コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

赤目四十八滝~三重県名張市赤目町

2015-05-31 07:54:24 | 自然

2015年5月16日 三重県

赤目四十八滝

三重県名張市赤目町長坂

数々の美しい滝が織りなす全長約4Km。「日本の滝百景」や「森林浴の森百景」のほか「遊歩百景」「平成の名水百景」にも選ばれている。じゃらん より

※ 雨の早朝、散歩がてらに少しだけ赤目四十八滝を巡ってみました。ここは今からかなり前に一度訪れたことがありますが、その時の記憶は既にうすれている。。。。ここには大山椒魚が生息しているが、見つけることができるかな~

 

▲ 湧水「じゃんじゃんの水」

 

 
 ▲霊蛇滝

 ▲ 不動滝

▲ 乙女滝
 

大山椒魚は見当たらず・・・・

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伊賀上野城(100名城)~三重県伊賀市上野丸之内

2015-05-30 09:54:37 | 100名城

2015年5月16日 三重県

伊賀上野城 100名城

三重県伊賀市上野丸之内

上野城は、白い三層の美しい城郭が鳳凰が翼を休める姿に見立てられ『白鳳城』とも呼ばれています。築城の名手『藤堂高虎』が1608年に伊勢国津藩(三十二万石)の藩主に着任し、五層の天守閣を建設しますが、慶長17年(1612)当地を襲った大暴風で倒壊。現存する天守閣は昭和10年に復元されたものですが、石垣と内堀は高虎が築城した当時のままです。 いがぶら より

 ▼ 高石垣 ▲ 水面からの高さは30m!日本一、二を争うもの
 

慶長十三年(一六〇八)八月、藤堂高虎は伊賀の国十万石、伊勢の国の内で十万石、伊予の国の内で二万石に移封となった。
(のち三十二万三千九百五十四石余となる)移封は、徳川家康の信任が厚かったのと、紀伊や大和の反勢力の押さえと築城の名手でもあり、目前にせまる豊臣家討伐に備えたもので、慶長十六年(一六一一)正月、上野城の本丸を西に拡張、高さ約三十メートルという高石垣をめぐらした。建設中の五層の天守閣は、慶長十七年(一六一二)九月二日、当地を襲った大暴風で倒壊、その後、慶長十九年(一六一四)の大坂冬の陣、元和元年(一六一五)の夏の陣と徳川方の勝利に終わり、幕府は諸大名の城普請を厳しく禁止したので上野城の天守閣は再建されなかったが、伊賀の国の城として明治まで城代家老を置いて存続した。現在の天守閣は、当地出身の政治家川崎克氏が、熊野の山林家奥川吉四郎等の協力を受け、また自らが愛蔵する古美術品を売却して復興資金を調達、昭和十年(一九三五)十月十八日に落成、伊賀の産業陳列館として「伊賀文化産業城」と名付けられたが、優雅な姿から白鳳城(はくほうじょう)と呼ばれて親しまれている。

 

▲ 瓦には藤堂家の家紋「藤堂蔦」が施されている
 

▲ 欄間?に槍を使用している

▲ こちらは矢

 

▲ 中央のきのこのような建物は芭蕉にちなんだ「俳聖殿」。伊賀上野は芭蕉の生誕地

▲藤堂蔦

▲太閤秀吉から高虎が賜ったとされている兜 「唐冠形兜(とうかんなりかぶと」

▲中央が高虎・・・

 

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宇陀松山(重要伝統的建造物群保存地区)~奈良県宇陀市

2015-05-29 06:32:23 | 重要伝統的建造物群保存地区

 2015年5月15日 奈良県

宇陀松山 重要伝統的建造物群保存地区

 奈良県宇陀市大宇陀区

宇陀松山城の西側の地区は古代は阿騎野と呼ばれた宮廷の狩猟場であった。現在の街区は戦国時代に国人領主秋山氏により築かれた秋山城の城下町を起源とし、その後豊臣秀長配下の大名により現在の町並みの原型が形成され、地名が阿貴町から松山町に改められたとされる。関ヶ原の戦以降は織田信雄以後4代の支配を経て1694年からは江戸幕府の天領となり、商業地として栄え、明治時代になっても宇陀郡役所や裁判所がおかれるなど地域の中心として発展し、昭和40年代まで賑わったという歴史をもつ。

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森野吉野葛本舗:創業450年

森野葛薬園:「小石川植物園」と並ぶ日本最古の薬草園 今回は時間なくスルー

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 黒川住宅:建築時期 寛政3年(1791年)

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▲あゆむ家住宅▼ 建築:天保年間

 

▲森岡家

 

 

