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日吉大社(西本宮)国宝・重要文化財~滋賀県大津市坂本

2016-06-30 05:44:26 | 神社・仏閣・教会

2015年12月30日 滋賀県

日吉大社(西本宮)

滋賀県大津市坂本

日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。式内社(名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。通称として山王権現とも呼ばれる。猿を神の使いとする。西本宮と東本宮を中心とする400,000m²の境内は国の史跡に指定される。社名の「日吉」はかつては「ひえ」と読んだが、第二次世界大戦後は「ひよし」を正式の読みとしている。

 ▼日吉大社摂社白山姫神社拝殿 重要文化財  

この拝殿は、方三間(桁行三間、梁間三間)、一重、入母屋造、妻入り、桧皮葺の建物です。四方の柱間は、四方とも開け放し(吹放し)で、回り縁には高欄が付き、天井は小組格天井(こぐみこうてんじょう)、屋根の妻飾(つまかざり)りは木連格子(きつれごうし)(狐格子)となっています。慶長3(1598)年に本殿と共に建てられたものです。昭和39(1964)年5月に国の重要文化財に指定されました。

 

▼日吉大社摂社白山姫神社本殿 重要文化財 

日吉大社摂社白山姫神社本殿(ひよしたいしゃせっしゃしろやまひめじんじゃほんでん) 一棟
この本殿は、三間社流造(しゃながれづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)の建物で、三間・二間が身舎(もや)、その前方一間通しの廂(ひさし)が前室となっています。この本殿と樹下(じゅげ)神社本殿とは、ほぼ同形式となっていますが、装飾金具が少なく簡素(かんそ)な造りで地味(じみ)な落ち着いた中にも、各部の意匠(いしょう)に意を配った建物です。また、向拝(こうはい)は一間で浜床(はまゆか)付き、前室の正面は蔀戸(しとみど)となっています。慶長(けいちょう)三(一五九八)年に建てられました。

 ▼日吉大社摂社宇佐宮拝殿 重要文化財 

この拝殿は、桁行三間(けたゆきさんげん)、梁間三間(はりまさんげん)、一重(いちじゅう)、入母屋造(いりもやづくり)、妻入(つまい)り、桧皮葺(ひわだぶき)の建物です。典型的(てんけいてきな)な方三間の拝殿形式をとっています。四方の柱間(はしらま)は、四方とも開け放し(吹放し)で、回り縁には高欄(こうらん)がつき、天井は小組格天井(こぐみこうてんじょう)、屋根の妻飾(つまかざ)りは木連格子(きつれごうし)(狐格子)となっています。慶長3(1598)年に建てられたもので本殿と同じ時期のものです。昭和39(1964)年5月に国の重要文化財に指定されました。 
   

 ▼日吉大社摂社宇佐宮本殿 重要文化財

この本殿は、桁行五間、梁間三間、日吉造、檜皮葺の建物です。西本宮本殿、東本宮本殿と同じく日吉造(聖帝造)(しょうたいづくり)の典型的なもので、三間・二間の身舎(もや)の前面、両側面に一間の廂(ひさし)をめぐらし、側面や背面に特色があります。他とは、ほとんど同じですが、正面の階段前に吹寄格子(ふきよせこうし)をいれた障壁が設けてあるのが大きく異なります。また、高い床下には大きな岩が露出していて何か意味ありげなものです。慶長3(1598)年に建てられたものです。明治34(1901)年8月に国の重要文化財に指定されました。

 ▼日吉大社西本宮楼門 重要文化財

楼門とは、二階建で階上に縁(えん)があり、屋根は上の一つしかない形式の門のことです。西本宮楼門は、東本宮楼門と同様、三間一戸(さんげいっこ)(戸とは出入口のこと)、入母屋造(いりもやづくり)、桧皮葺(ひわだぶき)の建物です。
東本宮楼門と比べると、規模は大きく、壮麗です。木部は丹塗(にぬり)を主としたもので、上下の釣り合いがよく、樹の緑によく映えます。四隅には猿の彫刻、前後に極彩色(ごくさいしき)の蟇股(かえるまた)があります。確実な資料はまだ発見されていませんが、天正14年(1586)頃に造営されたものではないかと推定されています。大正6年4月5日に国の指定文化財となりました。

