コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

斎場御嶽~沖縄県南城市

2015-02-27 18:59:26 | 遺産・遺跡など

2015年2月10日 沖縄県

斎場御嶽(せーふぁうたき) 世界遺産

沖縄県南城市

御嶽(うたき)とは、沖縄の聖なる空間であり、祈りの場。斎場御嶽は、琉球の創世神話に登場する沖縄の七御嶽のなかでも、最も格の高い聖地とされている。もともとは男子禁制の場で、琉球国王でさえ、聖域内に入る際には女性用の衣装に着替えたと伝えられている。実際に訪れてみると、そこが聖地であることを体感できる。樹々が青々と茂る静かな空間、時折吹き抜ける風、緑の葉っぱの隙間から差し込む日光は心地よく、神の気配さえ感じさせる。高台にあるため、東には神の島として知られる久高島を拝むこともできる。たびらい・沖縄より

▲ この山が斎場御嶽

御門口:斎場御嶽の入り口は御門口と呼ばれ、男子禁制、一般人立ち入り禁止であったかつての斎場御嶽では、一般の人々はこの御門口でお参りをした。又、上記の様に国王でさえもここから入る時は、襟の合わせをかえ女装をし、また内部の整備などの仕事を請け負った人々も女装をして入ったという。

▲ 拝所 ▼

▲ 艦砲穴:1945年の沖縄戦時、砲弾によりできた穴

鍾乳石(珊瑚)

▲ 石灰化したサンゴ

▼ 寄満(ゆいんち)

寄満とは琉球国王のために食事を作る厨房を意味する言葉で、首里城内にある建物の名だ。首里城の寄満には国王の為に新鮮な食材類が集まった事から、斎場御嶽の寄満は「豊穣の満つる所」というような意があるといわれる。寄満には、戦前までその年の吉兆を占う馬の形をした石「うまぐゎーいし」が置かれていた。

▼ 拝所

▲ 案内人方はかつてここで拝んでいた女性(神女)のオイだそうです

▼ 三庫理(さんぐーい)

▼ 久高遙拝所:三庫理(さんぐーい)の奥

▲この香炉は、琉球最高の神女「聞得大君(きこえおおきみ)」と関係があると言われています。

2015-02-27 18:59:26

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識名園(廻遊式庭園)~沖縄県那覇市字真地

2015-02-23 06:26:01 | 庭園・公園

2015年2月10日 沖縄県

識名園 世界文化遺産

沖縄県那覇市字真地

琉球王家最大の別邸で、国王一家の保養や中国皇帝の使者である冊封使(さっぽうし)の接待などに利用されました。18世紀の終わりごろに造営され、池の廻りを歩きながら景色の移り変わりを楽しむことを目的とした「廻遊式庭園 (かいゆうしき庭園)」となっています。沖縄戦で壊滅的な被害を受けましたが、1975年から20年にわたる整備工事で今日の姿に復元されました。2000年に世界文化遺産に登録されました。 那覇ナビより

 

▼ 番屋

 

▲ 通用門

▲ 石畳 当時は首里城まで続いていたとのこと。一部は残っている

▲ 正門
 

育徳泉 、淡水藻「シマチスジノリ」は見つけられず。

▲ ガイドさんの話では道をくねらせ園を大きく見せるため、園内の道は曲がっているとのこと。

▲ 六角堂 ▼

 

▲ 琉球石灰岩を加工した石橋

御殿は改修工事中

▲ 滝口  池から溢れた水をこの滝口から外へ流す

▲ 船揚場

▲ ハブの活動は夜間とのことだが・・・・
 

2015-02-23 06:26:01

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玉陵(たまうどぅん)~沖縄県那覇市首里金城町

2015-02-22 07:08:04 | 遺産・遺跡など

2015年2月9日 沖縄県

 

