2013年4月19日 岐阜県岐阜市
岐阜城 100名城
岐阜県岐阜市
金華山(きんかざん)山頂に位置し、1201年に鎌倉幕府執事二階堂行政により初めて砦が築かれたといわれています。岩山の上にそびえる岐阜城は、難攻不落の城としても知られ『美濃を制すものは天下を制す』と言われるほどでした。戦国時代には小説「国盗り物語」の主人公である斎藤道三の居城でもありました。その後、永禄10年(1567年)に織田信長がこの城を攻略し、城主となりました。信長は「井の口」と呼ばれていた地名を「岐阜」に、「稲葉山城」を「岐阜城」に改めたといわれています。天正4年(1576年)に岐阜城を息子信忠に譲るまでの間、「天下布武」の朱印を用いて天下統一の志をかかげ、城下町の復興に力を注ぎました。楽市楽座の保護など当時としては斬新な政策により岐阜城下は大変な賑わいでした。1600年、関ヶ原合戦の前哨戦の際、信長の孫 秀信が西軍に味方したため、東軍に攻め入られ、激戦の末落城し、天守閣・櫓等は加納城に移されました。岐阜市観光情報より
▲お城時計
大名時計・和時計ともいう。西洋の機械時計が日本に入ったのは、フランシスコ・ザビエルが周防国(現在の山口県)の大内氏に献上したのが最初である。当時の時計は壁掛け式であり、操作も複雑であつた。このため日本の時計師は工夫と改良を重ね、日本独自の十二支を目盛りとする櫓時計を作りあげ、その精密さは世界一であった。1872年(明治5)11月太陰暦が太陽暦に改められ、和時計は製作されなくなった。岐阜城では、お城の時計と称された江戸時代前期の大型櫓時計を所蔵・展示している。岐阜市
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