2020年6月24日 【原付でGO TO~ 】 東京都
承教寺(奇妙な狛犬)
東京都港区高輪
日蓮宗の寺院。山号は長祐山。日蓮宗の信者であった英一蝶ゆかりの寺院である。本尊は曼荼羅、英一蝶筆の釈迦如来像。旧本山は大本山池上本門寺。池上芳師法縁。
今回ここを訪れた目的は「奇妙な狛犬」を一目見ること。
▼英一蝶の墓(復刻)
江戸時代中期の画家。京都生まれ。15歳の時に江戸に下る。三宅島に12年間流されたことがある。享保9年(1724年)没。
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2020年6月24日 【原付でGO TO~ 】 東京都
承教寺(奇妙な狛犬)
東京都港区高輪
日蓮宗の寺院。山号は長祐山。日蓮宗の信者であった英一蝶ゆかりの寺院である。本尊は曼荼羅、英一蝶筆の釈迦如来像。旧本山は大本山池上本門寺。池上芳師法縁。
今回ここを訪れた目的は「奇妙な狛犬」を一目見ること。
▼英一蝶の墓(復刻)
江戸時代中期の画家。京都生まれ。15歳の時に江戸に下る。三宅島に12年間流されたことがある。享保9年(1724年)没。
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2020年6月24日 【原付でGO TO~ 】
高輪消防署二本榎出張所
東京都港区高輪
高輪消防署二本榎出張所は、昭和8年12月28日に落成したもので、近代建築の遺産(ドイツ表現主義)として東京都文化デザイン事業により保存建築物に指定されています。
▲外壁の一部は大理石?を使用している
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2020年6月24日 【原付でGO TO~ 】
泉岳寺2020
東京都港区高輪
1612年徳川家康の命で門庵宗関が開創。外桜田から1641年現地に移した。曹洞宗江戸三ヵ寺の一つ。浅野・毛利家などの菩提寺であった。赤穂藩主浅野長矩と四十七士の墓で有名。
中門
天保7年(1836年)再建
▲大石内蔵助良雄の像
山門
天保3年(1832年)再建
本堂
本堂は第二次世界大戦で空襲にあい消失 昭和28年落成
師子吼(ししく):釈迦の説法・教説。獅子がほえて、百獣を恐れさせる威力にたとえていう。
▲講堂 以前は資料館として開放されていたが・・・
▲首洗い井戸
義士が本懐成就後、吉良上野介の首級をこの井戸水で洗い、主君の墓前に供え報告したところから「首洗い井戸」と呼ばれています。
▲義士墓入口の門
浅野家の鉄砲洲上屋敷(現聖路加病院)の裏門で明治時代に移築
▲浅野 長矩(あさの ながのり)の墓
播磨赤穂藩の第3代藩主
▲大石内蔵助の墓
▲大石主税の墓 (大石内蔵助の子)
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大石神社・・・兵庫県赤穂市
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2020年6月24日 【原付でGO TO~ 】 東京都
高輪ゲートウェイ駅(山手線新駅)
東京都港区港南
高輪ゲートウェイ駅は、JR山手線および京浜東北線の田町~品川駅間に設けられた新駅。外観は、折り紙をモチーフにしたという大屋根が目を引く。(山手線で30番目の駅)
2020年(令和2年)3月14日のダイヤ改正にあわせて暫定開業した。
改札は2階に相当する所にあり、どうやら一箇所しかないらしい・・・・
▲券売機は一箇所
▲ICカードをタッチする部分は斜めっている
▲コンコース
▲商業施設
▲トイレ
▲休憩スペース
インフォメーション(この時は休憩中・・・)係員は日立のロボット君 充電中なの?
