平成24年3月15日 静岡県
掛川城 100名城
静岡県掛川市掛川
室町時代、駿河の守護大名今川氏が遠江進出を狙い、家臣の朝比奈氏に命じて築城させたのが掛川城のはじまりです。戦国時代には、山内一豊が城主として10年間在城。働き盛りの一豊は大規模な城郭修築を行い、天守閣、大手門を建設すると共に、城下町の整備や大井川の治水工事などに力を注ぎました。掛川は、一豊の人生にとって大きな意味をもつ土地であり、高知城は掛川城を模して作られたとも伝えられています。現在の掛川城は、平成6年4月に「東海の名城」と呼ばれた美しさそのままに、日本初の本格木造天守閣として復元されたものです。(掛川観光協会HPより)
▼ 掛川城御殿 重要文化財
掛川城御殿は、儀式・公式対面などの藩の公的式典の場、藩主の公邸、藩内の 政務をつかさどる役所という3つの機能を合わせ持った施設です。掛川城御殿 は二の丸に建てられた江戸時代後期の建物で、現存する城郭御殿しては、京都 二条城など全国で4箇所しかない貴重な建築物です。 書院造りと呼ばれる建築様式で、畳を敷き詰めた多くの部屋が連なり、各部屋 は襖で仕切られています。当初は本丸にも御殿が作られましたが、老朽化した り災害にあって、二の丸に移りました。 その後、江戸時代の藩の政治や大名の生活が偲ばれる貴重な建物として、昭和 四十七年から五十年まで保存修理が実施され、昭和五十五年一月二十六日、国 の重要文化財に指定されました。
▼ 大手門
大手門は天守閣に続いて平成7年(1995年)に復元されたもので、大きさは間口7間(約12.7メートル)、奥行3間(約5.4メートル)の二階建です。掛川城の表玄関にふさわしい桜門造りの本格的な櫓門は、木造日本瓦葺き入母屋づくりになっています。白壁で板ひさしが配され、棟上にはシャチ瓦が飾られた勇壮な構えです。 実際は現在地より50メートルほど南にありました。
大手門番所は、城の正門である大手門の内側に建てられ、城内に出入する者の監視や警備をする役人の詰所です。嘉永7年(1854)の大地震で倒壊後、安政6年(1859)に再建されたのが現在の建物です。明治初年、掛川藩の廃藩に際し、元静岡藩士谷庄右衛門が居宅用として譲り受け、別の場所に移築しましたが、昭和53年(1978)に谷家より市へ寄贈されました。大手門に付属した番所が現存するのは全国的にも珍しく、昭和55年(1980)市の文化財に指定されました。発掘調査により掛川城大手門と番所の位置が正保年間頃(1644~1647)に描かれた正保城絵図のとおりであることが明らかになったので、平成7年(1995)周辺の区画整理により、本来の位置から約50メートル北に大手門を復元することにともない、それに合わせて番所を配置し、現在地に移築・復元しました。掛川市教育委員会
▲ 掛川城蕗の門(円満寺)
円満寺に移築されている蕗の門は、かつて掛川城内にあり、城外、侍町より、本丸・二の丸・三の丸の要所を結んでいました。
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