この楼門には猿がいます。

▼日吉大社西本宮本殿 重要文化財

この拝殿は、方三間(桁行三間、梁間三間)、一重、入母屋造、檜皮葺、妻入りの建物です。柱間は四方とも開け放して、屋根の妻飾りは木連格子(きつれこうし)、回り縁は高欄がつき、天井は中央部が一段と高くなった折上小組格天井(おりあげこぐみごうてんじょう)となっています。日吉大社の他の同じ形の拝殿のうちでは、一番手の込んだ構造となっており、天正14(1586)年本殿と同時に建てられたものです。昭和39(1964)年5月に重要文化財に指定されました。

 ▼ 日吉大社西本宮本殿 国宝

この本殿は、桁行五間(けたゆきごけん)、梁間三間(はりまさんげん)、日吉造(ひえづくり)、桧皮葺(ひわだぶき)の建物です。日吉造は、一名を聖帝造(しょうたいづくり)ともいい、全国では、日吉大社だけにみられる特殊な構造です。つまり、三間・二間の身舎(もや)の前面、両側面の三方に廂(ひさし)がめぐらされた形で、側面や背面にその特色を見せています。また、正面には、一間の向拝(こうはい)と浜床(はまゆか)をつけ、縁高欄(えんこうらん)がまわりをめぐっています。天正(てんしょう)14(1586)年に復興(ふっこう)されたものですが、慶長(けいちょう)2(1597)年に改造されています。昭和36(1961)年に国宝に指定されました。

  

--帰路--

   

 猿が飼われているのですが撮影失敗・・・

変わった形の山王鳥居(合掌鳥居)
 

▼大宮橋(日吉三橋) 重要文化財

大宮橋は、西本宮に向かう参道に架かる。12本の円柱橋脚と桁、貫などを用いた構造で、橋板両端には格狭間を彫り抜いた高欄が取り付く。木造橋の形式をそのまま石造反橋に用いて造られた雄大な橋である。
   

 ▼走井橋(日吉三橋) 重要文化財

走井橋は、大宮橋のすぐ下流にかかるお祓(はら)いをするための石造反橋(そりはし)です。 日吉三橋の中でも最も簡素な構造で、幅四・六メートル、長一三・八メートルを測ります。川の中に方柱の橋脚をたてますが、その数も六本と少なく、また桁(けた)も省かれ、橋脚の頭に継ぎ材をおいて、橋板をかけています。橋板に反りをつけることで、軽快な感じをよく出しています。

 

▼八王子山:二つの社がある

 ▼求法寺走井元三大師堂

  

関連記事:日吉大社(東本宮)

 

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日吉大社(東本宮)国宝・重要文化財~滋賀県大津市坂本

2016-06-29 05:43:21 | 神社・仏閣・教会

2015年12月30日 滋賀県

日吉大社(東本宮)

滋賀県大津市坂本

滋賀県大津市坂本に鎮座する元官幣大社(→官幣社)。近江国一の宮。日吉山王,山王権現,山王二十一社ともいう。全国 3800あまりの日吉山王社の総本宮。東本宮に,『古事記』にも登場する山の神のオオヤマクイノカミ(大山咋神),西本宮に,大和国から琵琶湖上の船に現れて現在地に鎮座したと伝えられるオオナムチノカミ(大己貴神)をまつる。

 

二宮橋 重要文化財

日吉三橋のひとつ。東本宮(旧称:二宮)に向かう橋。現在は山王祭の時にのみ渡ることができる橋です。

 

日吉大社東本宮楼門 重要文化財

東本宮の正面入口に建つ楼門。信長の焼き討ちの後、天正年間から文禄2年(1593年)頃に建てられた。正面の柱間三つの内、中央が扉のない出入口となっている。屋根は入母屋造りの檜皮葺き、軒廻り、腰組の組物は、格式の高い三手先である。一階部分が高く、二階部分が低いため、すらりとした均整のとれた建物である。
  

左側に樹下宮本殿、右側に樹下宮拝殿,正面東本宮拝殿 その奥東本宮本殿

▼樹下宮本殿 重要文化財

三間社流造(さんげんしゃながれづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)の建物で、後方三間(さんげん)・二間(にけん)が身舎(もや)、その前方一間通しの廂(ひさし)が前室となっています。数ある流造のなかでも比較的大型のもので、床下が日吉造(ひえづくり)と共通した方式であることや向拝(こうはい)階段前に吹寄格子(ふきよせこうし)の障壁(しょうへき)をたてているのは、この本殿の特色となっています。文禄(ぶんろく)四(一五九五)年に建てられたことが墨書銘(ぼくしょめい)によってわかりますが、細部の様式も同時代の特色をよく示し、格子(こうし)や破風(はふ)、懸魚(げぎょ)などに打った飾り金具は豪華なものです。

