2016年12月26日 高知県
吉良川の町並み② 重要伝統的建造物群保存地区
高知県室戸市吉良川町
▼土佐備長炭の窯元「炭玄」
▼旧吉良川郵便局
いしぐろ:台風の風を防ぐ石垣
▼御田八幡宮の参道に戻ってきた
地ものなのだろうか?
ここからバスで奈半利へ
関連記事 吉良川の町並み①
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2016年12月26日 高知県
吉良川の町並み② 重要伝統的建造物群保存地区
高知県室戸市吉良川町
▼土佐備長炭の窯元「炭玄」
▼旧吉良川郵便局
いしぐろ:台風の風を防ぐ石垣
▼御田八幡宮の参道に戻ってきた
地ものなのだろうか?
ここからバスで奈半利へ
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2016年12月26日 高知県
吉良川の町並み・その1 重要伝統的建造物群保存地区
高知県で初めて、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された吉良川町。明治期に建てられた漆喰壁の商家や、水切 り瓦の蔵が立ち並び、日本の懐かしい町並みを今に残しています。また台風常襲地として、風雨から家を守るために、河原石や浜石でつくられた外壁“石 ぐろ”も、室戸ならではの独特の景観です。
重要伝統的建造物群保存地区はバス通り脇の旧道だ
「水切 り瓦」の蔵
▲御田八幡宮の参道
水切瓦の蔵が並ぶ
▼御田八幡宮
二年に一度、国の重要無形民俗文化財である神事「吉良川の御田祭」が行われる。
▲ 「吉良川の御田祭」で使われる花飾り?(おまつり館にて)
▼まちなみ館
水切瓦:壁を伝う雨を防いで壁を守る
▼池田家
白壁+なまこ壁+水切瓦
いしぐろ:台風の風を防ぐ石垣
地元の方によるとかつては消防団の屯所だったそうです
関連記事 吉良川の町並み②
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2016年12月26日 高知県
高知駅(JR)・奈半利駅(土佐くろしお鉄道阿佐線)
陽はまだ昇っていない。今日のスケジュールはハードだ!まずはJR高知駅からJR御免駅へ、御免で土佐くろしお鉄道阿佐線に乗り換え終点の奈半利駅へ、さらにバスに乗り換え今日の最初の目的地「吉良川」へ
▼高知駅
▼入線した特急「しまんと」高松行
▲高知駅から御免駅へ
御免駅で土佐くろしお鉄道阿佐線に乗り換え。待ち時間はほとんど無い!駆け足で乗車
▼奈半利駅
乗車してる客は2~3人でした・・・・
▲奈半利には古い建物が残っているようだ。
ここからはバス 高知東部交通バスに乗車「吉良川学校通」下車する。
「吉良川学校通」バス停で下車
「吉良川の町並み」散策へ
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2016年12月25日 高知県
高知駅
高知県高知市栄田町
高知駅到着!明日、古い街並みが残る、吉良川、安芸へ向かう。高知駅前のホテル泊。
鳴子
歓鯨だって
これは播磨屋橋
高知駅からホテルに向かう。振り返ると路面電車の駅は光っている。戻ってみると
クリスマス仕様らしい
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2017年3月18日 埼玉県
埼玉県秩父市番場町の洋館など
▼カフェ・パリー 昭和2年(説明板より)
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2017年3月18日 埼玉県
上長瀞駅(SLパレオエクスプレス・First RUN)
埼玉県秩父郡長瀞町大字長瀞
C58363(シゴハチ サンロクサン)は、かつて東北地方などの旧国鉄(現在のJR)で活躍したSLです。昭和47年に現役引退後は、吹上町立吹上小学校の校庭で小学生と一緒にのんびりと余生を送っていましたが、さいたま博覧会(昭和63年3月19日から5月29日まで熊谷市で開催)にあわせて「SL運行を!」の声があがり、その大役にC58363が抜擢されたのです。昭和62年に車籍を復活。昭和63年に秩父路のSLパレオエクスプレスとして誕生しました。
この日は運行初日でした。
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2017年3月18日 埼玉県
宝登山神社
埼玉県秩父郡長瀞町長瀞
宝登山神社は、火災盗難よけ・諸難よけの守護神としての御神徳が高く、地元はもとより関東一円からの参拝者は、年間100万余を数えます。
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2017年3月18日 埼玉県
宝登山(491m)
職場の山岳部会の企画に参加
池袋駅から東武鉄道、秩父鉄道で野上駅へ
▼寄居駅
▼野上駅
野上駅→宝登山→長瀞駅→上長瀞駅
万福寺
宝登山が見えてきた
頂上手前の階段。足が上がらなくなった!!全部で200段位かな~
▲宝登山山頂 野上駅から約2時間
▲宝登山は蝋梅で有名
▲武甲山
下山:宝登山神社奥院→宝登山神社→長瀞駅→上長瀞駅
▲宝登山神社奥院
▲地図に載っていない直線的なルートで下山
▼宝登山神社
▲宝登山神社参道
▲長瀞駅前の射的
▲長瀞駅と上長瀞駅間の桜並木
▲上長瀞駅
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2016年12月25日 【ぐるっと四国一人旅2016】 高知県
中村の町並み
高知県四万十市
中村は土佐の小京都と言われているが、風情のある町家造りの建物があるわけでもないし、街中に由緒ある神社仏閣も点在していない。
ここ中村は関白一条教房公が応仁の乱をさけ、京都からこの地に逃れてきた。一条教房公はこの地を京都に模して、町づくりをした。ただ、道路は碁盤の目になってはいるが・・・・ これらのことから土佐の小京都と呼ばれているのだろうか?