玉陵(たまうどぅん) 世界遺産

沖縄県那覇市首里金城町 1-3

第二尚氏王統歴代の陵墓で、1501年頃、三代目の王、尚真(しょう・しん)が創建したと伝えられています。周囲は石垣で囲まれ、墓室は東西に連なる自然の崖壁に穴をあけ、連続した3つの室が造られ、東室は洗骨後の王と王妃の遺骨を、中室は洗骨までの遺体を、西室にはその他の家族の遺骨を安置しました。外見は木造建築を模し、棟には尚家の家紋や牡丹・唐草・宝珠等が彫りこまれ、左右袖塔上には陵墓を守護する石彫りの獅子像が置かれています。2000年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されました。おきなわ物語より

▲赤い瓦は「東の御番所」

 

 

  

 

▲ ガジュマルの並木をぬけて玉陵へ

▲ 玉陵資料館にて

 

2015-02-22 07:08:04

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座喜味城(ざきみじょう)跡~沖縄県中頭郡読谷村

2015-02-18 18:44:41 | その他の城

2015年2月9日 沖縄県

 座喜味城(ざきみじょう)跡 世界遺産

沖縄県中頭郡読谷村座喜味 708-6

西海岸を見渡せる標高125mの丘の上に築かれています。築城年代は15世紀前半で、座喜味の北東4kmに位置する山田城の城主・護佐丸(ごさまる)が北山監守の時、山田城を取り壊してその石材を運ばせてつくらせたと伝えられています。城は主郭と二の郭からなり、外周365m、総面積7,385平方メートルで、沖縄の城としては中規模のものです。城壁は琉球石灰岩によるあいかた積みを基調とし、アーチ門とその両脇は整然とした布積みとなっています。2000年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されました。 おきなわ物語より

 

アーチの門が美しい!

 

▲ 中城、勝連城、今帰仁城は珊瑚が隆起した岩の上に築城されているが、この城は赤土の上!

礎石

 

 

▼ 武者返し(袋小路)

▲ 行き止まりは坂になっている。攻め込んだ者は一網打尽だな。

 

▼ アーチの石の楔
 

 

 

読谷村立歴史民俗資料館前のシーサーと骨壷

ガジュマル

2015-02-18 18:44:41

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今帰仁城(なきじんぐすく、なきじんじょう)跡100名城 世界遺産

2015-02-17 06:32:10 | 100名城

2015年2月9日 沖縄県

今帰仁城(なきじんぐすく、なきじんじょう)跡 100名城 世界遺産

沖縄県国頭郡今帰仁村

今帰仁城跡の歴史は古く、13世紀までさかのぼるとされています。堅牢な城壁に囲まれたその城は、標高約100メートルに位置し、やんばるの地を守る要の城でした。攀安知(はんあんち)時代に、中山軍(ちゅうざんぐん)に滅ぼされてからは、監守(かんしゅ)が派遣されるようになり、1665年に最後の監守が引き上げてからは、祭りを執り行う場所として残されました。 今帰仁城ホームページより

▲今帰仁城ホームページより

▲ 平郎門(正門)

 

正門の狭間

 

▲ 歩きやすいので「七五三の階段」にしらたらしい

▲ 階段脇の旧道

▲ カーザフかな?

カーザフは、平郎門からはずれた右側のくぼ地になったところをいいます。ここは、一段と低い所でその両側は切り立った「谷底」になっています。この地名の語義は「川迫(さこ)」つまり、川の谷間として理解されています。露頭した岩盤に直接積んだ堅固な石積みは、かつて城壁として鉄壁をほこったものと想像することが出来ます。今帰仁城ホームページより

▲ カラウカー :拝所

 

▼ 主郭

大庭の東にある一段高くなった郭を主郭と呼んでいます。主郭には多くの礎石が現存し、桜の植樹のためか、一部移動させられている石もありますが、かつての建物の形がいくらか想像できます。1982年から4年間発掘調査が行われました。発掘調査の結果13世紀終わりころから17世紀初め頃まで機能していたことがわかりました。監守引き上げ以降は、火之神の祠が設置され、さらに来歴碑が建立され祭祀を行う場所として利用されています。発掘調査が完了し、現在のように整備されました。今帰仁城ホームページより

