コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

木舟(大池)一里塚跡碑(長野県茅野市金沢大池)~旧甲州街道を歩く(7回目)

2012-01-20 14:25:08 | 旧甲州街道ウォーク

街道ウォーク<甲州街道<日野春駅~茅野駅
2012年1月14日 7回目

木舟(大池)一里塚跡碑

長野県茅野市金沢大池

徳川家康が江戸に幕府を開き交通政策の一貫として慶長六年(1601)ころ日本橋を基点に五街道を制定し一里ごとに塚を築かせた。甲州街道は当初甲府までであったが慶長十五年ころ下諏訪まで延長し中山道と接続させた。茅野市教育委員会はここに「江戸日本橋より四十九里」(五十里ともいわれる)と刻んだ碑を建てた。塚は甲州街道制定当時は両塚であったが、明治十八年の道路改修や明治三十八年の中央線の線路敷設工事などによって塚は取り去られた。また近年この付近の耕地整理が行われたために当初の位置とは変わっている。  平成十一年五月吉日 金沢財産区 金沢区 金沢歴史同好会

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御射山神戸一里塚(48里)(諏訪郡富士見町富士見)~旧甲州街道を歩く(7回目)

2012-01-19 12:59:03 | 旧甲州街道ウォーク

街道ウォーク<甲州街道<日野春駅~茅野駅
2012年1月14日 7回目

御射山神戸一里塚 (諏訪郡富士見町富士見) 

▲進行方向左側の塚▼

▲進行方向右側の塚▼

前半省略・・・・この一里塚は集落の北はずれにあって、江戸の日本橋から四八里め(四九里との説もある)の塚であるといわれ、明治中期までその役割を果たしていた。道路の東塚にはエノキが、西塚にはケヤキが育っていたが、東塚のエノキは明治初期に枯れてしまったという。 残っている西塚のケヤキは、塚がつくられた慶長年間に植えられたものと推定され、樹齢はおよそ三八〇年を数える。現在では目通り高で幹の太さが周囲六・九メートル、樹は約二五メートルの巨木となり、長い歳月と風雪にたえて堂々たる風格をそなえ、樹勢もなお盛んである。甲州街道でこのように塚・ケヤキともに往時のものが保存されている例は他になく、実に貴重な存在である。 平成十年三月 富士見町教育委員会

▲標高917m

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平岡の一里塚(46里)(長野県諏訪郡富士見町落合)~旧甲州街道を歩く(7回目)

2012-01-18 11:27:58 | 旧甲州街道ウォーク

街道ウォーク<甲州街道<日野春駅~茅野駅
2012年1月14日 7回目

平岡の一里塚 (四十六里)

長野県諏訪郡富士見町落合

慶長十五年江戸日本橋ヨリ四十六里ニ築キタル塚ナリ道ノ両側ニ作ルヲ本体トスルガ此所ハ片塚ナリ

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