 ▲ 内藤家「修精堂」 建築:明治時代前期ころ

▲ 久保家住宅 建築:元禄15年(1703年)

▲大宇陀町マンホール:モチーフはカザグルマ

▲ 道の駅「大宇陀」

2015-05-29 06:32:23

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橿原神社~奈良県橿原市

2015-05-28 06:20:55 | 神社・仏閣・教会

2015年5月15日 【先輩と行く奈良2015】 奈良県

橿原神社

奈良県橿原市久米町

日本最古の正史ともされる『日本書紀』において、日本建国の地と記された橿原。天照大神(あまてらすおおかみ)の血を引く神倭伊波禮毘古命(かむやまといわれびこのみこと)(後の神武天皇)が、豊かで平和な国づくりをめざして、九州高千穂の宮から東に向かい、想像を絶する苦難を乗り越え、畝傍山(うねびやま)の東南の麓に橿原宮を創建されました。橿原神社ホームページより

※ シンプルだ!
































 
2015-05-28 06:20:55
 
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石舞台古墳~奈良県高市郡 明日香村

2015-05-27 06:21:07 | 遺産・遺跡など

2015年5月15日 【先輩と行く奈良2015】 奈良県

石舞台古墳

奈良県高市郡 明日香村

石舞台古墳は、飛鳥歴史公園内石舞台周辺地区の中央に位置するわが国最大級の方墳です。30数個の岩の総重量は約2300トン、特に天井石は約77トンとかなりの重量で、造られた当時の優れた土木・運搬技術の高さがうかがわれます。飛鳥歴史公園ホームページより

築造年代:7世紀初頭  被葬者:蘇我馬子(明らかではない。推定とのこと)

子供達ちと比べると石の大きさが分かる

▲ 石室入口

 

 

石棺(復元)

2015-05-27 06:21:07

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平城宮~奈良県奈良市佐紀町

2015-05-26 07:02:46 | 建築物(洋館以外)

2015年5月15日 【先輩と行く奈良2015】奈良県

平城宮

奈良県奈良市佐紀町

平城宮は、710年(和銅3)平城京の北部中央に、東西約1.3キロ、南北約1キロの地を占めて営まれました。ここには、天皇の住まいである内裏や国家的な儀式や政治の場である大極殿・朝堂院のほか、たくさんの役所が立ちならんでいました。いまでいえば、皇居と霞ヶ関の官庁街を併せたようなところでした。平城宮の四方には、高さ5メートルの築地塀がめぐらされ、それぞれに三つずつ併せて12の門があり、南の正面中央の門が朱雀門でした。 深!発見なら より

朱雀門(復元)

平城宮の正門・朱雀門。その前では外国使節の送迎を行ったり、大勢の人達が集まって歌垣などを行ったりし、正月には天皇がこの門まで出向き、新年のお祝いをすることもありました。朱雀門の左右には高さ5.5mの築地がめぐり、130haの広さの宮城を取り囲んでいました。 平城宮跡情報サイトより

 

 ▼ 第一次大極殿(2010年復元)

朱雀門の真北約800mに堂々とそびえる「大極殿」。正面約44m、側面約20m、地面より高さ約27m。直径70cmの朱色の柱44本、屋根瓦約9万7000枚を使った平城宮最大の宮殿であり、その建物は奈良時代の中頃に、一時都とした恭仁(くに)宮に移築され、山城国の国分寺金堂になりました。当時、天皇の即位式や外国使節との面会など、国のもっとも重要な儀式のために使われていました。  平城宮跡情報サイトより

 
第一次大極殿は朱雀門から800m先!
 

朱雀門と第一次大極殿の間にはなんと近鉄が走っているぞ
 

 

▲ 鴟尾:魚が水面から尻尾を出している様子とされ火事から建物を守る事を願って設置

▲大棟中央飾り

▲飾金具

第二次
 

 

2015-05-26 07:02:46

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「ならまち」など~奈良県奈良市

2015-05-24 21:06:10 | 町並み

2015年5月15日 【先輩と行く奈良2015】奈良県

「ならまち」など

ならまち(奈良町)は、奈良県奈良市の中心市街地南部に位置する、歴史的町並みが残る地域の通称(「奈良町」という行政地名はない)。狭い街路に、江戸時代以降の町屋が数多く建ち並ぶ。ほぼ全域が元興寺の旧境内にあたる。周辺を含む49.3ヘクタールが奈良市により奈良町都市景観形成地区に指定されている。

▲ 江戸川 ▼ 築約140年 当初は呉服屋

 

 

▲ ならまち格子の家:ならまちの伝統的な町家を再現

 

 

 

 

▲ 今西家書院 ▼ 重要文化財 室町中期、書院造りの様式を伝える貴重な遺構。早朝のため見学できず残念!