礎石

▲火之神の祠

▲ テンチジアマチジ(城内上の御嶽)

御内原の隅に自然石が、高さ1メートルくらいの石垣で囲まれた拝所となっています。今帰仁城の中で最も神聖な場所です。オモロで「今帰仁(みやきせん)のカナヒヤブ」と謡われています。今帰仁村ホームページより

 

城(ぐすく)とは周辺を石垣で囲ったものとする説もある。。。

▲ 東シナ海

 

拝所:古宇利殿内(ふいどぅんち)

 

2015-02-17 06:32:10 

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勝連城(かつれんぐすく)跡~沖縄県うるま市

2015-02-16 06:22:09 | その他の城

2015年2月8日 沖縄県

勝連城跡(かつれんぐすく) 世界遺産

沖縄県うるま市

城は勝連半島の南の付け根部にある丘陵に位置する。南城(ヘーグシク)、中間の内、北城(ニシグシク)で構成されている。北城は石垣で仕切られた一から三の郭が階段状に連なり、一の郭が最も高く標高約100mの丘陵上にある。13世紀-14世紀に茂知附按司により築城されたという。この城の最後の城主が阿麻和利である。阿麻和利はクーデターを起こしてこの地方の按司となり、琉球の統一を目論んだが1458年に琉球王府によって滅ぼされた。Wikipedia

 

 

三の廓

くぼみには柱が組み込まれていたらしい

▲ 二の廓
 

殿舎跡(17m X 14,5m)

▲ウシヌジガマ 勝連城の守護神がまつられている御嶽(うたき)

▼ 一の廓

▲ 玉ノミウヂ御滝

 

▲ 沖縄の城の石垣には角がない!

 

2015-02-16 06:22:09

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中城城(なかぐすくじょう)跡100名城 世界遺産~沖縄県中頭郡北中城村・中城村

2015-02-15 06:56:03 | 100名城

2015年2月8日 沖縄県

中城城(なかぐすくじょう)跡 100名城 世界遺産

沖縄県中頭郡北中城村・中城村

中城城は、北中城村から中城村にわたる標高167メートルの高台に、東北から南西にほぼ一直線につらなる6つの城郭からなる城で、琉球王国時代に築城家として知られる護佐丸が、勝連半島で勢力を伸ばしていた阿麻和利に対する備えとして、読谷の座喜味城から移されて築いた城だといわれています。自然の地形を巧みに利用した美しい曲線の城壁に囲まれ、一の郭と二の郭は「布積」、三の郭と西北側の郭は「あいかた積」と呼ばれる手法で築かれており、その築城技術は高く評価されています。当時の琉球は、沖縄本島南部の佐敷から興った第一尚氏によって、国家が統一されていく過程にあり、その最終段階でこの城が果した役割は大きいものがありました。護佐丸の滅亡後、この城がどのような使われ方をしたのかについては定かではありませんが、第二尚氏になると中城の領地が王の直轄領となっていたことからすると、中城城は王子の居城としてしばらく使われていた可能性も高いといわれています。平成12年12月、中城城跡を含む「琉球王国のグスク及び関連遺産群」が国内11番目の世界遺産として登録されました。 北中城村ホームページより

▲ 裏門

 

▲ 三の廓(かく)

▲ 沖縄の石垣は角がなく丸くなっている。

 

▲ 大井戸(番所井戸)

 ▼ 二の廓(かく)

▲ 拝所「シライ富(とみ)の御(お)イベ:沖縄特有の信仰

▼一の廓(かく)

▲拝所「中森(なかもり)の御(お)ベイ)・通称「春替御嶽(ちげーうたき)」
 

▼ 南の郭 
 

▲拝所「雨乞イノ御嶽」

▲ 沖縄は珊瑚礁が隆起してできた島。そのことがよくわかる岩
 

▲拝所「小城(クーグスクの御(お)イベ」 通称「久高遥拝所(くだかうとぅし)」  久高島は琉球神話の聖地

 ▲拝所「御富蔵火神(うとぅくらひぬかん) 通称「首里遥拝所(しゅりうとぅし」
 

本土の城壁によく見かける「狭間」のようなもの?