 ▼樹下宮拝殿 重要文化財

この拝殿は、桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入り、桧皮葺の建物です。方三間(ほうさんげん))といわれる拝殿ですが、他とは、柱間が四方とも格子や格子戸となっている点が異なっています。屋根の妻飾(つまかざ)りは木連格子(きつれこうし)、天井は小組格天井(こぐみごうてんじょう)、回り縁(えん)は高欄(こうらん)付きとなっていて、本殿と同じく
文禄四(1595)年に建てられたものです。なお、樹下神社の拝殿と本殿を結ぶ線と、東本宮の拝殿と本殿を結ぶ線が交わるのは、珍しいものです。

  

 ▼東本宮拝殿 重要文化財

拝殿は、本殿の前に独立する方三間(桁行三間、梁間三間)一重、入母屋造、檜皮葺妻入の建物です。四方の柱間は吹放しで屋根の妻飾り(屋根の三角部分)には木連格子(縦横の細かい格子)を入れています。また廻縁には高欄がつき、天井は小組格天井となっています。「文禄五年三月吉」の墨書がある天井の格縁が一本残されていて、一五九六年頃の建築であることがわかります。

▼東本宮 国宝

この本殿は、桁行五間(けたゆきごけん)、梁間三間(はりまさんげん)、日吉造(ひえづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)の建物です。日吉造(ひえづくり)は、一名を聖帝造(しょうたいづくり)といい、三間・二間の身舎(もや)の前面、両側面に三方の廂(ひさし)がめぐらされた形をし、側面、背面が特徴のあるものとなっています。この様式は、全国でも日吉大社のみ現存している形で重要なものです。東本宮本殿は、西本宮本殿とほぼ同様の造りですが、背面の三間の床が一段高くなっているのは、異なるところです。文禄(ぶんろく)四(一五九五)年に西本宮本殿に引き続いて復興された日吉造の代表建築です。
   

▼多羅葉(たらよう)

 肉厚の葉の裏側に先端のとがった物で傷をつけるとその部分が黒く残り、文字が書けます。この葉に書くことからハガキとなったそうです

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大津市坂本(重要伝統的建築物群保存地区)~滋賀県

2016-06-28 05:44:05 | 重要伝統的建造物群保存地区

2015年12月30日 滋賀県

大津市坂本(滋賀県) 重要伝統的建築物群保存地区

比叡山の麓に位置する大津市坂本地区は、古くは弥生時代から集落が営まれていた。延暦寺が創建された後、厳しい修行の場であった山頂の山坊(ヤマボウ)に対し、麓の坂本には僧侶の隠居後の住い、又は山上の支援拠点として里坊(サトボウ)が集中していった。滋賀院を本坊として、江戸から明治初期にかけて周囲に70~90の里坊があり、門前町として発展した。保存地区では、里坊のほか、一部に農家風町家、中央に滋賀院門跡、延暦寺慈眼堂などの建築の他、穴太衆(アノオシュウ)による石垣や、里坊に残される数々の名庭園、緑深い樹木や清冽な水路等などが歴史風致を形成し、維持されている。保存地域の広さは、東西約800m、南北約1000mの範囲となっている。

▲日吉大社の石鳥居

 

        

   

 

大政所:山王祭の時、4つの駕輿丁が大政所に揃う

   

穴太衆(あのうしゅう)積み石垣

延暦寺の門前町、坂本に居住地を置く石工集団が積んだ石垣のことを穴太衆積みと呼びました。安土城をはじめとする城郭や寺院などの石垣を積んだことで知られ、延暦寺の麓に広がる坂本の町には今も至る所で穴太衆積みの石垣を見ることができます。大小の自然石を加工せずにがっしり組む堅固な構築となっており
 

 

  

 

2016-06-28 05:44:05

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石山寺(国宝・重要文化財)~滋賀県大津市石山寺

2016-06-27 05:42:45 | 神社・仏閣・教会

2015年12月30日 滋賀県

石山寺

滋賀県大津市石山寺

西国三十三所観音霊場の第13番札所。奈良時代後期に、聖武天皇の発願により、良弁によって開かれた。広大な境内には、寺名の由来となった天然記念物の硅灰石(けいかいせき)がそびえている。国宝の本堂・多宝塔をはじめ、経典・聖教類、仏像、絵巻など多くの国宝、重要文化財がある。

