2021年11月4日 長野県
松代の町並み
長野県長野市松代町
真田信之の松代城入城によって、松代は松代藩真田十万石の城下町として栄えますが、江戸中期以降は諸藩同様に財政難に苦しみます。さらには真田氏直系の家系も途絶えますが、松平定信の次男である幸貫を8代藩主に迎えると、その幸貫は江戸幕府老中という要職を兼任し、幕末の巨人・佐久間象山を登用し、藩校の再興を図るなど藩政の立て直しに尽力します。そのような努力もあって、真田松代藩は明治維新まで存続しました。
▼旧松代駅
▼松代城(海津城)
▼真田宝物館
▼真田邸
▼松代藩文武学校
文学所
▼槍術所
▼弓術所
▼旧白井家表門 長野市指定文化財
この表門は、もと表柴町に建っていましたが、平成12年に現在地に移築復元しました。建築年代は、松代藩文書などから弘化3年(1846)であることがわかりました。長大な間口に対して、屋根を低くおさえ、正面は間口の左右に出窓と与力(よりき)窓のみの単純・構造で意匠性が秀抜です。松代藩中級武士の代表的な表門として、旧松代城下の面影を今に伝える貴重なものです。
▼真田勘解由家 長野市文化財
非公開
松代城下武家町の北東角地に敷地を構える。敷地中央に建つ木造つし2階建,寄棟造,桟瓦葺で,北面中央に入母屋造の玄関がつく。桁行11間,梁間4間で,東を土間とし,座敷12.5畳を中心とした居室の周囲に縁が巡る。上級武家住宅の風格を示す遺構である。
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▼旧樋口家住宅 長野市文化財
江戸時代の樋口家住宅は、他の藩士たちの住宅と同様、一種の公舎でした。敷地のほぼ中央には泉水路が東西に流れ、敷地の南側は、現在は雑木林と竹林、庭園ですが、樋口家の時代は畑として使用されていました。
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▼旧横田家住宅(重要文化財)
この住宅は他の藩士宅と同様、一種の公舎で、横田家が現在地に移った時期は18世紀末である。主屋は、寛政6年(1794年)表門は天保13年(1842年)に建てられた。隠居屋は、文政3年(1820年)頃移築されたものと推定される。
▼寺町商家(旧金箱家)県文化財
▲内蔵
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▼前島家住宅
前島家は、同家所蔵の系図によると、初代民部佐衛門一宗以来、上田・松代で代々真田家に仕えており、禄高は江戸中期に300石、幕末には200石であった。主屋前面の池や、土蔵と三社を配した屋敷地は、江戸時代の武家屋敷景観を良好に保持しており、貴重である。
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▼旧松代藩鐘楼
▼矢沢家の表門 長野市指定重要文化財
表門は江戸時代後期の上級武家屋敷の遺構として貴重な事から昭和42年(1967)に長野市指定重要文化財に指定されています。
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