土佐の小京都ということでここにやって来たのであるが、少々拍子抜け!
とりあえずは駅前からタクシーで中村城跡へ
タクシーのドライバーさんとの会話
当方「中村は土佐の小京都と呼ばれていますが、どうしてそう呼ばれるのでしょうかね~」
ドライバーさん「わからないな~京都らしい地名は残っていますが・・・」
ちなみにドライバーさんは地元で生まれ育った方。う~む
▼一条房基供養塔
土佐一条家三代目当主
▼中村城
高知県四万十市(旧中村市)丸の内にあった中世から近世にかけての平山城(ひらやまじろ)。西に四万十川(しまんとがわ)、東に後川が流れ、中村平野を一望する丘陵地に築かれた。中村城の起源は明らかでないが、豪族の為松(ためまつ)氏が城を築き、居城としていたと考えられている。1468年(応仁2)、前関白の一条教房(いちじょうのりふさ)が京の戦乱を避けて、荘園があった中村(土佐幡多(はた)郡)に逃れてきた。この時、為松氏は国司となった一条氏に家老として仕え、中村古城を整備、以来一条氏の居城になった。為松城(ためまつじょう)ともいう。
この石垣は当時のものか?
▲「中村城跡二の丸」と刻まれている。
天守閣風の四万十市立郷土資料館
▲一条房家:土佐一条家二代目当主
▲遠くに見えているのは四万十川か?
▲中村城で使用されていた瓦
▲これは土塁か?
▼一條神社(高知県四万十市中村本町)
この神社は、文久2(1862)年、中村御所跡の一部の小森山山頂にあった一條家御廟所跡に、土佐一條氏の遺徳を偲ぶ有志によって建立されました。
土佐一條氏は応仁の乱を避け下向した前関白一條教房に始まり、以後4代、中村の文化、経済の発展に力をそそぎました。
この神社には教房の父、兼良を始め、土佐一條氏歴代の霊を祀っています。
市民には、「いちじょこさん」と親しまれ、毎年11月に行われる大祭は、市内一円で3日間、御神火提灯行列や稚児行列、神楽など様々な行事が盛大に開催され、町は数万人の人出で大いに賑わいます。現在の社殿は、昭和19(1944)年の建立です。
▼中村御所跡
市街地の中央に盛り上がった小森山がある。この丘にはもともと愛宕神社あったが、一條教房が中村下向のとき他へ移しここに御所を構えた。
▼中村駅
駅前の様子
特急「あしずり」で高知(駅)へ
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2016年12月25日
宇和島駅→家地川駅→若井駅→中村駅
▼宇和島駅→家地川駅 予讃線窪川行
予讃線は四万十川に沿って進む
▼JR江川崎駅 予讃線窪川行はトイレがついていない。トイレタイムとしてこの駅で15分程停車!
