2017年12月25日 【一人でゆく九州2017】 鹿児島県
鹿児島市(鹿児島県)の町並み③
▼私学校跡
鹿児島県鹿児島市城山町
明治6(1873)年、政変で下野した西郷隆盛は、鹿児島の士族たちのため、この地に私学校を創設しました。 西南戦争の際、この私学校の石垣に多くの銃弾が打ち込まれ、今なお激戦の様子を伝えています。
西南戦争の際の銃弾の跡
▼県政記念館(旧鹿児島県庁舎本館)
▼旧鹿児島県立尋常中学校門(鹿児島県鹿児島市山下町)
旧県庁舎敷地西辺中央に位置する。鹿児島県立尋常中学校創設時の正門で、間口3.1m、本柱の高さ2.3m、脇柱の高さ2.2mの規模をもつ洋風石造門。県立尋常中学校正門、県立図書館正門、県庁舎裏門として使用され、旧県庁舎敷地の変遷を見続けてきた。
▼鹿児島城
▼薩摩義士碑
1753年、徳川幕府は薩摩藩に木曽川・揖斐川・長良川(岐阜県)の改修工事を命じました。この宝暦治水は非常な難工事であり、約1,000人を動員し工費40万両を費やした末、1年3ヶ月かけてやっと完成しました。 その間、幕吏や地域住民との対立、 悪疫の流行などで88名の犠牲者をだし、その供養墓塔として薩摩義士碑が大正9年(1920年)に建立されました。
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