街道ウォーク<甲州街道<茅野駅~下諏訪宿
2012年3月4日 8回目
上諏訪駅
長野県諏訪市諏訪
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街道ウォーク<甲州街道<茅野駅~下諏訪宿
2012年3月4日 8回目
上諏訪駅
長野県諏訪市諏訪
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街道ウォーク<甲州街道<茅野駅~下諏訪宿
2012年3月4日 8回目
高島城
長野県諏訪市高島
高島城は別名「浮城」とも呼ばれ、400年ほど前の慶長3年、豊臣秀吉の家臣「日根野織部高吉」により築城され、諏訪氏の居城としてその威容と要害堅固を誇ってきました。 昭和45年5月に天守閣が復興され、その美しい姿を再び堀の水に映すようになりました。(諏訪市ホームページより)
冠木橋を渡ったところに冠木門があった。冠木門とは、左右の柱の上部に一本の貫(ぬき)を通しただけの簡単な門のことをいうが、高島城を描いた絵図からは、楼門(ろうもん)あるいは高麗門(こうらいもん)と呼ばれる屋根付きの門であったことがわかる。
おそらく、当初は冠木門であったものが、後に楼門に建て替えられ、名称のみ残されたものであろう。
▲ キハダ:高島城内にあるキハダの大木。キハダは諏訪市の市木である。ミヤマキハダ、ミカン科、樹齢推定約120年。
▲ フジ:高島城跡が公園となった明治9年(1876)ごろ、植栽されたと思われる。諏訪市内では最古のフジで、春には紫色の蝶形花をたくさんつける。マメ科、樹齢推定約130年。
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2012年3月4日 8回目
下諏訪駅
長野県諏訪郡下諏訪町広瀬町
▲御柱
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2012年3月4日 8回目
すずめ踊り
長野県茅野から下諏訪で見かけたものです。「すずめおどし」等と呼ばれる場合もあるらしい。棟飾りの一種
長野県茅野・上諏訪・下諏訪
2012年3月4日撮影
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2012年3月4日 8回目
新鶴
長野県諏訪郡下諏訪町横町
塩羊羹で知られる和菓子店 -創業明治6年-
お土産
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2012年3月4日 8回目
甲州道中・中山道合流之地石碑
▲旧中山道ウォークでは写真奥から歩いてくることになる。
▲甲州道中・中山道合流之地石碑で旧中山道は右に向きを変え京に向かいます。
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2012年3月4日 8回目
下諏訪本陣(岩波家)
長野県諏訪郡下諏訪町横町
街道が盛えた頃には下諏訪宿本陣を務めた岩波家。現在も建物の主な部分と庭園が保存され、公開されている。数寄屋造りの建物は素晴らしく、築山庭式石庭園は中山道随一の名園といわれる。
▲温度計 当時のものとのこと
▲蔵
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2012年3月4日 8回目
綿の湯
群馬県吾妻郡草津町草津
神話と伝説 綿の湯
その昔、上社の地にお住まいの諏訪明神建御名方神のお妃八坂刀売神が、日頃お使いになっておられたお化粧用の湯を綿に湿し「湯玉」にして下社の地へお持ちになりました。その湯玉を置かれた所から湧いたのがこの温泉で、綿の湯と名付けられました。 神の湯ですから神聖で、やましい者が入ると神の怒りに触れて、湯口が濁ったといい、「湯口の清濁」は下社七不思議の一つに数えられています。下諏訪宿は中山道と甲州道中が交わるところ、全国一万余の諏訪神社総本社の門前町で、湯の湧く宿場として親しまれ街道一賑わいました。 下諏訪宿の中心が綿の湯界隈です。
▲ここには宿場問屋場もあった。
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2012年3月4日 8回目
諏訪大社下社秋宮
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2012年3月4日 8回目
承知川橋の記(一枚石)
この一枚岩は長く甲州道中の承知川にかかっていた橋石である。輝石安山岩 重量約拾参屯 伝説によると永禄四年武田信玄が川中島の戦いの砌、諏訪大明神と千手観音に戦勝祈願を約し社殿の建替と千手堂に三重の塔の建立を約して出陣したと言う、しかし戦に利あらず帰途この橋を通過せんとしたが乗馬は頑として動かず信玄ふと先の約定を思い出され馬上より下りて跪き「神のお告げ承知仕り候」と申上げ帰国したという。爾来承知川と呼びこの一枚岩の橋を承知橋と呼ばれるようになったと伝えられている。この一枚岩の煉瓦模様は防滑とも又信玄の埋蔵金の隠し図とも言われて来た。表面がこのように滑らかになったのは人馬など交通が頻繁であったことを物語っている。この度新橋掛替に当たってこの橋石を永久に此処に保存する。 昭和五十二年 久保海道町
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2012年3月4日 8回目
富部一里塚 (甲州街道最後の一里塚)
起点の日本橋から道の中央を計って一里毎(4Km)に、道の両側に大きく土を盛り榎等を植え一里塚として、旅人の便とした。この塚は江戸(現、東京)より53番目。甲州街道中最終のもの。 あと十一町(1100m)で賑やかな下諏訪宿に着き。中仙道につながる。
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2012年3月4日 8回目
石投場 (高木地区)
諏訪湖を眼下にした展望に優れた場所。昔は石を投げれば諏訪湖に届くような所だったことから名づけられました。明治十三年、明治天皇ご巡幸の折には、ここから漁夫たちの投網の様子をご覧になったといいます。
▲諏訪湖はだいぶ後退したらしい
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2012年3月4日 8回目
片羽の一里塚跡 (52里)
長野県諏訪市諏訪
甲州道中は、江戸から甲府が表街道、甲府から下諏訪が裏街道と呼ばれ、下諏訪宿で中山道と合流していた。各街道とも江戸日本橋より三十六町(一里、約4Km)ごと道の両側に盛り土をして頂上にケヤキ・エノキなどを植えて一里塚とした。ここに一里塚ができたのは慶長十五年(1610)頃と言われている。この塚は江戸から五十二里で西は下諏訪町富部の五十三里塚、東は四賀神戸の五十一里塚へと続いている。 諏訪市教育委員会
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2012年3月4日 8回目
旧道の様子
▲路地からの諏訪湖
▲棚田
▲諏訪湖はすぐそこ
▲モチーフはさくらとつつじ
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2012年3月4日 8回目
吉田のマツ
種 名 クロマツ(マツ科)
推定樹齢 270~300年(平成七年現在)
大 き さ 目通り幹周1m45cm
地上30cm 幹周2m13cm
高島藩士吉田式部彦衛門が元禄三年(1690)から享保八年(1723)藩主忠虎の大坂城守備に随行したとき持ち帰ったものと伝えられる。代々吉田家の庭園に育てられたものを、昭和の始め旧甲州街道沿いに移植したもので有り、市内の最年長樹である。クロマツの特徴は樹皮が末端まで暗黒色、下部樹皮が亀甲状に割れ、葉は濃緑色で強剛、新芽の鱗片は白味を帯びる。諏訪地方に見られるクロマツは栽植されたものである。 指定昭和五十四年二月十五日 諏訪市教育委員会
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