▲レインボーブリッヂ▼
駅周辺の開発が進むと、見えなくなるかも
ホームは1階 山手線は1、2番ホーム 京浜東北線は3、4番ホーム
先ずは京浜東北線のホーム(3、4番ホーム)へ
▲黒いボディの自販機 自販機の奥にはエレヴェーター
▲品川駅方面
▲田町駅方面 向かって右が京浜東北線
▲通過する特急「ひたち」
山手線ホーム(1、2番線)に移動
構造は京浜東北線と同じ
▲京浜東北線ホーム
▲品川駅方向
▲品川駅方向(山手線内側) 京急の車両が見える
改札を出てEVで3階の商業施設に向かう
このフロアーにはデッキがあり2階のコンコースがよく見える↓
▼駅周辺の開発はこれから!
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2020年5月28日 東京都
ブルーインパルス(東京上空)
航空自衛隊ブルーインパルスは、新型コロナウイルスに対応する医療従事者などに対する敬意と感謝を示すために5月29日、東京都上空を飛行
2020年5月28日 13時00分頃 東京都大田区にて撮影
▲体形を組まず少し離れたところを飛行する1機
☆
航空自衛隊浜松広報館にて
F-86F ブルーインパルス 平成24年3月16日撮影
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東京都の洋館⑧
交詢ビルディング(洋館)
東京都中央区銀座
交詢社:1880年(明治13)、福沢諭吉によって創立された社交クラブ。慶応義塾関係者を中心とした実業家の団体。「交詢雑誌」を発行。銀座6丁目にクラブの本拠として交詢ビルディングを所有しており、「交詢社通り」という地名にもなっている。関東大震災で被災した後、1929年(昭和4年)に建てられた歴史的建造物であったが、2004年に建て替えられた。新しいビルは地上10階で、バーニーズ・ニューヨークなどがテナントに入っている。ファサード保存によって以前の建築の一部が保存されている。
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科学博物館昭和館の天井
東京都台東区上野公園
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築地本願寺
東京都中央区築地
元和3年(1617年)に創建された京都西本願寺の別院。正式名称は浄土真宗本願寺築地別院。一般には築地本願寺の名で知られています。
本堂は関東大震災で崩壊したが、昭和9年(1934年)古代インド様式の石造建造物として再建されました。本尊は聖徳太子の作と伝えられている阿弥陀如来立像。
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和光ビル(旧服部時計店本社ビル)他
東京都中央区銀座
1932年(昭和7年)竣工
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自由学園 明日館(重要文化財)2017
東京都豊島区西池袋
1921(大正10)年、羽仁吉一・もと子夫妻によって創立された自由学園の校舎として建設。近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライトと、その高弟、遠藤新による設計。学校機能を東京・東久留米市に移し校舎としての役目を終えた後、自由学園と日本の教育の明日を託して「明日館」と命名され、卒業生の諸活動の場所として使用。それからさまざまな歴史を経て、1997(平成9)年、国の重要文化財に指定された。
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自由学園 明日館講堂2017
東京都豊島区西池袋
敷地の南側に建つ講堂は遠藤新の設計で、昭和2年(1927)に完成しました。生徒数の増加により、中央棟のホールでは手狭になったため、第5回本科卒業生の父母の提案により、当時、テニスコートとして使用していた場所を敷地にあて、この講堂が完成したのです。
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静嘉堂文庫(洋館)
東京都世田谷区岡本
文庫の建物は、桜井小太郎(1870~1953)の設計により、大正13年(1924)に建てられました。鉄筋コンクリート造2階建スクラッチ・タイル貼りの瀟洒な外観は、当時のイギリス郊外住宅のスタイルを顕著に表しています。
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旧竹田宮邸(グランドプリンスホテル高輪・貴賓館)
東京都港区高輪
1911年(明治44年)完成。 瓦造2階建て。近代日本の黎明期に宮廷建築家として活躍した、片山東熊により設計されました。
