コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

東京ゲートブリッジ (東京都江東区若洲)

2012-05-28 21:54:33 | 

2012年5月23日

 

東京ゲートブリッジ

東京都江東区若洲

前日の荒天から一変し、絶好の天気となる。(2012年5月23日)今回は東京ゲートブリッジ のウォーク。この橋は片側(陸側)に歩道があり、歩けるようになっていますが、向こう側へ通り抜けできず、元の所に戻ることになる。往復で約3.3kmほど。新木場駅から、都バス木11系統若洲キャンプ場行きに乗る。バスはザックを背負った中高年の方々で大混雑。予想だにしなかった状況に当惑する。終点「若洲キャンプ場前」下車。エレベーターで9Fの展望台へ。絶景である。スカイツリーを目が探す。

 

前方の筒状の建物から橋に登る。

微かに横浜ベイブリッジが写っている

カメラの性能が悪く写真の質は悪いのですが、肉眼では横浜のランドマークやデズニーランドも見ることができる。 

「東京の 海をまたぐや 鉄の橋」

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安政遠足侍マラソン

2012-05-25 08:53:12 | イベント

2012年5月13日

「安政遠足 侍マラソン」とは

”遠足”と書いて”とおあし”と読みます。
毎年5月の第2日曜日に開催される行事で、毎回たくさんの仮装したランナーが走ります。
この遠足の歴史は古く、江戸時代(西暦1855年)に当時の安中藩主「板倉 勝明」(いたくらかつあきら)公が
藩士の鍛錬のために碓氷峠の熊野権現まで7里余りの中山道を徒歩競走をさせ、その着順を記録させたことがはじまりで、
日本のマラソンの発祥です。参加者は午前8時に市長が叩く「明け六つ」の大太鼓を合図に安中城址(安中市文化センター)をスタートします。

侍マラソンのコースは約30kmの峠コースと、
約20kmの関所コースの2つです。
峠コースは碓氷峠頂上の熊野神社まで、
関所コースはくつろぎの里がゴールになっています。
 

 スタートとゴールの標高差が1000m以上(峠コース)もある厳しいコースです。C9地点からは登山道に入り、山の中を参加者たちは走ります。侍マラソンの特徴といえば、仮装して参加できることです。実際に、参加者の半数以上が何らかの仮装をして参加しています。

以上安中市ホームページより(抜粋) 

 

          

          

   

 まったくもって凄いランナー達でした。当方歩いて峠を登りましたが、彼らは急場こそ歩いておりましたが、少し傾斜がゆるくなると、また、走りだしました。様々なコスチュームで走り切る根性に敬意を表さずにはいられませんでした。このランナー達はオオバカモンだね!!30kmのラン お疲れ様でした。 平成24年5月13日 実施

  「山坂を 走って登る やから達 」 

「仮装して 山かけのぼる おばかさん」 

 

 


御代田駅(しなの鉄道)長野県北佐久郡御代田町大字御代田 ~旧中山道を歩く(6回目)

2012-05-24 21:45:52 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク>旧中山道>松井田宿(横川)~沓掛宿(しなの電鉄・御代田駅)
2012年5月13日 6回目 

御代田駅(しなの鉄道)

長野県北佐久郡御代田町大字御代田

浅間山

電車は行っていまいました

御代田駅

駅の標高は820m  

本文 cosmophantom


御代田駅への街道の様子 ~旧中山道を歩く(6回目)

2012-05-23 20:38:23 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク>旧中山道>松井田宿(横川)~沓掛宿(しなの電鉄・御代田駅)
2012年5月13日 6回目 

 御代田駅への街道の様子

千ヶ滝湯川用水温水路:浅間山麓の南側に広がる軽井沢町、御代田町、小諸市及び佐久市の約500ヘクタールの農地を潤す。

浅間山

 

本文 cosmophantom


分去れの道標 ~旧中山道を歩く(6回目)

2012-05-23 20:38:09 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク>旧中山道>松井田宿(横川)~沓掛宿(しなの電鉄・御代田駅)
2012年5月13日 6回目 

 分去れの道標

「右、従是北国街道 左、従是中山道」


中山道と北国街道分岐点に位置する「分去れ」は、今も賑わったありし日の面影をとどめている。右は北国街道姨捨山の「田毎の月」で知られる更科へ。左は中山道で京都へ、そこから桜の名所奈良吉野山へ向かうという意味である。軽井沢町教育委員会  軽井沢町文化財審議委員会

本文 ☆cosmophantom


つがるや(長野県北佐久郡軽井沢町大字追分)

2012-05-23 20:37:43 | 建築物(洋館以外)

2012年5月13日 長野県

 つがるや

長野県北佐久郡軽井沢町大字追分

宿場町として栄えた追分宿。その当時の面影を色濃く残しているのは、分去れ[わかされ]の碑の手前にある枡形の茶屋である。ここは表の2階壁面に枡の形とつがるやの屋号を漆喰塗りで浮きだたせ、2階を前に突き出した出桁造りになっている。当時の追分の風情を今に伝える、数少ない建造物の一つだ。るるぶ.comより

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つがるや(長野県北佐久郡軽井沢町大字追分) ~旧中山道を歩く(6回目)

2012-05-23 20:37:40 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク>旧中山道>松井田宿(横川)~沓掛宿(しなの電鉄・御代田駅)
2012年5月13日 6回目 

 つがるや

長野県北佐久郡軽井沢町大字追分

宿場町として栄えた追分宿。その当時の面影を色濃く残しているのは、分去れ[わかされ]の碑の手前にある枡形の茶屋である。ここは表の2階壁面に枡の形とつがるやの屋号を漆喰塗りで浮きだたせ、2階を前に突き出した出桁造りになっている。当時の追分の風情を今に伝える、数少ない建造物の一つだ。るるぶ.comより

本文 cosmophantom


追分宿高札場 ~旧中山道を歩く(6回目)

2012-05-23 20:37:27 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク>旧中山道>松井田宿(横川)~沓掛宿(しなの電鉄・御代田駅)
2012年5月13日 6回目 

 追分宿高札場

長野県北佐久郡軽井沢町追分

追分宿の高札場は、問屋前の路中央にあった、法度、掟書きなどを記した。また、さらし首、重罪人の罪状を記し、高く掲げた版札を高札という。寛永10年(1633)の古文書によると、広さ9尺、横1間、高さ3尺の芝土手を築き、高札場の柱は5寸角のものを使用し、駒よせ柱は4寸角で、高さ6尺の規模であった。昭和58年、当時の古文書等から、高札場を復元した。ここに掲示してある高札は、複製品で、現物は追分宿郷土館に保管展示されている。軽井沢町教育委員会 軽井沢町文化財審議委員会

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