 

東大門 重要文化財

参道入口の門。入母屋造、瓦葺きで、建久元年(1190年)の建立だが、本堂の礼堂が建立されたのと同時期の近世初期に大幅な修理を受けている。

   

▼大黒天

▼毘沙門堂 重要文化財

滋賀県指定有形文化財 安永二年(一七七三) 正面三間(しょうめんさんげん)、側面二間(そくめんにけん)、一重(いちじゅう)、宝形造(ほうぎょうづくり)、桟瓦葺(さんかわらふき)、背面閼伽棚(はいめんあかだな)を含む。 毘沙門堂は、堂内に兜跋(とばつ)毘沙門天(重要文化財)・吉祥天・善膩師童子(ぜんにしどうじ)の三体を祀っています。

  

 ▼観音堂

西国33ヵ所の全ての尊像を安置

▲手前観音堂 奥毘沙門堂

▼御影堂 重要文化財

室町期創建の御影堂は、慶長期に洗練された外観に整備された。三十八所権現社本殿は慶長7年(1602)の建築で、華麗な彫刻や彩色で装飾され、その拝殿として同時に建てられた蓮如堂とともに、寺院における鎮守社の構成を伝える遺構として貴重である。
 

  

▼蓮如堂 重要文化財

本堂の東方にあるこの御影堂は、桁行(けたゆき)三間、梁間(はりま)四間、一重、宝形造(ほうぎょうづくり、方形屋根をもつ建物)、桧皮葺(ひわだぶき)の持仏堂(じぶつどう)風の親しみのある建物です。お堂の中には、石山寺に関係の深い良弁(ろうべん)、空海(くうかい)、淳祐(じゅんゆう)の遺影(御影)を安置しています。このお堂の蔀戸(しとみど)や簡素な軒(のき)まわりは、住宅建築を思わせます。建物の外まわりには後世の手がかなり加わっていますが、内部の須弥壇(しゅみだん)(仏像、厨子(ずし)を安置する台)など室町時代初期の特色をよく示しています。

 ▼本堂 国宝

石山寺本堂は、桁行(けたゆき)七間、梁間(はりま)四間、寄棟造(よせむねつくり)の本堂と桁行九間、梁間四間、寄棟造で懸造(かけづくり)(舞台造)の礼堂(れいどう)と、その両棟を結ぶ相の間(あいのま)によって構成される総檜皮葺(ひわだぶき)の建物です。石山寺の建立は古く、本堂は天平宝字五~六(六七一~二)にかけて造東大寺司(ぞうとうだいじし)によって拡張されたことが正倉院文書(しょうそういんぶんしょ)に見えます。その後、承暦二年(一〇七八)に焼失し、永長元年(一〇九六)に再建されたのが、現在の本堂で、天平宝字項のものとほぼゝ規模をもつ滋賀県で最も古い建物です。礼道と相の間は、慶長(けいちょう)七年(一六〇二)に淀君(よどぎみ)によって建て替えられました。

紫式部:紫式部が『源氏物語』の着想を得たのも石山寺とされている。

▼経蔵

経蔵は、本堂北東の一段高くなったところ、三十八所権現社本殿の背後に建つ高床の校倉で、かつては国宝淳祐内供筆聖教(しゅんにゅうないぐひつしょうぎょう)や重要文化財石山寺一切経(いっさいきょう)・校倉聖教(あぜくらしょうぎょう)等を収蔵した建物である。
  

▼腰掛石

昔からこの岩に座ると安産すると言い伝えられている。
 

▼多宝塔 国宝

建久5年(1194)建立で、年代の明らかなものとしては日本最古の多宝塔である。内部には快慶作の大日如来像を安置する。

▲大日如来坐像

現存最古で国宝に指定されている多宝塔の本尊。「アン(梵字)阿弥陀」などの墨書が面部裏面にあり、快慶無位時代の作として知られている。高く装飾的な髻を結い上げ端正な表情に造り、そして頭部から髻の頂上に至る、安定した三角形の空間構成が仏師の技量が抜群であることがわかる。