室内は17〜18世紀初頭の様式で装飾され、細部にわたって優雅な意匠が散りばめられた格式のある建築となっています。
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高輪消防署二本榎出張所
東京都港区高輪
高輪消防署二本榎出張所は、昭和8年12月28日に落成したもので、近代建築の遺産(ドイツ表現主義)として東京都文化デザイン事業により保存建築物に指定されています。
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東京都の洋館⑦
旧岩崎邸(洋館・和館)2017(重要文化財)
東京都台東区池之端
旧岩崎邸庭園は1896年(明治29年)に岩崎彌太郎の長男で三菱第3代社長の久彌の本邸として造てられました。往時は約1万5,000坪の敷地に、20棟もの建物が並んでいました。現在は3分の1の敷地となり、現存するのは 洋館・撞球室・和館の3棟です。木造2階建・地下室付きの洋館は、鹿鳴館の建築家として有名な英国人ジョサイア・コンドルの設計で近代日本住宅を代表する西洋木造建築です。館内の随所に見事 なジャコビアン様式の装飾が施されていて、同時期に多く建てられた西洋建築にはない繊細なデザインが、往事のままの雰囲気を漂わせています。
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旧岩崎邸・撞球室(ビリヤード場)2017
東京都台東区池之端
別棟として建つコンドル設計の撞球室(ビリヤード場)は当時の日本では非常に珍しいスイスの山小屋風の木造建築で、洋館から地下道でつながっていま す。洋館と結合された書院造りの和館は当時の名棟梁大河喜十郎の手によるものと言われています。床の間や襖には、明治を代表する日本画家・橋本雅邦が下絵を描いたと伝えられる障壁画などが残っています。現存する大広間を中心に 巧緻を極めた当時の純和風建築をかいま見ることができます。
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国立西洋美術館(重要文化財 世界文化遺産)
東京都台東区上野公園
戦後、日仏間の国交回復・関係改善の象徴として、20世紀を代表する建築家のひとりであるフランス人建築家ル・コルビュジエ(1887-1965)の設計により、1959(昭和34)年3月に竣工した歴史的建造物である。1998(平成10)年に地域に根ざした優れた公共施設として建設省より「公共建築百選」に選定され、2007(平成19)年には国の重要文化財(建造物)に指定された。
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迎賓館赤坂離宮(赤坂離宮)重要文化財
東京都港区元赤坂
東京の元赤坂にある現在の迎賓館の建物は、東宮御所として1909年(明治42年)に建設された。鹿鳴館などを設計したお雇い外国人建築家ジョサイア・コンドルの弟子にあたる宮廷建築家片山東熊の設計により、元紀州藩の屋敷跡(明治6年宮城火災から明治21年の明治宮殿完成までの15年間、明治天皇の仮御所が置かれていた。)に建てられた。しかしそのネオ・バロック様式の外観があまりにも華美に過ぎたことや、住居としての使い勝手が必ずしも良くなかったことから、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)がこの御所を使用することはほとんどなかった。嘉仁親王が天皇に即位した後は離宮として扱われることとなり、その名称も赤坂離宮と改められた。
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賓館2017( 旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮))
国会議事堂
東京都千代田区永田町
昭和11年(1936年)11月に建設されました。当時は日本一の高さを誇り、永田町の高台に美しいみかげ石で装われた議事堂が「白亜の殿堂」と賞賛されました。同年12月24日に召集された第70回帝国議会から使用され、現在に至っています。 ※内部は札駅禁止でした。
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旧日比谷公園管理事務所
東京都千代田区日比谷公園
日比谷公園は、日本で最初の洋式公園でした。この建物は日比谷公園の管理事務所として、明治43年(1910年)に建てられました。設計は東京市の技師、福田重義が行いました。洋式の公園に相応しいよう、当時としてはとても斬新な、ドイツ・バンガロー風の瀟洒な造りとなっています。
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日比谷松本楼