▼ 正門
 

 

2015-02-15 06:56:03

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川崎大師~神奈川県川崎市

2015-02-14 06:41:12 | 神社・仏閣・教会

2015年2月3日 神奈川県

川崎大師

神奈川県川崎市川崎区

開創は大治3年(1128)、開基は尊賢上人、創建功徳主は平間兼乗氏であります。もろもろの災厄をことごとく消除する厄除大師として、霊験あらたかなことは、むかしから有名であります。総本山は京都東山七条にある智積院です。川崎大師ホームページより

▲大山門

▲経堂内の壁画

▲八角五重塔

▲ この日は節分でした
 

▲不動門

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久能山東照宮(重要文化財)~ 静岡県静岡市

2015-02-13 06:17:25 | 神社・仏閣・教会

2015年1月11日 静岡県

久能山東照宮

静岡県静岡市駿河区根古屋

久能山東照宮は徳川家康公を東照大神として祀る神社です。東照宮は久能山、日光の他にも全国各地に数多く鎮座していますが、久能山東照宮はそれらの東照宮の中でも最初に創建された神社です。徳川家康公を東照大神として祀る東照宮の歴史は、ここ静岡の地から始まりました。久能山東照宮ホームページより

楼門

この門をくぐって東照宮詣でが始まります。二階部分には後水尾天皇の宸筆(天皇陛下御自ら書かれた書)である「東照大権現」の扁額(へんがく)が掲げてあり、勅額御門とも言われています。 

 鼓楼 重要文化財

創建以来、鐘楼(しょうろう、鐘を突く建物)として扱われてきましたが、明治時代に行われた神仏分離の際、鐘楼は仏教施設であるということから中身を太鼓に替え、現在の「鼓楼」となりました。太鼓は明治6年に旧幕臣であった小島勝直氏が江戸城にあったものを奉納したと伝えられています。

▼ 五重塔跡

三代将軍家光公の命により建立された五重塔が明治時代まで設置されていました。江戸時代に作成された地図などには久能山のシンボルとして描かれることが多く、30mを超える技術的・芸術的にも優れた塔と伝わっていますが、神仏分離令を受けて明治6年に取払われ、現在は礎石が残されています。

▼ 神庫 重要文化財

奈良、正倉院と同じ校倉造りの建物で、東照宮への奉納品をここに納めたと伝わっています。

▼ 日枝神社 重要文化財

御祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)です。元は薬師如来像を安置する薬師堂として扱われてきましたが、神仏分離令を受けて明治3年12月に仏像を大正寺に遷し、山中にあった山王社の御神体を納めたと伝わっています。

▼ 唐門

 

▼ 社殿(本殿・石ノ間・拝殿)

徳川家康公をお祭りする神社です。家康公の没後、二代将軍秀忠公はただちに久能山に徳川家康公を祀る神社を造営することを命じ、大工棟梁の中井正清によって1年7ヶ月という驚くべき短期間のうちに社殿が建てられました。社殿の様式は本殿・拝殿を石の間で接続した「権現造」(ゴンゲンヅクリ)であり、当時最高の建築技術・芸術が結集されています。神社建築における権現造の様式は久能山東照宮の造営によって確立され、日光東照宮を始め全国に多数造営された東照宮は久能山東照宮が原型とされました。

 

 

▲ 透塀

▲ 廟門 

 ▼ 神廟 重要文化財

徳川家康公の遺骸が埋葬された場所に立つ廟です。当初、この地には小さな祠(ほこら)が建てられていましたが、三代将軍徳川家光公によって高さ5.5m、まわり8mの石塔が建てられ、現在に至っています。家康公の遺命に従い、西向きに建てられています。

 

