えて広大な構えであった。明治13年6月19日、明治天皇御巡幸のみぎり御休憩の御予定のところ、同月6日、大火に依り焼失し現在土蔵一棟のみ現存している。 所在地 山梨県笛吹市石和町市部1051 石和町
宝暦11年(1761)信州高遠城主内藤大和守が参勤交代のため、初めて本道中を通行することになり、石和宿仲町の後藤甚兵衛に本陣を命じたことがはじめといわれる。以来子孫が継承して明治に至った。明治以降も旅篭として利用したが、明治13年(1880)6月7日の石和の大火により焼失し、現在はわずかに土蔵1棟と諸大名通行の書状および古記録文書等が残っていてる。」とあります。石和宿本陣跡は笛吹市指定史跡に指定されている。
cosmophantom
街道ウォーク<甲州街道<笹子駅~甲府駅
2011年12月23日 5回目
笛吹権三郎像
山梨県 笛吹市石和町川中島
むかし、ここ芹沢の里にたいへん親孝行の権三郎という少年が母親と住んでいました。京より父を捜しにこの地まで来ましたが、すでに父は亡く、村人とともに暮らしていました。人々は笛の上手なこの少年を「笛吹権三郎」と呼んでいました。ある年の7月、大洪水に遭い、母子とも濁流にのみ込まれてしまい、幸い権三郎は自力で岸に上がり難を逃れましたが、母は流されて行方不明となってしまいました。母の好きだった篠笛を吹きながら、川を上り下りして捜しましたが見つからず、いつしか権三郎も疲れ果て川に落ち、下流の小松村まで流され、近くの長慶寺に手厚く葬られました。その後、川の音が権三郎の吹く笛の音のように聞こえることから、誰とはなしに笛吹川というようになりました。ここより上流を子酉川、下流を笛吹川と呼んでおります。今でもこの地域の人は、権三郎がつけていた不動明王を笛吹不動尊として供養を続けています。 山梨市ホームページより
cosmophantom
街道ウォーク<甲州街道<笹子駅~甲府駅
2011年12月23日 5回目
川中島の松並木
cosmophantom
街道ウォーク<甲州街道<笹子駅~甲府駅
2011年12月23日 5回目
笛吹橋 (笛吹川)
▲遠方の山並みは八ヶ岳か?
cosmophantom
街道ウォーク<甲州街道<笹子駅~甲府駅
2011年12月23日 5回目
街道の様子(日川橋~笛吹橋)
▲日川橋(日川橋) (山梨県山梨市一町田中)
▲桃の木か?▼
cosmophantom
街道ウォーク<甲州街道<笹子駅~甲府駅
2011年12月23日 5回目
街道の様子(勝沼~下栗原信号)
▲このあたりの典型的な葡萄園
▲下栗原信号
cosmophantom
2011年12月23日 山梨県
旧田中銀行社屋
山梨県甲州市勝沼町
『旧田中銀行博物館』は、明治30年代初め「勝沼郵便電信局舎」として建設された藤村式建築の流れをくむ建物です。
大正9年にレンガ蔵を増設し、「山梨田中銀行」社屋として改修され利用されたのち、戦時中は北白川宮関係者が疎開するなど住宅として使われることもありました。一階には銀行時代の貴重な品々、二階の和室には疎開当時の遺品がそのまま残されています。
高い天井やバルコニー、手すり付きの螺旋階段や引き上げ窓などに凝洋建築の名残を感じる館内。
cosmophantom
街道ウォーク<甲州街道<笹子駅~甲府駅
2011年12月23日 5回目
旧田中銀行社屋
山梨県甲州市勝沼町
国登録有形文化財
藤村式建築の流れをくむ建物。明治三〇年代前半に勝沼郵便電信局舎として建てられた伝承をもつ入母屋造り、瓦葺、二階屋の建物で、大正九年より昭和七年ごろまで山梨田中銀行の社屋として利用された。外壁の砂漆喰を用いた石積み意匠、玄関の柱や菱組天井、二階のベランダ、引き上げ窓、 彩色木目扉、階段などに凝洋風建築の名残があります。また、建物の背後には銀行時代に建てられた、扉に「山梨田中銀行」の名が鮮やかに残るレンガ外装の土蔵があります。 勝沼町 教育委員会
cosmophantom
街道ウォーク<甲州街道<笹子駅~甲府駅
2011年12月23日 5回目
三階建ての土蔵
cosmophantom