東京都千代田区日比谷公園
東京都千代田区の日比谷公園内にあるレストラン。1903年、日比谷公園の開園と同時に開業。当時としては珍しい洋食を出すハイカラな店として人気を集める。その後、関東大震災による消失、太平洋戦争後の米軍による接収など相次ぐ苦難を乗り越えて再興。
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東京都の洋館⑥
泰明小学校
東京都中央区銀座
都会の真中の小学校、中央区銀座5丁目にある泰明小学校は、2003年に開校125周年を迎えました。美しいアーチ型の窓をもつ建物に蔦の絡まる情景は、銀座のシンボルとなっています。
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旧万世橋駅
東京都千代田区神田須田町
かつて、中央線の神田~御茶ノ水間に、明治45(1912)年に開業した「万世橋駅」がありました。昭和18年に休止になりましたが、赤レンガの万世橋高架橋の中に、ホームや階段など、駅の施設が一部残っていました。
「旧万世橋駅」は、これら駅の遺構を再生し、歴史的価値ある遺構を随所にご覧いただける施設です。開業当時の姿をほぼ留めた「1912階段」や、交通博物館開館時に設けられた「1935階段」をはじめとする遺構を公開するほか、旧万世橋駅時代のプラットホームにデッキを設けた“2013プラットホーム”には、フリースペースやカフェがあります。 このほかにも、万世橋駅の足跡を今に伝える展示も実施しています。
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旧府中尋常高等小学校校舎
東京都府中市・郷土の森
1935年(昭和10)に建設された、北多摩随一の規模を誇った木造校舎の一部を復元。
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旧府中町役場庁舎
東京都府中市・郷土の森
1921年(大正10)に完成した洋風の町役場の庁舎です。 地方自治を謳う大正デモクラシーの風潮のなか、財政難にもかかわらず町民の熱意によって3年かけて建てられました。屋根の飾り天窓(ドーマー・ウィンドウ)や錘を内蔵した上げ下げ窓などを取り入れた洋風の2階建て建築ですが、正面車寄せの屋根を和風の唐破風とし、裏側には和風平屋の建物を付設させている点に大きな特色があります。
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法務省旧本館(重要文化財)2018
東京都千代田区霞が関
明治政府の官庁集中計画の一環で招聘されたドイツ人建築家エンデとベックマンの設計で明治28年(1895)完成のドイツネオバロック様式の庁舎です。戦災で大きな被害を受けましたが、平成7年当初の姿に復原されました。
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旧原宿駅
東京都渋谷区宮前
JR東日本によると、2020年の東京オリンピック開催に向けて、当駅の駅改良工事に着手することが発表された。年始のみ使用している臨時ホームを新宿・池袋方面行き外回り専用ホームとして常設化される他、2階建ての駅舎に建て替え・エレベーターとエスカレーターの増設・トイレや改札口と通路の拡張などが行われる。また、新駅舎は明治神宮口にも設置される。なお、今回常設化される外回り専用ホームにはホームドアも設置され、改良工事後の島式ホームは内回り渋谷・品川方面行き専用ホームになる。山手線唯一の木造駅舎だった。現在は新駅舎
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法曹会館
東京都千代田区霞が関
現在の法曹会館は、昭和11年(1936)竣工しました。お堀端という場所にふさわしい静謐な趣を生み出すよう配慮された倶楽部建築。尖塔屋根のある塔屋や正面にはめ込まれたステンドグラス、瀟洒な車寄などが特徴です。設計者は三菱地所技師長の藤村朗氏。
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東京都の洋館⑤
青淵文庫・晩香廬(旧渋沢家飛鳥山邸)(重要文化財)
東京都北区西ヶ原
▲青淵文庫
▲晩香廬
旧渋沢家飛鳥山邸は,曖依村荘と呼ばれた渋沢栄一の邸宅である。旧渋沢家飛鳥山邸の晩香廬及び青淵文庫は,大正期を代表する建築家のひとりである田辺淳吉の作風がよく示された作品である。ともにアーツ・アンド・クラフツ運動の精神が具現された数少ない大正期の建築作品として重要である。
渋沢栄一は、日本初の銀行である第一国立銀行(現・みずほ)や東京証券取引所、東京ガス、帝国ホテル、キリンビールなど500社以上の設立に関与した大実業家でした。