・・・
 

▲ 勘助井戸 

ロープウェイで帰るが長蛇の列

侵食された山肌

久能山(標高216m)は、もともと日本平と共に、太古、海底の隆起によって形成されたもので、長い年月の間に浸食作用などのために硬い部分のみが残り、現在のように孤立した山となった。

cosmophantom

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三保の松原(世界遺産)へ

2015-02-12 06:07:47 | 自然

2015年1月11日 静岡県

三保の松原へ

静岡県静岡市清水区

足柄SAで見かけた高木虎之助さんが使用したインディーカー

 

富士は雲の中

 日の出から船で三保の松原へ


 

 ▲ 三保の松原
 

三保の松原

三保松原は、約7kmの海岸線に3万本余の松が茂り、三大松原のひとつに数えられています。波打ち際から望む富士山はまさに圧巻。その素晴らしさは、大正5年(1916)に日本新三景の名勝地 に選ばれたほどです。静岡観光コンベンション協会より

 

▲神の道

▲ 新・羽衣の松   平成22年10月に世代交代が行われたとのこと そうかっ・・・・
 

▲ 羽衣の松二世だって!先ほどの松は新・羽衣の松・・・・ウーム。。
 

▲ 世界文化遺産 構成遺産!! この景色がそれなのね

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東福寺(通天門・常楽庵開山堂・東福寺本坊庭園)

2015-02-11 07:05:36 | 神社・仏閣・教会

2014年12月29日 京都府>東山区

東福寺 (通天門・常楽庵開山堂・東福寺本坊庭園)

通天門

仏殿から常楽庵に至る渓谷・洗玉澗に架けられた橋廊で、天授6年(1380年)に春屋妙葩が谷を渡る労苦から僧を救うため架けたと伝えられる。昭和34年(1959年)台風で崩壊したが2年後に再建、その際橋脚部分は鉄筋コンクリートとなった。Wikipedia

▲月下門かな?

▲ 手前が方丈か?

 通天橋から常楽庵開山堂へ

▲門の先に開山堂
 

常楽庵開山堂 重要文化財

主要伽藍の北側に位置する。開山円爾像を安置する開山堂とその手前の昭堂を中心とした一画。文政2年(1819年)焼失後、同9年(1826年)までに再建された。昭堂の中央部分は2階建の楼閣となっており、伝衣閣(でんねかく)と称する。金閣(鹿苑寺)、銀閣(慈照寺)、飛雲閣(西本願寺)、呑湖閣(大徳寺塔頭芳春院)と並び「京の五閣」といわれている。Wikipedia

※ 方丈 八相の庭へ

 

 東福寺本坊庭園(八相の庭)

明治23年(1890年)の再建。正面前庭にある唐門は明治42年(1909年)に造営され、昭憲皇太后より下賜されたものである。庭園は近代の造園家、重森三玲によって昭和13年(1938年)に作庭され、方丈を囲んで四方に配される。釈迦成道を表現し、八相の庭と命名されている。鎌倉期庭園の質実剛健な風格を基本とし、これに近代芸術の抽象的構成をとり入れた枯山水庭園である。 Wikipedia

 

 

※ 和歌山城から始まった今回の旅はここで終わり。帰途に着く。まもなく新年を迎える・・・

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東福寺(三門・本堂・東司・経堂など)重要文化財~京都市東山区本町十五丁目

2015-02-10 23:32:54 | 神社・仏閣・教会

2014年12月29日 京都府>東山区

東福寺(三門・本堂・東司・経堂など)

京都市東山区本町十五丁目

摂政九条道家が,奈良における最大の寺院である東大寺に比べ,また奈良で最も盛大を極めた興福寺になぞらえようとの念願で,「東」と「福」の字を取り,京都最大の大伽藍を造営したのが慧日(えにち)山東福寺です。嘉禎2年 (1236年)より建長7年(1255年)まで実に19年を費やして完成しました。 東福寺ホームページより 

 

▲北門

仁王門 重要文化財

八脚門で南北朝時代明徳2年(1391)建築。万寿寺の元の正門。臨黄ネットより  移築なんだね

▲ 中門:これが門?屋根付き通路のよう
 

▲通天橋が見えた

▲ 日下門を抜けると・・・

▲ とても大きな伽藍が見えた!