▲沈下橋
▼家地川駅
列車はこの駅で10分以上停車
▼ 若井駅
予讃線と土佐くろしお鉄道の接続駅。ここで土佐くろしお鉄道に乗り換える。
▲くろしお鉄道に乗車。すると・・・
あらっ 今日は2016年12月25日。クリスマスだけど・・・・
▼伊与喜駅
▼土佐佐賀駅
▼佐賀公園駅(くじらの見える佐賀公園駅)
▼土佐白浜駅(渚の潮騒が聞こえる土佐白浜駅)
▼有井川駅
▼海の王迎駅
▼浮鞭駅(うきぶちえき)
▼中村駅
宇和島から約3時間30分かけ目的地の中村(駅)に到着
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2016年12月25日 愛媛県
宇和島駅
愛媛県宇和島市錦町
予讃線の終着駅であり、線路名称上は同線の単独駅である。ただし、隣の北宇和島駅を線路名称上の終着駅としている予土線の列車も乗り入れているため、事実上2方向の列車が利用できる。そのため、予讃線と予土線の双方の駅番号が割り当てられいる。
宇和島駅前
次の目的地中村(駅)へ
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2016年12月24・25日 愛媛県
宇和島の町並み 愛媛県宇和島市
宇和島市:宇和島城を中心に発展した闘牛で有名な旧城下町。
▲車窓より
宇和島駅にて
▲宇和島駅
▼ 宇和島市立歴史資料館
▼ 樺崎砲台跡
宇和島名物「鯛めし」
▼和霊神社
宇和島城へ
▲宇和島城が見えてきた
▼穂積橋
宇和島市が穂積陳重の銅像を建てようとしたところ、「銅像となって、同郷の万人に仰ぎ見られるよりは、橋となって、公衆に履んでもらえたら無上の光栄である」という陳重の意思により、昭和5年、辰野川の新開橋が付け替えられ、橋名は「穂積橋」とかわった。
穂積陳重:[1856~1926]法学者。愛媛の生まれ。八束(やつか)の兄。重遠(しげとお)の父。東大教授。イギリス法を移入。法典調査会委員として民法を起草した。のち枢密院議長。著「法律進化論」など。
▼高野長英の居住地跡
幕府の政策を批判したため役人に捕えられ、牢舎の火災で仮釈放となった際、逃亡し脱獄囚として3年におよぶ逃亡生活を送っていた高野長英が居住した地。
▼宇和島城
▼「冠の柳」と 宗城と西郷隆盛会見の場
▼天赦園
▲桑折(こおり)氏武家長屋門(写真中央奥)
とうまん(唐饅):全国でも愛媛県の南予地方(愛媛県南部)だけでしか作っていない大変珍しいお菓子で、水あめと小麦粉で作った生地に柚子あんや黒砂糖あんが入っています。
2017-03-19 06:17:50
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2016年12月25日 愛媛県
天赦園
愛媛県宇和島市
宇和島藩第七代藩主伊達宗紀(むねただ)(春山と号す)が、隠居の場所として建造した庭園。園名は、伊達政宗が隠居後詠んだ「馬上に少年過ぎ、世は平にして白髪多し、残躯は天の赦す所、楽しまずして是を如何せん」から名付けられた。
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2016年12月25日 愛媛県
宇和島城 100名城
愛媛県宇和島市丸之内
現在の地に初めて天守が建造されたのは慶長6年(1601)藤堂高虎(とうどうたかとら)築城のときとされています。城の外郭は上から見ると不等辺5角形をしており、随所に築城の名手と言われた高虎ならではの工夫が見受けられます。高虎が今治に転封となってのち、奥州仙台藩主、伊達政宗の長子秀宗が宇和郡10万石を賜り、元和元年(1615)に入城。2代宗利の時、天守以下城郭の大修理を行い、寛文11年(1671)に完成。その姿を現在に残しています。 宇和島市観光ガイド
桑折(こおり)氏武家長屋門から入城
▼井戸丸
▲二之丸跡
▲昔の鏡餅
▼城山郷土館
弘化2年(1845)、三之丸に建てられた武器庫で、現存例の少ない稀少な建物です。昭和41年、伊達家より譲渡され、城山内に移築後、城山郷土館として一般公開し、民俗資料や古写真など展示しています。
▼城守屯所
▼城山郷土館(旧山里倉庫)
上り(のぼり)立ち門
2017-03-17 05:44:15
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2016年12月25日 愛媛県
和霊神社
愛媛県宇和島市和霊町
産業の神として漁業を中心に幅広く信仰され、今も「和霊さま」の名で親しまれる和霊信仰の総本山。大鳥居をくぐり抜け、川にかかる太鼓橋を渡れば、随神門の両脇に日本一のお多福面と鼻高面が出迎えてくれる。境内に足を一歩踏み入れると静寂な世界に包まれ、入母屋造りの本殿などは厳粛な雰囲気を醸し出している。
▲牛鬼
2017-03-16 05:49:15
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