▼めかくし石

多宝塔の西側に立つ、高さ約3.4メートルの単純で素朴なかたちの石造宝塔。鎌倉時代の作と言われ、「めかくし石」と呼ばれています。

目をかくして、この石を完全に抱けば、諸願成就と云う

▼心経堂
  

 ▼月見亭
   

 ▼鐘楼 重要文化財

石山寺の鐘楼は鎌倉時代の建立、鐘は平安時代の作であり共に重要文化財に指定されています。

  

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JR大津京駅~皇子山駅(京阪)~石山寺駅(京阪)~石山寺参道

2016-06-26 05:34:36 | その他

 2015年12月30日 京都府・滋賀県

JR大津京駅~皇子山駅~石山寺駅(京阪)~石山寺参道

前日は京都駅前のホテルに宿泊。京都駅から石山寺に向かう

▲京都駅構内にて

JR京都駅からJR湖西線で大津京へ

▼JR大津京駅(滋賀県大津市皇子が丘)

 

JR大津京駅から徒歩で京阪皇子山駅(滋賀県大津市皇子が丘)へ
 

京阪皇子山駅から京阪石山坂本線で石山寺駅へ

▼石山寺駅(滋賀県大津市螢谷)

▼石山寺への参道

朗澄大徳ゆかりの庭園

 

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伏見稲荷大社その2(怒涛の鳥居)(京都府京都市伏見区)

2016-06-25 05:43:32 | 神社・仏閣・教会

2015年12月29日 京都府

伏見稲荷大社その2(怒涛の鳥居)

千本鳥居など

  

▼神馬

▼玉山稲荷社 明治8年(1875)

▼白狐社
 

▼奥宮 天正年間(1573~1592) 重要文化財
  

いよいよ楽しみにしていた鳥居抜け
      

▼おもかる石

この灯籠の前で願い事を祈念し、石灯籠上の石を持ち上げ、持ち上げた時、自分が予想していたよりも軽ければ願い事が叶い、重ければ叶わないといわれている

 

この娘さんたち、はたして石は軽かったのか重かったのか?
 

 

▼熊鷹社 

 

そしてまた、鳥居・・・・
 

休憩所が無言で休んでゆけと手招きするがひたすら頂上へ

  

▼三徳大神

ひたすら頂上へ向かう

 ▼権太夫大神
   

▼大杉大神 磐根大神
 

▼不明

 

▼薬力大神

頂上は遠いのかなぁ
   

うむ・・・・

▼頂上(一の峰)

▼中之社
   

▼荷田社
 

▼下之社

▼三徳社

 

▼熊鷹社

 

 ※ 伏見稲荷は生涯お初!!

ここを訪れる海外の観光客は多く、怒涛の鳥居群が異文化を感じるのだろうか?

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伏見稲荷大社その1(京都府京都市伏見区)

2016-06-24 05:44:22 | 神社・仏閣・教会

2015年12月29日 京都府

伏見稲荷大社 その1

京都府京都市伏見区深草藪之内町

ご鎮座は和銅4年(711)とされ、全国各地に祀られている稲荷神社の総本宮。古くは食物・蚕桑あるいは諸願成就の神、中世から近世にかけて商業神・屋敷神へとご神徳も拡大。本殿(重文)は明応8年(1499)の再興。重要文化財の権殿のほか重要文化財の摂末社も多い。稲荷山の神蹟を巡拝する‘お山巡り’は約4キロ、参道にある数千本の鳥居は壮観。

▲この狐がくわえているものは「稲穂」

▼楼門 重要文化財 

入母屋 檜皮葺 天正17年(1589)建立
 

▲鍵を咥えている

▲右大臣

▲左大臣
 

 ▼外拝殿 重要文化財

創建:1589年(天正17年) 再建:1840年(天保11年/江戸末期) 入母屋造
  

▼内拝殿と本殿 重要文化財

明応8年(1499)再興。神社建築としては大型に属し、本殿の棟から前拝への屋根が極めて長い「流造り」と呼ばれる様式である。内拝殿正面の向拝は、元禄期に本殿に付け足されたものであるが、昭和36年本殿前に、内拝殿が建造されたのに伴いこれに付設した。軒下には桃山期の豪華な彫刻が施されている。

 