本堂

明治14年(1881年)に仏殿と法堂が焼けた後、大正6年(1917年)から再建工事にかかり、昭和9年(1934年)に完成した。入母屋造、裳階付き。高さ25.5メートル、間口41.4メートルの大規模な堂で、昭和期の木造建築としては最大級のもの。天井の竜の絵は堂本印象筆である。本尊釈迦三尊像(中尊は立像、脇侍は阿難と迦葉)は、明治14年の火災後に万寿寺から移されたもので、鎌倉時代の作である。

参拝者と比較すると、伽藍の大きさがよくわかる

 三門 国宝

応永32年(1425年)に足利義持が再建し、現存する禅寺の三門としては日本最古のものである。上層に釈迦如来と十六羅漢を安置する折衷様の五間三戸二重門である(「五間三戸」とは正面の柱間が5つ、うち中央3間が通路になっているという意味、「二重門」は2階建ての門だが、「楼門」と違い、1階と2階の境目にも軒の出を作るものを言う)。Wikipedia

 

東司(とうす) 重要文化財

室町時代唯一、日本最大最古の禅宗式の東司(便所)の遺構で、多くの修行僧が一斉に用を足すことから百雪隠(ひゃくせっちん)とも呼ばれる。内部は中央通路をはさんで左右両側に円筒の壺を埋める。Wikipedia

 禅堂 重要文化財

貞和3年(1347年)に再建された豪壮な姿に往時の隆盛がしのばれる単層・裳階(もこし)付切妻造の建物で、中世期より現存する最大最古の禅堂である。偃月橋(えんげつきょう)本坊より塔頭、龍吟・即宗両院に至る三ノ橋渓谷に架かる単層切妻造・桟瓦葺きの木造橋廊である。1603年に再建、1967年に重要文化財に指定され、日本百名橋にも選ばれている。

経堂と殿鐘楼

右経堂 左殿鐘楼
 

 恩賜門

▲後ろは方丈の屋根らしい

偃月橋(えんげつきょう) 重要文化財

本坊より塔頭、龍吟・即宗両院に至る三ノ橋渓谷に架かる単層切妻造・桟瓦葺きの木造橋廊である。1603年に再建、1967年に重要文化財に指定され、日本百名橋にも選ばれている。Wikipedia

 

竜吟庵は非公開のようだ。方丈はどこなの?

※ 通天門へ

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落柿舎⇒野宮神社⇒嵯峨嵐山駅

2015-02-08 05:41:44 | 町並み

2014年12月29日 京都府

落柿舎⇒野宮神社⇒嵯峨嵐山駅

 

落柿舎

京都市右京区嵯峨(さが)にあった向井去来の別宅。師の芭蕉がこの庵を訪ねて「嵯峨日記」を残した。現在の建物は、明治初年に再興。 去来の『落柿舎記(らくししゃのき)』には、庭に柿の木が40本あり、その柿を売る約束をした後に、その柿の実が台風で一夜のうちに殆ど落ち尽くしてしまいました。それが落柿舎の名の由来です。

落柿舎制札


1. 我が家の俳諧に遊ぶべし 世の理屈を謂ふべからず
1. 雑魚寝には心得あるべし 大鼾をかくべからず
1. 朝夕かたく精進を思ふべし 魚鳥を忌むにはあたらず
1. 速に灰吹きを棄つべし 煙草を嫌ふにはあらず
1. 隣の据膳をまつべし 火の用心にはあらず
右條々 俳諧奉行 向井 去来

 