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常盤台写真場
江戸東京たてもの園(東京都小金井市桜町)
健康住宅地として開発された郊外住宅地常盤台に建てられた写真館です。 照明設備が発達していない当時、最も安定した照度を得るために、 2階写場の大きな窓には北側から光を採ることができるように摺りガラスがはめこまれています。竣工:昭和12(1937)年
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迎賓館( 旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)2015 前庭
東京都港区元赤坂
東京の元赤坂にある現在の迎賓館の建物は、東宮御所として1909年(明治42年)に建設された。鹿鳴館などを設計したお雇い外国人建築家ジョサイア・コンドルの弟子にあたる宮廷建築家片山東熊の設計により、元紀州藩の屋敷跡(明治6年宮城火災から明治21年の明治宮殿完成までの15年間、明治天皇の仮御所が置かれていた。)に建てられた。しかしそのネオ・バロック様式の外観があまりにも華美に過ぎたことや、住居としての使い勝手が必ずしも良くなかったことから、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)がこの御所を使用することはほとんどなかった。嘉仁親王が天皇に即位した後は離宮として扱われることとなり、その名称も赤坂離宮と改められた。
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復興記念館
東京都墨田区横網
東京都復興記念館の敷地は、もと陸軍被服廠のあった所で、東京市がこれを買い受けて1923年(大正12年)に横網町公園の造営整備に着手したとき、図らずも関東大震災が発生し、東京市の遭難死者は58,000人に上った。東京市は犠牲者の霊を追悼し、また不言の警告を将来に残そうと、被服廠跡に震災記念堂を建設し、災害に対する不断の準備とその予防知識を普及するため、附属施設として東京都復興記念館を建設した。
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雑司が谷旧宣教師館
東京都豊島区雑司が谷
この建物は、木造総2階建て住宅で、全体のデザインはシングル様式であり、細部のデザインにはカーペンターゴシック様式を用いており、19世紀後半のアメリカ郊外住宅の特色を写した質素な外国人住宅です
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星薬科大学本館
東京都品川区荏原
大正13年に完成した星薬科大学のシンボル的建物です。世界的な建築家 アントニン・レイモンドによる設計で、創立者 星 一(ほしはじめ)が米国留学時に学んだコロンビア大学のローホールを模しています。
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旧文部省庁舎(登録有形文化財)
東京都千代田区霞ヶ関
霞が関官庁街における震災復興庁舎の好例。大蔵省営繕管財局の設計で、施工は大林組。鉄骨鉄筋コンクリート造6階建、スクラッチタイル貼とする。正方形に近い大きな窓による立面構成と正面玄関上部の垂直性を強調した意匠に特徴がある。昭和7年
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東京都の洋館④
早稲田大学大隈講堂(重要文化財)
東京都新宿区戸塚町
大隈講堂は本学建築科の創設者・佐藤功一とその弟子・佐藤武夫、耐震構造学の第一人者、内藤多仲によって設計され、昭和2年(1927年)10月15日に竣工しました。創立125周年を記念して全面的な改修工事が行われ10月2日に竣工した本学のシンボル「大隈講堂」が、文化庁文化審議会文化財分科会で国の重要文化財に登録するよう文部科学大臣に答申され、指定されることとなりました。昭和期の学校建築としては全国で2例目で、わが国の建築史上大きな意義を有することになります。
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日本銀行本店本館(重要文化財)
東京都中央区
辰野金吾の代表作で、現存する明治洋風建築のうち、最も重要なものの一つ。三階建地下一階で、外壁は石積みの内側にレンガを積む。内外ともネオ・バロック様式にルネッサンス的意匠を加味している。関東大震災で被災し、一部改造されているが、外観と一階の大部分および二階の主要部などはよく当初の形態を残している。 1896(明治29)年建築
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旧小笠原伯爵邸