▲内拝殿の奥の建物 たぶん本殿????▼

 ▼神楽殿
  

▼権殿 重要文化財   1635年(寛永12年)の建立

--末社など--

社格の一つ。本社に対する枝宮をいう。本社に付属する小さい神社で,摂社に次ぐ位置にある。境内末社と境外末社とがある。

▼長者社 江戸時代前期前期建立 重要文化財 附
 

▼荷田神社 元禄七年(1694)建立 重要文化財 附
 

▼五社相殿 元禄七年(1694)建立 重要文化財 附

▼両宮社 元禄七年(1694)建立 重要文化財 附

▼熊野社 元禄7年(1694) 重要文化財・附 

▼藤尾社 江戸初期 重要文化財・附 

▼ 霊魂社

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平等院(観音堂など)~京都府宇治市宇治蓮華

2016-06-23 05:44:50 | 神社・仏閣・教会

2015年12月29日 京都府

平等院観音堂 重要文化財

京都府宇治市宇治蓮華

鎌倉時代前期に創建当時の本堂跡に再建された建造物とされています。全体的に簡素な建物ながら、垂木を地円飛角の二軒とし、天平以来の格式高い様式に倣っています。

 ▼鐘楼

鐘楼にある梵鐘は複製で、実物は鳳翔館に収蔵されている。国宝の梵鐘は、銘文がなく、製作時期は鳳凰堂と同じ11世紀頃と推定される。高さ199cm、口径123cm、、重量約2トン。最も華麗な装飾文様を鋳表したものとして有名で全面に天人、獅子、唐草文様などの繊細な浮き彫りを施した鐘で、「姿、形の平等院」と謳われ、「日本三名鐘」の1つ。

日本三名鐘」:園城寺(三井寺)鐘,神護寺鐘,平等院鐘

▲旧南門

伏見桃山城からの移構とされ、江戸時代初期伝来の古図と比較しても場所・規模ともに変動はない。垂木等も江戸時代以前の特徴である先端が細く大胆な反りで、天井板を備えた古式武家門の姿を良く残す。平成22年夏の古典技法による再塗装工事の際、主要部材の殆どが稀少な赤樫の巨木であることが判明。固く火に強いことから戦国期の城門などに使用されたことが記録に残るが、ねじけが起きやすい樫材による建造物は、これまで日本で確認されたことがなく、城造りの天才として知られた秀吉による城門「薬医門」の現存する最古の建築として注目される。説明板より

▼浄土院養林庵書院(重要文化財)〔非公開〕

養林庵書院(指定文化財)は桃山城の遺構と伝えられ、その障壁画は宇治市指定文化財で、床の間には雪景山水図、襖には籬(まがき)に梅図、天袋には花卉(かき)図が描かれています。作者はその作風から狩野山雪とみられています

 

浄土院養林庵書院の門は閉ざされていてる。塀越しに美しい弧を描く屋根を見ることができる

▼浄土院

浄土院は平等院の塔頭で、浄土宗の栄久(えいく)上人が、明応年間(15世紀後半)に平等院修復のために開創した寺と伝えられています。  

▼浄土院羅漢堂

茶師星野道斎とその息子たちにより寛永17年(1640)に建立されました。 主要部材が建立当時そのままに保存され、鏡天井に描かれた龍は彩色良く保存されています。

 

▼最勝院

平等院塔頭の1つで天台宗のお寺です。この寺の歴史は、承応3年(1654)に、京都東洞院六角勝仙院(住心院)の僧が平等院に移り、その住庵を最勝院と呼んだことに始まります。

▼春日型灯石灯籠 鎌倉時代初期

▼最勝院本堂(不動堂)

不動明王を本尊とする最勝院の本堂が建ちます。災難除けを願う人で賑わっています。

 

関連記事:平等院(鳳凰堂)

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平等院(鳳凰堂)(国宝・世界遺産)~京都府宇治市宇治蓮華

2016-06-22 05:47:29 | 神社・仏閣・教会

2015年12月29日 京都府

平等院 国宝・世界遺産

京都府宇治市宇治蓮華

永承7年(1052)、時の関白藤原頼通が、父 道長より譲り受けた別業を仏寺に改め、平等院としました。この年は末法初年に当たるとされ、末法思想が貴族や僧侶らの心をとらえ、極楽往生を願う浄土信仰が社会の各層に広く流行していました。その翌年の天喜元年(1053)には阿弥陀堂(鳳凰堂)が落慶し、堂内には、平安時代の最高の仏師定朝によって制作された丈六の阿弥陀如来坐像が安置され、華やかさを極めたとされています。約1000年前に建立された建造物や仏像が今に伝えられ、世界遺産にも登録されております。