次庵

去来先生墳の碑

小倉餡発祥の由来


日本で始めて小豆と砂糖で餡が炊かれたの は 京都に於いて平安京ができて間もなくの 820年頃のことであります 当時 京の このあたり 小倉の里に亀の甲せんべいを作って いる和三郎という人がいて 809年に空海が中 国から持ち帰った小豆の種子を栽培しそれに御所か ら下賜された砂糖を加え 煮つめて餡を作りま した これを毎年御所に献上しました こう した菓子は極めて高価で珍しいものでありましたので 一般の庶民の口には入りませんでしたがこの和三郎 の努力で京都を中心に小豆が広く栽培され 江戸時代には茶道の菓子となり 又一方では祝飯 として ハレの料理にも加えられるようになりました 更に空海は中国の亀の甲煎餅の技術も伝授 し京菓子の技術は日本の和菓子の源流となりました 和三郎は承和7年2月2日(840年)に なくなりましたが その子孫並びに諸国同 業の人びとがその功績をたたえて 小倉中字 愛宕「ダイショウ」の里に 一社を建て朝廷 の允許を得て 屋号が亀屋和泉であり ましたので 和泉明神としてまつられるよ うになりました その後 年月を経て明神の社は兵火に 焼かれ子孫も絶えて 只古老の伝承として 小倉の地に和泉明神の社があったと伝えられています。 都田左兵衛 (六代) 記

 

野宮神社

伊勢神宮の斎宮にあたった内親王が1年間潔斎のため篭ったところ

 

鳥居は樹脂加工がされているが、樹皮がついたままのクヌギの原木(徳島県剣山産)を使用し作られた貴重な「黒木の鳥居」で、日本最古の鳥居形式を伝えている。

若者の人気スポットなんだね

嵯峨嵐山駅

京都駅へ戻り東福寺へ

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鳥居本⇒祇王寺~京都府京都市右京区

2015-02-07 07:08:41 | 町並み

2014年12月29日 京都府

鳥居本⇒祇王寺

鳥居本⇒祇王寺⇒柿落舎⇒嵯峨嵐山駅

京都府京都市右京区

 

人影がなく、寂しい限り

 

 

祇王寺

元々は浄土宗の僧・良鎮が創建した往生院の跡を引き継いで今日に至る。また、『平家物語』には平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王と仏御前が出家のため入寺したとしても知られている。その後往生院は衰退をたどり、明治時代の初期に一時廃寺となるが、嵯峨大覚寺の支配を受け真言宗に改宗し、1905年(明治38年)に富岡鉄斎らの尽力もあって復興を遂げた。苔の庭でも知られる。庵主の智照尼は、瀬戸内寂聴の小説『女徳』のモデルになった人物だったが、1994年(平成6年)に98歳で亡くなった。Wikipediaより

 

苔むす庭はすんばらしい~ 人目を避けてそっと触れてみたところ心地よい感触でありました。

 

※ 柿落舎へ

2015-02-07 07:08:41

cosmophantom 

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嵯峨鳥居本(重要伝統的建造物群保存地区)~京都府京都市右京区嵯峨鳥居本仙翁町

2015-02-06 06:22:57 | 重要伝統的建造物群保存地区

2014年12月29日 京都府

嵯峨鳥居本 重要伝統的建造物群保存地区 

京都府京都市右京区嵯峨鳥居本仙翁町など

嵯峨鳥居本(さがとりいもと)は、京都市右京区の地区名。古くは「化野(あだしの)」と呼ばれ、京の人々の埋葬の地であった。現在の町並みは愛宕神社の門前町として発展したもので、化野念仏寺を境に瓦屋根の町家風民家が並ぶ下地区と茅葺きの農家が多い上地区と二つの風景が共存する。1979年に国の重要伝統的建造物群保存地区として選定された。

ここから散策開始

平野屋:江戸時代初頃より茶店としてまた鮎の問屋を営んでいるとのこと

つたや:約400年の歴史を誇るこの店は、神社の参拝客が憩う門前茶屋として発祥とのこと

 

 

 

 

化野(あだしの)念仏寺

 

 

 

※ 嵯峨鳥居本へは嵯峨嵐山駅からちょうどよいバスがなく、仕方なくタクシー利用。
  町並みや道は大変良く整備されているが、伝統的建造物群保存地区としては少しもの足りないかも?
  のんびりと散策するにはいいね!

弁治の豆腐料理

2015-02-06 06:22:57

cosmophantom

コメント (2)
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