東京都新宿区河田町
旧小倉藩藩主の伯爵小笠原長幹の邸宅として1927年(昭和2年)に現在地に建てられた。建物は当時流行のスパニッシュ様式で鉄筋コンクリート造の地上2階、地下1階建て。
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大川邸
江戸東京たてもの園(東京都小金井市桜町)
1925年(大正14)郊外住宅地の一つである大田区田園調布に建てられた住宅です。 居間を中心に食堂・寝室・書斎が配置されています。また、当時としては珍しく全室洋間となっています。大田区田園調布
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鳩山邸(鳩山会館)
東京都文京区音羽
みまさかのくに(現在の岡山)勝山藩出身の鳩山和夫がこの地に居を構えたのは明治24年である。和夫は、弁護士の地位向上、私学の発展、立憲政治の発達と進歩を理想とした。洋館は大正13年に鳩山一郎によって建てられた。首相、初代自由民主党総裁の一郎のほか、妻の薫(共立女子学園理事長)、長男で外相を務めた威一郎を記念する部屋やバラに飾られる庭園などが公開されている。
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デ・ラランデ邸
江戸東京たてもの園(東京都小金井市桜町)
元は平屋建ての洋館でしたが、1910年(明治43)年ころ、ドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデにより3階建てとして大規模に増築されました。その後、何回か所有者が変わりましたが、1956年(昭和31)から、三島海雲氏がこの住宅に住んでいました。1999年(平成11)まで新宿区信濃町に建っていました。新宿区信濃町 1910年(明治43)ころ
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上野駅
東京都台東区
上野駅舎(1932年4月3日落成)2代目
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東京都の洋館③
明治生命保険相互会社本社本館
東京都千代田区
鉄骨鉄筋コンクリート造、地上8階地下2階建てのオフィスビルで、昭和5年に工事に着手、同9年に竣工している。設計監理は岡田信一郎と弟の捷五郎の手による。この種のビルは大正から昭和初期に多数つくられたが、この建物は列柱が建つ外観や顧客用の大空間を内部に持つ点が特徴であり、特に質の高い代表的な建築である。明治期以降に洋風意匠を導入した我国の建築の一つの到達点とも言うべき建築であり、昭和期に建てられた建造物としては初めて指定されたものである。
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東京駅丸ノ内本屋(重要文化財)
東京都千代田区丸の内
京駅丸ノ内本屋は,わが国鉄道網の起点となる停車場の中心施設であるとともに,明治の市区改正計画に基づき建設された首都東京を象徴する貴重な建築である。 煉瓦を主体とする建造物のうち最大規模の建築で,当時,日本建築界を主導した辰野金吾の集大成となる作品として,価値が高い。大正/1914 鉄骨煉瓦造、建築面積7,821.39m2、二階建、一部三階建、スレート葺
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田園調布旧駅舎
東京都大田区田園調布
2000(平成12)年1月に復元された。旧駅舎のあった西口はパリの凱旋門周辺をモチーフにして整備し、駅舎は「上高地帝国ホテル」や伊豆の「川奈ホテル」などを設計した矢部金太郎氏による設計で、欧州中世期のマンサード・ルーフ型という古典建築様式で造られている。
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絵画館(重要文化財)
東京都新宿区霞ヶ丘町
明治天皇崩御後に建築計画が持ち上がり、1926年(大正15年)に旧青山練兵場の跡地に建設された。そもそも明治神宮外苑の造営の主たる目的でもある建物である。現在でも、建築当初のままのドーム状の荘厳な建物を見ることができる。1968年(昭和43年)には、明治維新100年目を記念して絵画館学園が同建物内に開校され、絵画や陶芸などを学ぶ施設も備わった。また、1990年(平成2年)からは同建物の夜間のライトアップが実施されるようになり、絵画館が神秘的な雰囲気を伴って東京の夜の景色を飾るようになった。2011年(平成23年)、「直線的意匠と先駆的技術を採用した、わが国初期の美術館建築」と評価され、明治神宮宝物館と共に国の重要文化財に指定された。