平等院にある阿弥陀堂。1053年藤原頼通が造立し無量寿院と号した。建物全体が鳳凰が羽を広げたような形状であることと屋上に銅製の鳳凰があるところから,後世こう呼ばれた。定朝作の阿弥陀如来像を本尊とする。国宝。鳳凰堂。

   

           

    

パンフより転写

 

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宇治上神社(国宝・世界遺産)~京都府宇治市宇治山田

2016-06-21 05:46:51 | 神社・仏閣・教会

2015年12月29日 京都府

宇治上神社 国宝・世界遺産

京都府宇治市宇治山田

宇治川の東岸の朝日山の山裾には、神社建築では、日本最古の本殿である宇治上神社が鎮座する。拝殿(国宝)は、鎌倉時代前期に伐採された桧が使用されており、鎌倉時代の優れた建物遺構。本殿(国宝)は平安時代後期に伐採された木材が使われて、一間社流造りの三殿からなる。左右の社殿が大きく中央の社殿が小さい。菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)、応神天皇、仁徳天皇を祀る。本殿は日本最古の神社建築。 

▼拝殿 国宝

拝殿は鎌倉時代の初めに建てられたもので,現存する最古の拝殿です。意匠的には切妻造の母屋の左右に庇(ひさし)をつけた形であり,屋根はその部分が縋破風(すがるはふ)となっていることなど住宅風となっている点に特色がみられます。神のための本殿に対し,人の使う拝殿には住宅建築の様式が採用されることが多く,ここでは,住宅風の軽快な手法が鎌倉時代の再建にも受け継がれたと考えられます。

▼本殿 

本殿は,正面一間の流造の内殿3棟を並立させ,それを流造の覆屋根で覆った特殊な形式となっています。建立年代については,蟇股(かえるまた)の意匠及び組物などの細部の特徴から平安時代の後期に造営されたものとみられ,現存する神社本殿としては最古の建築です。

本殿(国宝)は平安時代後期に伐採された木材が使われて、一間社流造りの三殿からなる。左右の社殿が大きく中央の社殿が小さい。

※ 内殿3棟は覆屋の中

 

 

▼春日神社 重要文化財

社殿は一間社流造で、檜皮葺。鎌倉時代後期の造営

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 cosmophantom

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宇治神社~京都府宇治市宇治山田

2016-06-20 06:00:09 | 神社・仏閣・教会

2015年12月29日 京都府

宇治神社

京都府宇治市宇治山田

宇治橋の上流宇治川の右岸、この辺りは応神天皇の離宮(桐原日桁宮:きりはらひけたのみや)跡でもあり、皇子の菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)の宮居の跡と伝えられており、菟道稚郎子命の死後にその神霊を祀ったのが、この神社の始まりです。宇治神社
 

▲拝殿

入母屋造、桁行3間、梁間3間、檜皮葺、軒唐破風鳥居をくぐり、参道を歩き、階段をあがると見えるのが、拝殿。別名:桐原殿。桐原とは当地の地名です。鎌倉時代のかなり古い建物で、厳かながらどこか懐かしくもある雰囲気な印象をあたえます。

 

参道を進むと兎がモチーフの宇治神社ならではの手水舎があります。立派な風貌はかわいいウサギとは言い難いですが、どこか神使いのイメージを連想させます。

 

▼末社

▼本殿 重要文化財

この日は本殿手前の囲いで足止め、囲いの隙間から本殿をパチリ

cosmophantom

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宇治(京都府宇治市)散策

2016-06-19 05:43:51 | 町並み

2015年12月29日 京都府

宇治(京都府宇治市)散策

宿泊先の尾道を早朝にたち、宇治にやってきました。宇治といえば「宇治茶」と「平等院」が頭に浮かびます。JR宇治駅で下車し、宇治川を渡りまずは宇治神社へ向かう。天気はよく、宇治川の水面も輝いている。

宇治川

▼宇治神社

 宇治神社から 宇治上神社へ
 

   
宇治上神社

宇治川に架かる朝霧橋を渡り、宇治平等院へ
 

宇治川の河原で見かけた「鵜」

 ▼平等院

 ▼参道

 

 宇治茶、宇治茶、そうして宇治茶

マンホールの柄もお茶っ葉(たぶん)
  