 

元興寺 重要文化財 参拝は9時から

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▲ 猿沢の池

 

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▲ 春日大社 一の鳥居 奈良公園内

▲ 春日大社参道

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▲ 東大寺そばで見かけた道標

▲ 鹿サイダー 味は普通

2015-05-24 21:06:10

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旧奈良県物産陳列所(現・仏教美術資料研究センター)(重要文化財)・~奈良県奈良市

2015-05-23 04:58:39 | 洋館

2015年5月15日【先輩と行く奈良2015】 奈良県

旧奈良県物産陳列所(現・仏教美術資料研究センター) 重要文化財

奈良県奈良市

奈良県下の物産展示即売場として利用されたこの建物は、日本建築史学者として著名な関野貞の設計になる。 構造は洋風だが、外観は平等院鳳凰堂になぞらい、細部には日本建築の各時代の様式を駈使するとともに、一部イスラム風などの意匠をも取り入れている。名勝奈良公園の景観との調和を図って和風を意匠の基調とした建物の一つであり、東西の古建築様式を取り入れた点にも時代の風潮がうかがえる重要な遺構である。

 

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旧帝国奈良博物館本館(現・なら仏像館)・~奈良県奈良市

2015-05-22 06:43:08 | 洋館

2015年5月14日【先輩と行く奈良2015】 奈良県

旧帝国奈良博物館本館(現・なら仏像館) 重要文化財

奈良県奈良市

奈良公園内に建つ奈良国立博物館が、この建物で、煉瓦造石貼りになる。 明治二十七年竣工し、同二十八年開館された。 内部は簡素な意匠ながら、外観は装飾的である。 この建築は構造および計画的によく検討された博物館建築で、京都博物館とともに明治中期の代表的遺構である。  国指定文化財等データベースより

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興福寺2015(国宝・重要文化財)~奈良県奈良市登大路町

2015-05-21 06:09:15 | 神社・仏閣・教会

2015年5月14・15日【先輩と行く奈良2015】 奈良県

興福寺2015

奈良県奈良市登大路町

興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある、南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院である。南都七大寺の一つに数えられる。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。南円堂は西国三十三所第9番札所である。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。

▼ 東金堂 国宝

東金堂(国宝)は神亀3年(726年)、聖武天皇が伯母にあたる元正天皇の病気平癒を祈願し、薬師三尊を安置する堂として創建した。治承4年(1180年)の兵火による焼失後、文治3年(1187年)、興福寺の僧兵は飛鳥の山田寺(現・奈良県桜井市)講堂本尊の薬師三尊像を強奪してきて、東金堂本尊に据えた。東金堂はその後応永18年(1411年)に五重塔とともに焼け、現在の建物は応永22年(1415年)の再建の室町時代の建築である。様式は、唐招提寺金堂を参考にした天平様式。平面規模は、創建時の堂に準じている。

▼五重塔

五重塔は天平2年(730年)、光明皇后の発願で創建された。現存の塔は応永33年(1426年)頃の再建である。高さ50.1メートルで、木造塔としては東寺五重塔に次ぎ、日本で2番目に高い。 東寺(京都市南区九条町)

▼ 北円堂 国宝

北円堂は養老5年(721年)、藤原不比等の一周忌に際し、元明上皇、元正天皇の両女帝が長屋王に命じて創建させたもの。現在の建物は承元2年(1208年)頃の再建で、興福寺に現存している建物の中では最も古い建物になる。法隆寺夢殿と同様、平面が八角形の「八角円堂」である。現在、回廊の復元計画中。

 

▼ 南円堂 重要文化財

南円堂(重文)は弘仁4年(813年)、藤原北家の藤原冬嗣が父・内麻呂追善のため創建した八角堂。現在の建物は寛政元年(1789年)の再建である。創建時の本尊は、もと興福寺講堂に安置されていた不空羂索観音像であった。この像は天平18年(748年)、その前年に没した藤原房前の追善のため、夫人の牟漏女王、子息の藤原真楯らが造立したものであった。

▼ 三重塔 国宝

 三重塔は、康治2年(1143年)、崇徳天皇の中宮・皇嘉門院により創建された。治承4年(1180年)の大火による焼失記録はないが、現在の塔は建築様式から大火後まもなく再建された鎌倉建築と考えられる。

▼ 中金堂  再建整備中

猿沢の池より

 

 

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東大寺2015(国宝・重要文化財)~奈良県奈良市雑司町

2015-05-19 19:11:36 | 神社・仏閣・教会

2015年5月14日 【先輩と行く奈良2015】奈良県

 