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旧古河邸2014
東京都北区西ヶ原
1917年(大正6年)5月竣工。外観はルネサンス調。煉瓦造の躯体を、新小松石の野面石積みで覆っている。1階は食堂、ビリヤード室、喫煙室などの接客空間である。2階は家族の居室など私的空間で、和室も設けられている。
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三井本館(重要文化財)
東京都中央区日本橋室町
現在の建物は1902年(明治35年)に竣工した旧三井本館が関東大震災で被災したために建替えられたもの(1929年(昭和4年)3月23日竣工、6月15日開館)で、アメリカのトローブリッジ・アンド・リヴィングストン事務所が設計しジェームズ・スチュワート社が施工を行った。
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三越本店
東京都中央区日本橋室町
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東京都の洋館②
新宿御苑旧洋館御休所 (重要文化財)
東京都新宿区内藤町(新宿御苑内)
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旧小出邸
江戸東京たてもの園(東京都小金井市桜町)
日本におけるモダニズム運動を主導した建築家堀口捨己が、ヨーロッパ旅行からの帰国直後に設計した住宅です。 当時ヨーロッパで流行していたデザインと、日本の伝統的な造形を折衷した造りになっています。 大正14(1925)年 東京都文京区西片
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鳳凰閣(旧清明文庫)(登録有形文化財)
東京都大田区南千束
東洋文明の啓蒙活動を行っていた清明会が設立した清明文庫の本館で,戦後出版社の所有となり鳳凰閣と称す。内装はモザイクタイルを用いるなど要所を飾るが,外壁は装飾的要素を控えた簡明なデザインとし,正面玄関上から立ち上がる4本の柱型に特色がある。現在は「勝海舟記念館」として利用されている。
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国際子ども図書館
東京都台東区上野公園
国際子ども図書館に使用されている旧帝国図書館はルネサンス様式を取り入れた明治期洋風建築の代表作のひとつで、久留正道により設計され、東京都選定歴史的建造物に指定されている。旧帝国図書館は1908年竣工の第一期工事と1929年竣工の第二期の二次にわたって建設され、構造は第一期が鉄骨補強煉瓦造り、第二期増築部分が鉄筋コンクリートである。
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旧東京音楽学校奏楽堂(重要文化財)2014
東京都台東区上野公園
旧東京音楽学校奏楽堂は、明治23年(1890)に日本で初めての音楽専用のオーディトリウム(演奏会場)として建立されました。東京音楽学校(現東京藝術大学音楽学部)の施設だった奏楽堂は、昭和62年に台東区の手で現在の地に移築保存され、重要文化財に指定されています。
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高島屋日本橋店(重要文化財)
東京都中央区日本橋
日本橋高島屋が、百貨店建築としては初めて、重要文化財の指定を受けることになりました。日本橋店は、「意匠的に優秀なもの」という評価を得ており、「西欧の歴史様式に日本的な要素を加味した高橋貞太郎による当初設計部分と、近代建築の手法を駆使した村野藤吾の設計による増築部分から成り立っており、その全体が一体不可分の建築作品として完成度が高く、わが国の百貨店建築を代表するものの一つ」と評されています。
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旧近衛師団司令部庁舎(重要文化財)
東京都千代田区
明治43年(1910)に完成しました。陸軍技師田村鎮の設計による赤レンガ造り、二階建て、スレート葺、簡素なゴシック風で、明治洋風建築としては代表的な存在となっています。 関東大震災や弟二次大戦をくぐりぬけ、ほぼ完全な姿をとどめています。 昭和52年に一部を改装して東京国立近代美術館工芸館として生まれかわりました。千代田区観光協会より
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東京都の洋館①
東大農学部3号館(東京都選定歴史的建造物)
東大弥生本郷キャンパス(東京都文京区)
1941年完成。設計は内田祥三