▼中村藤吉商店 

創業安政6年、140年以上も営業し続けている茶商。 

▲拝見窓

拝見窓は黒塗りの板製で幅3メートル、高さ2メートル。壁面から1メートルほど突きだしており、茶葉の良し悪しの見極めにもっともよいとされる上からの自然光を取り込む仕組みになっている。2014年5月2日 産経ニュースより

 

 抹茶コロッケを食べてみた

味は・・・う~~む
 

JR宇治駅

茶壷型の郵便ポスト

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小樽(北海道小樽市)2016掲載記事まとめ

2016-06-18 05:29:30 | 掲載記事のまとめ

小樽(北海道小樽市)2016掲載記事まとめ

 

小樽駅~北海道小樽市稲穂

小樽の街並み2016①

小樽の街並み2016②

旧安田銀行小樽支店(現花ごころ)~北海道小樽市色内

旧三井銀行小樽支店~北海道小樽市色内

日本銀行旧小樽支店~北海道小樽市色内

小樽の街並み2016③

小樽の街並み2016④

道南2016

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道南2016

2016-06-18 05:28:30 | 旅行

2016年5月10・11・12日 【道南2016】

道南2016

--5月10日--

東京駅から「はやぶさ」で「新函館北斗駅」へ

▲新函館北斗駅

▲松前城

▲江差

※湯の川温泉泊

--5月11日--

▼函館

▲金森赤レンガ倉庫

▲旧函館公会堂 重要文化財

▲函館朝市

▲函館山

▲摩周丸

▲五稜郭

 ▲大沼国定公園

▲洞爺湖

▲登別温泉泊

--5月12日--

▼登別地獄谷

▼旧札幌農学校演武場(時計台)

▼小樽

※ 新千歳空港へ 帰宅

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小樽(北海道小樽市)の町並み2016④

2016-06-17 05:47:02 | 町並み

2016年5月12日 【道南2016】 北海道

小樽(北海道小樽市)の町並み2016④

元金子元三郎商店

金子元三郎商店は、明治・大正期に海陸物産、肥料販売および海運業を営んでいました。店主金子元三郎は、明治32年に初代小樽区長に就任し、その後衆議院議員に数回選出されるなど、小樽を代表する政財界人でした。両袖にうだつを建て、2階正面の窓には漆喰塗りの開き窓が収まり、創建時の形態をよくとどめています。小樽の典型的な明治期商店の遺構といえます。明治20(1887)年 建築 小樽市へようこそ

▼岩永時計店

この建物は、時計卸商、初代岩永新太郎の店舗として建てられ、店員で編成された楽団を持つハイカラな商店でした。平成3年の改修により正面2階のバルコニー、半円アーチ扉、手摺などが修理され、ほぼ創建時の姿になりました。屋根の装飾、軒の繰り型など細部にもデザインが施され、瓦葺き屋根を飾る一対の鯱は商店では珍しい装飾であり、当時の小樽商人の意気込みが感じられます。明治29(1896)年 建築 小樽市へようこそ

▼利尻屋みのや不老館

昆布販売店 針のない時計台の意味するものはなんだろう?? 詳細不明

????? ^^

▼旧第百十三国立銀行小樽支店  

この建物は、小樽支店として建てられましたが、業務拡大に応じ明治41年にこの通りの少し北寄りに支店が移されています。その後、木材貿易商の事務所や製茶会社の建物としても使用されました。平屋建ての比較的小規模な建物ですが、寄棟の瓦屋根に「トンガリ」飾りを付けた和洋折衷の構成で、明治の面影を良く伝えています。軒下に刻まれた分銅模様のレリーフが百十三銀行のシンボルです。明治26(1893)年 建築

 

 ▼旧北海道雑穀株式会社

建物概要

旧北海道雑穀株式会社

 建築年 明治40年 構造 木骨石造2階建
北海雑穀株式会社は資本金20万円を以って明治40年7月10日設立して諸雑穀委託販売を商いとしてはじめました。
建物規模は正面5間、奥行4間で、屋根は瓦、外壁は軟石、窓に飾り鉄扉、両袖に卯立を立て、和風意匠としては木柱、漆喰壁、2階天井は棹縁天井で床の間を設けている。洋風意匠として2階上げ下げ窓と飾りカーテンボックス、階段の手摺などがあり、意匠の混在が見受けられます。明治の風格と趣が残る建物です。 (案内板より)

         

北一ガラスにて
  

 小樽の代名詞 運河
   

関連記事:小樽2013年2月

2016-06-17 05:47:02

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