東大寺2015 国宝 重要文化財

奈良県奈良市雑司町

若草山の麓に広大な寺域を占める巨刹。奈良の大仏で親しまれる盧舎那仏始め国宝,重文級の文化財が多い。世界遺産「古都奈良の文化財」の8資産群のうちのひとつ。じゃらん より

南大門 国宝

 天平創建時の門は平安時代に大風で倒壊した。現在の門は鎌倉時代、東大寺を復興した重源上人(ちょうげんしょうにん)が再建したもので、今はない鎌倉再建の大仏殿の威容を偲ばせる貴重な遺構である。正治元年(1199)に上棟し、建仁3年(1203)には門内に安置する仁王像とともに竣工した。入母屋造、五間三戸二重門で、ただ下層は天井がなく腰屋根構造となっている。また屋根裏まで達する大円柱18本は、21mにも及び、門の高さは基壇上25.46mもある。大仏殿にふさわしいわが国最大の山門である。

仁王像二体は、昭和63年から5年間にわたって全面解体修理が行われ、天平創建期から向かい会って立っていたことや、山口県で伐採された木材が、約1年程で搬送され、古文書の記述通り、ほぼ70日間で二体同時進行で、造像されたことも証明された。 東大寺ホームページより

 

▼ 中門

 

▼ 大仏殿 国宝

創建から2度にわたって焼失、鎌倉と江戸時代に再建された。江戸期には柱とする材が調達できず、芯となる槻(つき)を檜板で囲い、鉄釘と銅輪で締めて柱とした。そのため、創建時に11間(けん、86m)あったが7間(57m)となった。現在でも世界最大級の木造建築であるが、往時の壮大さがうかがえる。 東大寺ホームページより

 

▲ 八角灯籠 国宝

 ▼盧舎那仏像 国宝

聖武天皇により天平15年(743)に造像が発願し造像は天平17年(745年)から準備が開始された。天平勝宝4年(752)に開眼供養会が実施された。 のべ260万人が工事に関わったとされ、創建当時の大仏と大仏殿の建造費は現在の価格にすると約4657億円と算出されている。

天平時代は正倉院宝物に代表されるように華やかな時代でしたが、政治的な争いや、干ばつ・飢饉、凶作、地震、天然痘の大流行など、とても苦しい時代でもありました。そこで聖武天皇は、仏教の根本経典といわれる『華厳経』を政治の中心にすえて、人々の心が思いやりの精神でつながることができるよう、さまざまな政策を実行して行きます。『華厳経』には、お釈迦様の身長を10倍することによって、無限大の宇宙を表現することが説かれています。東大寺の大仏さまは盧舎那仏といって、宇宙そのものを表しています。東大寺KID'Sより

座高:約15m 口:約1.3m 目:約1m 耳:約2.5m

 

 ▲ 虚空蔵菩薩 ▼ 重要文化財
  

▲ 如意輪観音坐像 ▼ 重要文化財

▲ 広目天 ▼

▲ 多聞天 ▼

 

※ 二月堂、三月堂などは時間なくパス!

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東武宇都宮駅~旧日光街道を歩く(6回目)

2015-05-17 19:32:20 | 旧日光街道ウォーク

街道ウォーク>旧日光街道>石橋駅~宇都宮駅
2015年4月29日 目指すは日光東照宮 6回目

東武宇都宮駅

  

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ユニオン通り~旧日光街道を歩く(6回目)

2015-05-17 19:32:03 | 旧日光街道ウォーク

街道ウォーク>旧日光街道>石橋駅~宇都宮駅
2015年4月29日 目指すは日光東照宮 6回目

ユニオン通り

 

 

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旧道の様子~旧日光街道を歩く(6回目)

2015-05-17 19:31:46 | 旧日光街道ウォーク

街道ウォーク>旧日光街道>石橋駅~宇都宮駅
2015年4月29日 目指すは日光東照宮 6回目

旧道の様子

 

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一向寺(栃木県宇都宮市西原二丁目)~旧日光街道を歩く(6回目)

2015-05-17 19:31:27 | 旧日光街道ウォーク

街道ウォーク>旧日光街道>石橋駅~宇都宮駅
2015年4月29日 目指すは日光東照宮 6回目

一向寺

栃木県宇都宮市西原二丁目

本尊は汗かき阿弥陀といわれ、危機がせまると汗をかいて知らせる、との言い伝えがある阿弥陀如来像。関東大震災の直前には、拭き取れないほどの汗をかいたという。国の重要文化財。 じゃらんより

 

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