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妻籠宿(重要伝統的建造物群保存地区)~長野県木曽郡南木曽町

2012-10-28 21:12:32 | 重要伝統的建造物群保存地区

2012年10月6日 長野県

妻籠宿 重要伝統的建造物群保存地区

長野県木曽郡南木曽町

 籠宿(つまごじゅく)は、中山道42番目の宿場で、現在は長野県木曽郡南木曽町。蘭川(あららぎがわ)東岸に位置する。隣接する馬籠宿(岐阜県中津川市)と、馬籠峠を越える旧中山道史蹟と合わせて木曽路を代表する観光名所として名高い。経済成長に伴い全国の伝統的な町並みが姿を消してゆく中、いち早く地域を挙げて景観保全活動に取り組んだことが評価され、1976年、国の重要伝統的建造物群保存地区の最初の選定地の一つに選ばれた。

 

妻籠宿入口付近

鯉ヶ岩:どう見ても鯉には見えません。

 

熊谷住宅

 

 

脇本陣(小林家)

 

▲本陣

▲枡形

▲下丁子屋

 

 

 

▲ おしゃぎじさま

▲藁馬

▲大妻籠への旧道

大妻籠

 

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妻籠城址(長野県木曽郡南木曽町)

2012-10-27 19:01:05 | その他の城

2012年10月6日 長野県 

妻籠城址

 長野県木曽郡南木曽町

妻籠城は木曽谷の南を固めた規模の大きな山城です。天正12年、徳川の大軍に難攻不落を誇ったと伝えられます。

妻籠城は、いつ誰によって築かれたか明らかではないが、室町中期には築城されていたと推測される。妻籠城は、天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いの折、ここも戦場となり、木曽義昌の家臣山村甚兵衛良勝が籠って、徳川家康配下の菅沼、保科らの軍勢を退けている。また、慶長5年(1600年)の関が原の戦いの時も、軍勢がはいってここを固めたが、元和2年(1616年)には廃城となった。妻籠城は典型的な山城で、空堀・帯回輪、さらには南木曽岳にのびる妻の神土塁という土塁も備えており、規模の大きな構えであったことが知れる。主郭へは徒歩10分で、北は木曽川と遠く駒ケ岳を望み、南は妻籠宿から馬籠峠まで一望できる。

妻籠城はいつ誰によって築かれたのかは明らかではない。伝承では木曽家村が室町時代に築いたと言われているが、戦国時代に木曽氏の南の抑えとして、木曽義昌によって整備されたものと予想される。天正13年(1584)の小牧・長久手の戦いの折り、ここも戦場になり義昌の家臣、山村甚兵衛良勝(たかかつ)が家康配下の菅沼、諏訪、保科の率いる伊奈・諏訪の軍勢を退けている。
また慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの際に美濃に進軍していた徳川秀忠は、この城に着いた時、関ヶ原での戦いで父・家康率いる軍勢の勝利で終わった事を知ったと言われています。妻籠城は典型的な山城で、木曽川と蘭川の合流する断崖上に位置し、いくつかの平地、空堀、帯曲輪、さらには南木曽岳に延びる「妻の神土塁」という土塁をも備えており、江戸時代の古絵図によると規模の大きな構えであった事が知れる。現在でもいわゆる主郭と言われる所は整地され公園になっているが、帯曲輪や空堀などはまだ原型をとどめている。

▲帯曲輪

▲堀切

▲土橋

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妻籠宿脇本陣奥谷(林家住宅) 重要文化財

2012-10-26 13:14:08 | 建築物(洋館以外)

2012年10月6日>長野県木曽郡 

妻籠宿脇本陣奥谷(林家住宅) 重要文化財

林家住宅は江戸時代の末から明治にかけて建設された建物で、近世の町家建築の様式をふまえています。江戸時代には厳しい山林の統制があり、ひのきなどの貴重な木材の使用は禁じられていました。木曽の人々は山のひのきを目の前にしながら、決して使用することができなかったのです。 明治になって尾張藩の統制が終わり、林家では自分の家の山からひのき、さわらなどそれまで伐ることのできなかった大径木をふんだんに伐り出して住宅の建築用材としました。これが現在「奥谷(おくや)」という屋号の林家住宅であり、江戸時代には大名や公家たちが宿泊した脇本陣だったことから、南木曽町博物館の施設の名称として「脇本陣奥谷」と呼ばれています。

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妻籠宿本陣(長野県木曽郡南木曽町吾妻)

2012-10-25 13:43:59 | 建築物(洋館以外)

2012年10月6日 長野県木曽郡 

妻籠宿本陣

長野県木曽郡南木曽町吾妻4701 

宿駅が制定されると妻籠宿本陣には島崎氏が任命され、明治に至るまで本陣、庄屋を兼ね勤めました。島崎藤村の母の生家であり、最後の当主は藤村の実兄で、馬籠から伯父の所へ養子にきた広助(ひろすけ)でした。本陣は明治に入り取り壊され、その後明治32年に御料局妻籠出張所が建設されました。本陣の復原は妻籠宿の保存が始まった当時からの念願であり、島崎家所蔵の江戸後期の絵図をもとに、平成7年4月に復原されました。ぶらり南木曽より

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馬籠脇本陣(資料館)~岐阜県中津川市馬籠

2012-10-22 07:45:08 | 建築物(洋館以外)

2012年10月6日 岐阜県

馬籠脇本陣(資料館)

岐阜県中津川市馬籠

馬籠宿の脇本陣は屋号を「八幡屋」といい、馬籠宿の年寄役も兼ねていました。明治28年の馬籠宿の大火で建物は消失しました。馬籠脇本陣史料館は当時の脇本陣の上段の間を復元し、当時使用していた家財や什器を展示するとともに、江戸のころの木曽路の独特の文化や制度を紹介しています。 木曽馬籠ホームページより

 

 

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馬籠脇本陣(資料館)(岐阜県中津川市馬籠)~旧中山道を歩く(14回目)

2012-10-22 07:45:07 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク>旧中山道>三留野宿(南木曽駅)~馬籠宿
2012年10月6日 14回目 

馬籠脇本陣(資料館)

岐阜県中津川市馬籠

馬籠宿の脇本陣は屋号を「八幡屋」といい、馬籠宿の年寄役も兼ねていました。明治28年の馬籠宿の大火で建物は消失しました。馬籠脇本陣史料館は当時の脇本陣の上段の間を復元し、当時使用していた家財や什器を展示するとともに、江戸のころの木曽路の独特の文化や制度を紹介しています。 木曽馬籠ホームページより

 

 

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