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東京大学法学部3号館(登録有形文化財)
東大本郷キャンパス(東京都文京区)
1927(昭和2) 設計は内田祥三
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東京大学工学部1号館(登録有形文化財)
東大本郷キャンパス(東京都文京区)
1935年完成。設計は内田祥三
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東京大学法文2号館(登録有形文化財)
東大本郷キャンパス(東京都文京区)
法文1号館と東西軸を挟んで向かい合う位置に建つ校舎で,1号館同様1階部分にゴシック様式のアーケードを配し通路を設けるが,西端部は法学部3号館を意識したL字型の平面構成となる。法文1号館とも,近年4階の1部が増築された。設計は内田祥三。昭和前/1938
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東京大学安田講堂(有形文化財)
東大本郷キャンパス(東京都文京区本郷)
ゴシック及び表現主義の影響が色濃く見られる垂直性の強いデザインが特徴。外壁は赤茶色のタイル貼りで,意匠的に極めて優秀である。設計は内田祥三,施工は清水組。
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東京大学医学部附属病院(東大本郷キャンパスの建築物)
東大本郷キャンパス(東京都文京区本郷)
1934年完成?。設計は内田祥三
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東大広報センター(東京都選定歴史的建造物)
東大本郷キャンパス(東京都文京区本郷)
旧医学部附属病院夜間診療所、旧医師会事務局。龍岡門わきにある。1926年完成。設計は岸田日出刀。
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東大理学部ニ号館
東大本郷キャンパス(東京都文京区本郷)
1934年完成。設計は内田祥三。
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東大医学部一号館
東大本郷キャンパス(東京都文京区本郷)
1931年完成。設計は内田祥三
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東大医学部本館
東大本郷キャンパス(東京都文京区)
1936年完成。設計は内田祥三
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埼玉県の洋館
旧越ケ谷郵便局
埼玉県越谷市新石3丁目
昭和10年(1935)建築 詳細不明
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誠之堂(重要文化財)
埼玉県深谷市起会
誠之堂は、大正5年(1916)、渋沢栄一の喜寿(77歳)を祝って第一銀行の行員たちの出資により建築されました。
煉瓦造平屋建、建築面積112平方メートル。外観は英国農家に範をとりながらも、室内外の装飾に、中国、朝鮮、日本など東洋的な意匠を取り入れるなど、様々な要素が盛り込まれ、それらがバランスよくまとめられています。
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清風亭(洋館)
埼玉県深谷市起会
清風亭は、大正15年(1926)に、当時第一銀行頭取であった佐々木勇之助の古希(70歳)を記念して、清和園内に誠之堂と並べて建てられました。建築面積168平方メートルで、鉄筋コンクリート造平屋建。
外壁は、人造石掻落し仕上げの白壁で、対称的に黒いスクラッチタイルと鼻黒煉瓦がアクセントをつけています。設計者は、銀行建築の第一人者の西村好時です。
屋根のスパニッシュ瓦、ベランダの5連アーチ、出窓のステンドグラスや円柱装飾など、西村自身が「南欧田園趣味」と記述している当時流行していたスペイン風の様式が採られています。
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2014年4月30日福井県
高島歯科医院(登録有形文化財)
福井県小浜市小浜鹿島
小浜漁港に向かう通りに東面して建つ。正面5間半、奥行5間の木造2階建で、2階南側3間分を診療所部とする。屋根は小屋根を戴くマンサード風とし、外部はモルタル洗出しで石目地を切って洋風に仕上げ、窓下等に煉瓦タイルを貼ってアクセントをつける。大正14年
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